崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

英語実習

2015年09月30日 04時39分03秒 | 旅行
台北桃園空港の図書室の椅子で一夜を明かした。台風のためにフィリッピンからの帰路が足止めされて大変なことになった。しかし徹夜が常にある風景である、現代国際時代の新しい文化のようである。フィリッピン空港に比べてこの空港はスマートであり、はるかに施設も良い。しかし大勢の人で宿泊所を探せず若い人と同様に椅子でPCを膝の上において平然と書いている。家内がジャンバーを買ってくれたので寒くなく、過ごせている。
 ここの時間で6時出発の飛行機で帰国し、講義にはぎりぎり間に合いそうである。この度の調査旅行では植民地によって犠牲になったリサールに関するもの、後期植民地における植民地や戦争の遺産と国民の意識を知ることが主であった。それは所期の目的を達成したがもう一つは学生たちの英語実習国としてはどうか見て検討することであった。しかしフィリッピンでは英語実習はさせないほうが良いと判断した。なぜなら英語自体が現地のダガール語と混ざっていること、それより英語以外に言語生活、文化を学ぶには社会が発展していないことである。卒業して仕事をする目的で行くのはかまわないが、若い時の人生観や生活態度に強く影響する留学生活の体験地としては不適切であろうと思ったからである。私は言語留学として中国もふさわしくないと思う。不正などは学んで欲しくないからである。

敬老思想

2015年09月29日 23時04分48秒 | 旅行
今朝の話し、マニラ空港で飛行機が1時間遅れると聞いて台北で待つ時間が長いので気にせず聞き流したが、台北で一泊しなければならないと言われて私と家内の仕事が心配になった。大勢の人が待合室にて長く待っている中、税関関係員から優先的にあつかわれた。老人人口が少ない国であるからであろうか、敬老思想が高いのかと少し戸惑った。台北に着いたのは1時間半遅れて着いてトランスファーカウンターを探してぐるぐる回って明日の早朝6時発のボディングカードに変更、一人分の食事代が台湾のお金で250円以外にホテルなどは自分で探すこと、台風の自然災害によるものであり、当然と思ってホテルを探してもすべてが満杯、結局空港内で野宿(?)をするようになってしまった。その時いろいろ教えてくれる台湾人青年と中年の館内保護者運搬の車の女性運転手が私を特別老人扱いで家内と一緒に空港内用の車に乗せて休憩椅子、マッサージのところへ案内してくれた。今度の旅には老人は稀なことを考えて日本ではまだ老人と言う気勢を振る年でもないが、短命社会では老人が珍しいようである。敬老の記念日が過ぎて遅ればせながら敬老思想に恵まれたような気分である。 


