崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

講演を終って

2009年05月31日 06時30分01秒 | エッセイ
 20日以上続く風邪で前夜まで講演は無理かなと思ったが、多くの人に迷惑をかけてはいけないと思い、頑張って終えた。朝から直前までパワーポイントを準備したが講演では画像を全部使わず主に話を中心に進行した。それは若者たちの画像説明式の発表とは異なるものである。あくまでも画像などは演者の補助的なものであるという講義の形式である。私の焼肉へ思想のようなもの浮き彫りにしようとした。
 日本の焼き肉は在日韓国朝鮮人によって牛の内臓食から始まり、広められたという起源論と、西洋人の食べ方とが混合されたものであろう。韓国の牛肉文化は遊牧民族文化からの影響であり、牛のすべてを食べるような食べ方の中からほんの一部が日本の焼肉方式として愛用されているのである。焼き肉は在日朝鮮人が祖国の文化を売るものであり、アイデンティティでもある。日本人の味への開放性と朝鮮人の閉鎖性がはっきりしている。
 犬肉の食文化への質問をはじめ多くの質問紙が集まった。近いうちに本欄を通して答えたい。司会、案内、参加者たちに深く感謝を申し上げる。

今日の講演が心配

2009年05月30日 06時27分22秒 | エッセイ
 朝かなり軽くはなったが長い風邪で声は変わり、咳がまだ出るので今日の「下関学:焼肉文化」の講演が上手くできるか心配である。未だに全く準備ができず自分で調査した結果から出した成果を紹介することにしたい。味、栄養、文化の総合である焼肉は朝鮮文化、在日文化であることを明らかにしたい。この調査は私が留学して帰国直前の研究であったので懐かしいテーマでもある。
 今のように韓国の食べ物が日本で受け入れられるとは当時想像もしなかった。日韓関係も含めて考える時間にしたい。ただ風邪と戦う時間にもなるでろう。

そろそろこの辺で

2009年05月29日 05時45分06秒 | エッセイ
 ボクシング・チャンピオンの内藤大助が中国の熊朝忠との防衛戦で辛勝した。王座を守ることも難しいが、奇麗に王座を譲ることも難しいと思った。ダーティなゲームに辛勝したことに不満があったサポーターも、彼の反省の言葉「しょっぱい試合をしてすみません。」ということばを聞いて彼への信頼は回復したようである。私も彼が精神的に勝ったようで安心した。私がもっと気になる言葉は彼の母のことばであった。「見るだけ辛い」というのはわかるが、「そろそろこの辺で引退しても」と所感を述べたことである。ぎりぎりまで王座を保持していたらこの辺で勇気を出して止めることは難しい。
 先日私が乗った飛行機が異常に揺れた時、自分の人生も「この辺で終わる」と軽く考えた。そう思った道端怖さはなくなり逆に、勇気が出る感がした。これからは死がもっと身近に感ずることが多くなると思うが、その度、「この辺で」という心で死を受けいれる準備をすべきであろうと思う。


高麗人参

2009年05月28日 06時12分54秒 | エッセイ
 韓国の高麗人参は神秘的な健康食、名薬だともいわれている。それだけではない。その原料を利用した参鶏湯、石鹸、化粧品など数多く文化商品が生じている。最近信頼できる人が本当に良いものだと言いながらくれたので実験的に最低一ヶ月間は呑んでみることにした。体と健康の変化をチェックする気持ちで続けて呑んだ。その内に酷い風邪にかかってしまった。結果としては健康食を食べた後病気になった図式になってしまったという私の話を聞いた剣持氏は日本の諺で、「鰯の頭も信心から何事も信じて」と言ってくれた。鰯の頭を角に刺し、鬼払いをしたことから、悪鬼を払うと信じられていたという。
 戦前の記事などを読むと日本人によって朝鮮の高麗人参が企業的に栽培されており、日本で朝鮮の商品としては人気があった。その根っこを朝鮮から持ってきて日本で栽培したものは偽物になり、取締りの対象にもなった。同じ根っこでも日本の土に植えると大根になるともいわれた。ここでいう「日本の土」とは日本の文化と解釈すれば朝鮮の高麗人参は朝鮮文化であり、朝鮮の文化食品であろう。それを科学や医学的に検証すること自体が愚かなことであろう。自ら薬効をテストしたことを反省した。結果的には私には合わないことが分かった。
 

