崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「砧をうつ女」

2008年09月30日 06時47分02秒 | エッセイ
 李恢成の短編小説「砧をうつ女」など二編を夢中で楽しく読み終えた。子供から見た母親、父親は常に喧嘩し不和、母の死と葬式を祭りのように感じたと描かれている。このような家族が存在する理由さえ疑わしいが母の死、義母の再婚、子どもの家出などの出来事があるたびに家族を守ろうとする。その家を守ろうとする力は何であろうか。それは金魚が口をつきつけて、喧嘩しながら一つのアキュウルムにいるように家族の絆も強い。その要が父親の頑固さ、母親への慕情であり、兄弟愛である。母親はその絆の運命を生きる象徴的な女性「砧をうつ女」である。
 「砧をうつ女」の場面は今はアイロン、コインランドリーなどで消えたが、韓国の女性のシンボルのように多くの写真が残っている。洗濯物を棒で叩く音はうるさかったがいつの間にかそのリズムに乗るようになって懐かしくなった。今私の母の「砧をうつ姿」を思い出す。

教会の生け花

2008年09月29日 07時01分22秒 | エッセイ
 昨日は教会の生け花の当番であった。私も家内も花を買う暇がなかった。朝になって、唐戸市場は早朝開くと思って行ったが花屋さんは閉まっていた。数か所を確認したが買えるところがない。ロシアでは花屋は24時間開店していることを思い出した。日本でも都会では花売り自動販売機もあるが、ここでは花より団子というところである。あせてしまって家内の車を走らせて教会の庭に咲いている赤いバラと名前も知らない薄茶色の花、そしてソテツの葉、金柑の枝を切ってきて生けた。以外に満足するほどのできばえである。評判を得たのはもちろんであった。
 教会に生け花をするようになったのは西洋のキリスト教会にはない日本的なものである。仏教的には花や造花を供え物として捧げるが、キリスト教会では生け花は飾りである。西洋の教会から音楽が生まれたように日本では仏壇に花を生けるなどから生け花という芸術が生まれたのである。私は教会や学会などに生け花の当番をしながら神とともに信者たちと交流するのである。そして社会に美しいメッセージを送りたい。

教会の生け花

2008年09月29日 07時01分22秒 | エッセイ
 昨日は教会の生け花の当番で会った。私も家内も花を買う暇がなかった。朝になって、唐戸市場は早朝開くと思って行ったが花屋さんは閉まっていた。数か所を確認したが買えるところがない。ロシアでは花屋は24時間開店していることを思い出した。日本でも都会では花売り自動販売機もあるが、ここでは花より団子というところである。あせてしまって家内の車を走らせて教会の庭に咲いている赤いバラと名前も知らない薄茶色の花、そしてソテツの葉、金柑の枝を切ってきて生けた。以外に満足するほどのできばえである。評判を得たのはもちろんであった。
 教会に生け花をするようになったのは西洋のキリスト教会にはない日本的なものである。仏教的には花や造花を供え物として捧げるが、キリスト教会では生け花は飾りである。西洋の教会から音楽が生まれたように日本では仏壇に花を生けるなどから生け花という芸術が生まれたのである。私は教会や学会などに生け花の当番をしながら神とともに信者たちと交流するのである。そして社会に美しいメッセージを送りたい。