植民地が作った英雄

2015年09月29日 04時06分06秒 | 旅行
マニラのリサール記念公園を見回した。公園中央にはホセ・リサールの記念碑の塔があってその下の周りには接近できず距離をおくようにして二人の武装警備員がゆっくりぐるぐる回っている。その横の森には1896年リサール悲劇的に銃殺された刑の執行所にブロンズ銅像でその状況を表象演出されている。すなわち銃殺される場面を再現したのである。その地下には彼の死体が安置されて、寝ているという。彼の最後のお別れの詩はスペイン語で刻まれている。
 <最後の訣別> (加瀬正治郎訳)
さようなら なつかしい祖国よ 大陽に抱かれた地よ
夏の海の真珠 失われたエデンの園よ!
いまわたしは喜んできみに捧げよう この衰えた生命の最もよいものを
いや 生命そのものをささげよう
さらに栄光と生気と祝福が待っているなら 何を惜しむことがあろう
戦場にあって はげしい闘いのさなかにあって
人々は生命をささげたのだ ためらい まどうこともなく
そこがいかなるところでも ―糸杉 月桂樹 白百合の生うるところ
断頭台も広野原も 格闘も殉教の苦しみも
それらはみな同じもの われらの家と祖国にささげられたもの
暁の光をのぞみ見て 私はいま死んでゆくのだ
ほのぐらい夜をつきぬけ 昼の光へ導くために
紅の色が乏しければ私の生命の血で染めよ
なつかしい祖国のために私の血はみな注ぎつくそう
黎明の光を
鮮血の色に染めるため
私は夢みた はじめて生命のひらかれたとき
私は夢みた 若き日の希望に胸の高鳴ったとき
おお 東の海の宝石よ きみの晴れやかな顔をみる日を
憂愁と悲しみよりとき放たれて
きみの顔にかげはなく きみの眼に涙のない日を
わが生涯の夢 わたしの中の燃ゆるねがいよ
すべて来れ! いま魂はとび去ろうとして叫ぶのだ
すべて来れ! そしてきみたちが消えゆくことは美しい
きみたちは消えてゆくことに憧れているにちがいない
そしてきみたちの永遠の永い夜の胸にいだかれてねむれ
いつの日か わたしの墓の上の草むらに
きみが一輪の花の咲いているのを見つけたら
唇におしあて私の魂に口づけしてくれ
地下の冷い私の額は
きみのやさしさ きみの暖かい呼吸の力を感じよう
柔かな月の光を私の上に注がしめよ
暁のきらめく光を私の上に輝かしめよ
悲しい風の嘆きのうたを私の上にうたわしめよ
私の墓の十字架の上に一羽の小鳥のくるのを見たら
平和のうたをうたわしめよ
大陽をして空に水蒸気を立上らしめよ
そして清らかな天に向かって私の反抗を立上らしめよ
だれか心やさしい人あらば 私の非業の運命を嘆いてくれ
そしてしずかな夕ぐれに祈りをあげてくれ
おお わが祖国よ 私が神に抱かれて休らうことのできるよう
不運の死をとげたすべての人のために祈ってくれ
かぎりない苦難をうけたあらゆる人のために祈ってくれ
不遇の悲しみに泣いた母たちのために
夫を失い 妻を失った人たちのために 拷問の試練にあう囚人のために
そしてまた救いをうるであろうきみたちのために
暗い夜のとばりが墓苑をつつむころ
死者のみひとりめざめているとき
私の休息 ふかい神秘を敗らないでくれ
そうすればきみはきっと悲しいうたの反響をきくだろう
それは私なのだ おお わが祖国よ きみにささげる私の歌なのだ
十字架も墓標もきえ去って
私の墓も忘れられるとき
鋤でならし 掘り返すにまかせよ
私の骨はふきちらされて消え去るまえに
きみの地上にしきつめられるだろう
そして忘却は 私を気にもとめないだろう
きみの谷間と平野の上を私がすぎゆくとき
きみの土地と大気を鼓動させ 清めながら
色彩と光 うたとなげきとともに私はゆく
私の抱いている忠誠をいつもくり返しながら
わが憧れの祖国よ おまえの悲しみが私の心を悲しませるのだ
愛するフィリピンよ きけ 私の最後の別れの挨拶を!
私はすべてをきみにささげる 両親も血族も友人も
私は圧制者の前にひざまづく奴隷のいないところにゆくのだ
そこでは信仰の名によって人を殺すこともなく 神がつねに高きところに
私の心から引きはなされたきみたち皆よ さようなら
家から引きはなされた幼なじみの友たちよ
私は感謝しよう ものうい日々から免れたことを!
さようなら 私の道をてらしてくれたやさしいひとよ
すべての愛するものたちよ さようなら! 死の休息が待っている
安らかに、神様が保護下は私の祖国イヤー夏海の進駐、読んでしまった楽園!
今私は私の色あせた人生を喜んであなたに捧げようと思う。
より明るくて新鮮な祝福だ。死体をここに移葬したことは最近という。常にナショナリズムによって、あるいは彼を死をナショナリズムに利用しても国民は民族主義になかなか乗ってくれないようである。
決して惜しむことでない。

 スペイン植民支配者たちは主にイントゥラム城内に居住して原住民たちがスペイン話を離せないようにし覚えると舌を切る重刑に処すると噂があるほど徹底したと言われる。つまり支配者と被支配者を分離隔離の政策をとったのである。スペインは刃物と十字架を持って強圧的であった。それにリサールが抵抗して犠牲となってのである。スペインは彼を育って英雄化し(スペインに留学して医者となる)、殺してフィリピンの民族英雄となった。つまりスペインは2回も彼を英雄化してあげたようである。フィリッピンは隅々まで銅像、記念碑、地名、図書、貨幣などあらゆる手段で彼を尊敬するか、民族主義に利用するか、している。しかし国民は良い政治をしてくれる人であれば国籍や民族を問わないようであるという。
 その後フィリピンはアメリカ、日本に替わりながら支配されてきた。スペインに対して反感を有していたがアメリカの親切な政策を歓迎した。今マニラ中心部の海岸には広く大きくアメリカ大使館が置かれている。英語を習うことになって今でもアメリカの政治に肯定的な態度を見せる。栄養不足、日焼けにより平均寿命62歳位、しかし国民の幸福度が高いと言う。

軍票

2015年09月28日 05時44分34秒 | 旅行
昨日は日曜日。先にイントラムロスの中にあるマニラ大聖堂の礼拝に参加した。聖堂はスペイン植民地時代の建物で第2次世界大戦に火災で消失して1950年代に再建したものである。300人余の信者がほぼ満席、礼拝は英語で進行された。左右両側のモニターに賛美歌の歌詞が映っている。聖書、賛美歌を持っている人はおらず神父の司祭で長く礼拝が進行した。信仰というよりはすでに慣習になっているように感じた。しかしカソリックはスペイン植民地が残した最も大きい遺産といえる。聖堂および住宅などの建物が残っている。カーサ マニラはスペイン植民地時代の家といっても1970年代に再建したものである。個人住宅などの建物が生活博物館になっている。風呂を兼備した西欧先進文化であった。比較的植民地当時の姿をそのまま大事に保管されいる建物は1604年建立の聖オウガスチン教会San Agustin Churchだ。これも地震と戦争の破壊の歴史を持っている。教会の前庭が死刑執行場所であったことは教会がどれくらい植民地暴圧政策の実権を行使したかが解る。円形鐘塔所蔵品は古色蒼然。撮影は禁止。物がどれくらい貴重かを強調するためのもののようであった。
 韓国の食堂が韓国語で看板をかけて営業しているのがしばしば目につく。私はユッケジャンと冷麺を注文、美味しい。そばのテーブルの韓国人のお客さんが大声で現地人従業員に悪口をあびせているのはとても残念だった。こちらでは日本人と韓国人に対する感情を案内者に尋ねた。日本人に対する感情は韓国人に比べてとても良い。日本に侵略されたことに対することより韓国人を嫌うということは何を意味するのだろうか。植民地の歴史自体ではなく、人と人の信頼関係などが選好度を左右するということではないかという。
 引き続きイントラロス旧刑務所を散策してリサール記念館に行った。彼が刑務所から出て死刑執行所に出て行くところを足跡に残してある。、多くの大小のリサールの銅像等を見て記念館に入った。過度に暗い。実体を確認することさえ難しい。映像の鑑賞した。骨董商店に寄り本を数冊購入、ロビンソンデパートRobinson CommercialでDVDを購入した。私は気力をほとんど失ってアイスクリームを食べてしばらく休息して、3階で骨董品店に入った。日本のもの、軍人が使用したものなどが展示されており、軍票があったらいいのにと思っているとき家内がそれを発見した。日本が戦争期間中に発行した紙幣。 <日華事変(中日戦争)軍票百円1944年未使用>。直ちに購入した。風が激しく吹いて急いでホテルに入ったとたん、すぐ大雨になり30分余豪雨、こちらのスコールだ。

天と地の貧富の格差

2015年09月27日 05時45分48秒 | 旅行
 昨日(2015年9月26日)マニラに着いた。福岡から台北まで2時間、2時間待機、マニラまで2時間、1時間遅れの7時間後に前回案内してくれたキム氏と4年ぶり再会した。韓国から崔さんの電話も受けた。マニラ空港の混雑を予想したが、空港は以前よりとてもきれいになっていて入管審査も早く挨拶をするなど大きく発展した。フィリピンも発展したように感じた。キム氏ははフィリピンで20余年間仕事をしており、今は食堂など8個の店舗を持つ社長となっている。しかし町の風景は相変らず貧困を免れなれないように見える。彼にフィリピンの発展の展望を尋ねるとすぐに発展の兆しはほとんど見られないという。経済自体よりも政治家たちの親戚などの不正などが民主化の道を遮って、効果的な政治は出来ていないためだという。アキノ氏の民主化は生かされていない。私は冗談っぽくアメリカの植民地としてそのまま残っていた方が良かったのではないかと言葉を投げた。この半分冗談に彼は真剣に大賛成で本当にそう思っている人も多いようである。政治家の民族所属が問題でなく、とにかく良い政治をする能力が注視されるということである。
本日からスペイン植民地によって処刑された非命の犠牲者リサールに関する追跡調査となる。昨日、到着して夕方に夜道を散歩を兼ねてホテルの外に出て見ると目の前に古物のような車の紐帯と貧困が敷かれている。もの乞いをする子供、大人、貧困が目の前に展開されている。ホテルに入る時のボディチェックは以前のように厳しくない。ホテルは別世界である。エレベーターで会った身長の高い白い服装の人はドバイから来たと言うので金持ちの国から来られましたねと冗談を言ったら彼は笑顔で世界で一番金持ちの国ではないかと応えた。6階の大型ホールで大型スクリーン、5~60個のラウンドテーブルを囲んでの豪華な結婚披露宴の準備を行っている。私は了解のうえ数枚シャッターを押した。ホテルの内外の途方もない対照は何を意味するのか。それはどの社会でもありうる現象とは違う。天と地の貧富の格差をどう見るべきか。リサールやアキノの犠牲の歴史は何だったであろうか。

マニラへ向かう

2015年09月26日 04時05分22秒 | 旅行
まだ遠いと思った日程が近づいた。遠く思ったが近くなり、無関心から関心へ、人間関係の遠近も感じている。今日は韓国の2大名節の一つの秋夕である。これからマニラへ向かう。執筆中にリサールへの追跡調査、スペイン植民地に処刑されたリサールについて2度目の調査になる。偶然私のプランが秋夕と重なった。韓国から私のスケジュールを知っている知人の崔氏がマニラの彼の知人に連絡して空港へ迎えにきて、滞在期間すべての面倒を見てくれると数回電話が来た。韓国からの旅行者が多く、マニラ空港の混雑が予想されると言う。彼は私に「高齢者である」ことを意識して注意を十分払うように細かく言ってくれた。感謝である。その直後宇部の教え子から秋夕のあいさつの電話を受けた。お土産を送ったと言う。留守中に届くことになり、留守番の方によく頼んでおいた。彼女の声は懐かしく、嬉しかった。秋夕の気分が湧いてきた。人との絆、縁など付き合いを思い起こすなど「休日」の意味を吟味するようになった。お世話をしてくれる方、音信、贈り物など恐縮、感謝の日々である。
*写真は2011年2月のマニラ訪問時

EU難民

2015年09月25日 05時01分20秒 | 旅行
 昨日の講義で前日のブログ・FBの文を大型スクリーンに移しながら説明した。社会のリズムやファッションに乗らず自分のリズムという個人主義を説明したがなかなか理解賛同してもらえなかった。意外に同僚の金田晉先生から「連休批判、面白く読みました。」「連休中<私private>だけの旅をまんきつしてきました。浮世絵展もおもしろかったです。これから秋学期、頑張ってください。」というコメントが届いた。彼は美術が専門、私には哲学者のように感ずる。経営にも卓越、プラトンが言ったように哲学者が政治をすべきという金言にあたる方である。私を現職に引っ張ってくださり、同僚にしていただいたこと感謝している。
 昨日講義のもう一つのテーマは「難民」問題であった。EUは今シリア難民により大変困惑している。難民発生の原因はシリアのアサド政権による内戦である。トルコには190万人など難民がEUへ氾濫している。ドイツを目指す。ドイツが受け入れを積極的、経済好調、難民支援があるからである。難民が氾濫するということはEUが統合を目指しているボーダーレス、ユーロ使用などグローバル化の現象である。難民はEUの理想の大きい試練である。私は学生たちに国境はあるべきか、無くすべきか、質問を投げた。圧倒的に国境があるべきだと言った。犯罪が増え(王)、経済や治安の悪化(リ)、国境を持ちながら難民を受け入れる(キムトンヒョン)、国境は国の存立条件(イ、パク、チエ)など国境を守るべきという。チョヒョンソク君は国境は必要だが人間の尊厳を守るためには難民を受け入れるべきだと言った。
 EUの中でもイギリスは難民受け入れに難色、ユーロに参加していない。しかし一枚の写真がイギリスの態度を変えた。シリア難民男児アイランちゃんの死体が海岸に打ち寄せられ、その映像が世界中に流れた。イギリスも難民キャンプからシリア難民を2万人受け入れると発表した。イギリスの試練、人類の普遍的な試練であろう。
 


「遊ぶ国」

2015年09月24日 05時19分00秒 | 旅行
5日間の長い連休が終わり昨日家内の姉は千葉に帰った。一昨日連休最終日新幹線自由席は多少余裕があったらしい。長すぎの連休で生活のリズムが壊れたように思う人も多いだろう。私はまとまった時間で執筆していたが彼女がいなくなって何となく寂しく感じている。今日から授業であるが韓国からの留学生たちは出席するだろうか。韓国では明後日は韓国の二大名節の一つの秋夕であり、土日月の3日に振替日のを入れて4日間の連休となる。二つのカレンダーを掛けている大使館など外交官などは連休、休日に恵まれている。韓国の振替日制はおそらく日本のものの真似であろう。定期労働者は連休などを喜ぶかもしれないが、社会的に見ると真面目さのない「遊ぶ国」(韓国語では休日をノヌンナル遊ぶ日)のようであり、また休日を楽しめる福祉国家のようであるかもしれない。
最近北朝鮮は標準時間を日本より30分遅くした。説明文を読むと日本植民地から完全に解放、独立するためだという。国家や国民が記念日を無限に作れる。公休日によって国民が解放感を満喫することができる。社会的に決まった規則規定によって個性は薄れていく。個人が個性を生かしながら社会に対応することが個人主義であろう。連休に解放、放任され個人のリズムが崩れることは望ましくない。早く放任の連休から正規に正すことが望ましい。

 일본의 5일간의 연휴가 끝나면서 한국의 연휴가 시작된다. 2015년 추석연휴는 토일월(9월 26일~9월 28일)에 대체공휴일 1일(9월 29일(화요일)까지 4일 연휴이다. 연휴를 어떻게 사용하는가는 인생을 좌우한다. 회사의 사장은 일하지 않은 기간 노임을 지불하지 않으면 안된다. 노임을 그 기간 동안 지불하지 않는다면 연휴 반납하는 사람이 나올 것이다. 연휴는 어떤 점에서는 위법이다.

出会いの空間

2015年09月23日 05時30分46秒 | 旅行
 昨日下関の郊外にある園芸センターへ院生の林さん、家内、家内の姉と一緒に行った。途中ペットショップに寄った。犬猫鳥魚爬虫類など多様なペットショップを見て楽しんだ。特に長く目を離せなかったのはリスであった。篭の中に二匹おり、一匹は丸まって昼寝、一匹は丸い車輪に載って走る。室内運動をしている。狭い空間で生きる知恵を見せてくれた。監房やそれに類する独居生活を表している。韓国の諺ではリスのように同じことを繰り返す「リスのように箕輪に走る」と否定的に見ている。外で人との関係を持つ積極的な生活を願っていることがわかる。
 外は道端から田んぼの堤、野原に点々として咲いている曼珠沙華の花から季節感が感じられた。
 散歩がてらよく訪ねる園芸センターに着いた。3月~4月以来のおでかけ(?)だった。10年間で木が結構伸びていることを感じた。温室が小さくなっている。台風の影響か高いヤシの木が切られた後もあった。再三、来ることにより私の花を見る視線も随分変わった。満開した花に感嘆した時とは違って根や実など紋様、色の変化、葉の反射、温室管理などまで細かく見るようになった。温室内には温度湿度などは造成してあげても蝶々などが自由に往来できない。外側で紫色とピンクを混ぜたかのような色の蝶々が花を訪ねる光景に会った(写真には蜂がいる)。外は出会いの空間である。

