崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

30年ぶりに電話

2006年06月30日 05時54分46秒 | エッセイ
 30年ほど前に私が韓国の大学に赴任したとき、現在在日民団の論説委員長をしている金淳泰氏は当地ある新聞社の論説委員をしていた。彼は日本で生まれて戦後韓国に引揚た方である。当時、彼は大学では非常勤もしており、そこで私たちは知り合った。時々独裁政権に対する不満を出し合ったことを覚えている。彼も私も波乱万丈のそれぞれの道を歩んで二人とも今は日本に住んでいる。彼が日本に住んでいることを耳にし、電話番号を探して電話をしてみた。本当に久しぶりに話が出来てうれしかった。お互いに、現在を知らないで昔の顔を思い出して昔話をした。懐かしい昔話が延々と続いた。韓国で28年ぶりに南北の母子の再会を思い重ねてみる。その会えなかった時間は断絶ではなく、空洞であった。そしてその関係はすぐつながって、もっと質の高い関係に回復するであろう。私たちの関係はすぐに回復したのである。

悪政

2006年06月29日 06時13分00秒 | エッセイ
 いわば横田めぐみ事件と直結する母子再会が昨日金剛山ホテルで行われた。悲劇から喜劇への瞬間であった。親子の再会の映像を私は純粋に愛情として見て感動した。しかし重なって送られた解説には北朝鮮の政策と謀略などのことばが加わっていた。生死も分からなかった子供に本当に会えた瞬間の喜びを含むいろいろな思いで本当に涙なくして表現できない姿である。 戦争などの時代的喜劇は実は数人の指導者や政治家によるものである。しかしそれは天災のような悪運と思われる傾向がある。恨みは個人と個人の関係でより強く感じる。横田事件は国家間の関係になっているが実は「金正日への恨み」として大きく問題になっている。戦争や植民地などに埋没された悲劇は多くある。そもそも悲劇の主役は政治家、指導者による悪政であることを認識しなければならない。

犬介護

2006年06月28日 06時08分27秒 | エッセイ
 私は匂いには敏感で魚を焼く匂いにもほぼ我慢できないような者である。しかし犬の匂いにはよく我慢する自分を考えると不思議な感じがする。最近19歳の誕生日を越えたので数え年で20歳の高齢の愛犬ミミが足腰に力が入らず、立ってもよろめくだけで散歩もできず、よく守ってきたトイレ習慣も守れず、悪臭が大変である。しかしわが夫婦はおしっこや便が出ただけで喜び、悪臭にも我慢できる。いわば老犬介護に全力を尽くしている。これが愛情かなと思っている。

老人天国の韓国

2006年06月27日 06時55分43秒 | エッセイ
 韓国から訪問してきた76歳の姉が韓国へ帰国の時、韓国に着いたら他人でも若者が手伝ってくれるから心配ないという。荷物も代わりに持ってくれるし、必要であれば携帯電話で電話もしてくれるからという。私は思い出す。ソウルの電車の中で私の靴の紐が解けているを見た反対側に座っていた30代の女性が私に紐を結んでくれるというので驚いた。韓国で育った者とはいえ、日本の習慣に慣れてしまったのである。日本では老人に対するこのような配慮はない。老人にお世話することは老人差別とはいえない。誰でも例外なく、老人になるからである。老人を差別するか大事にするかは自分自身をどう扱うかであることを考えなければならない。日本の若者も必ず老人になることを意識して欲しい。

民団と朝総連の和解の取り消し

2006年06月26日 07時16分27秒 | エッセイ
 民団と朝総連の和解が取り消しになったというニュースを聞いてまた絶望た。団長の選挙の過程の問題とか地方政治参加などの政策の対立などの問題で難しいことを乗り越えて、時代に乗り決定して日本人に注目されたのが何週間前のことである。二つの団体は民族の親睦は図ることが出来ず、あくまでも朝鮮半島の分断に因んだ政治団体であることが再確認された。残念なことである。この二つの団体は小規模の親睦団体から成長していくのが望ましい。この時代に不和と敵対は絶対にふさわしくない。

6.25動乱

2006年06月25日 06時10分09秒 | エッセイ
 今日は6月25日日曜日1950年「6.25動乱」の記念日である。38度線に近いところで生まれ育った私はその日、国軍部隊の訓練を見るために行こうとしていた。特に将校たちが馬に乗っているカッコウを見たかった。しかしその日は、北から南へ鉄砲の弾が飛んだ。今まで聞いたことのない轟音であった。その日から歩いて避難生活40日間、朝鮮民主主義占領期間、中国軍の時期、米軍占領の繰り返される交戦の最中で生き残ったことに感謝する。今ソウルから姉が訪ねてきている。戦争を思い出して話をしている時に北朝鮮のデポドンの話がラジオから流れた。悲しくなった。そして心から憤慨している。

カラオケ

2006年06月24日 08時57分58秒 | エッセイ
 「韓流」が話題になっているが早くから日本文化は韓国へ浸透した。アニメーション、漫画などは圧倒的な影響力を持っている。電気炊飯器も日本発明で韓国へ影響したものであるが、もう一つカラオケは1970年代の初め頃、井上大佑氏によって発明されて世界化しているものである。英語や中国語、ロシア語ではそのままの発音でkaraokeなどとなっているが韓国では日本語を避けてノレバン노래방という。北朝鮮でも見かけた。一人の発明者によって世界の人が楽しんでいる。国際化が隅々まで進行している事を実感している。

