昨日の日本文化論の講義では京都の研究会で聞いて議論した「褌」、さるまた、パンツを話題にした。写真や留学生の話からベトナムでもあることを確認した。褌は南方文化圏に存在するがそれが日本精神の象徴的な文化とは必ずしも一致するものとは言えない。夜、広域下関日韓親善協会の年会では木下と犀潭の両氏により壇ノ浦合戦の「安徳帝:二位の尼」が祝吟された。日本の口碑文学の多様性を感ずる。会では私の顔見知りや知人、友人が多く楽しかった。私が忙しく仕事をすることに関して健康を心配して下さる人が多かった。通り道によったくまざわ書店の店頭には拙著『米軍慰安婦の真実』が10冊ほど縦積みになっていた。嬉しい。今朝のネットでアマゾンを開くとベストセラーのマークが付いている。ただ感謝するばかりである。
昨日から新著『米軍慰安婦の真実』が販売される。読書会にはメンバー外に4人の方が来られた。新著出版を祝って下さりながら本の題や表紙装丁などから「新著」というイメージが弱いという。しかし慰安婦に関する上下巻のようなものとなっている。新著のイメージは弱くても慰安婦問題を総合的に理解するには役に立つかと思う。下記(写真)のように今朝の山口新聞のコラム四季風で佐々木正一氏が紹介している。本著に最初の紹介、嬉しい。深夜にはロシアワールドカップのポーランドとの競技を観戦した。反則などを生かしながらも激しく対戦するサッカーの面白さを一気に失った。囲碁対局のようなスポーツ対戦に失望した。反則ポイントなどの判定で負けても決勝戦には出場できるという作戦、時間稼ぎのボール回し、敗退の勝利宣言(?)のようになった。とても残念であった。
お知らせである。2018 年第7回 「楽しい韓国文化論」は次の予定で行う。
- 孔淑子(下関韓国教育院院長)「観光の仁川」(9月 22 日)
- 小川裕司(写真家)「レンズから見る韓国」(9 月 29 日)
- 朴仙容(在日作家)「韓国食品の開発」(10 月 6 日)
- 白川豊(九州産業大学教授)「韓国の文学・文化」(10 月 13 日)
- 崔吉城(東亜大学教授)「板門店」(10 月 20 日)
ある怪死事件が気になる。特に自宅死においての問題点である。私も自宅死を希望するがあえて家内に迷惑かけるのではないか。私だけではなく、多くの人は自宅死を希望するので考えてみたい。先月亡くなった富豪の野崎幸助氏の新妻が疑われている。体内から致死量の覚醒剤が検出されたからである。メディアは探偵物語りに偏っているが私は別の意味で注目している。成金などで一攫千金、金持ちになった人はどんな人生をおくるのだろう。野崎さんはドンファンになった。お金を以て何をするのか。ある人は権力を持つためにお金を使う。お金と権力があればどうする。楽しみ、快楽に人生観が偏る。お金で滅びる。人は楽しみを多様化すべきである。楽しみを一つにするのはスポーツ、芸術などに多くあるが、楽しみをより広げるのが良さそうである。
어떤 괴사사건이 신경 쓰인다.특히 나에게는 자택사에 관한 것으로 주목된다. 그런데 자택사가 아내에게 폐를 끼치는 것이 아닐까 하는 곤란한 점이 있다. 나뿐만 아니라 많은 사람들에게 공통된 문제이다. 지난 달 숨진 노자키씨에 대해 연일 보도되고 있다. 체내에서 각성제가 발견되었기 때문이다. 미디어는 탐정이야기에만 치우쳐 있지만 나는 다르다. 일확천금의 졸부의 말로를 보여주기 때문이다. 노자키는 돈판이되었다. 돈으로 무엇을 하는가? 돈과 권력이 있으면 어떻게 할 것인가. 결국 돈으로 망한다. 그것을 보여준다. 즐거움 행복도 다양화 해야 한다. 스포츠, 예술 등 하나에만 집중하는 것이 아니라 재미를 다양화해야 좋을 것이다. *写真https://matome.naver.jp/odai/2152731116152098001/2...