栗を食べて

2008年09月28日 06時41分49秒 | エッセイ
 隣家の園田さんから栗を頂いて食べながら秋という季節感を満喫し、私の故郷を思い出す。私の故郷である韓国の楊州は栗が名産であった。栗は韓国の祭祀には欠かせない供物である。宮中の祭祀に大きく光る「楊州栗」を使ったといわれる。その次のものが平壌の栗である。それは小さい種類のものであり、日本で有名な天津栗に似ている。「平壌栗を食べて楊州栗を食べたようにする」(外見を飾るという)ことわざがあるほどである。しかし朝鮮戦争中作戦的に伐採されたり害虫の被害によって全滅したのである。最近は中国産の栗が一般的に使われている。
 韓国でも中国の食品の不正には大きく話題になっている。振り返ってみるとひと昔前までは韓国でも唐辛子も色を染め、売る牛に強制的に水を飲せたり、水銀を使ってでモヤシを栽培したり、白菜にナトリウムを入れたりしたのが発覚し問題なった。しかしそれを国家と社会が厳しく管理して徐々に良くなったのである。しかし、中国は単に大すぎの「大国」であり、その被害は世界的になっており、世界から非難を受けている。早くから料理の国として知られている中国の中華料理の体面を一日も早くとり戻してほしい。そして安全で新鮮な中国産のものを世界の人が安心して食べられるように祈願する。

日本の政治家の世襲

2008年09月27日 07時18分39秒 | エッセイ
 高校入学の時、面接に数名の学生と同席して校長先生の質問を受けたことがある。その中には今で言うと他の学生もいる中では質問項目を控えるべきものもあるが、親の職業が聞かれた。ある一人の同席した学生は顔を赤くして言えないのに校長は再度彼の親の職業を聞いた。彼は恥ずかしそうに「市場の露店で唐辛子を手挽いて粉にして売る」といった。職業差別の激しい当時、このような対話は意外なことであった。それについて校長先生は彼に「将来、親のその仕事を継いだらどうかね」といいながら親の職業を発展させて全国的に、あるいは世界的に有名な唐辛子の業者になることも可能であると説明した。本人はもちろん同席した学生たちは感動した。
 私は在日朝鮮人の焼肉店の主人にインタビューをしたことがある。ほとんどの親は子供にはやらせたくないという。日本の政治家の多くは親も政治家だった。麻生総理もそうである。それは伝統的な身分制度の残りのように感ずる。ただ身分制度は生まれつきのもの、独占性がより強いだけである。その中には現代的な継承の長点も含まれている。金正日のように親の職を独占的に継承することとは違う。

ヨーコさんが下関へ

2008年09月26日 06時18分12秒 | エッセイ
カワシマ・ヨーコさんが下関を訪ねてくることになった。彼女は朝鮮半島の北部に住んで敗戦の時、母と姉と3人で引き揚げてきて、その後渡米し、アメリカボストン郊外に住んでいる。その体験に基づいて半ドキュメンタリー小説を書いてアメリカの教材に紹介され、文学賞を数多く取っておられる方である。そこに在米韓国人たちがこの本について真実ではないと騒ぎだした人がいて話題になった。昨年私が彼女を訪問し、今度下関までに足を延ばすことになった。昨日は彼女を迎える準備の打ち合わせ会をした。騒動の経緯などについて本人の口から聞くことにした。
 11月7日午後私が代表とする科学研究会で私と彼女が対談の形で話を進行していくことにした。そこに日本側の翻訳者の西村氏、世話役の鍬野氏も登場して語ってくれる。鍬野氏は反戦平和運動の一つであるストーンワークで彼女と出会い、彼が日本側の窓口になっている。本人の希望によって一般に大きく公開しないが、特に関心のある方は一報を願う。

長生きlong life

2008年09月25日 06時12分46秒 | エッセイ
 先日イギリスとアイルランド旅行中、私の飛行機のチケットには優先priorityと書いてあって別の通路で行くように指示された。その旅行期間中日本では9月15日が敬老の日であったことを思い出した。日本では高齢者とは感ずることもないのに西洋で優先されたのがおかしい。ただ今私の広島大学時代の弟子たちが古希記念論文集を準備中だという進行状況を聞いている。照れくさく、そして嬉しい。確かに年をとっていくのだ。古希と聞いてもいつも他人ごとと思っていたのにいつの間にか自分がその該当者になっている。不老草という薬草を飲んで3千年の60倍まで生きたという、神話などがあった。しかし老化は生物の共有の運命である。世界の無数の民族文化の中で一番共通の人間の希望はただ一つ、、長生きlong lifeだという。その長生きの国の日本に住むことは幸せである。

