崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

コンドーム

2012年09月30日 05時29分31秒 | エッセイ
 今日は韓国や中国の「中秋」「秋夕」、弟子の宇部教会の李茂玉さんから祝いの品が届いた。また並行的に毎日新聞朝刊に西嶋記者にインタビューされた記事「みすず展閉幕・詩に引きこまれた」を読んでいる。西嶋氏が撮った(写真)70余年の風霜にさらされた自分の顔写真を見ながら平凡に無事に繰り返す名節や記念日などに感謝である。韓国では昔とそれほど変わらず秋夕を過ごす。私は名節に特異な思い出はないが、辛かった過去は生き生きと蘇ってくる。昨日は「楽しい韓国文化論」で私の朝鮮戦争体験と軍人時代、訓練と将校生活など、悲しい時代を楽しく(?)話し、クラスのメンバーとの語らいの良き時間を過ごすことができた。福岡から板井氏、民団の婦人会長の申さんと金さん、菊田さんなど新しくメンバーを加えてワァーワァー本当に楽しい時間であった。
 私が10歳のころ体験した戦争は珍しい飛行機やカラフルな落下傘が空から降りてくるなど美しく、面白く蘇ってくるのはなぜであろうか。国連軍の性暴行、わが村が「売春村」になった話で突発的にコンドーム文化の話になった。雨水に流れるコンドーム、また私の伯父の家では靴下を編む時コンドームを線切りしてゴム紐として利用したことも印象的であった話。引揚者が語るシベリア抑留体験も面白く語る人がいる。しかし採録された記録文はほぼ辛く、悲劇的になっている。辛い話ばかりである。おそらくインタビューか、記録によって強調されたものであろう。私はそれを問題にした論文を寄稿している。

 謝罪と許し

2012年09月29日 05時51分19秒 | エッセイ
 日韓の緊張関係とは言われても韓国を訪問しても実感がなかった。しかし昨日本欄で繰り返し触れたような中国新聞の広告拒絶の件で広島本社と東京支社から二人の方がお詫びに来られた。その理由が今日韓関係が緊張している時に起きた過剰な拒絶反応であることを知り日韓関係の緊張が実感された。広告のことは出版社と新聞社の関係で行われて紙面をみて私が知ったことで、お礼の電話をした時この件について初めて知った。わざわざ遠くから来られて陳謝してくれたことについて「私はご迷惑かけて申し訳ありません」と繰り返した。後に考えると謝罪と許しのよいモデルを見せたように思う。日本ではテーブルを前にして頭を下げ、ドラマでは土下座で謝罪している姿を良く目にする。大体は一方的な謝罪であり、寛容や許しはない。
 日韓関係で謝罪を求めることが多いが、許しは見当たらない。お詫びや謝罪などは相手を屈服させるものではないはず。許して寛容し、新しく関係を持ち直し改善する礼儀の一種であろう。「謝罪せよ、許せない」というのは礼儀ではなく、喧嘩構えであろう。日本は戦前韓国や中国に侵害を与えたのは事実である。それには謝罪し、両国は許す礼儀は繰り返しても過ぎることはないだろう。しかしそれを政治的なカードとして利用することは禁物である。国益優先とは言っても互いに寛容にはなれないのだろうか。

