静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年11月04日 | 説教要約

「神の言葉は必ず成る」 マタイによる福音書24章29~51節

 この箇所は、終末の出来事が語られています。

Ⅰ 世の終わりの出来事

 前回は、終末の前兆の箇所からみ言葉をいただきましたが、今回は終末そのものの出来事です。主イエスが再臨は二段階とされています。まずは空中再臨そして大艱難時代となり、その後、地上再臨によって大艱難時代は終わります。空中再臨によって大艱難時代が始まり、29節にあるように天変地異が起こります。また、終末の出来事は黙示録6章以降から詳しくみることができます。空中再臨により、先に召された者たちが復活し、生きているキリスト者が携挙され天にて小羊の婚宴がもたれますが、地上では大艱難が来るのです。

Ⅱ 世の終わりの時

 それではいつ終末が来るのでしょうか。世の中の多くの者達がその日を考え述べています。しかし、その日を知っているのは父なる神だけであります。子なる神イエスも、その日がいつであるかは父なる神にお任せしているのです。子なる神でさえ、その日は父にお任せしているのに、どうして人がその日を確定することができるでしょうか。その日を決める人たちは傲慢以外にありません。それでは、終末に対して心を備えなくていいのかといいますとそうではありません。「目を覚ましていなさい」とあります。いつ主イエスが来ても良いように心の目を覚まして準備しておくことが大切です。

 主の言葉は必ず成ります。いつも目を覚ましていて、「お待ちしていました」と主の前に立つ備えをしておきましょう。

2011/11/4 説教者 杉本守

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天のマナ

2012年11月04日 | 天のマナ

 「慰めの器となるために」

 社会人一年生の娘を見ていると、「鍛えられているなあ」とつくづく思います。社会人一年生にとって、厳しい社会に飛び込んだのですから、苦労し時には失敗し怒られることでしょう。一年生でなくても、厳しい社会に生きる私達は苦労します。私達は、成功や穏やかな生活を望みますが、時には失敗をし、不幸と思えるような出来事にもあいます。成功や穏やかな生活は良いことで、失敗や不幸と思えるような出来事は悪いことと考えがちですが、失敗や不幸と思えるような出来事も私達人間を育てるのではないでしょうか。

 「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」(コリント第二の手紙1章4節)とあるように、患難を経験した者は、患難を経験している者の思いを受け止めることができ、慰め励ますことができるのです。主の支えの中で、主の栄光をあらわす器にされていきましょう。

2012/11/4

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講壇の花

2012年11月04日 | 生花
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