大学で小人数のクラスで講義をすることも多くなった。数人の教員が合同で担当する科目の講義は朝早い時間であった。私は教室に20分前に行って準備をした。デジタルカメラ、海外用の差し込み、スチル写真カメラ、テープレコーダー、ディスケット、ライト、機内持ち込み用の鞄、ノート、コードなどを展示し、コンピューターにプロジェックターをつなげ、スクリーンに画像を写し出しながら時間いっぱい楽しく講義をした。最後まで聞き手は一人で2年生であった。一人の時にはもっと誠意を持って講義すべきだという信条からである。韓国でデモが多い時代に学生たちが講義をサボることが多かったことを思い出す。百数十人対象の講義であるがデモに出て講義をさぼり、一人の学生だけが出席した。私は彼のためにより誠意を持って講義をした。
いま日本では小人数講義は経営の面からは難しい事情かもしれないが教育としては決して悪くない。私は少子化を肯定的に政策をとることも必要であると思う。スウェーデンやノルウェイを訪ねて安定した社会を感じたことがある。しかし大学に学生が少ないことはさびしい。大学をユニバシティuniversityというはつまりユニバース(宇宙)であるという意味から考えてもよりオプーンして留学生などもどんどん受け入れる態勢をとるべきであろう。
いま日本では小人数講義は経営の面からは難しい事情かもしれないが教育としては決して悪くない。私は少子化を肯定的に政策をとることも必要であると思う。スウェーデンやノルウェイを訪ねて安定した社会を感じたことがある。しかし大学に学生が少ないことはさびしい。大学をユニバシティuniversityというはつまりユニバース(宇宙)であるという意味から考えてもよりオプーンして留学生などもどんどん受け入れる態勢をとるべきであろう。