「天心」か「愚衆」

2012年09月28日 05時54分12秒 | エッセイ
オスプレイに搭乗する映像をみながら観光化されていくような感がした。デモは言葉通りに意見表示の一種の示威demonstrateである。それが長期化するか、組織化、暴徒化することもあるが、それは民主主義社会では度が過ぎるようである。常に反対することは反政府、あるいは反国家的ともいえる。韓国では独裁政権下で学生デモが反政府、政権を倒したこともある。それは今の日本のような民主主義社会ではあり得ない。昔だったら極東アジアは領土問題で戦争が起きても不思議ではない状況である。そんなの緊張の中、昨日私は韓国・慶南大学校の総長、元統一院長官(日本の大臣に当たる)であり、慶南大学校の北朝鮮大学院院長の朴在圭氏に11月14日東亜大学での講演日程の調整が完了した。彼に妙案を期待するより息詰りの緊張から突破口を探る思索でもお願いしたい気持ちである。昨日は金子みすずの詩について楽しく語ったが、明日は「楽しい韓国文化論」の講座(「長周新聞」報道、9.26)で韓国の徴兵制や軍隊について特に私の戦争と軍隊経験を語るつもりである。楽しくない話になるかと心配である。
 今の東アジアの緊張関係を見ながら政治家の問題でもあるが、それより大衆民主主義、民衆民主主義の限界を感じている。韓国の日本研究者の張竜傑教授は安倍氏の自民党総裁へ再選出についてフェースブックに古い人の再登場は「日本には人物が無い証拠」と述べている。「旧官が名官」という人に「流れない水は腐る」という諺の問答式言葉の遊びをするような気分である。民衆の心は「天心」か「愚衆」か、ポピュリズムの政治はオスプレイより怖い。

毎日新聞「低い評価憤る技術者」

2012年09月27日 05時22分36秒 | エッセイ
 毎日新聞(2012.9.26朝)に「低い評価憤る技術者」という赤間清広と小倉祥徳の両氏の記事が注目される。「産業立国」を支えてきた日本の高い技術力が海外に流出し続けるという内容である。森脇健氏(61)が厚待遇の韓国へ転職し、サンスンの薄型TVを成功させた話から、日本のその実態を調査したものである。産業スパイとか真似文化とか否定的にも思われる現象が起きている。しかし両記者は日本側の問題に焦点をおいて書いている。サンスンは日本の企業様式さえ学んで成長させたという。韓国経済が発展する要因に関する研究は多く、植民地時代の戦後への持続とか、儒教文化とか、いろいろな理論がある。その中で注目されるのがアメリカインディアナ大学のジャーネリ教授の「資本主義作り」(Making Capitalsm、1993)である。私は当時書評を書いたことがある。著者は匿名の財閥に密着調査を行って韓国の伝統的な意識構造、日本式と軍人精神などを活用した競争構造を分析した。無表情な韓国のエレベーターガールを日本式に訓練させた話は印象的である。韓国だけではなく、中国も日本式の経営は似ている。
 日本人は日本を真似するアジアに対して誇りと苦笑をするかもしれない。真似は子供が親を真似し、大文明も真似から形成されたのである。問題は優秀な人への出る釘を打つようなこととかやきもち、年功序列などで尊重しない日本の問題点を反省すべきである。否、本当のグローバリズムはどの国の繁栄でも地球レベルで歓迎すべきであろう。私は陸軍士官学校でアメリカのウェストポイントのカリキュラムを導入した時、士官学校で無料で教育しても軍隊に義務を果たさず他の分野でも働いたら国家全体にプラスになるという文章に接し、実に新鮮な衝撃、一生忘れない座右銘になっている。私にとって初めてアメリカでの会議の時、無名の私のアイディアが称賛されたのも忘れられないことである。日本では同様な発言で「突発的だ」と拒否されたことがある。今日本は本当の国際化、グローバリズムの世界で競争すべきである。
 

反国際化のナショナリズム

2012年09月26日 05時00分41秒 | エッセイ
尖閣、竹島、北方四島など全部島に国境問題がある。特に無人島の国境が争点となっている。今は争点になっているが、歴史的には利用性が少なく、あるいは辺鄙なところと思い、無視し、あまり意識しなかったのではないかというところである。これらの島だけではない。人や政治家も辺鄙なところには関心が無かった。古くから人は「都」へという「都志向主義」が定着して土地価は高騰、高層ビルや地下道と地下街が発達し、東京スカイツリーが観光名所にもなっていて東京王国のような時代になっている。今、領土問題になっている島々は争点になるまでは放置したという点は反省すべきであろう。
 尖閣が日本、中国、台湾から領土と主張される。それぞれの国家において以前にその地域を代表する議員などが多くいたはずである。学者やマスメディアも触れることが少なく、争点になってから騒動するようになった。ぶれない指導者を求めても「先見の目」のある指導者を求める声はない。領土意識のなかった時代から目下「地理上大発見時代」のフロンティア精神が芽生えているようである。
 理論的には国境地域が国際的であるはずである。実際私は島の人や文化を調査した経験からは島は国際的であると思う。いま争点地になっているこの辺鄙な地域中心に政策をするようにと主張する意味で言うのではない。貧富の格差は問題にしながらも地方までバランスをとる政策、遠くまで目が届く意識が必要である。今領土問題になったいるのは反グローバリズム、反国際化の現象であろう。それぞれのナショナリズムや愛国主義が敵対主義につながるということを警戒して私は日韓両国で拙著を出したがそれは決したんなる空虚なヤマビコではない。

