「自由ということ」
ある神父は次のように言われた。「自分のしたいことをするのが自由ではないでしょう。人としてすべきことをするのが自由です」。
「自由」は、ルールの中にあって本当の自由があります。野球で、アウトになっても交替しないで続けたならば、それは自分勝手であり、ルールに従わないなら試合は成り立たず、誰もが楽しくありません。ルールを無視した自由は、自由ではなく「自分勝手」であります。
「神に造られた人として、神の許されている社会に生きる者として」のルールがあります。人の本分(人として当然なすべきこと)、神に造られ生かされている人のルールは、「神を信じ神に従い神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する」ことであります。日本語で「自由」と訳されている英語は、「フリーダム」と「リバティー」があります。「フリーダム」は「~からの解放」であり、「リバティー」は「自分で創造し、考え、選び取る」であります。ですから、自分勝手からはフリーダムとなり、神のルールの中でリバティーでありたいのです。「自分は、自分勝手をしているのだろうか、本当の自由をしてるのだろうか」と、自分の思いや言動をチェックしていくことを心がけたいのです。
2012/11/11