後見活動で釜石市へ!海岸線を通るわけですが、津波被害の脅威を見せつけられるのは辛い!防波堤は破壊され、海がすぐそこにある感じが続きます。
東日本大震災:あふれる高齢者施設 定員1000人超過
小部屋に入りきらず、廊下に設置されたベッド=宮城県気仙沼市本吉町中島の特別養護老人ホーム「春圃苑」で2011年4月21日、宇多川はるか撮影 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城、岩手県内で、多数の高齢者施設が定員超過の状態での運営を強いられている。両県によると、各施設の合計で定員を約1000人上回る状態。被害を受けた施設の入所者や、自宅などを流された要介護者を受け入れる必要があるためだ。長引く避難生活が原因で新たに介護が必要となる人も増えており、介護スタッフ数と設備に限界がある中、要介護者の移住先確保が深刻な課題になっている。
震災で入所施設や自宅が流失した高齢者が多数出たことから、宮城県は3月末、県内の高齢者施設に対し、少なくとも定員の1割を超える高齢者を受け入れるよう要請。県内258施設のうち、少なくとも100施設で定員を計800人超える状態になっている。
県と沿岸部の自治体は、要介護者の内陸部や山形県の施設への移送を進めているが、課題は継続的な受け入れ先の確保だ。
◆職員宅も全壊
沿岸部の施設では、自宅や家族を失った介護スタッフも多い。壊滅的な被害を受けた女川町の特別養護老人ホーム「おながわ」(定員50人)は建物の倒壊を免れたため、震災後に十数人を引き受けた。しかし、職員約30人の自宅が全壊し、家族が死亡・行方不明の職員は13人に上る。ベッドが足りなかったこともあり、要介護者には同町の福祉避難所などに移ってもらうしかなかった。
同ホームの高橋永郎施設長は「今後も介護が必要な人がいたら一時的にでも介護してあげたい。職員も理解してくれると思う」と話す一方で、「長期的な受け入れは難しい……」と本音を漏らす。
◆廊下にベッド
気仙沼市の特別養護老人ホーム「春圃苑(しゅんぽえん)」では、震災から約1カ月半がたった今も、定員を約30人超える約80人の要介護者を受け入れている。4人部屋に6人が入り、それでも足りずにベッドを廊下にも設置。自宅を失った職員ら約110人が施設内で寝泊まりする。ライフラインが完全復旧しない中、東京都や群馬県から介護スタッフの派遣を受けながら介護を続けるが、ぎりぎりの状況だ。
同ホームの菅原賀弥子事務長は「地域でのデイケアも再開するし、避難している人を少なくしていかざるを得ない」と話す。
◆認知症悪化も
また、一般の避難所より介護が手厚い「福祉避難所」では、長引く避難生活で認知症が進むなど、震災前より手厚い介護が必要な高齢者が増えたことが問題化している。要介護認定を申請していない高齢者も多く、施設に引き受けを拒まれるケースもあるという。
女川町の福祉避難所のスタッフは「何とか家族と連絡をとって要介護認定を申請してもらいたいのだが……。仮設住宅に入れる保証もなく、行き先のめどが立てられない」と今後の対応に苦慮する。
県は避難所にいる要介護者の人数など実態を把握していないが、高齢者施設や福祉避難所がさらに受け入れを求められることも想定される。県長寿社会政策課の担当者は「県外の施設で一時的に受け入れてもらっても、いずれは県内に戻ってくることになるので、態勢を整える必要があるのだが……。施設で受け入れられなかった要介護者をいかにフォローしていくかも課題だ」と頭を抱える。
◆実数把握まだ
岩手県内も状況は同様だ。県の調査によると3月末現在、津波による流失や火災などで使用不能になっている13施設を除く392施設(定員1万6649人)のうち、73施設が他施設の入所者など計368人を受け入れている。この中で43施設は定員超過になっており、その人数は計197人に上る。ただ、県の調査に回答したのは7割程度の施設のため、実際の受け入れ人数や定員超過はより多いとみられる。(2011年4月25日 毎日新聞)
特別養護老人ホームや老人保健施設の立地条件が高台にある地域は津波・地震の被害はない。
海沿いの景観の良いところに立地された施設が不運にも甚大な被害を受けた印象である。
今後、福祉施設など立ち上げの準備をしているところから教訓としたいものである。
多少、遠くても、不便でも山沿い、高台が良い結果を生むということである。
岩手県の実情はよく解らないが、小規模の介護施設やグループホームなども含めて正確な把握が必要である。たくさんの「法人」が乱立しており、結果的にこうした事態に迅速に実情を把握できないでいることは残念だ。
最も危機的な施設に、適切な救済の手が差し伸べられない現実は残念だ。根底には「自己責任」の考え方があるような気がする。とても耳触りは良い。大切な視点だ。立場により、いろいろ解釈の違いもある。
強い基盤や経営の盤石なところは良いが、弱い法人、組織的に微力なところにはきつい。
