静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年07月08日 | 説教要約

「神の翼に憩う」 詩篇57篇1~11節

 ダビデは危機の中でどのような信仰をもって主を仰いだのでしょうか。

Ⅰ 危機の中での神への呼ばわり

 表題に従えば、「ダビデは洞(エン・ケディ)に入ってサウルの手を逃れた時によんだもの」であります。危機の只中でした。しかし、その時ダビデがしたことは、主を呼んだのです。主にあわれみを求め、信頼を告白し、神の翼を避け所にしたのです。

Ⅱ 神の勝利による賛美

  その中でダビデの心は定まったのでした。それは、自分の救いに終始するのではなく、むしろ神の栄光を求める思いがわきあがり、神を賛美することに心が定まったのです。

 どんな状況の中にあったも、主の翼の中にあることを確認し、主をほめたたえていきましょう。

2012/7/8 説教者 杉本守

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2012年07月08日 | 天のマナ

「主なる神の愛に応える信仰」

 午前の祈祷会で、旧約聖書の創世記から3年に亘って、み言葉をいただいてきました。イザヤ書を終わり今はエレミヤ書に入ってきております。イザヤ書にもエレミヤ書にも、真の神から離れ偶像を拝む神の民に対して、真の神に立ち返るように、何度も何度も繰り返されて語られています。しつこいくらい読むのが嫌になるほどです。なぜ、こんなに真の神は、神の民に預言者を通して語っているのでしょうか。それは、神は愛であり、神の民を愛しているからであります。神の民が、神の裁きを受けることをなんとか避けさせようという思いからであります。しかし、神の民は立ち返らずに、バビロンによって滅ぼされバビロンへ捕囚となります。後に神の憐れみによりバビロンから解放され、戻ることができます。

 時代を過ぎ、主イエスがこの世に来られた時も同じであります。やはり神の民は真の神から離れていました。神がこの世を愛し、救い主イエスを送られたのにもかからわず、十字架にまでつけてしまいました。後にローマによって滅ぼされます。

 さらに、今の時代はどうでしょうか。

 「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰がみられるでしょうか。」(ルカ18:8) と主イエスは言われました。再臨が近いこの時こそ、真の神の民である教会、クリスチャンが信仰の旗を高く掲げて、主の愛に応える歩みをして行こうではありませんか。

2012/7/8

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2012年07月08日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする