崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

健康美意識への復帰

2015年11月30日 05時14分58秒 | 旅行
病気から回復するに従って社会へ復帰することが重要な過程であるが、健康美意識への復帰も重要であろう。化粧、ファッション、流行など様々な現象は健康な社会であることを意味する。死者の化粧もあるが病気になってから美意識を失った惜しい体験もした。徐々に回復するにしたがって窓から見える山や雑草なども美しく目に入る。傷口を隠したマフラーの結びもちょっと美しくしたくなった。そこに韓国から慰安のプレゼントが届いた。
 全羅南道・文化財専門委員の金憙台氏が送ってくださったものは韓国・国家無形文化財第115号伝統染匠チョンカンチェ作のマフラーである。何と贅沢なプレゼントだろう。一気に美意識が高調し傷口を隠しながら首に美しく巻いてみる。以前パリで買ったマントを思い出し、退院が何と錦衣還郷の気持ちになっている。生活の中の美意識、それは実は健康な生き方であると悟ったのである。
 병에서 회복하여 사회에 복귀하는 것이 중요한 과정이지만, 건강미 의식에의 복귀도 중요하다. 화장, 패션, 유행 등 각양각색인 현상들은 건강한 사회라는 것을 의미한다. 나는 이번에 병중에 미의식을 잃어버린 아까운 체험도 했다. 서서히 회복하는 과정에 있다.창문으로 내다 보이는 산이나 잡초 등도 아름답게 눈에 들어온다. 자신의 몸가짐도 상처 자리를 머플러로 감추면서 조금 아름답게 하고 싶어졌다. 바로 그 때 한국에서 좋은 위안 선물이 도착했다.
 전라남도·문화재전문위원인 김희태씨가 보내 준 한국·국가무형문화재 제115호 전통 염색장 정관채씨 작의 머플러이다. 얼마나 사치스러운 선물일까, 단숨에 나의 미의식이 고조되어 상처 자리를 숨기면서 목에 감으면서 아름답게 꾸며 보았다. 이전 파리에서 산 망토를 걸치고, 퇴원하고 싶다. 무슨 금의환향이라도 하는 기분이 아닐까? 조그마한 생활 미의식, 실은 건강한 삶의 태도다라는 것을 깨달았다.

寄留の民

2015年11月29日 05時24分24秒 | 旅行
初めて病室から院内の売店に立ち寄った。外来の空間は清掃中であり、売店だけ正常な感、新聞雑誌、日常品、食品などが並んでいるのが斬新と感じた。世俗社会の象徴的なものである。これから社会へ復帰することを実感した。下関で旧友である鍬野保雄氏がお見舞いに来てくださった。彼は日韓の友好のために社会運動を続けている。特に11月23日日本人の朝鮮人差別、ヘイトスピーチをなくすためパレードを行ったという。韓国系はもちろん総連系の人も参加したという。
 EUのドイツ、イギリス、フランスなど先進国が難民の受け入れが問題となっている。日本でも労働力のために移民の受け入れなど政策や戦略のように解説されるがそれより深い意味がある。日本と違って西欧での最も基本的なことは、どの国、どの土地においても「人は寄留者」であるという聖書に基づく考えかたが横たわっている。「愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。」(新約聖書:ペテロの第一の手紙:2章:11節;参考李仁夏『明日に生きる寄留の民』1987)国境という線を引いて領土として主張するようになって紛争や戦争が起こるようになった。その国民国家的を枠を超えてグローバル化を進めてきたEUが試練を受けている。それを支持しながら平和を模索してほしいと指導者たちに願うところである。

人生論

2015年11月28日 06時35分04秒 | 旅行
 担当医の阪田先生が来られた。命の恩人である。大分市からお見舞いに来てくださった毎日新聞の西嶋氏が先生と一緒に写真を撮ってくれた。西嶋氏と転勤以来はじめて久しぶりの再会であった。阪田先生は12月3日に退院を許可してくださった。韓国が好きでよく旅行するというある看護師は「寂しい」と言ってくれた。吸入、水吹き、食前後の服薬、レントゲンと心電図、採血の検査、リハビリなどで忙しい日であった。中に気になるというある患者から聞いた看護師が丁度私の当番であって気にしていたがベテランの看護師が採血してくれて安心した。
 午後は萩出身山口在住の英文学の山本孝夫氏親子、安岡病院の吉岡氏、西嶋氏、前田氏と林氏などと談話を楽しんだ。吉岡氏とはキリスト教を基に人生論を長く披露しあった。私は肺結核で精神病患者と隔離静養するとき現れたキリスト教伝道師に伝道されたところには私も涙汲んでしまい、彼女は一人では聞くには到底もったいない話であり、多くの人に聞かせたいと言っていた。彼女はほぼ失敗のない、そしてアフリカのニジェールで20余年看護師と宣教師として奉仕し、交通事故でくも膜下出血で意識不明の状態から神秘的に治り、帰国した話があった。彼女の失敗のない成功もの語りに比べると私の人生は失敗ばかりのようである。

傷口

2015年11月27日 05時08分24秒 | 旅行
病棟内で歩行運動をし、談話コーナーでは患者さんと話すこともある。毎週2回は検査日、ある患者さんがある看護師の採血が気なるといった。彼はお腹の動脈の手術をしたのに採血くらいを気にするのかと思われるかもしれないが、実は私も同様である。そのことを話したら私の担当ナースは私に心臓の大手術した人が採血を気にするのかと笑っていた(写真)。なぜであろう。
 私は昨日初めて病棟内のお風呂に行った。看護師と家内が同行してくれた。薄暗く暖房もなく寒くて大変であったが、最も嫌だったことは自分の手術の傷口が鏡に見えたことである。いまだに正面から見る勇気がなかった。痛かった過去を語りたくない人の心境が理解できそうである。終戦時、強姦された多くの女性たちが語らないのは隠すためではなく、傷口を直視したくない私の心と同様ではないだろうか。

先端医術と最高の福祉サービス

2015年11月26日 05時46分26秒 | 旅行
リハビリに行くには病院関係者専用のエレベーターを利用する。そこからは手術室と家族らが説明を聞くなどの待機室が見える。家族らの不安な表情を伺うと恐怖さえ感ずる。家内は担当医から私の胸を全部開いて手術を行うという説明を聞き、手術時間だけでも9時間、長く待っていて、その間に学長、副学長、牧師などの方々の慰安を受けたことを後で聞いた。その生死の境を越えて、昨日担当医の阪田先生から退院の予定の話が出た。嬉しい。
 リハビリにも歩いて行っている。若い女性のリハビリの先生に両手の補助による筋肉運動と足を半球板にのせて平均感覚を持たせるような運動、海を眺めながら歩行練習など、とても親切な、贅沢なサービスを受ける。一般商業施設でこのようなサービスを受けるなら巨額になりそうな気がする。家内は40数年ほど前東京の聖路加国際病院で看護師として勤めたことがあり当時医療の先端医術と最高の福祉サービスということを知っていて、今は下関で仕事を続けている。彼女の行動と比較してみると私は教育者として権威主義的な部分もあったのではないかと反省している。この度の入院生活は私の教育観を再考するよい機会である。

家内による躾

2015年11月25日 06時22分07秒 | 旅行
人生には生まれ変わることがある。悔い改めて生まれ変わることもあるが病気は人を生まれ変える良いチャンスでもある。私はこの度ただ生まれ変わるという言葉では表現足らずで再生と復活のようにも感じている。いま赤ん坊から子供へ変わっていく。自分の母からの躾は憶えていないが、家内が尿瓶を準備してシーというようなことから衛生的な手洗い習慣など家内による躾は続けられている。入浴の許可がないので熱いタオルでの全身清拭と着替え、そして寝る前に私の足をお湯で洗ってくれて日程が終わる。
 昨日は退院に向けて栄養士と家内が話し合った。塩分と脂肪分を減らすなど注意事項があった。私の日本食への考え方も変えようとしている。鰹節、コボー、納豆、オクラ、山芋などは本当に味に抵抗があるのか、決めつけての偏見ではないのか。コボーをキチンと噛みながら味わってみた。食べられるようになりそうであった。本格的に日本食への挑戦、日本化が始まったのである。文化はある意味で先入観、偏見的なものもあろうと考えている。