インフル騒ぎ (ネット整備のために更新が遅れました)

2009年05月27日 16時55分07秒 | エッセイ
2週間も続く風邪が治らず昨日は筋肉痛の上、体温が37.9まで上がった。普段は35.5程度であり、「冷血動物」かと冗談をいったのにかなり高熱であった。今度の風邪では休めずハードスケージュルで大阪、韓国に出張し、病院にも行ってなかった。韓国でアメリカから来た同窓生とホテルで一緒に食事し、バスに同乗して行動したことから新型インフルエンザではないかという疑いもあり病院に行った。病院では早速隔離され、保健所へ連絡をした。電話で私は問診された。それは症状に関することではなく、旅行経路に関する詳しい質問であった。経路から考えて新型インフルではないというのだ。 長い間待って、医療センターでさらに経路に関する問診が行われ、やっと鼻水をテストにされてインフルエンザに関してはマイナスでもちろん新型ではないことが判明されて風邪薬を貰って帰宅した。簡単なテストを受けるまでになぜこんなに長い問診が行われたのか医療体制には納得いかない。順番を逆にして判明された後に経路を聞いても良いのではないかと疑問は残ったが対応してくれた方々はとても親切だったことに感謝であった。

悲劇と悲惨

2009年05月26日 05時45分01秒 | エッセイ
 先日映画関係者たちに会った時、私は日本で放映される多くの韓国ドラマは美人、豪華な住宅、劇的変化、無理なハッピーエンディングなどの近代文学以前の特徴を指摘した。ある韓国の映画監督は日本のアカデミー受賞作品「おくりびと」さえ知らなかったのでびっくりした。彼は韓国ドラマが日本で受けいれられるように努力することを強調していた。ギリシャ文学の悲劇が評価された文学史などは全く否定的な韓国ドラマが、私にも、多くの日本人にも「面白い」と感じられるのはなぜだろう。それも評価すべきである。
 多くの独裁者は悲惨な死に方をして去っていくのが正道のように考える人は多い。しかし金日成のようにハッピーエンディングでフェイドアウトする人も多い。またその息子もそうであろうと思われる。昨日本欄では蘆前大統領の死について触れた。トップリーダーを最高位の幸せのポイントとすれば彼の死は悲惨であったといえる。それが悲劇化するためには正義を追求したはずの彼が政治的に死に追い込れた恨みが強調されなければならない。世俗的な英雄が悲惨な死のメカニズムによって宗教的な神にもなりうるということを書いた。私は韓国ドラマにはない悲劇性を彼の死から感じている。

大統領の自殺

2009年05月25日 05時53分44秒 | エッセイ
韓国の前大統領の盧武鉉氏が自殺した。多くの国民は現政府が追い詰めたことによるものと思い、その手先機関の検察(?)に抗議するネチゾンが数十万ほど殺到している。政府は国民葬を決め、李明博大統領も弔問して焼香した。故人の葬儀祭壇が全国的に何か所に設けられている。賄賂事件により捜査されるべき人が自殺によってより英雄化されているようである。
 韓国は伝統的に政治的に犠牲になった人について正義や遵法精神で解釈することは稀である。李氏朝鮮の党争は多くの人を死刑、流配(島流し)をしたが、その罪を認める国民は少ない。ほぼ謀略によるものと思うからであろう。高麗王朝の忠臣の崔塋将軍が李成桂に処刑されて怨恨が強く、神様として民間から崇拝されるようになった。日本では菅原道実が怨霊信仰の対象になり、イエスはユダヤ人に殺されて怨恨強い神にもなったともいえる。このような信仰について私は主著の『恨の人類学』で分析した。今日本の検察もこのような英雄を生み出すのではないかと注意深く見ている。