孟子三楽

2012年09月25日 05時24分50秒 | エッセイ
この欄では孟子見梁惠王。王曰:「叟不遠千里而來,亦將有以利吾國乎と(得天下英才 而育之 三樂也 天下の英才を得て、之を教育する)という言葉を引用したことが多い。つまり遠くから客や弟子が訪ねてくることへの喜びを表したものである。私は孔孟のような人物ではないが、また引用せざるを得ない。県立広島大学の上水流久彦氏が往復5時間の遠距離から運転できてくれた。彼は私が広島大学大学院で台湾研究の論文を指導した人であり、古希記念会などをしてくれた中心人物の一人である。今は台湾や東アジアの植民地研究の最戦線で活躍し、目下もう1冊の本の責任編集をしており、私も寄稿している。彼に指導を受けるような関係になっている。彼の活躍ぶりは嬉しい限りである。ある人は私の指導で卒業しても研究環境に恵まれず研究を続けていない人や、音信が途絶えている人もいる。そんな人の状況を聞き、心から応援し、祈る気持ちであった。能力、努力の上ではほぼ平等であっても「恵まれる」ことの差は激しい。その差は恩、運ともいえる。それを究極的に追及すると人力ではないことを悟る。孟子三楽から逸れた人々を思う。

若者の視線は新鮮

2012年09月24日 05時40分08秒 | エッセイ
 先日韓国研修をしてきたトータルビューティの学生たちと教員の報告会が行われた。馬山の慶南大学校と大邱の寿城大学校を訪問して学生たちと化粧、へアー、マッサージ、着物ショーなど多様なプログラムをもって交流をしてきたことが披露された。韓国の男子学生はレディファストなどマナーのあるジェントル、女子学生はキュートで親しくしてくれたという。ヘアースタイルで額を見せるのを嫌だといって必ず髪の毛を垂らし、服装は身体の線が出るように密着したものを着ている。初めて行ったのに<また行きたい><一人で行きたい>という言葉を聞いてそれだけでも大成功と思い、日本の若者の視線が新鮮に感じられた。
 昨日韓国から来られた高校の校長先生と長時間話を交わした。政治的レベルで日韓関係が悪くても彼は東日本震災の時の映像を見て日本人は落ち着いて規則を守りながら対処していると、日本を褒めながら、急を要する時の対応をやや批判する意見を語った。韓国西海での運搬船の放油処理にボランテァなど数万人を動員した光景と対照的であるという。どちらかに味方をするのではなく、客観的に比較しているところが気にいった。中国の大学での国際学会に参加と講演の依頼が予定通りに来た。政府と政治とは別に学生や学者同士の交流は平常を保っているようである。
 

