静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2010年11月14日 | 天のマナ

「教会に来て知る三つと救いの体験

 誰でも教会に来て礼拝に出席し御言葉に聴き入りますと、三つのことを知ります。

 

 一つ目は、神がおられること

 この神は、天地を創造された唯一の全能の神であります。人間が考え出したり作り出したりした神々ではなく、人間を造れた真の神であります。

 

 二つ目は、自分は罪人であること

 創造の冠で神の宝として造られた人間は尊いのですが、神から離れて自分を神とし、神に従わず自己中心に歩んでいるがゆえに人間は壊れていて迷っている(これを罪という)のです。その結果、罪人である自分は、神の裁きを受けるということであります。

 

 三つ目は、神が救ってくださること

 その罪人である自分を神は、神のひとり子である救い主イエスによって救ってくださるということです。その方法は、救い主イエスが人となり、私の罪を十字架の上で負い、私が神に罰せられるかわりに、イエスご自身が身代わりとなり十字架で神の裁きを受けたことであります。ですから、自分は主イエスを救い主と信じ、罪を悔い改めるときに、神はその者の罪を赦し義とし、神の子とし、神との交わりが回復され永遠の命をいただけるのです。これが救いです。そして信仰によりこれを体験するのです。

 

2010・11・14

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主日礼拝説教要約

2010年11月14日 | 説教要約

「主を賛美せよ」 詩篇33編1~22節

この詩篇は公の共同体の賛美の詩であります。彼らは誰に何を詩っているのでしょうか。

Ⅰ 世界を見られる主

 「主を賛美せよ」「主をほめたたえよ」と勧められています。賛美を受けられるのは主なる神です。では誰が賛美をささげるのでしょうか。「正しき者よ」「直き者」とあります。それは、神によって罪赦され義とせられ、神との関係が回復し正しくされた者のことであります。どのような方法で賛美をささげるのでしょうか。それは、楽器により新しい歌で喜びの声をあげてであります。なぜ賛美をささげるのでしょうか。その理由は、主なる神が世界の創造者であり、支配者として君臨し、この世界に目を注がれ摂理をもって導かれているからです。

Ⅱ 主を恐れる者を見られる主

 世界を見られる主なる神は、主を恐れる者達にも目を注がれています(18)。そして、主なる神は、その者達に心を留め、心を造り、魂に救いを与え、盾となり助けられるのです。私達が賛美をささげる主なる神は、そういうお方であります。

 この真の神を主とする者はどんなに幸いなことでしょうか。この主なる神を共に賛美ささげましょう。

2010/11/14 説教者 杉本守

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする