中澤淳先生からご自分の最近の研究「山口大学医学部の源流~防長二州における医学教育~」を送っていただいた。萩と山口を中心とした地域の医学史に関する資料整理をした文である。日本は特に戦争期には地方においても医学教育に努力したことに驚かされた。一昨日ソウルで手術を受けた張竜傑氏によると韓国のソウルの医学は世界的な水準であるが、地方とは医療の格差、ソウルと地方の格差に驚いたと言っていた。
私が生まれ育ったところはソウルに近い農村であったが子供の時には医療は全くなかった。私の上の兄弟9人が死亡していることとそれと関連があると思う。そこでは病気に対処する方法は民間医療と民間信仰が主であった。特に伝染病は疫神によるものと思い巫俗儀礼を行っていた。先日医師の倉光氏が朝鮮総督府の資料を紹介した。1910年頃の日本統治時代に医療対策としてコレラなどの予防医療に対して済州島住民たちが病気は神様の業であり、医学的な治療による祟りが恐いと反対運動を起こした記事を読み昔を思い出した。
私の修士論文は天然痘疫神を祭る儀礼の分析「ソノリグッと巫歌:京畿道楊州地方を中心として農耕儀礼の一考察」として病気と文化に関するものであった。当時私は池錫永氏が日本から種痘法を学んで韓国に実施したことに注目して、金斗種氏の『朝鮮医学史』を読んだ。この巫俗儀礼は民間の医療現場を表すものであり、後に重要民俗文化財に指定するようにした(私が担当文化財専門委員)。現代医学は民間医療を完全に無用化したように発展しているが、まだ漢方や信仰(祈り)が生き続いている。それは生命が科学の対象でであっても、神秘的なものであるからであろう。
私が生まれ育ったところはソウルに近い農村であったが子供の時には医療は全くなかった。私の上の兄弟9人が死亡していることとそれと関連があると思う。そこでは病気に対処する方法は民間医療と民間信仰が主であった。特に伝染病は疫神によるものと思い巫俗儀礼を行っていた。先日医師の倉光氏が朝鮮総督府の資料を紹介した。1910年頃の日本統治時代に医療対策としてコレラなどの予防医療に対して済州島住民たちが病気は神様の業であり、医学的な治療による祟りが恐いと反対運動を起こした記事を読み昔を思い出した。
私の修士論文は天然痘疫神を祭る儀礼の分析「ソノリグッと巫歌:京畿道楊州地方を中心として農耕儀礼の一考察」として病気と文化に関するものであった。当時私は池錫永氏が日本から種痘法を学んで韓国に実施したことに注目して、金斗種氏の『朝鮮医学史』を読んだ。この巫俗儀礼は民間の医療現場を表すものであり、後に重要民俗文化財に指定するようにした(私が担当文化財専門委員)。現代医学は民間医療を完全に無用化したように発展しているが、まだ漢方や信仰(祈り)が生き続いている。それは生命が科学の対象でであっても、神秘的なものであるからであろう。