静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2010年11月07日 | 説教要約

「主イエスに従う」 マタイによる福音書10章34~42節

 この箇所を読むと、主イエスの強い言葉にドキっとし、どう捉えてよいのか難しさをおぼえますが、共に主の言葉に耳を傾けましょう。

 もし、自分の病気がわかったら、あなたは家族に伝えますか?「病気であることを言ったら、今の家族の穏やかな生活が乱されてしまうと思い」、言わなかったら、その穏やかな生活は続くでしょうが、病気の悪化と共に、近いうちにその生活は崩れるでしょう。病を隠したままの平和は一時的表面的です。もし、病を家族に伝え、一時的な動揺ががあり平和が崩れたとしても、病気に対しての認識と治療に家族が一致できたら、どんなに幸いでしょう。さらに、家族が同じ病気だったら、なおさら病気を伝え共に治療に励むでしょう。

 罪はよく病気にたとえられます。聖書は「すべての人は罪人」と告げます。ですから、教会へ行き聖書を読みますと自らが罪人であること、家族もそうであることがわかります。そして、救い主イエスが救ってくださることもわかります。キリスト教の教えや「罪から救い」を知らない家族は、あなたが教会へ通い、救い主イエスを信じ救われて洗礼を受けようとするとびっくりするでしょう。あるいは「やめなさい」といわれるかもしれません。家族に波が立ちます。しかし、上記の病気のことを思い出してください。自分に罪があり、主イエスに救いがあることを知った者が、やめてしまったらどうなるでしょうか。自分も家族も罪の中にあり続けることになります。病気を隠したままでは本当の穏やかさがないように、罪を解決されないと本当の平和はきません。本当の平和を得るために、表面的な一時的な平和は追いやられる必要があるということです。自分も家族も神によって罪赦され本当の生き方ができるようになることが、本当の平和であります。

 ですから、主イエスの弟子として、主イエスに従う時に必要なのは、何よりも神を第一にすることであります。そして、自分の十字架を負うことであります。

 2010.11.7 説教者 杉本守

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天のマナ

2010年11月07日 | 天のマナ

「臨時総会における主の恵み

  主イエスは、足の不自由な者を立ち上がらせ、盲人の目を開き、中風の者を癒し、死人を生き返らせた

方であります。また、五つのパンと二匹の魚をもって五千人以上を養い、荒れ狂う海を一言でしずめ、ペテロ

をして海の上を歩かせ、悪霊を追い出し、何よりも人々を救い生まれ変わらせ父なる神のもとに返らせた救い

主であります。この事実を私達は信じています。

 

 その主なるイエスは、十字架に架かられましたが三日目に復活し、父なる神の右の座にて私達をとりなし、聖霊によって私達と共にいてくださる方であります。そして主イエスは今も生きていて、あの時代と同じわざを信じる者にみ言葉を通して体験させて下さる方であります。

 先週の臨時総会で、私達はその事をみ言葉における信仰をもって確認いたしました。信仰とは神を信じ、

神の御言葉にある力を体験することであります。「もし、信じるなら神の栄光を見る」(ヨハネ11:40)。み言葉

による主の大いなるわざを信仰により、共に体験させていただける幸いを感謝いたします。信じる者は、五年半後主を崇めるに違いありません。

 

2010.11.7

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講壇の花

2010年11月07日 | 生花
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