世の中がそうであるように、自分の身は自分で守らなければならない。これが実態だ。
東日本大震災:あふれる高齢者施設 定員1000人超過
小部屋に入りきらず、廊下に設置されたベッド=宮城県気仙沼市本吉町中島の特別養護老人ホーム「春圃苑」で2011年4月21日、宇多川はるか撮影 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城、岩手県内で、多数の高齢者施設が定員超過の状態での運営を強いられている。両県によると、各施設の合計で定員を約1000人上回る状態。被害を受けた施設の入所者や、自宅などを流された要介護者を受け入れる必要があるためだ。長引く避難生活が原因で新たに介護が必要となる人も増えており、介護スタッフ数と設備に限界がある中、要介護者の移住先確保が深刻な課題になっている。
震災で入所施設や自宅が流失した高齢者が多数出たことから、宮城県は3月末、県内の高齢者施設に対し、少なくとも定員の1割を超える高齢者を受け入れるよう要請。県内258施設のうち、少なくとも100施設で定員を計800人超える状態になっている。
県と沿岸部の自治体は、要介護者の内陸部や山形県の施設への移送を進めているが、課題は継続的な受け入れ先の確保だ。
◆職員宅も全壊
沿岸部の施設では、自宅や家族を失った介護スタッフも多い。壊滅的な被害を受けた女川町の特別養護老人ホーム「おながわ」(定員50人)は建物の倒壊を免れたため、震災後に十数人を引き受けた。しかし、職員約30人の自宅が全壊し、家族が死亡・行方不明の職員は13人に上る。ベッドが足りなかったこともあり、要介護者には同町の福祉避難所などに移ってもらうしかなかった。
同ホームの高橋永郎施設長は「今後も介護が必要な人がいたら一時的にでも介護してあげたい。職員も理解してくれると思う」と話す一方で、「長期的な受け入れは難しい……」と本音を漏らす。
◆廊下にベッド
気仙沼市の特別養護老人ホーム「春圃苑(しゅんぽえん)」では、震災から約1カ月半がたった今も、定員を約30人超える約80人の要介護者を受け入れている。4人部屋に6人が入り、それでも足りずにベッドを廊下にも設置。自宅を失った職員ら約110人が施設内で寝泊まりする。ライフラインが完全復旧しない中、東京都や群馬県から介護スタッフの派遣を受けながら介護を続けるが、ぎりぎりの状況だ。
同ホームの菅原賀弥子事務長は「地域でのデイケアも再開するし、避難している人を少なくしていかざるを得ない」と話す。
◆認知症悪化も
また、一般の避難所より介護が手厚い「福祉避難所」では、長引く避難生活で認知症が進むなど、震災前より手厚い介護が必要な高齢者が増えたことが問題化している。要介護認定を申請していない高齢者も多く、施設に引き受けを拒まれるケースもあるという。
女川町の福祉避難所のスタッフは「何とか家族と連絡をとって要介護認定を申請してもらいたいのだが……。仮設住宅に入れる保証もなく、行き先のめどが立てられない」と今後の対応に苦慮する。
県は避難所にいる要介護者の人数など実態を把握していないが、高齢者施設や福祉避難所がさらに受け入れを求められることも想定される。県長寿社会政策課の担当者は「県外の施設で一時的に受け入れてもらっても、いずれは県内に戻ってくることになるので、態勢を整える必要があるのだが……。施設で受け入れられなかった要介護者をいかにフォローしていくかも課題だ」と頭を抱える。
◆実数把握まだ
岩手県内も状況は同様だ。県の調査によると3月末現在、津波による流失や火災などで使用不能になっている13施設を除く392施設(定員1万6649人)のうち、73施設が他施設の入所者など計368人を受け入れている。この中で43施設は定員超過になっており、その人数は計197人に上る。ただ、県の調査に回答したのは7割程度の施設のため、実際の受け入れ人数や定員超過はより多いとみられる。(2011年4月25日 毎日新聞)
特別養護老人ホームや老人保健施設の立地条件が高台にある地域は津波・地震の被害はない。
海沿いの景観の良いところに立地された施設が不運にも甚大な被害を受けた印象である。
今後、福祉施設など立ち上げの準備をしているところから教訓としたいものである。
多少、遠くても、不便でも山沿い、高台が良い結果を生むということである。
岩手県の実情はよく解らないが、小規模の介護施設やグループホームなども含めて正確な把握が必要である。たくさんの「法人」が乱立しており、結果的にこうした事態に迅速に実情を把握できないでいることは残念だ。
最も危機的な施設に、適切な救済の手が差し伸べられない現実は残念だ。根底には「自己責任」の考え方があるような気がする。とても耳触りは良い。大切な視点だ。立場により、いろいろ解釈の違いもある。
強い基盤や経営の盤石なところは良いが、弱い法人、組織的に微力なところにはきつい。
世の中がそうであるように、自分の身は自分で守らなければならない。これが実態だ。