母親が子供を殺した事件

2008年09月24日 07時16分53秒 | エッセイ
 母親が子供を殺した事件が発生して驚いている。子供に対する母親の愛情は本能的に一番強いと思われるからである。しかし子供を産んだ人であり、母子関係は一番密接な関係であるから、母親は場合によっては子供を自分で処理できると思いがちかもしれない。古くは世界的に間引きのような風俗も結構存在した。日本も近代以前まではそのような現象が残っていた地域もあった。しかし子供が親を殺すのは大逆罪のように扱われた。たとえば中国や韓国の伝統的な法律と倫理では子供が親を殺人した場合は普通の殺人より重い。その基本には人間社会の最も基本的な親族関係と愛情が横たわっているからである。それが壊れることは人権の基本が壊れることになるとも思われる。子供は自分の身体の一部という人権思想以前の人間の愛情の根本を揺るがす問題である。その点で母親の子供殺人事件は日本社会の基本の破壊を象徴しているものとして扱ってほしい。心中物語りの現代版としてみてはいけない。

文盲よりもネット盲

2008年09月23日 07時34分19秒 | エッセイ
旅行から帰って自分のリズムに戻すのに苦労している。早寝早起きだったのが逆転してしまった。まるで若帰りしたようである。その間読んでない新聞も旧聞になっている。相撲も見ていない間、朝清龍が4敗もしているという。体力の限界であろう。生き物の体力は変化する。時代も変化する。一昔アービン・トーフラーの「第3の波」を読んでコンピュターの時代が人間社会を大きく変えていくとということを読んでも遠い未来のことと感じた。しかしいつの間に到来している。今度のヨーロッパ旅行からインタネットの時代を実感してきた。ホテルでもチェックインとチェックアウトもエレベーターも、客室も自動で動いてきた。将来は自動改札口のようにすべてが全自動になるかもしれない。否、その時代がきている。コンピュターとインタネットに適応できない人は自然淘汰される。文盲よりもネット盲の不幸な人生にならようにコンピュターを身につけないといけないと思っている。

時代の変化

2008年09月23日 07時32分33秒 | エッセイ
 旅行から帰って自分のリズムに戻すのに苦労している。早寝早起きだったのが逆転してしまった。まるで若帰りしたようである。その間読んでない新聞も旧聞になっている。相撲も見ていない間、朝清龍が4敗もしているという。体力の限界であろう。生き物の体力は変化する。時代も変化する。一昔アービン・トーフラーの「第3の波」を読んでコンピュターの時代が人間社会を大きく変えていくとということを読んでも遠い未来のことと感じた。しかしいつの間に到来している。今度のヨーロッパ旅行からインタネットの時代を実感してきた。ホテルでもチェックインとチェックアウトもエレベーターも、客室も自動で動いてきた。将来は自動改札口のようにすべてが全自動になるかもしれない。否、その時代がきている。コンピュターとインタネットに適応できない人は自然淘汰される。文盲よりもネット盲の不幸な人生にならようにコンピュターを身につけないといけないと思っている。

コーラとコーヒー

2008年09月22日 03時01分42秒 | エッセイ
 一般的にイギリスは紅茶、フランスはコーヒーという。イギリス文化圏であるアイルランドではコーラとコーヒーが基本的な飲み物であると気がついた。それは理想的な移民先のアメリカ文化に憧れている象徴的な飲み物であると思われる。カフェkafeとバーbarが多く、基本的にはコーヒーとコーラがよく飲まれている。マクドナルドなどでももちろんである。コーヒーをよく飲むから頭がさえているといえるのかもしれない。電車やバス、飛行機の中でも居眠りをする人は少なく、本などを読むか、うるさいほどおしゃべりする人が多い。帰国のための長時間、飛行機の中には圧倒的に日本人が多かったが、現地時間ではまだ昼であるのに一斉に寝入る様子であった。その中に数人いた西洋人はコンピュターなどで仕事をしている。もちろん生活文化であるとは思うが、私はそれがコーヒーの力ではないかとも思った。日本の学生たちはあまりコーヒーを飲まない。それで居眠りするのではないかと思ってみたりした。今学期からはためしに学生たちにコーヒーを勧めようかと思っている。

