静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年11月11日 | 説教要約

「神が共にいてくださる幸い」 詩篇65篇1~13節

 この詩篇は、長く暗い試練の日々を通り抜け、輝かしい静かな朝を迎えている詩篇であります。

Ⅰ 試練の中での神の助け

 詩人はそれまでにいったいどんな暗い日々を通っていたのでしょうか。2~3節から自分の罪を見ることができます。また5~7節の背後に、外的に包囲されていたことも伺えます。さらに9節からは、長い飢餓があったことも知ることができます。しかし、いずれも神によって解決されているのです。罪は赦され、外敵は退けられ、飢餓によって苦しめられた生活は神の豊かな満たしで潤されたのでした。

Ⅱ 主が共におられる幸い

 詩人は、それぞれの問題や試練が解決されたことへの感謝はもちろん、それ以上に、神が共にいて下さっていること、主に選ばれ、近寄らせられ、大庭に住む者とされていることの幸いをもう一度確認し、主に賛美をささげているのです。

 私達の生涯にもしばし困難が訪れますが、主は私達を放置しておられるのではなく、御手の中に置いてくださっているのです。神の川は水で満ちています。そこにおらせ続けさせていただきましょう。

2012/11/11 説教者 杉本守

 

 

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天のマナ

2012年11月11日 | 天のマナ

「自由ということ」    

 ある神父は次のように言われた。「自分のしたいことをするのが自由ではないでしょう。人としてすべきことをするのが自由です」。

 「自由」は、ルールの中にあって本当の自由があります。野球で、アウトになっても交替しないで続けたならば、それは自分勝手であり、ルールに従わないなら試合は成り立たず、誰もが楽しくありません。ルールを無視した自由は、自由ではなく「自分勝手」であります。

 「神に造られた人として、神の許されている社会に生きる者として」のルールがあります。人の本分(人として当然なすべきこと)、神に造られ生かされている人のルールは、「神を信じ神に従い神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する」ことであります。日本語で「自由」と訳されている英語は、「フリーダム」と「リバティー」があります。「フリーダム」は「~からの解放」であり、「リバティー」は「自分で創造し、考え、選び取る」であります。ですから、自分勝手からはフリーダムとなり、神のルールの中でリバティーでありたいのです。「自分は、自分勝手をしているのだろうか、本当の自由をしてるのだろうか」と、自分の思いや言動をチェックしていくことを心がけたいのです。

2012/11/11

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講壇の花

2012年11月11日 | 生花
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