三陸鉄道宮古⇔田老駅間が開通した。いとこの激励もかねて乗車した。
田老駅から田老港を一望したら、何もないではないか?
いったいどこへ来たのか?我を疑った。全く違った場所へ来てしまった錯覚に。夢であってほしい!
強固な防潮堤、りっぱな野球場、公園、住宅、商店、家並みが・・・人の暮らしがあったはずなのに・・・。跡形もないではないか!いったいどうなっているのだ。
今は合併して宮古市になったが、昔、「田老町」時代によく通った店、食堂、郵便局、馴染みの人、知人・・・・・、全てがなくなったのだ。
「いとこ」は嫁ぎ先の家と自分達夫婦で建てたばかり家と2軒の家屋を津波で失ってしまった。
幸い家族は全員無事だった。宮古市指定の避難所(体育館)で助け合って生活していた
日中は仕事にも行かなければないらない。
ガソリン不足は?通勤方法は?娘の進学は?お祖母さんの健康は?家族のこれからの生活は?仮設住宅は何処へ建つのだろう?・・・・・いつも明るく、元気で気丈な「いとこ」も不安な状況が続く・・・・。
早急な支援対策の具体的な実行が急がれる。仮設住宅の建設と経済的な見舞金などの支給も必要ではないか。