「主イエスと共に歓喜する」
土曜日の朝6時半前、教会の玄関を開けようと鍵に手を掛けると、一人の姉妹が聖書と聖歌を手に持ち、爽やかな朝の風を感じながら、教会堂で持たれる早天祈祷会に来られました。その聖書と聖歌を手に持って歩く姿は、まさしく聖徒の姿でうれしく思いました。もちろん外側の姿以上に、主日の備えの日の朝、主を見上げ、主を賛美し、主の御言葉を聴き、主に祈り備えるという内側の信仰姿勢を、主イエスはどんなに喜んでおられるかと思ったのでありました。
この主日の朝、礼拝に向かう私達の姿を、礼拝に集っている私達の姿を、主に賛美をささげ、主の御言葉に聴き、主に祈る私達の姿をどんなに主イエスが喜ばれているでしょうか。また、この朝は、洗礼式を持つことができるのは、天においてどんなに歓喜が溢れているでしょう。そして、私達一人一人、私達の教会にとっても、何よりも勝る喜びであります。
主イエスは、次のように言われました。「罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使いたちの前でよろこびがあるであろう」(ルカ15:10)
土曜日の朝6時半前、教会の玄関を開けようと鍵に手を掛けると、一人の姉妹が聖書と聖歌を手に持ち、爽やかな朝の風を感じながら、教会堂で持たれる早天祈祷会に来られました。その聖書と聖歌を手に持って歩く姿は、まさしく聖徒の姿でうれしく思いました。もちろん外側の姿以上に、主日の備えの日の朝、主を見上げ、主を賛美し、主の御言葉を聴き、主に祈り備えるという内側の信仰姿勢を、主イエスはどんなに喜んでおられるかと思ったのでありました。
この主日の朝、礼拝に向かう私達の姿を、礼拝に集っている私達の姿を、主に賛美をささげ、主の御言葉に聴き、主に祈る私達の姿をどんなに主イエスが喜ばれているでしょうか。また、この朝は、洗礼式を持つことができるのは、天においてどんなに歓喜が溢れているでしょう。そして、私達一人一人、私達の教会にとっても、何よりも勝る喜びであります。
主イエスは、次のように言われました。「罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使いたちの前でよろこびがあるであろう」(ルカ15:10)