「官等声明」

2015年11月24日 05時33分47秒 | 旅行
入院4週目、食前と食後に薬を飲むたびに名前(チェキルソン)と生年月日(昭和)を言うのが病院の規則である。本人確認のために必要とはいえ看護師らとは親しくなってもこれは例外なく続く。私は軍人時代になれた習慣のように応じている。任務引継ぎには必ず挙手敬礼をしながら「官等声明」(陸軍大尉チェキルソン)を声を出して言う。入院生活は軍隊時代を連想することもある。大部分の在日の方は日本式の通名や日本式読み方で通用するので日本人に違和感がないが、私は韓国式の発音で表記されていて、病院関係者は外国人扱いで、日本語が通じるか否かが問題になったようである。最初のICU担当者の看護師は言語コミュニケーションが心配であったと言ってくれた。昨日山口市からお見舞いに来てくださった川村博忠先生は私がどこの病院にいるのかを知らずに下関市内の大きな病院へ行き、私の名前を確認しようとして困り、この病院に辿り着いたがチェキルソンを知らず戸惑ったという話をして下さった。
 昨日は韓国の教え子から電話、二人の留学生もお見舞いに来てくれた。私は患者意識も忘れ楽しい時間であったが、疲れてしまい患者に戻ったような状況であった。教え子の韓国慶南大学校の張教授に会うたびに彼が生きているのが不思議な感を持つ。彼は大阪大学留学時、心臓ショック療法で生き返り、心臓手術をしたが私や家族も彼は死ぬと思ったことがある。しかし、彼は不死鳥のように生きて、母校の教授として活躍している。彼は私の病気の先輩(?)として注意事項を言ってくれる。

階段上り

2015年11月23日 06時19分00秒 | 病床日記
昨日は日曜日なのでリハビリがなく、看護師に階段を上ってみようと誘われた。手術前まで階段を見上げるだけで難しく感じ、その都度自ら高齢者意識を持ったが、昨日は逆転した。比較的に軽く上り下りすることができた。なにより高齢者意識は私の意識からは消えてしまった。病院ではいつも保護される子供のように扱われており、看護師たちに甘えているほど子供意識が強いことが分かった。病院では治療と回復だけではなく、再生か復活のような意識改造が行われるのではないかと思わされる。
 見舞いに来てくれる方々とは病気に関する話題が多い。ソウルから来られた方はまだ50代、数年前奥さんをがんで亡くした辛い体験を話してくれた。韓国では完全看護制ではないので一人娘が大学を休学して彼と交代で患者の隣に泊まりながら付き添ったという。悲しみには耐えがたかったが介護は身についたと得られた点もあるという。もう一方は日韓親善協会の会長の友松氏、ご自分の病気は名医に会って一発で直ったとのこと。彼の親しい韓国の方の話である。88歳の高齢者を日本の九州の名湯(温泉)に案内したが温泉が大好きな方で、長時間温泉入浴中意識を失いお湯の中に沈んだのを一緒に来られた方が心臓マッサージをし、応急処置し、救急車で病院へ搬送し、まだ安静を要したが日程通り帰国され、今現在お元気だとのこと。本人はなぜここに連れてきたのかなどと怒り、困惑したという体験談である。私は話を聞く途中数回爆笑した。後に彼はその方に日韓親善の功労者として感謝状を送り、暖かい友好関係は延々と続いている仏教法話のような話である。