7月の東京と沖縄、8月初めのベトナムなどの旅行スケージュルが楽しい。しかしベトナムとオーストラリアは飛行時間が長く負担があるので、ベトナムへの招待に応じず失礼していたが再び誘われて帰国が深夜便でもあり負担はあるが行くことにした。ワンアジア財団の年会である。佐藤理事長や鄭俊坤博士、多くの懐かしい方々と談笑出きることになった。ベトナムハノイは1990年代に科研調査で行き、シンポジウム、シャーマン儀礼の現地調査、戦争地のランソンに宿泊、徒歩で国境を越えて中国へ行った経験がある。先日当時記録撮影した映像をベトナムの留学生たちに見せ、大きく変わったといわれた。私の目でその変化を見たい。
*参照:東アジア農村祭祀の比較研究(1994–1996、代表諏訪春雄、依田千百子,崔 吉城、黄強,川村湊 )
平成6、7、8年の三年間調査研究、中国本土・台湾、青森県の地蔵会、九州の盆行事、韓国江陵の端午祭、韓国珍島の死者儀礼、中国湖南、湖北、広西チワン族、江蘇、浙江、雲南、上海、北京、河北、黒竜、吉林、内蒙古などの各地域のシャーマン、ベトナムの母道などの調査。
森の中を散策した。コンビニを探した。道を聞き、信号を越え、ロータリーまで行った。朝食用のものを入れたビニール袋を持って宿所に戻った。自然環境の良いところは不便な所。人間は便利さのために文化を発展させてきたのである。その利便さが研究には邪魔になると言う人もいる。日文研は世俗とは離れ、研究中心のために森の中に建てて30年が過ぎた。最新施設として建てたのにそのままのようで、不便さは変わらないが何より研究活動はどうであろう。昨日の風俗史の研究会でオンドルとカフェについて発表と討論が行われた。私の関心、研究ともかかわるので多く発言した。日曜日、昼食も粗末、新幹線は超満員、車内で居眠りができない私は帰路にも疲れて帰宅。深夜のFIFAサッカー観戦、疲れの高調の日であった。
写真:今日は朝鮮戦争記念日、『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』(ハート出版、2018.6.28)
昨日昼ころ京都は激しい雨だった。市内から大部離れた山の麓、懐かしい国際日本文化研究センター。2年間の共同研究「近代東アジアの風俗史」が始まった。メンバーはほぼ顔見知りではなく、研究分野や研究業績も知らない、新しい顔ぶれ、新鮮であった。研究代表の井上章一氏から「日本近代服装史のあまり語られてこなかった裏話:褌の日本」が写真の絵解き式で話が始まった。面白く目が離されない。日本人の日本文化の核の褌がパンツ化される、いわば近代化の話である。植民地時代に朝鮮青年も使用したということは初めて知った。日本文化の象徴的なもので、朝鮮では褌と下駄が日本人の悪印象の代表的なものであった。韓国人には褌は裸体の恥と思われた。私は水着の映像には注目したことがあるが褌には気が付かなかった。これからどんな話が展開されるか、興味しんしんである。*写真は懇親会
今日は久しぶりに京都へ。この間地震があった大阪を通り過ぎる。国際日本文化研究センター。初代所長から今に至るまで知り合いの縁がある。しかし最近は縁が遠くなり疎遠であったが面識のない井上章一教授から誘いがあって研究会に参加することになった。井上氏は著名な風俗研究者である。ホームページの動画を見た。「学問に流行がある」という。頭が打たれた感がする。私は世俗的な流行に抵抗しながら学問の道を歩んできたようであるが、実は私自身も「流行」に乗ってきた感がする。ヘアスタイル、服装を研究する方もそうであるが私の研究も流行に変わってきた。国文学、心理学、民俗学、文化人類学、シャーマニズム研究から植民地、戦争と性(*写真『性愛と恋愛』早稲田大学出版部2012)などと変わってきた。『慰安婦の真実』もその一つである。私も学問の流行にのってきた。研究会を楽しみ、出発する。
『性愛と恋愛』の目次
『源氏物語』における恋愛・性愛・・河添房江
フランスの恋愛思想・・・棚沢直子
韓国における性と恋愛・・・崔吉城
家庭の<性生活>の創出・・川村邦光
「過剰なる性」の誤解・・・棚橋訓
