静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年01月14日 | 説教要約
「福音を伝える者へ」 マルコによる福音書1章16~20節

 救い主イエスの公の生涯は、教え、奇跡、癒し、悪霊の追放、十字架と復活のどれもが、神の国(神の義と愛の満たしによる支配)を到来させるものでありました。今日の聖書箇所は、弟子を召された内容ですが、このことも神の国の到来であります。この弟子達が用いられて、福音宣教がなされ、教会が立て挙げられていったのです。
 
Ⅰ 誰を弟子に選ばれたのか(選ばれる主イエス)
 主イエスが、弟子として最初に選ばれたのは、田舎のただの漁師であるペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネでありました。なぜ彼らなのでしょうか。それは、ヨハネによる福音書1章のアンデレに見えるように、彼らはバプテスマのヨハネの弟子で、神を信じ畏れる者達でした。またコリント第一の手紙1章26~にありますように、神は無学のただ人を選び、この業は神の業であることを強調したからであります。

Ⅱ 何のために弟子を選ばれたのか(選びの目的)
 選びの目的は、「人間をとる漁師にする」ことでありました。「人間をとる漁師」とは、救い主イエスによって神の国が到来したことを伝え、神から離れて迷い罪の中にいる人々を、神のもとに導く働きであります。
 
Ⅲ どうやって弟子となるのか(選びの目的を果たす方法)
 イエスは、彼らに「従ってきなさい」と言われました。「人間をとる漁師」となるためには、イエスに従うことです。「従う」とは、イエスの後ろを歩むことです。この「後ろ」が大切です。神の御旨よりも自分の自分の思い優先することは、「後ろ」ではありません。聖書の御言葉を通して神の御心を知り、その御言葉を行うことが「後ろに従う」ことであります。そして、自らをささげていくことです。弟子達が網をささげたように。

 主イエスを受け入れ、神の恵みが心に溢れ、この救いを主に従いながら伝える者とされたいのです。

2007年1月14日
説教者 杉本守牧師
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天のマナ(2007/1/14)

2007年01月14日 | 天のマナ
「恵みを慕い求めて」

 先日、持たれました静岡教区の新年聖会は、ガラテヤ5、6章より「きよめ」のメッセージが語られました。静岡教区の各教会から、午前は54名、午後は57名の聖徒の方々が集い、主の豊かな命を体験いたしました。グレース・チャペルからも18名の聖徒の方々が集いました。その中に、二人の求道者の方々が、積極的に主の恵みを求めて、参加下さった事に大変うれしく励まされました。主の御名を崇めます。  

 午前の聖会の御言葉は、「御霊によって歩きなさい」でした。肉によって歩んではいけないということです。御霊とは、聖霊なる神様ことです。ですから、「御霊によって」とは、信じる者の内に入っておられる聖霊なる神様によって歩むのです。つまり、神を信じ、神の御心を知り、神の言葉に従って生きるということです。「肉によって」とは、神から離れた自己中心的な自己欲によって歩むことです。

 その結果は次のような具体的な実を結んでいきます。「肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいです」。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:19~21、22,23)なのです。
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講壇の生花

2007年01月14日 | 生花

しかし主よ、あなたはわたしを囲む楯、わが栄え、
わたしの頭を、もたげてくださるかたです。
わたしが声をあげて主に呼ばわると、
主は聖なる山からわたしに答えられる。
わたしはふして眠り、また目をさます。
主がわたしをささえられるからだ。

(詩篇3:3-5)




2007年1月14日 礼拝 (M.M)

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