「楽しい韓国文化論」(全6講座)を無事に終了

2015年11月22日 06時25分27秒 | 日記
 昨日を以て第4回「楽しい韓国文化論」(全6講座)を無事に終了した。私は最初の小林氏の公開講座に参加し、次の週に「朝鮮の風水」を担当して以来、緊急入院により参加することができなかった。下関広域日韓親善協会の友松会長の司会などでそれぞれの講師によって楽しく行われたこと、これからも続けてほしいという要望があったと聞いた。
 今日で入院22日、昨日ICUからの私の担当ナースが来られ説明文にそって食事など注意点を話してくれた。冠動脈のバイパス手術であることも正式に始めて知った。手術前にこのような説明を聞いていたらおそらく私は手術を拒否したはずである。幸いにも救急車で運ばれ私は説明を聞く状況ではなく、家内が代わりに聞いて行われた。
 私の生まれ故郷では医療という観念は全くなかった。怪我をした部位にはヨモギの葉っぱを挽いてつける。桑の木の切れ目を火鉢に付けてでる樹液を付ける。風邪にインドン蔓(忍冬-, Lonicera japonica)や麻の葉を煎じて飲む程度であった。手を洗う習慣や衛生観念はなかった。ただ無病息災を祈るシャーマン儀礼による民間信仰があっただけだった。その私がこのような大病、先端医療に恵まれたことはまさに奇跡的なことである。*写真は林楽青氏が撮った和仁先生の講義

束縛は刑務所の中にしかない?

2015年11月21日 05時35分14秒 | 旅行
 ナースセンターからローカを挟んで両側に個室や相部屋の病室が並んでおり、私の病室は右の2番目の個室である。ここがこの病院の循環系病棟である。私はそのローカを歩行練習をする。病室から時には呻り声が聞こえ、顔を出して私を覗いてみる人もいる。映画などで見る刑務所の監房を連想する。ソルジェニーツィンが皮肉にも病棟を刑務所と比較したノーベル文学賞作品『がん病棟Cancer Ward』を思い出した。彼によると囚人と患者にはそれなりに療法を断る権利がある。痛みや苦痛を我慢するのも共通点であろう。私は以前シベリア流刑について調査に行ったことがある。農業移民的な要素もあったことを知らなければこの小説を理解することはできない。ソルジェニーツィンは囚人とは患者のゆがめられた鏡像としてソ連社会から個人が受けている影響を明らかにした。
 もちろん今の超現代的な医療施設の日本の病棟をソ連時代のものと比較しようとするわけではない。ただ教導(刑務)所や病院も治療をする機構として社会的機能をしていることを理解すべきであろう。ただ病室と監房の差は自由と束縛への意識の差に過ぎない。この社会には人々は皆自由意識を持っているかというと必ずしもそうと言えない。労働時間に、お金に、人間関係に束縛されている人が多過ぎである。束縛は刑務所の中にしかないというというのは大変な錯覚であろう。

悪運は意外に例外的に訪ねてくるもの

2015年11月20日 06時23分27秒 | 病床日記
 お見舞いに来てくださった方たちや投稿者たちからは「ゆっくり静養してください」「快癒しますように」ということばが多い。そして私が日程などを無理した点も指摘してくれる人も多い。私は無理して忙しく暮らしたとは思っていなかった。ただ生活リズムに過ぎなかった。私には病院は静養するところではない。痛みへの対応にそれなり忙しい。今度の入院治療を通して多くのことを反省している。私の健康観は確固不動なものと信じていた。食事や就寝時間などを守っており、煙草やお酒などは元々縁のないこと、運動とは言えなくとも結構動いていた。私は健康な者だといつも自信を持っていた。しかしその意外にも例外的(?)に私に大病が起きたのである。私の確固たる思念は過信、大間違いであった。悪運は意外に例外的に訪ねてくるもののようである。
 毎日体重を測るのは楽しみである。入院して20日で7キロ減った。40代から維持してきた体重を下回る水準になりそうである。不安もある。私は子供の時は痩せていて母が心配していた。健康な美男子としてわが村の五日市の商店主を例としてあげていた。その人は頭が禿げて太った人であった。日本の侍の映画の将軍タイプかもしれない。貧困時代の当時の人物像を表すものであろう。経済発展と医学の知識によりメタボリックが問題になり、太目は美人型から除外されるようになった。しかし私には太目の健康美意識が残っている。

