静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年03月04日 | 説教要約
「神の御心がなりますように」マルコ14章32~50節

 4月に受難(十字架)と復活(イースター)を迎える時期となりますので、十字架の前後の箇所から、共に御言葉に聞き入りましょう。今回は十字架を前夜のゲッセマネの祈りです。
 Ⅰ 心を注ぎだす主イエス
 何よりも大切にしていた父なる神様との交わりが、人類の罪を負うことによって、父なる神から閉ざされ切られ、また父なる神から見捨てられ、神の圧倒的な怒りを身に受けることを、主イエスは苦悩し、心を父なる神に注ぎだしました。神に見捨てられることは私達の想像を絶します。

 Ⅱ 御心に従う主イエス
 「出来ますならば避けたい」と祈る主イエス。そして、主イエスの祈りはさらに「父なる神の御心がありますように」と続きます。人類の罪はあまりにも汚くて、罪なき救い主イエスがその罪を負い、命を注ぎだすしか罪のゆるしはありません。そのことが父なる神の御心と確信したゲッセマネの祈りでした。主イエスの祈りは両方とも応えられたのです。十字架は私達人間の救いのために通られましたが、父なる神は三日の後、主イエスを復活させ、永遠に父なる神の右の座に座らせ、永遠の交わりを回復させてのであります。さらに、人類の救いをも成し遂げたのです。

 私達を救うためになされた父なる神、子なる神救い主イエスの御業にあらわされた愛を感謝するのです。神の前に心を注ぎ、「神の御心がなりますように」と祈る私たちでもありたいのです。

2007年3月4日
説教者 杉本守師
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講壇の生花 

2007年03月04日 | 生花



2007年3月4日 撮影S.I

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天のマナ(2007/3/4)

2007年03月04日 | 天のマナ
「冬から春へ」        

 暖冬と言われる冬ですが、春の訪れはなにかしら心がワクワク、ウキウキしてきます。この時期はインフルエンザに花粉症と困ってしまうこともありますが、梅の花が咲き、桜へと移っていくこの季節、菜の花などの春の花が、道端や花壇を通るたびに咲き、増え広がっていく景色はうれしいものです。神様は、私達を愛し、その愛の表れとして、私達を楽しませるために季節を与え、植物や動物などを創造され、営ませているのです。

 さらに主は、「きょう生えていて、あす炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」という業を私達にしてくださっているのです。つまり、神は私達に必要なものを備え、よくしてくださっているというのです。その時点での足りないものに目を奪われているのではなく、多くの与えられているものに目を注ぎ、数えていくなら、心は平安に満ち感謝があふれ、「主イエスに信頼していけば大丈夫なんだ」という確信を与えられ、主にある幸いな歩みをさせていただけるのです
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