静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年12月14日 | 天のマナ
 「神の救いの偉大さ」
   
「なぜ2000年前のキリストが私たちの救い主で、キリストの十字架の出来事が私たちの救いになるのでしょうか」の問いを受けることがあるでしょう。ひとことで言いますならば、それは、「神のわざ」であります。具体的には、神が神のひとり子を私たちの救い主として、この世界に遣わされたからであります。そして、その救いのわざは、救い主イエスが罪びとである私たちの罪を負って、十字架の上で私たちの身代わりに死なれたということでありました。これを理解し信じ体験するには、聖霊なる神の働きが欠かせません。

 神は時間の中に生きておられるのではなく、永遠の中に生きておられます。人間は時間に縛られていますが、神にあっては、時間的な前後関係も、時間的な隔たりというものはないのです。二千年という時間は問題ではありません。二千年前のキリストの十字架の贖いを、今の私たちに適応することなど、何でもないのです。
「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」(Ⅰペテロ3:8)

2014/12/14
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