「祈りの場と祈りの時」 マタイによる福音書21章12~22節
エルサレムに入られた主イエスは、十字架を目指して進みます。本日は、「宮きよめ」「枯れたいちじくの木」から、祈りについてみ言葉をいただきましょう。
Ⅰ 祈りの場
宮に入られた主イエスは、宮の庭で商売をしている者や鳴く動物を外へ追い出しました。主イエスはなぜ怒りそうされたのでしょうか。それは、「わたしの家は、国民の祈りの家ととなえられるべき」とイザヤ書のみ言葉を語って示されました。本来の祈りの場が失われていたからです。祈りの場が、利欲を求める強盗の巣になっていたのです。祈りの場の本来の姿を主イエスは取り戻されました。
Ⅱ 祈りの時
宮きよめの出来事をはさみ、枯れたいちじくの木のことを記されています。これは、主イエスの行為による譬えであります。葉ばかりで実がならないこの木は、エルサレムにある神の民を示しています。神の恵みをいただきながら、信仰の実をみのらせていないのです。神の求めに応えられない神の民は、神の裁きを受け枯れることを意味しています。ローマによって滅ぼされます。
私たち教会は、真の神の民です。私たちの祈り場はどうなっているでしょうか?集中して神にささげているでしょうか?祈りの時、実をならす信仰の祈りをしているでしょうか?
主なる神に喜ばれる信仰による祈りをささげましょう。
2012/7/1 説教者 杉本守