静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2009年03月01日 | 天のマナ
 「自力救済か、神による救いか」   ローマ3:20~24

 深い穴に落ちてしまい、自力ではどうやっても這い上がれない者の映像を見ました。
 ある者が彼を見つけ、「目を閉じて静まり心をきよめなさい。真理を知ればすべての苦しみはなくなる」と言い、彼は言われた通りにしたが、その穴からでることができませんでした。またある者が彼を見つけ、「実は穴もあなた自身も存在していない。考え方をかえれば思い煩う必要がない」と言い、さらにまたある者が彼を見つけ、「良い行いをすれば、いつの日にか自由になるかもしれない」と言った。彼は一生懸命したが力尽きた。
 以上はどれも、「悟りや教えや善行や修行という自力で自分を救え」という立場からの言葉でした。

 しかし、その穴は深く、自力では穴から這い上がれず救いとはなりませんでした。最後に一人の者が来て倒れている彼に、「自由になりたいのか」と聴きます。そしてその者は、ロープで穴に降り彼を背負って上り、穴から彼を救い出したのでした。自力では這い上がれない者が穴から出るには、他の者の助けこそが必要なのです。

 この映像は、まさしく、すべての人間は神から離れ罪の穴に落ち込み、自力では罪と罪の結果である死(肉体、霊、永遠)からは全く這い上がれなく、天から降りて来てくださった主イエスの救いこそが必要なのであることを語っているのです。それほど罪の穴は深いのであり、主イエスの十字架には救いがあるのです。

2009/3/1
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