仕事の質

2008年09月20日 21時08分14秒 | エッセイ
アイルランドのダブリンからイギリスの田舎の空港へは自由席の飛行機に乗った。乗下車も歩く。荷物検査は田舎ほど厳しいのはどこの国でも同じ。入管が管理しないで警察がパスポートをコントロールする。日本人はノービザのはずなのに東洋系の人間は私一人だったので警察が私のパスポートをもって長く調査するので私は抗議した。またその厳しいセキュリティ検査のところでは脱いだ靴を上着と一緒に入れて、床をそのまま歩かせるリース空港の厳しい調査をへて飛行機に乗った。一安心ではある。無事にアムステルダムに到着した。5時間空港の中で待機して11時間弱で関西空港に着いた。ヨーロッパは4回行ったが、総合してヨーロッパの市民に対する官吏や事務員は誠意がなく、仕事の質、つまりクォリティがよくない。日本とは比べものにならないほど悪い。雑多な人種が集まっており、国際化という現象がこのように質を落としているのだろうか、もともと植民地を長くした歴史から管理支配の構造を負の遺産として持っているからであろうか。もっと調べたい。その意味で西欧諸国は先進国ではない。日本に戻って日本が先進国であると強く感じた。

ジャガイモ騒動

2008年09月20日 00時52分01秒 | エッセイ
 イギリスとアイルランド滞在の 20日間お米を一度も食べていない。ここアイルランドの主産物はジャガイモである。ここで美味しい日本米のご飯を食べたいと言っても無理であろう。稲作文化圏から考えるとジャガイモばかり食べるのは貧しさを感ずるかもしれないが、ここでは基本的食物である。そのジャガイモが収穫できず数百万の人口が減った大危機の歴史がある。1840年代夏に平均気温が7度以下でジャガイモが成長できないのに加わえて病気が全国に広がって全く収穫ができなかった。当時はイギリスの植民地であったが、反英運動によるイギリスの救援政策が悪かったともいわれる。それよりジャガイモだけの単作も問題があった。この不作によって飢え死にした人が多く、またイギリスやアメリカへ移民した人も多い。アメリカには2百万人も、否それ以上移民したという。ある人はアイルランド出身のアメリカの大統領の名前を指を折りながら数えて自慢した。そして彼もアメリカへ移民したいと言っていた。不幸な歴史は必ずしも不幸な結果をもたらすわけではないという、私の持論を再度強調したい。

鞄に入るもの

2008年09月19日 02時32分25秒 | エッセイ
 旅行している時は小さいものに関心がいく。一人で調査の旅をする者としては荷物が多くては機動力が落ちる。旅行者の中には引っ越し荷物のように大きな荷物の上に子供も載せている人もいる。荷物の大小は旅行目的で異なる。調査から得た資料などを鞄に入れようとすると、ものの選択に迫まられる。捨てるか、入れるか考えている。重要なものをいれる。旅行中に着たものなどを捨てて本、CD,DVDなどの資料を入れることにする。他に持って行けるものはなにか。青年のように英語の論著の本を一杯入れた。ジョイスの作品に挑戦しようと彼の本も入れた。今日、彼の銅像の写真も撮った。
 ところで死んだ人が持っていきたいものは何だろうか。韓国では棺の中にキセルなど愛用したものを入れてあげることもある。もちろん王族になると豪華なもの、人も副葬した。私の棺には本を入れてくれるように頼もうか。帰国を前に鞄とにらめっこをして荷物の整理をしながら変なことを考えている。このように旅では感じたり考えたりすることが多いのかもしれない。