防長土図

2012年09月23日 04時21分52秒 | エッセイ
 数日前研究室を訪ねてこられた地理学者川村博忠氏の話から防長土図に関する話を聞いて驚いた。昨日は実物を見て、氏の講演を山口県立山口博物館に聞きに行ってきた。氏が駅で迎えて下さり昼食を一緒にとり、会場の博物館で講演を聞いた。防長土図とは萩藩の地理図師有馬喜惣太が江戸時代の中頃に1767年に作成した立体模型地図、山や谷,平野が,実際に凹凸を持って作られている。南北約3メートル,東西約5メートルの大きさである。粘土で型をとってその上に紙をかぶせて地名などを書いた土図である。17の「切」を繋げて山口「国」全体を描くようなものである。川村博忠氏が1983年山口大学に赴任して以来調査研究し、その価値を認識させ、国の重要文化財に指定された。そのご本人の講演が台風のため延期、昨日行われたのである。私は韓国で1960年代末に常勤文化財専門委員として調査して、いくつかのものが文化財として指定されたことを思い出しながら傾聴し、実物を見ながら川村氏の説明に耳を傾けた。
 説明によると山の高さ、縮図などが近代的な測量に近似しているというのに驚いた。この土図はより小規模の村絵図が基礎になっている。NHKの協力を得て550枚の「切」を繋げていく作業など苦労話が印象的であった。作ったものを永久に大切に保管してきた国力を感じた。スイスでは石灰で作成されたものがあり、他の国では存在してないようである。韓国では聞いたことがない。駅まで送っていただき、話は続いた。世界地図を作ることが盛んになったのは地理上大発見時代のフロンティア精神、キリスト教の宣教精神などが追い風になったのではないか、また領土意識、国防意識など近代国家の成立精神とも言えるという話は延々と広がるなか別れの手を振った。地図はそれぞれの国図が自国を中心に書いている。中国や朝鮮では例外があっても、普通日本を小さく書いたという。私は地図のナショナリズムを克服するには地球儀を重要視べきであろうと思った。

「しものせき国際映画祭」の宣伝に

2012年09月22日 04時50分30秒 | エッセイ
研究所とその所長室と研究室を持っており、広いスペースに恵まれている。そこに往来しながら事務機や本などを整理し、展示するなど仕事が倍加している。古い机などを利用して展示台にするなどで楽しく、疲れる毎日である。その仕事を一時放置して、権藤博志氏の運転で新老人会の交流会と下関の韓国民団、教育院を訪ねて「しものせき国際映画祭」について宣伝してきた。韓国民団下関支部長鄭正幸氏はこの春団長に新任し、初めての面談であるが話は良く通じる。背後側からアンニョンハセヨという民団夫人たちが挨拶してくれた。その顔顔の中からある女性が近着いて「毎日7時にブログを読んでいます。ミミちゃん元気ですか」と話掛けてくれた。話は延々と続けたいが、別れの時は事務局長から私の疲れた様子に心配の言葉をいただいた。自分でも疲れたことが気になっていたのでその言葉は重く感じた。
 韓国大統領選挙について在日は関心がないという。それだけではなく、情報や行事が多過ぎで全く宣伝効果がないようである。日本に住みながら地方参政権もなく、韓国の選挙にも関心が無い。今開いている「楽しい韓国文化論」にも全く関心がないという。情報が氾濫して神経が麻痺されたようである。ただ「無事」にいたいという無気力さが伝わってきた。疲れてみられた私が彼らの無気力さを感じた。このようなことは在日だけではなく、日本人の日常の一端でもあろう。オスプレー反対する人々は私には元気な見物客に見える。
 

「唐辛子の韓国人」

2012年09月21日 04時20分57秒 | エッセイ
 晩さん会があっても運転する人が多く、酒の代わりにノンアルコールビールが勧められていた。私に勧めてくれる人に冗談で「水ですか」といって笑った。ビール瓶のデザインから味までそっくりであり、酒を飲むことを演出するような雰囲気を感じた。このような偽りの飲酒文化が流行っている。蟹の模様と味がそっくりのかまぼこなど数多くある。私の目からは偽りの食材も多くある。日本では唐辛子のようなシシトウ、ピーマン、パプリカなどがある。すべて辛くない。形は「唐辛子」に似ているが辛くない。ノンアルコールのような偽りではないが似て異なる食材である。
 日本の辛子は「辛し」であり、唐辛子ではない。韓国人は辛さに特別な下味の味覚を持っている。数日前、在日の高齢の女性から自作で収穫した唐辛子をいただいた。それは微量でも辛く、生で食べることはできないほどで料理に入れた。
 日韓の味の差、その基本の辛さは異なる。韓国ではこのような辛い唐辛子を辛いコチュウジャンにつけて食べ、辛くて熱いスープを飲む人も多い。昔オリンピックなど国際ゲームなどを中継するアナウンサーは「唐辛子の韓国人」と叫んでいたことを覚えている。それは韓国人のアイデンティティのようなものである。いま日本人も辛い韓国の食べ物を好んでいる人が多い。唐辛子は辛い、英語ではハットhot、熱いという。日韓関係の友情がハットになるように希望する。

