20日以上続く風邪で前夜まで講演は無理かなと思ったが、多くの人に迷惑をかけてはいけないと思い、頑張って終えた。朝から直前までパワーポイントを準備したが講演では画像を全部使わず主に話を中心に進行した。それは若者たちの画像説明式の発表とは異なるものである。あくまでも画像などは演者の補助的なものであるという講義の形式である。私の焼肉へ思想のようなもの浮き彫りにしようとした。
日本の焼き肉は在日韓国朝鮮人によって牛の内臓食から始まり、広められたという起源論と、西洋人の食べ方とが混合されたものであろう。韓国の牛肉文化は遊牧民族文化からの影響であり、牛のすべてを食べるような食べ方の中からほんの一部が日本の焼肉方式として愛用されているのである。焼き肉は在日朝鮮人が祖国の文化を売るものであり、アイデンティティでもある。日本人の味への開放性と朝鮮人の閉鎖性がはっきりしている。
犬肉の食文化への質問をはじめ多くの質問紙が集まった。近いうちに本欄を通して答えたい。司会、案内、参加者たちに深く感謝を申し上げる。
日本の焼き肉は在日韓国朝鮮人によって牛の内臓食から始まり、広められたという起源論と、西洋人の食べ方とが混合されたものであろう。韓国の牛肉文化は遊牧民族文化からの影響であり、牛のすべてを食べるような食べ方の中からほんの一部が日本の焼肉方式として愛用されているのである。焼き肉は在日朝鮮人が祖国の文化を売るものであり、アイデンティティでもある。日本人の味への開放性と朝鮮人の閉鎖性がはっきりしている。
犬肉の食文化への質問をはじめ多くの質問紙が集まった。近いうちに本欄を通して答えたい。司会、案内、参加者たちに深く感謝を申し上げる。
教えていただきたいのですが、日本における焼き肉文化の発祥にふれられていますが、いつ頃の話でございますか?
奈良の談山神社の絵巻物野中で、貴族が牛を引く場面をみました。また書物などでは牛解の話などにも触れられた物も多いように思います。南の島では儀式や祭りの後に四つ足動物を捨てるところなく使っていたなどと言われていますが、こちらは韓国などの影響が大きいように感じます。
先生のおっしゃっております「牛のすべてを食べるような食べ方の中からほんの一部が日本の焼肉方式として愛用されているのである」と言う部分が私似はわかりにくいので時代背景などをお教えくださいますれば、うれしいです。
できることなら、いつかは先生の講義を聴いてみたいと楽しみにしています。
お体ご自愛の上、御研究に励まれてくださいませ。
江戸時代既に「ももんじ屋」と言われる牛肉や豚肉を食べさせたり売ったりする店があったと聞いておりますし、明治時代流行ったすき焼きも、1643年刊行の料理物語と言う書物に出てくる魚介類と野菜の味噌煮「杉やき」や1801年刊行の「料理早指南」で紹介された鳥類・魚介類の焼肉の「鋤やき」の鳥類や魚介類が牛肉に変わったものだと言われており、すき焼きに使われるような薄くスライスされた牛肉を金網や鉄板で焼き、客が調理する料理を日本の焼き肉だと思っておりました。
教授はリレーエッセイにて焼肉文化を日本に持ち込んだのは在日韓国人だと書かれていますが、ではどの時代に持ち込んだのでしょうか。
私の研究は明治以後、特に日本に朝鮮人労働者が多くなった1920年代以来のことです。それは拙著『韓国民俗への招待』に詳細に触れております。読んでいただければ幸いです。
私は給料を目指しておりません。同じ公開講座で京都では高く(?)いただいても、ここの「下関学」では一銭ももらえず資料さえ無料で提供したのです。人を傷つける無名のネチゾンがどのくらいいるかはその国の国民レベルがチェックされることを考えて書いてください。
早速のご返答を頂戴し、ありがとうございます。早速『韓国民俗への招待』を楽しませていただきます。きっかけをくださいまして、ありがとうございました。感謝申し上げます。
私はまだ民俗学などに関心を持って日が浅いため、このような失礼な質問をしてしまいました。ピントのはずれたコメントを入れてしまいましたようで、申し訳ございませんでした。また、誤字等、お詫び申し上げます。
黒羊様のように身元を明かさず、失礼いたしました。私は以前から先生のブログをリンクさせていただいております。承諾なしに申し訳ございません。無力な一主婦ですが、近日中にハンドルネームだけでもお伝えする所存です。
先生、これからもこのページを楽しみにしております。益々のご活躍を楽しみにいたしております。
ありがとうございました。