静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年10月23日 | 説教要約

「清い心をください」 詩篇51篇1~19節

 私たちの教会が属している教団は、日本ホーリネス教団です。日本ホーリネス教団は、「きよめ(ホーリネス)の恵み」を強調する教団であります。この詩篇51篇より、ホーリネスの恵みをみていきましょう。

Ⅰ 義認から聖化へ

 キリスト者のスタートは、主イエスを自らの救い主と信じ、自らの罪を悔い改め、主イエスの十字架が自らの身代わりと信じた告白した時であります。主イエスは、その者の罪を赦し、義とし、神の子とし、永遠の命を与えられました。義とされて終わりではありません。この義とされたキリスト者は、きよめられ、きよめられ続けることによって成長し成熟していくのであります。そしてその完成は、主イエスの再臨の時に栄化される時であります。霊の人としてきよめられた主体性をもって主に仕えていきたいのです。

Ⅱ きよめの恵み

 ダビデは神を信じる者でありましたが、ここで姦淫と殺人という罪を犯します。そして、自らの奥の奥のうちにある罪の性質(アダムから受け継いでいる罪)をまざまざとみさせられ、自分ではどうしようもないことを認め、神の前に魂が砕かれ、「きよい心をつくり、新しい正しい霊をください」と自らの本質をきよめてくださるように叫んでおります。彼は神のお取り扱いを受け、きよめられるのです。

 人間は、誰もが罪深く、罪の性質を受け継いで持っていて、主なる神に従えず自らを神とし、自己中心に歩んでいます。

 ですから、神によってきよめられ、きよめられ続けることが必要なのです。神は砕かれた魂をきよめることができるのです。

2011/10/23 説教者 杉本守

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天のマナ

2011年10月23日 | 天のマナ

 「生かされている幸い」 

 

 「今まで自分の力で生きてきたし、今も生きている。そしてこれからも自分の力で生きていくんだ」と思っていた時は、生きるのがしんどかった。しかし、今では平安の内に生きている、というよりは「平安の内に生かされている」。それは神を信じてクリスチャンになってからである。自分ではなかなか気がつかなかったが、「人は、自分は神に生かされている」のである。このことを知ってからは、「神によって生かされている間は、与えられた所で力むこともなく気負うことなく自然体で、与えられた使命をなさせていただこう」と思わされる。そしてこの世での使命を終えたならば、主イエスを信じる者に確実に用意されている神の国に入れられることを喜んで体験したい。「忠実な僕よ、よくやった」と主イエスに迎え入れられるのである。ですから、地上に置かれて生かされている時も、神の国に導かれる時も私たちは幸いなのである。

 

2011・10・23

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講壇の花

2011年10月23日 | 生花
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