ナツメ

2012年09月20日 05時20分49秒 | エッセイ
 長かった残暑の夏も秋に変わりつつある。数年前宇部のある人からいただいたナツメの苗木に実が実っている。食べるほどの量ではなく、季節を図るような「測候器」のようなものである。日本ではナツメは稀であり、味を知る人も少ない。しかし韓国では民族的代表的な果実とも言えるほど一般的である。祭祀には主な供え物として陳列位置は位牌に向かって「紅東白西」(棗東栗西)の前列右側におくようになっている。結婚式の一連として行われる幣帛式つまり新郎の祖先と親に礼をする式では姑がナツメを嫁のチマに投げてあげて子宝に恵まれるように祈念する。漢方、参鶏湯などの料理などでも多様に使われており、韓国人の大好物である。中国旅行で私の視線を引くのはナツメである。
 ナツメは味も良いが種、木幹の堅さなどで比喩されることも多い。種は堅い。その種は食糧にはならない。韓国では人間の種「シ」という表現がある。シは現代語でいえば精子であろう。経済学者白南薫はシ(씨)を注入することをシップ씹(性交)といい、男が種、女は畑というように父系制を説明した。氏の説は否定されたりしたがこの説を私は祖先崇拝に関する著書などで支持して発展させた。ベランダのナツメを味わい、種の神秘さを吟味している。

2012/09/14「東洋経済日報」

2012年09月19日 06時13分22秒 | エッセイ
2012/09/14「東洋経済日報」

<随筆>◇大統領選挙の意味◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 私が09年2月27日に本欄に初めて書いたのがアメリカ「黒人​大統領」であった。オバマ大統領は就任演説で「なぜあらゆる人種​や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典の​ため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前には地元の食堂で食​事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も​神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのか」と​語った。
 そのオバマ大統領が再選のために9月7日、ノースカロライナで​行った指名受諾演説を聞いて再度書かせていただきたい。「前進(​Forward)」と書かれたピケットを持っている聴衆の前で先​に登壇していたミシェル夫人に迎えられて夫オバマ氏が登壇した。​彼は現職大統領でありながらも挑戦するように自身の政策と経済の​再建を訴えた。特に安全保障分
野では実績を強調した。しかし「簡単に実現できるものではない」​「何年もかかるだろう」としながら「チェンジ(変化)」のキャッ​チフレーズを「前進」に変え、「後戻りはしない」と言った。夢を​語るような名スピーチに歓声が上がった。演説の終わりには壇上に​家族などが登壇してハグや握手が延々と披露された。映画のような​舞台であった。
 日本の内閣制選挙と比べるまでもなくアメリカの選挙は派手に感​ずる。日本では大統領制になると政策選挙よりポピュリズム(人気​主義)になりやすくなるなど、人気タレントや俳優などによる政治​になるのではないかという懸念と憂いがある。しかしアメリカ大統​領選挙はそればかりではない。ポピュリズムと同時に政治政策、人​格、雄弁や外交、愛のパフォーマンスがある。選挙はマニフェスト​が全部ではない。理想的には品格、パフォーマンスなどにも強い人​など影響力を持つ人格者を選ぶのであろう。 
 12月には韓国でも大統領選挙が行われる。私は韓国の民主化過​程に生きてきた者として振り返ってその意味を考えてみたい。
韓国では大統領選挙はただ政権を選ぶというレベルをはるかに超え​ている。それは民主化運動の主軸的な原動力、民主化に最も重要な​「政治的祭り」であったからである。
 私の中学生時代に李承晩と対立候補の申翼熙氏が漢江の白い砂の​浜辺で百万人の前で演説し、すごい人気であったが急病で死亡した​ことに私は絶望し、大学生時代には李大統領の長期執権に抗議する​デモに参加した。学生デモによって政権が倒れて大混乱な時、私は​民主化定着のために大学支援の民衆啓蒙隊にも参加した。
 軍事クーデタが起きた。その日、私は東大門前の戦車と銃剣を持​った軍人たちを見て失望し、唖然とした。大学は長く閉鎖された。​軍事政権下の選挙では対立候補が勝つことはあり得なかったが、大​統領選挙は民主主義の波を広げる唯一の希望であった。選挙は民主​化の柱であり、韓国はそれを通して民主化と近代化が成し遂げられ​てきたのである。このもう一つの韓流が隣国、そしてアジアに広く​広がることを期待する。

