静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2012年11月18日 | 天のマナ

「主に仕えることは教会に仕えること」    

 先週は、バザーをすることができ、多くの地域の方々が教会堂へ入られ、私たちクリスチャンと交わりました。私たちを通して主の輝きに触れた彼らには、主に近づく一歩となったに違いありません。また、兄弟姉妹の御奉仕に心から感謝いたします。各自が自分のなすことを熱心になし、一年一年、年を重ねているにもかかわらず、楽しみながら活き活きと奉仕している姿に感動を受けました。

 さらに私たちクリスチャンは、もう一歩踏み込んで、隣人の救いや成長のためにも業をなしたいのであります。礼拝への新来会者、求道者の方々、信仰をもって歩み始めた兄姉に対して、祈り、話を聴き、聖書を開き、主へ導いてあげることに熱心でありたいのです。礼拝に一人でぽつんと座っている隣人はいませんでしょうか?隣りに座り主に導いてあげましょう。

 「弟子たちにわたして配らせ」(マルコによる福音書6章41節)

2012/11/18

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主日礼拝説教要約

2012年11月18日 | 説教要約

「心の目を覚ましていなさい」 マタイによる福音書25:1~13

 マタイ24章は小黙示録と呼ばれ、終末の前兆、再臨、終末の出来事が記されていました。25章で主イエスは、突然の到来に対する備えを三つのたとえであらわしています。この24,25章を通して、主イエスは、弟子達に世の終わりと救いの完成、そして再臨を待ち望む信仰を手渡しましたのです。本日は、十人のおとめからみ言葉に聴きましょう。

Ⅰ 天国は喜び

  天国は喜びであります。それは、婚宴に譬えられているからです。ですから、終末は、神を信じて救いにあずかったキリスト者にとっては、主イエスをお迎えする喜びの時です。栄光の体を頂き携挙され、小羊の婚宴に迎え入れられるのです(「小羊の婚宴に招かれた者は幸いである」(黙19:6~9)。ですから、マラナタ(主よ、来たりませ)という信仰をもって待ち望みたいのです。

Ⅱ 心の目を覚まして待つ

  その待ち望みかたは、ここに出てくる 思慮深いおとめたちのようでありたいのです。主の再臨が、いつになるかわからないので、いつになっても良いように、突然来てもOKという日常にあって目を覚ましている信仰を持ち続けたいのです。再臨を信じないキリスト者はいないでしょうが、「まあどうにかなるという信仰」であってはいけません。

いつも心の目を覚まし、主なる神に真実に従って歩みたいのです。

2012/11/18 説教者 杉本守

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講壇の花

2012年11月18日 | 生花
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