「世襲議員」◇東洋経済日報2009/05/15掲載文 

2009年05月24日 06時43分56秒 | エッセイ
 日本では北朝鮮の金日成氏の息子の金正日氏の「世襲」政権に否定的であるにも関わらず、「2世議員」いわゆる「世襲議員」が多い。目下その「世襲立候補の制限」をしようとする動きがある。民主党はもちろん自民党からも積極的に主張する議員もいる。歓迎すべきではあるがその難しさを十分理解してほしい。
 人間社会は基本的に過去の人々の遺産により成り立っている。その伝統文化を生物的に世襲するか、文化・社会的に継承するかは非常に重要な人間社会の基本構造である。
 個人の能力の発揮と機会の平等を考えるならば赤ん坊の時から平等にスタートさせた方がよいであろう。しかし人によっては生まれつきそのような条件が備えられている人もいる。
 パワーエリート、特にトップの支配者になるためには政治、軍事、学力、資本などの背景が必要とされている。なんと不平等なことであろうかと思われるかもしれない。それだけではない。ピアニストの家の子供がピアニストになり易く、医師の子供が医師になり易いのも不平等であろうか。
 私が長い間研究している韓国のシャーマンには大きく二つのタイプがある。一つは神憑りの降神巫であり、もう一つは生まれつきの出自と結婚などによってなる世襲巫である。私は前者の降神巫で我が家の先祖代々からの得意関係にあったシャーマンの祈りによって育ったともいえる。降神巫は神による威力をもっており、強いカリスマがある。しかし世襲巫は親や先輩から徹底的に学習をする。伝統芸能を伝授して発展させており、その水準は高く複雑である。
 昔田舎のある老人の話を思い出す。彼によると大金持ちの子供は働かず遊んでばかりで滅び、彼の子供が苦労して金持ちになっても、また次の代で滅びるという、つまり「財産は三代続かず」ということである。このストリーから単純に考えると「2世議員」は偉いとも思える。しかし親の後援会の組織に乗っかって若い人が議員になり、閣僚になる。一気に出世するのをみると能力より「親の影に生きる不幸な人生」とも思われる。
 世襲制を批判するなら自分に戻って考えることも必要だろう。財産の相続を当然と思い、場合によって相続争いをしている人もいる。社会は平等と能力主義の論理だけで成り立ってはいない。美しくなくても能力がなくとも親だから子供だから愛し、孝行もするのである。
 ここであなたに問いかけたい。「あなたは能力ある有能な人として計算して配偶者を選んだのですか」。おそらく計算高く評価して恋をした人であればそれは不幸になるだろう。なぜならいつかは加齢などによってその人が能力を失うことが明らかであるからである。人は条件や能力の有無に関わらず死後まで愛するから素晴らしい。

インフルエンザの脅威の中で風邪

2009年05月23日 06時04分49秒 | エッセイ
 インフルエンザの脅威の中で風邪を引いてしまって大変心配した。治りかけていたのにまた少し熱が出て酷くなりそうである。自分の風邪よりも人に迷惑を掛けるのではないかという憂いである。看護師である家内は熱を測ったりするが、子供の時私が病気になれば母は脅威を強く感じている態度だったのを思い出す。母の心配する姿が余計に不安であった。それに比べると家内の看護は冷静な態度のように感ずる。安心して一晩を過ごして軽くなった。
 昔、高波の時、船に乗って船が沈没するのではないかと怖がっている時、一緒に乗っていた船主が居眠りをするのをみて安心したことを思い出す。日本中がインフルエンザの脅威の中で娯楽番組を見ると気持ちが軽くなる。日本のインフル騒ぎから韓国へ行った時、その脅威から解放された気持でもあった。