9.18

2012年09月19日 04時20分49秒 | エッセイ
中国では反日デモが暴動化して「宣戦」「開戦」と叫んでいるという。そんな中、昨日は1931年9月18日柳条湖事件の記念日に重なった。が、私には1950年の9月18日ソウル修復の日として忘れない記念日である。その晩わが家の板の間では近い親族が集まって新しく収穫した青豆の皮をむく手作業をしながら金日成より李承晩の方がよいだろうと話していたとき、ソウルの方で砲声と明るさで異変を感じた。それがマッカーサー元首の仁川作戦の成功の夜であった。そしてその後わが村が3か月ぶりに北朝鮮の支配から解放されたのである。
 戦争の傷は私の骨まで深く浸みついている。しかし年を重ねた今では子供時の記憶や体験として残っている。特に辛さは大分忘れ去られていることに気が付く。つまり悪い部分が希釈化されている。満州事変も歴史の中に希釈化されたと思ったら今中国で関東軍の蛮行が蘇って争点とされている。日本の読者は古い歴史を忘れてほしいと思うかもしれない。しかしながら日本では被害の部分、たとえば原爆、拉致などの問題が強調され、強固な対策が続けられている。
 人に寛容を求めながら自分は不寛容であることは凡人の事ではあるが、国家レベルになると凡人以下のものになる。正義を神に求めるその心が理解できる。

魚はかわいそう

2012年09月18日 05時00分44秒 | エッセイ
 昨日は敬老の日、台風16号、中国の反日デモなど話題が多いが、長門市出身の童謡詩人、金子みすゞ(1903~30)の生涯をたどる展覧会についてふれたい。下関に住むようになってから日常的にこの詩人の名前を耳にすることが多くなった。街の中にも写真や詩がかべなどに掛けられている。私は田舎の出身者を以て無理に村おこしをしていると誤解した。郷土を理解するために長門の記念館を観覧した。魚、小鳥などを以て子供の心を謡った詩人であり、田舎での普遍的な詩人であることを感じ、私も引っ張れていったのである。「没後80年金子みすゞ展」(毎日新聞社主催)を下関大丸で観覧した。

海の魚はかわいそう。

    お米は人につくられる、
    牛は牧場で飼われてる、
    鯉もお池で麩(ふ)を貰(もら)う。

    けれども海のお魚は
    なんにも世話にならないし
    いたずら一つしないのに
    こうして私に食べられる。

    ほんとに魚はかわいそう。

 彼女の詩には汚染されない海、無辜な魚が人に食べられるかわいそうという清かな童心がある。私の子供時代農村では蛇や蛙、虫などを平気で殺した。しかし蛙の生態などを勉強し、場を見学してショック、愛犬を飼っているうちに心が弱くなかったのか、魚を釣る人にも違和感を感ずるようになった。これは遅すぎた童心であろうか。童心が汚染されていくのが一般的と言えば私は逆ではないのか。高齢と童心の共有の心、これも普遍的な心理ではないだろうか。