ブラジルとのゲーム

2006年06月23日 06時21分29秒 | エッセイ
 早朝4時からブラジルとのゲームを見た。こんなことは生まれて初めてのことである。実に面白い。反則も少なく、すばらしいチームワーク、シュートに感動した。心の中では若干、日本側に応援していたがブラジルにも応援した。
 熱心に試合を見るようになったということは、スポーツに強い大学にいて自然に試合に関心を持つようになっていくことであるが、私にとっては大変な変化である。今までは韓国で、そして北朝鮮のスポーツナショナリズムに関して否定的であって、スポーツにもかなり否定的な見方をした。しかし、昨日一年生の南昌樹君と議論した。彼は論理的にスポーツによる国際化を主張した。彼の健全なしっかりした意見を聞いてすごく勉強になった。このように私も学生と共に成長していくのだ。

タワーのライト節電

2006年06月22日 05時59分49秒 | エッセイ
 下関駅前の海峡メッセのタワーのライトは夜景をよりきれいにしている。色の組み合わせがとても美しく、楽しい。しかし、ある夜にいつものようにタワーを見るとライトアップされていなかった。国際港の下関港にも展示している写真にライトもなく暗い。過去にぎやかな町が縮小していくことの象徴的なことである。町には締めた店が多く目立つ。あちこちで賃金が削減される。そろそろおしまいのような雰囲気が造成されている。これは悪循環を招く。豊かな国に住んでいるという意識ではなく危機感さえ感ずる。数年前北朝鮮平壌の高層ビルの屋上から見下ろしてみて白熱灯が数か所しかなく、真っ暗な夜景をみて失望したことを思い出す。下関のきれいなタワーのライトの夜景も街角のネオンもそろそろ消えていき、北朝鮮の夜景に似ていくような失望感を感ずる。指導者はいつも市民に希望と夢を持たせるように努力して欲しい。そんな前向きのすばらしい指導者が欲しい。

朝鮮戦争

2006年06月21日 05時37分29秒 | エッセイ
 6月25日が朝鮮戦争勃発の記念日である。朝鮮半島にとって大きい悲劇の戦争であった。私にとって朝鮮戦争は辛い経験であった。交戦の最中に軍人が狂乱することを観察した。しかし10才ころの子供であった私には戦争は怖いものだけではなかった。すばらしい景観が展開するアクションとスリルのパノラマであった。戦争にはゲーム、遊びなども含まれている。遊び好きの人間が戦争するのではないだろうかと思うようになった。われわれの心には遊び心がある。その中には危険性も含まれていることに気をつけるべきである。

日本人の挨拶

2006年06月20日 05時33分43秒 | エッセイ
 日本文化論の講義で挨拶に関してグループディスカッションをさせてみた。私は子供の時から日本人は挨拶をよくすると聞いたが実際日本に来て日本人は挨拶を良くしないという印象を持っているという発言をした。しかしグループごとに行った意見の共通点は第三者には挨拶をしないように見えても実は挨拶をしているという。ただ挨拶の方法が変わっているだけだということである。韓国の民謡にも「恋人に挨拶をすることが恥ずかしてだだ微笑する」という歌詞もある。

二重の嬉しさ

2006年06月18日 21時05分04秒 | エッセイ
 ある人がサッカーの試合で日本が負けたことが一番嬉しく、また韓国が勝ったことが嬉しいという二重の嬉しさを語った。それはただゲームの話だということで聞き流すことも出来るが、いくら考えても日本に住む韓国人の心を反映しているように感じてそのまま受けいれることは出来ない。愛の具体的なものを家族や民族におくことは出来るが民族を広げることによって普遍的なナショナリズムに繋がる。しかし民族主義を強めることはユダヤ人のような偏狭主義になるのではないかという憂いがある。

誕生日

2006年06月17日 22時25分16秒 | エッセイ
 毎年このころ誕生日という名目で卒業した元の学生たちが集まる。
ここ下関まで韓国や広島から来てくれた。沖縄からは花が届いた。韓国から数件の電話がきた。またメールも届いた。40年以上も教壇に立っていると卒業生といっても親族や家族のように感ずることも多い。しかし、その中には扱いに困った学生もいた。女子学生でストーカーのようにつきまとわれたこともあった。当時の学生や先生方のお陰で何とか切り抜けることが出来たが、今でも思い出すと本当に難しい学生であったこととあの時登場した方々に感謝の気持ちがわく。

嬉しい挨拶

2006年06月16日 06時16分44秒 | エッセイ
 子供のときから「日本人は礼儀が正しい」と聞いたが日本に来て「日本人は挨拶もしない」という印象を持っている。しかし最近学生たちから嬉しい挨拶を受けることが多い。昨日車を止めて挨拶をしていった女子学生がいた。キャンパスの中でも遠くからでも、スーパーマーケットなどでも学生たちと挨拶をかわすようになって嬉しく思う。日本社会全体が明るく映ってくる。経済的に豊かな日本が心も豊かな国になろうとしていると思うと胸がはずむ。

エレベーター事故

2006年06月15日 06時13分03秒 | エッセイ
 エレベーターに挟まれて死亡した事故があった。二十数年ほど前韓国でエレベーターのロープが切れて子供の頭がエレベーターの天井にぶつかって死亡した事故と似ている。私は時々エレベーターの中で手すりを握る。ヨーロッパなどではエレベーターの歴史は古く、古いものが未だに稼動している。しかし、エレベーターによるそれほど大きい事故のニュースは聞いていない。機械は便利であっても管理を大事にしないと危険であることを新たに感じた。