私は韓国人

2015年11月19日 07時36分36秒 | 病床日記
前回手術台の生体から人間への過程を書いたが、ここでは人間から文化への過程に関することに触れたい。点滴から供給されたことから口から食べ物を味わうことはうれしかった。最初のスプーンで食べたお粥とヨーグルトの味はわすれられない。麻酔から覚めても基本的には再構成されていない。ただ復元であった。しかし変わったのは食欲の低調化である。
 今日でまる15日間病院の心臓食を食べてわかったことも多い。病院では基本的には日本食を徹底している。私は子供時代の嗜好に戻っている。日本人であれば抵抗のない鰹節には食欲を失う。ただ日韓食文化の共通のお粥、のり、卵などにかぎられる。やはり私は韓国人であると感じた、人間から韓国人へ…。

인사

2015年11月19日 06時29分26秒 | 旅行
이정재 대회장
천진기 민속박물관장
민속원 홍종화 사장

인사가 늦었습니다. 지난 10월 30일 수원에서 열린 민속학자 대회에 초청하여 주어서 감사했습니다. 특히 천관장의 주선으로 이루어진 것으로 감사합니다.그와는 안동대학교 출강시의 학연이 있습니다.
바로 직전 필리핀 조사를 하고 바로 한국에 참가하게 되어 극도로 피로하여 가슴의 쇼크를 때때로 감수하면서 참가하여 발표하였습니다. 결국 연단에서 내려 와서 바로 몽롱한 상태로 일본으로 귀국하여 긴급 입원 9시간 걸리는 심장 수술을 받고 지금 치료 회복중입니다. 체류중 모든 것을 민속원 홍사장님이 보살펴 준 것도 잊을 수 없는 감사입니다. 호텔까지 와서 위로하여 준 계명대학교 제자들에게도 고맙다고 표하고 싶습니다.
대회 첫 부분의 국회의원 도의원의 발언을 통해서 민속학이 저조하다는 사정을 알았습니다. 일본은 야나기다구니오의 향토민속학적 민족주의로 인하여 전후 크게 비판과 반성을 통해서 변신하려고 하였으나 아직도 충분하지 않습니다. 그에 비해 문화인류학은 국제화와 객관성 시야에 서서 그런대로 평가가 높습니다. 질과 양의 면에서 한국의 향토민속학적 경향을 탈피하기를 바랍니다.
나의 발제 강연은 식민지 유산을 문화유산으로 등록하는 등 민족주의의 충돌 등을 들어서 세계적인 시야에서 제언하였습니다. 한일 문제에 관련에서 일본을 비판하였는데도 <가해사와 피해자>의 문제는 논할 장소가 아니라는 말을 들었다. 한일관계 정치문제에 학자들이 얼마나 강하게 의식하고 있는가를 단적으로 알 수 있었습니다. 초창기 한국민속학 연구에 주력했던 한 사람으로서 충고합니다. 민족주의에서 탈피하기를 바랍니다.
이상 실례의 말이 들어 있지만 정말로 한국민속학의 발전을 기원합니다.
2015년 11월 19일 시모노세키의 병원에서
최길성

テロは恨みの戦争

2015年11月18日 05時21分36秒 | 旅行
私が病院で混迷している時パリで大きいテロ事件が起きた。世界が驚くところからは個人の病気は何の意味もない。しかし個人は自分が危機に直面すると全宇宙と共に滅びたい気持ちになりやすい。それが新約聖書の黙示録に書かれている。ハルマゲドンである。フランスの大統領はテロを「戦争」と宣言した。正しくない。戦争は敵、戦線などがあるがテロは戦争論理では理解できない。テロは恨みと復讐によるものである。その背景に宗教、民族主義が絡んでいる。テロは恨みの戦争である。
 ニュースを見るたびにイエスと弟子たちがキリスト教を地の端まで普及する、いわば伝道活動をした地域で戦争とテロは続いている。なぜであろう。それより8世紀ほど遅れてマホメット教が作られて「伝道」をより強調するようになった。キリスト教は信仰としても、それより博愛、人権、結婚などさまざまな制度の基本精神として世界に広く影響している。しかし信者たちの中では信仰心が強いものが優遇される傾向があり、原理主義が現れ、テロ化されるものもある。国際化によって宗教の共存は難しい。他人の信仰には絶対干渉すべきではないという西洋の教養を身に着けるべきである。*写真は昨日お見舞いでいただいたものから