静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2010年04月18日 | 天のマナ
 「それが、あなたがたがなすべき霊的な礼拝である」(ローマ12:1)

 「なぜ礼拝をささげるのですか?それも毎週」と聞かれたことがありますか?
 
 第一にそれは、主なる神が真の神だからです。主権をもった唯一の真の神こそ、ほめたたえられる方であります。主権をもっていない人は神ではありません。主権をもった神の前に、人の側の有無はないのです。

 第二にそれは、主なる神が創造者であり、私たちは被造物、主なる神に造られた者だからです。主なる神は、私たち人を、創造者なる神を愛する者として、自分を愛するように隣人を愛する者として造られました。この二つは、私たち人を造られた目的であり、人として当然なすべきことであり、人が人である故であります。この二つは、神から離れた自己中心な人にはできません。神に立ち帰り、神との生きた関係にあり、神から愛をいただいく中で、できない者ができる者とされていくのです。「創造主なる神を愛する」とは、神を神として認め、拝し崇め、神のみ言葉を聴くことによって神の御心を知り、神によって造りかえられ満たされ、神の喜ばれる者とされること、つまり礼拝をささげることであります。神を愛することは神を礼拝することなのです。

 どのように主を愛してますか?礼拝に対する姿勢で、その方がどのように神を愛し神を畏敬してるかがわかります。何よりも礼拝を重んじ、聖別して(他のものと区別し主のものして)ささげましょう。

2010.4.18

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主日礼拝説教要約

2010年04月18日 | 説教要約
「み言葉を聴いて行う」 マタイによる福音書7章15~27節

 主イエスの山上の説教の最後の結びから、共に主のみ言葉に聴き入りましょう。
 15節からの「にせ預言者に警戒せよ」と24節からの「岩の上と砂の上に家を建てた人のたとえばなし」に共通するのは、「父(父なる神)のみ旨を行う者」、「主イエスのこれらの言葉をきいて行う者」からわかるように、「行う」とういうことです。この点に焦点を当ててみます。

Ⅰ み言葉を聴いて行う者に与えられる祝福
 み言葉を聴いて行う者に与えられる最初の祝福は、「天にいますわが父のみ旨を行う者だけが(天国に)入る」とあります。この地上では、神の国に入る確かな約束によって、み言葉を聴いて行う者は、平安を神が与えてくださるのです。そして実際に、この地上での使命が終わったときに、神の国に入るのです。 
 さらには、人生の嵐が来ても、み言葉を聴いて行う者は、岩の上(変わらないみ言葉)に人生を置いているので、倒されることがないのです。

Ⅱ み言葉を聴いて行うとは
 「聞く」とは一般的にきくことであり、「聴く」は自分のこととして限定的に身を入れてきくことであります。真にみ言葉に聴いていきますと、それは私たちに行動を起こさしめるのです。行動をもたらせない「きく」というものでないようにしたいのです。
 また「聴く」ことと「行う」ことを一語に要約すると「服従」となります。

 今週も主イエスに服従する者でありたいのです。

2010/4/18 説教者 杉本守
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講壇の花

2010年04月18日 | 生花
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