山口ラジオ・西日本新聞にインタビュー

2009年05月22日 05時19分50秒 | エッセイ
 昨日朝9時過ぎにKRY山口ラジオ生放送の電話インタビューを受けた。自宅の固定電話では電話音にうるさいわが愛犬の邪魔を懸念して研究室で行った。突然「アンニョンハセヨ」と言ったが、二人のアナウンサーはスムースに応対してくれた。先週の毎日新聞寄稿の「焼肉文化」を読んでくれたということで二つのキーワード「朝鮮」「焼肉」を切り口にして今の若い人を対象に話は楽しく、あっという間に終わった。私は講演も聞きに来て下さいと言うことを忘れなかった。続いて西日本新聞の平原奈央子氏と九州大学大学院教授の竹田仰氏の訪問を受けた。7月18日福岡で韓国映画を上映しながら私が講演することの打ち合わせをした。二人とも頻繁に韓国語を混ぜて話をした。福岡から来られた方と下関で、また山口放送で自然に韓国語を混じえて話したことから実に韓国は「近くて近い関係」であることを痛感た。

擬離散家族再会

2009年05月21日 05時29分10秒 | エッセイ
東亜大学の櫛田宏治理事長と韓国馬山の昌信大学を訪ねた。車は郊外へ走った。1977年初めて新婚の時住んだ懐かしきアパートがあった所から山道へ入った。30数年前の荒山が奇麗に整備されながら大学の校舎が秩序よく並んでいる。姜秉道(カン ピョント)学長に「荒山を天国に作りかえたんですね」と感想を述べた。その大学はすでに日本の大学と数多く提携、あるいは交流している。学長(1936年生)は携帯電話科、ヘリコプター科、美容科などの学科の施設と授業の現場を案内してくれた。1200席の大講堂では1時間後に「世界人の日」の大会開催のリハーサルが行なわれていた。私は関心の高いものばかりであったが、もっとも関心の的となったのは設立経営者のパワーである。学長はキリスト教の長老でもある。私もクリスチャンなのですぐに親しさを感じた。学校視察と昼食まではかなり長い時間であったがその間、私を待ってくれた人がいた。1970年代末慶南大学日本語科の卒業生の金允姫である。彼女は日本語演劇などで活発な女子学生であった。後に体が弱く、我が家に泊まったこともよくあったがその後音信もなく全く分からなかったが劇的に会えた。嬉しさと懐かしさで抱き合う再会であった。1時間足らず彼女の運転する車の中で話ができた。別れる時は彼女は涙汲んだ。私もそうであった。今回の韓国旅行はソウルと馬山で擬離散家族再会で嬉しさでいっぱいの日々であった。

変わらないもの志向

2009年05月20日 04時54分12秒 | エッセイ
朝食の時にはまるで離散家族の再会のような雰囲気であった。景福高校34期卒業50周年記念会に参加するためにアメリカから来た夫婦たちとホテルの食堂で会った。同窓生ということで無条件「知っていること」と、学生時代の呼び捨ての言葉やニックネームで握手をした。その間に交際した数人を除いては50年ぶりに会う同窓生であった。その中でアメリカで医師をしている人と握手をした。彼が李昌根君である。彼の父は鐘路で産婦人科病院の院長をしており、彼は裕福な学生であった。彼とは親しくて、夏休みに彼を私の故郷の家に連れて行ったこともある。彼は高校卒業してすぐアメリカ留学をしてアメリカで医師になった。その後初めての再会であった。離散家族の再会のように嬉しく、また今まで連絡を互いにしなかったことを後悔した。昔の話しは続いた。彼の奥さんは二人の対話に耳を傾けて夫の過去を聞いている。
 本校訪問と晩餐会に200人位が参加するという。杖を持っている人も数人いたが皆が50年前に戻りたくて集まった。数人を除いては定年して時間もある。私はまだ現役であることを羨ましがられた。50年の発展のあり様よりは昔の仮校舎など記憶に残っているものを探して自分の記憶にオーバーラップさせてみる。日本時代に建てられた校舎やプールは無くなっていた。運動場をはじめ、建物の配置はそのままであった。同窓生の顔や建物など懐かしいことばかりであった。私は他の日程のために途中で退席してホテルへ向かった。タクシーに乗った。運転さんは名門中・高校の卒業生について有名人の名前を挙げてくれた。嬉しかった。発展したものより「変わっていないもの」志向の集まりであった。

