「み国を継ぐ模範者として歩む」
「天国はほんとうにある」というDVD(映画)を借りてきて観ました。昨年の暮れにライフ・ラインで紹介されていた信仰的な映画の一つです。「本当に天国があると本気で信じているのか」との問いが、み言葉を信じ天国を語っている牧師を始め、み言葉を信じ聴き従っている信徒の方々の魂に訴えかけられ、それぞれが信仰的な葛藤をしながらも、最後には告白による明確な信仰の表明がなされていく映画です。
この映画を観ながら、以前、ある方が語られた次のような言葉を思い出しました。「天国が本気であると信じているならば、この地上での生き方も、当然それにならい、いい加減な生き方になるはずがない」との言葉でした。私たちも、主の恵みに支えられて、主イエスに倣い、御国にふさわしい歩みをしていこうではありませんか。
「しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。」(Ⅰテモテ1:16)
2015/4/26
「天国はほんとうにある」というDVD(映画)を借りてきて観ました。昨年の暮れにライフ・ラインで紹介されていた信仰的な映画の一つです。「本当に天国があると本気で信じているのか」との問いが、み言葉を信じ天国を語っている牧師を始め、み言葉を信じ聴き従っている信徒の方々の魂に訴えかけられ、それぞれが信仰的な葛藤をしながらも、最後には告白による明確な信仰の表明がなされていく映画です。
この映画を観ながら、以前、ある方が語られた次のような言葉を思い出しました。「天国が本気であると信じているならば、この地上での生き方も、当然それにならい、いい加減な生き方になるはずがない」との言葉でした。私たちも、主の恵みに支えられて、主イエスに倣い、御国にふさわしい歩みをしていこうではありませんか。
「しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。」(Ⅰテモテ1:16)
2015/4/26