「主なる神の愛に応える信仰」
午前の祈祷会で、旧約聖書の創世記から3年に亘って、み言葉をいただいてきました。イザヤ書を終わり今はエレミヤ書に入ってきております。イザヤ書にもエレミヤ書にも、真の神から離れ偶像を拝む神の民に対して、真の神に立ち返るように、何度も何度も繰り返されて語られています。しつこいくらい読むのが嫌になるほどです。なぜ、こんなに真の神は、神の民に預言者を通して語っているのでしょうか。それは、神は愛であり、神の民を愛しているからであります。神の民が、神の裁きを受けることをなんとか避けさせようという思いからであります。しかし、神の民は立ち返らずに、バビロンによって滅ぼされバビロンへ捕囚となります。後に神の憐れみによりバビロンから解放され、戻ることができます。
時代を過ぎ、主イエスがこの世に来られた時も同じであります。やはり神の民は真の神から離れていました。神がこの世を愛し、救い主イエスを送られたのにもかからわず、十字架にまでつけてしまいました。後にローマによって滅ぼされます。
さらに、今の時代はどうでしょうか。
「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰がみられるでしょうか。」(ルカ18:8) と主イエスは言われました。再臨が近いこの時こそ、真の神の民である教会、クリスチャンが信仰の旗を高く掲げて、主の愛に応える歩みをして行こうではありませんか。
2012/7/8