静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年03月11日 | 説教要約
「神の正義」(イザヤ書5章1~7節)

 旧約における神の民イスラエル人は、ある程度の実を結んだが、神の御心にあわない生き方をしていた。私たちの姿も見た目には、信仰者として生きているが、神の望んでいるような実を結んでいない。人間の正義ということにおいても、時に弱い者への暴力となる。

 神の正義の前には人間は滅びるしかない。しかし、神は人間の不義を赦すために、その罪をご自分にぶつけられた。それが十字架である。人を義に導くためには大きな痛みを伴う。その痛みを主イエスは十字架の上で負ってくださったのである。

 私たちのために心を注いでくださった神様に、応答して歩んでいこう。

2007年3月11日
説教者 酒井有希子(清水教会)
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講壇の花

2007年03月11日 | 生花

2007年3月11日
今年も見事に咲きました!
シンビジウム  M.T姉

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天のマナ(2007/3/11)

2007年03月11日 | 天のマナ
 「正しい裁きをなされる方」        

 冤罪であった鹿児島選挙買収事件。この自白を強要された出来事は、当の本人達も、ニュースで聞く私たちも心痛めたものでありました。特に被害者の悲しみや心身の痛みは、私達には想像できないものがあるでしょう。また、取り戻せない時間は、どうしたらいいのでしょうか。ぽっかりと空いた心に、それを包んで余りある神様の豊かな癒しと慰めと励ましを祈るしかありません。憐れみの神が触れて下さいます様に。

 もちろん、司法制度、裁判官や検察官の働きは貴いものですので、それを尊重することは必要でありますが、人間のすることは時に過ちをするものであります。人間は間違いをおかすのですから、救い主イエスの十字架が必要であり、失敗の罪を認め、神への悔い改めと人への謝罪が必要であります。大切な働きをするこれらの方々に、神の憐れみがあり、間違った判断をすることがないように祈り支えていきたいと願うのであります。やがて、日本でもアメリカのように陪審制のようなものが採用されるようであります。私達自身も神の憐れみを求める以外にありません。間違いのない正しい裁きをなされる唯一の方、神に頼りながら。
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