恋愛という文化/性欲という文化・・赤川学
近代的恋愛の不安定性・・・山田昌弘
三日後の25日は朝鮮戦争の68年目の記念日、それに合わせたように私の新著『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』が届いた。朝鮮戦争の体験をめぐる自叙伝的な本である。戦争の中で「楽しい、怖い」が描かれている。読者には失礼かもしれないがそれが実情であった。私事のようなもので戦争の中、村から国家まで、否国際関係へ触れた。本の裏表紙には<『韓国の貞操ナショナリズム』の本質に迫り、それを警告したかった>と記されている。読者のご感想やご批判を待つ。
ある年下同僚の話。彼は非常に事務的な人というイメージが強い。しかし、彼は何も言わず私の講義の機材を用意していることに気が付いた。そのご配慮に感謝している。このような配慮は他の人からも受けているのではないだろうか。友人、知人、学生、読者…多くの方々のご配慮によってよい人間関係が生じている。社会も配慮から福祉制度となり、幸福になる。そんな行動ができる人に、積極的に協力していきたい。
姉を見送りに下関港へ、韓国人観光客300余名、日本人のような人は見当たらない。50代以下、女性と子供が多い。60代初老の男性は言う。韓国で一番安い海外旅行、ツアーに食事代も含まれず船上の食堂は営業ができない。彼は大工さんで日本旅行は初めて、たくさん観光したが、どこに行ったかはわからない。ただ日本は奇麗な環境、秩序がきちんと守れる国、よく見習って帰るという。二泊三日の姉は、私より10才ほど上、また来れるか、涙汲んで去っていった。淋しい。
商品の説明
内容紹介
前著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』が「第五回 国基研 日本研究特別賞」を受賞!
本書は、受賞後の第一弾
韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか。
その一部始終を見ていた少年がいた。
のちに学者となる彼の原点となった、
貧困と性暴力が交錯する朝鮮半島の現実とは―
慰安婦問題をことさらに騒ぎ立てることは
いつか韓国人に戻ってくるブーメランのようなものである。
韓国メディアから「親日派」と猛バッシングを受けた著者による
体験をもとにした赤裸々な告白。
本書で私は、朝鮮戦争の体験を語り、
『韓国の貞操ナショナリズム』の本質に迫り、それを警告したかった。 ―崔 吉城
韓国の建国精神として柱となる二つのイデオロギーは、反共と反日である。
政府は北朝鮮の挑発を理由に、愛国心による総和団結を呼びかけた。
それによって韓国の国民は、「反共」意識を強く持つようになった。
日本に対する従軍慰安婦問題が、全ての韓国人の貞操が日本人によって犯されたかのような
強い「反日」感情と結びつくのも、そうした流れの一つであろう。
つまり、貞操をナショナル・アイデンティティ(国民意識)の形成に利用したのである。(本文より)
今、韓国政府は慰安婦問題を、政治的・外交的カードとして頻繁に使っているが、これは決して良いこととは言えない。
こうした戦後の問題は他国だけの現象ではなく、歴史的に古くさかのぼる、韓国自身の問題だからである。(本文より)
本書は、平成二六年に当社から刊行された
『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』を
再構成の上、増補改訂したものです。
出版社からのコメント
「はじめに」より抜粋
今、日本と韓国とのあいだで、戦争中の性犯罪が問題とされている。
いわゆる「従軍慰安婦」をめぐる問題である。
そこでは、「強制連行」や「性奴隷」といった言葉が飛びかうが、この問題に関しては、
慰安婦をどのように「強制」したのか、その強制性に絞って議論すべきであろう。
つまり、強姦、人身売買、拉致、といったことが、慰安婦問題の核心なのである。
以下は、こうした慰安婦問題の動きを、年表にしたものである。
1982年9月 朝日新聞が吉田清治氏の講演を掲載
1983年7月 吉田清治著『私の戦争犯罪』(三一書房)出版
