静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年10月09日 | 説教要約

「悩みの日に神を呼ぶ」 詩篇50篇1~23節

 真の神とはどういう方でしょうか? 1~6節をみると、全能者、光、義なる方、審き主などとあげることができます。このお方が神を信じる者へ、神を信じない者へと何を語っているのでしょうか。

Ⅰ 神を信じる者へ

 主なる神は、神を信じる者が礼拝とささげものをささげる時、形式的で習慣的になっていないか、心からの信仰告白と感謝をもってささげているかを問うています。主なる神との関係が形だけのものにならずに、生き生きとした関係にある時、神を信じる者にどんな悩みがやってきたとしても大丈夫だと言うのです。それは、主なる神であるわたしを呼ぶなら、主なる神が神を信じる者を助けるからです。そしてその助けを受けた者は、主なる神をあがめるのであります。

Ⅱ 神を信じない者へ

 神の教えを憎み、神の言葉を捨てた者たち、盗人とくみし、姦淫を行う者と交わり、家族をそしりののしる者に対して、神はその罪をご存知で、その罪をその者の前に並べ、必ずその罪によりその者を裁かれると記されています。その裁きは圧倒的で、誰も助けることができません。

 神を信じ、神の幸いの中を歩み、神の助けを受け、神を崇める者とさせていただきましょう。

2011.10.9 説教者 杉本守

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天のマナ

2011年10月09日 | 教会案内

 「神のもとにある平安な人生」      「友よ」(マタイ20章13節)

 

 主イエスは、「ぶどう園のたとえ」の中で、早朝、9時、お昼、午後3時、夕方5時に雇われた人に約束通りに同じ1デナリを渡されたという話をなさいました。この話を聞いたとき、私も早朝に雇われた人の不満を共感しました。確かに一日労した人とたった一時間労した人と、約束したとはいえ、同じ給料ではと不平等さみたいなものを思います。しかしよく考えてみますと、早朝に雇われた人は、雇われないのではないかという不安はすぐになくなり、一日中平安で労することができました。しかし、5時に雇われた人は、今日は雇われず食物も買えないのかと不安な一日でした。

 あなたはどちらがよろしいですか?私は、不安で一日過ごすよりも、平安で一日労をした方がずっと良いです。早朝雇われた人とは、若い時に主に救われた方です。その生涯を主にささげて歩みます。夕方5時に雇われた人とは、生涯不安でしたが召される前に救われた方といことができるでしょう。主は同じ御国の祝福をお与えになりますが、平安な人生を早目に得ることが幸いです。

 

2011/10/9

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講壇の花

2011年10月09日 | 生花
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