「それが、あなたがたがなすべき霊的な礼拝である」(ローマ12:1)
「なぜ礼拝をささげるのですか?それも毎週」と聞かれたことがありますか?
第一にそれは、主なる神が真の神だからです。主権をもった唯一の真の神こそ、ほめたたえられる方であります。主権をもっていない人は神ではありません。主権をもった神の前に、人の側の有無はないのです。
第二にそれは、主なる神が創造者であり、私たちは被造物、主なる神に造られた者だからです。主なる神は、私たち人を、創造者なる神を愛する者として、自分を愛するように隣人を愛する者として造られました。この二つは、私たち人を造られた目的であり、人として当然なすべきことであり、人が人である故であります。この二つは、神から離れた自己中心な人にはできません。神に立ち帰り、神との生きた関係にあり、神から愛をいただいく中で、できない者ができる者とされていくのです。「創造主なる神を愛する」とは、神を神として認め、拝し崇め、神のみ言葉を聴くことによって神の御心を知り、神によって造りかえられ満たされ、神の喜ばれる者とされること、つまり礼拝をささげることであります。神を愛することは神を礼拝することなのです。
どのように主を愛してますか?礼拝に対する姿勢で、その方がどのように神を愛し神を畏敬してるかがわかります。何よりも礼拝を重んじ、聖別して(他のものと区別し主のものして)ささげましょう。
2010.4.18
「なぜ礼拝をささげるのですか?それも毎週」と聞かれたことがありますか?
第一にそれは、主なる神が真の神だからです。主権をもった唯一の真の神こそ、ほめたたえられる方であります。主権をもっていない人は神ではありません。主権をもった神の前に、人の側の有無はないのです。
第二にそれは、主なる神が創造者であり、私たちは被造物、主なる神に造られた者だからです。主なる神は、私たち人を、創造者なる神を愛する者として、自分を愛するように隣人を愛する者として造られました。この二つは、私たち人を造られた目的であり、人として当然なすべきことであり、人が人である故であります。この二つは、神から離れた自己中心な人にはできません。神に立ち帰り、神との生きた関係にあり、神から愛をいただいく中で、できない者ができる者とされていくのです。「創造主なる神を愛する」とは、神を神として認め、拝し崇め、神のみ言葉を聴くことによって神の御心を知り、神によって造りかえられ満たされ、神の喜ばれる者とされること、つまり礼拝をささげることであります。神を愛することは神を礼拝することなのです。
どのように主を愛してますか?礼拝に対する姿勢で、その方がどのように神を愛し神を畏敬してるかがわかります。何よりも礼拝を重んじ、聖別して(他のものと区別し主のものして)ささげましょう。
2010.4.18