「真っ白になった」

2009年05月19日 05時26分40秒 | エッセイ
 韓国映像資料院と芸術総合大学の芸術院を訪問して施設をみて、担当者たちから説明を聞いた。前者は古い映像資料を発掘、保存、活用しているが、後者は創作、教育を行っているので両方に行って全体的に機能していることがよく分かった。その中で資料院のフィルム保管所でフィルムの保存状態が悪いものが真白く粉がふいているようになっているのが印象的であった。記憶が「真っ白になる」まさにそのものであった。最近古いBHSをDVD化しているが、中には画像が悪くなったものが多い。真っ白になっていくのはそれだけではない。自分の記憶も薄れていって、真っ白になっていくのだ。今、脳の活動に感謝している。
 スケージュルはハードで夕食には久しぶりにソウル明洞で画家安暎子氏の娘夫婦に御馳走になった。最終的には癌のため半年の寿命と宣告されたが、画家として最後まで絵を描き、周辺を奇麗に整理整頓して最後を迎えての臨終だったと言う。その話を聞きながら画帳を見て「尊厳死」の標本であると思った。彼女が亡くなった後彼女が使った箪笥などは空っぽであったという。周りを空っぽにし、脳を真っ白にしていくのが昨日の教訓であった。

ソウルで恩師の全集出版準備

2009年05月18日 05時34分24秒 | エッセイ
 一昨日泊まった関空近くの日根野ステーションホテルは駅に近く6、700円朝食付きである。インタネット無料と食堂、シャトルバス、従業人のサービスなど私には大満足の理想的ホテルであった。自分でネット上で探したものであるが本当にうれしく感謝の気持ちであった。朝起きて風邪もかなり軽くなった。調査旅行なのにカメラを忘れて家から出てしまい困った。免税品のコーナーで新品を買った。気に入った。
 ソウル仁川空港に到着するまではマスクをしたが飛行機を降りてからはマスクを外した。マスクをした人には検疫検査に時間がかかりそうであるからであった。実際風邪は治ったようだからである。ソウル中心のビジネスホテルに入った。ここも私には理想的なものである。意外に部屋が広く、設備もそろっている。韓国でもサービス産業がずいぶん発展していることを感じた。
 ソウルはまだ寒い。夕食は出版社民俗苑社長洪鐘和氏のご好意で私の恩師の李杜鉉先生の全集出版発起会が開かれ、韓定食を頂いた。先生が私の最新著『映像が語る植民地朝鮮』を気に入られ、その出版社を希望したので、その旨出版社に伝え、私が韓国を訪れる機会にこのようなよき集いが設定されたのである。昼はジュムラクという焼肉、夜はカルビなど心温まるそして贅沢な食事であった。先生もとても喜ばれ、数日前先生の日であることを思い起こし恩師に少し恩返しができたようで私も満足している。

「4月の雪」

2009年05月17日 04時57分19秒 | エッセイ
 韓国の映画「外出」を日本語では「4月の雪」と訳している。四月の雪の日に女性が外出するところから題をとっているだろう。異様な季節、雪をロマンチックにとったセンスを感ずる題である。この数日前5月なのに東北地方で雪が降った。この五月の雪の寒さで私は風邪を引いてしまった。
 昨年の冬にはマスコミが暖冬と温暖化という言葉を頻繁に言及したのに最近の日本の気候が5月中旬が過ぎてもなかなか温かくならないから「温暖化」を口にするのは止めている。私は真夏にモンゴルなどで雪が降るのを経験したし、サハリンやシベリアでは低温と戦う農民の苦労もみたので温暖化と聞くと科学の言葉であり、実感が伴わないが、マスコミがこのことばを乱用していると常に思っている。
 インフルエンザが世界的な脅威であるこの時期に風邪を引いてマスクをして歩くことは大変な迷惑と思うがこれからマスクをして関西空港に向かおうとしている。