「神の正義」(イザヤ書5章1~7節)
旧約における神の民イスラエル人は、ある程度の実を結んだが、神の御心にあわない生き方をしていた。私たちの姿も見た目には、信仰者として生きているが、神の望んでいるような実を結んでいない。人間の正義ということにおいても、時に弱い者への暴力となる。
神の正義の前には人間は滅びるしかない。しかし、神は人間の不義を赦すために、その罪をご自分にぶつけられた。それが十字架である。人を義に導くためには大きな痛みを伴う。その痛みを主イエスは十字架の上で負ってくださったのである。
私たちのために心を注いでくださった神様に、応答して歩んでいこう。
2007年3月11日
説教者 酒井有希子(清水教会)
旧約における神の民イスラエル人は、ある程度の実を結んだが、神の御心にあわない生き方をしていた。私たちの姿も見た目には、信仰者として生きているが、神の望んでいるような実を結んでいない。人間の正義ということにおいても、時に弱い者への暴力となる。
神の正義の前には人間は滅びるしかない。しかし、神は人間の不義を赦すために、その罪をご自分にぶつけられた。それが十字架である。人を義に導くためには大きな痛みを伴う。その痛みを主イエスは十字架の上で負ってくださったのである。
私たちのために心を注いでくださった神様に、応答して歩んでいこう。
2007年3月11日
説教者 酒井有希子(清水教会)