1990年11月 「挺対協」設立
1991年8月 朝日新聞の植村隆記者が「元慰安婦」の証言を公表
1992年1月 宮沢喜一首相が廬泰愚大統領に八回謝罪
1993年8月 河野洋平官房長官が「河野談話」を発表
1995年7月 日本政府が「女性のためのアジア平和国民基金」を設立
1996年6月 国連人権委員会で「慰安婦」の数を二〇万人とした「クマラスワミ報告」
1997年1月 金泳三大統領「アジア女性基金」に遺憾
2002年5月 「アジア女性基金」韓国国内での活動終了
2005年3月 廬武鉉大統領、三・一節の演説で「慰安婦問題」に言及
2007年3月 「アジア女性基金」解散
2011年8月 韓国憲法裁判所の判決「元慰安婦へ補償を」
2011年12月 「挺対協」が日本大使館前に慰安婦像を設置
2014年6月 日本政府が「河野談話作成過程」の検証結果を公表
2014年8月 朝日新聞が吉田清治氏に関する記事を取り消し
この年表を大学の講義で学生たちに見せたところ、韓国からの留学生たちが一斉に声を上げた。
彼らは、宮沢首相が廬泰愚大統領に八回も「謝罪」したことも、
河野官房長官が韓国に迷惑をかけたことを深くお詫びすると「謝罪」したことも、
全く知らなかったという。
だとすれば、日本国の総理大臣による八回もの謝罪は、いったい何だったのだろう。
慰安婦問題で韓国は、日本に謝罪を求め続けたいという気持ちが常にある。
これは、韓国政府やメディアにバイアス(偏り・傾向)があるということを意味する。
米国のトランプ大統領は、「フェイクニュース」と言い切って、
直接ツイッターなどで投稿するが、私には、その気持ちが十分に理解できる。
私は、一〇歳のころに朝鮮戦争の悲惨な状況を体験した。
そこでは国連軍兵士による性暴行があり、それを防ぐために売春婦たちが村にやってきた。
彼女たちは、いわば「韓国の米軍慰安婦」である。
私は、こうしたことについて深く考え、読者に向けて語りたいと思っている。
登録情報
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ただの話、物語り、対話、フリートーキングが長かった。姉と朝鮮戦争を語り合った。戦争の悲惨さ、生き残っただけ幸運であったと。当時のことは悲惨すぎ、恥ずかし過ぎの話のもあった。ただ戦争であって、生き残るため必死であった。売春婦なども倫理ではなく生きるためだった。生き残った慰安婦がそれを訴えるのは異様だと姉も言う。私は現在の村の状況には無知であり、その後の変化を伺った。世代が変わり親族関係は完全に壊れた。門中の共有山を管理すべき門中の代表の「宗孫」が私有化していたので争ったことがあった。彼は我が両親の墓、親族の墓を強制移転させようとしたことが禍になって苦しい生活をしていると聞いた。墓を動かし、「祟る」という「迷信」が「正信」となった。しかし今村人は土地を売り、貸すことにより成金で豊かになった。我が田んぼを買った隣家はそれを未だに稲作を続けているという。すこと何だか悲しい我が故郷である。
下記は数日前の東洋経済日報への連載のエッセーである。
食文化の日韓比較
ソウルから来る姉を迎えるために出かけた港の待合室では数人の知人と話し、下船して出人てきた元大学の教授夫婦から挨拶をされ、一瞬ン?と思ったが直ぐに思い出した。私の年齢や家族家族関係を詳しく語りだした。船の中で同室で私の姉と話をしたということで親しく感じた。プライベートを共有することは親しみを高める。昨日は私の誕生日6月17日はもともと陰暦でいうが、旧戸籍には8月10日、1938年生となっている。戸籍上名前、誕生年、月などが混在している。それを新著『朝鮮戦争から生まれた韓国慰安婦の真実』(ハート出版、2018.6.28)で78才か80才か説明した。一昨日には国家基本問題研究所から「日本研究特別賞」受賞を祝っていただいたが、続いて昨日は大勢の人から誕生日祝いをいただき、大変恐縮、感謝している。100数十人の投稿、リアクション、メール、電話、中には記念品(写真は林、中村)など、失礼ながらここにお礼の意を表したい。