武装した軍隊の自衛隊

2015年09月22日 04時52分45秒 | 旅行
敬老の日、国民の日、秋分の日に土日が合わさった大型連休、サービスエリアは満車、交通渋滞である。一般の人は記念日ということを全く意識せずただ大型連休を楽しんでいるようである。これは日本だけのことではあるが海外からも旅行者を迎えるのでただの国内のことだけではない。千葉から家内の姉が名産ピーナツなどをもって来られ家族が増えたようになり、食卓が豪華になっている。ドウガンスープ、緑豆のジジミなどを食べながらお腹を気にする。昨日韓国の軍事評論家の李鐘判氏から電話、慶南日報(9.22)への寄稿文を読んだ。要約して拙訳してここに紹介する。
 安倍総理に対する韓国人の評判は良くない。“殴れば殴るほど、刺激が強ければ強いほどかたくなになる安倍”には韓国や中国が刺激することが長期政権を一助することになるのである。 無投票再任、長期執権する。日本の安保法は韓国の安保にどんな影響があるのだろうか。アメリカが日本の役割拡大を要求しているからアジア戦略で役割配分が調整されたのである。最先端技術で武装した軍隊の自衛隊が日米韓の共助にも寄与するだろう。アメリカは覇権を維持しようとする。日本の自衛隊は世界的に活躍する。朝鮮半島有事時には日米同盟が米韓同盟の前方で活動する。自衛隊が前面に出ることも予想される。日本の役割は地球的になる。このような東北アジアの再編において韓国はどうするのか。例えば東シナ海で日中戦争が起きてアメリカが韓国に参戦を要求すしたらどうすべきだろうか。

「絶歌」

2015年09月21日 05時18分45秒 | 旅行
 
元少年Aの『絶歌』を読んだ。作者は誰だろうか、編集者か、代書者か、あるいは14歳の少年が書いたものか。思春期の「精通」などの体験、成長期に起こる現象と好奇心の変節など動物的であり、人間性を悟って成長していく過程で、殺人をしてしまったのである。読み始めてから14歳の犯人が書いたものではなく、彼が少年院で20余年間を経て、そして釈放されて社会生活10余年の中年になって書いたものである。作者は14歳で犯罪を犯した人ではであっても、それとは変わった他者のような人物である。しかし彼の人生は思春期の犯罪の罪意識から離れ抜けることはできない。そしてこの本が出版されたのである。彼は教導、刑務によって変わった。彼は当時の人格とは変わった別人である。しかし被害者にとって彼の人格は変わっていない。被害者と世間は変わらない。忘れない。赦せない。 
 われわれは自分自身に戻って考えると自分は変わっても他人や世間はなかなか変わったことを認めてくれない経験を持っているはずである。ニュースには犯罪を売り物にするのか。罪は許せいないという正論であった。犯行を売り物にしている出版が許されるのかという批判もあった。汚職など汚い政治の話を売りものにしているようなものもあるではないかという意見もあった。この本は売れている。犯行と罰は法律によって行うべきであり、言論は統制すべきではないと思う。人はそれぞれ罪を持っている。赦されて生きているのである。「原罪」で彼は思春期の性欲倒錯に触れている。それは聖書がいうような事なのか、異なるものなのか不明瞭なことばが続く。一読を勧める。


「慰安婦に関する米学者声明への日本の学者からの返答」

2015年09月20日 04時52分01秒 | 旅行
 私の人生で初めてお腹の出っ張りが気になるようになった。不倫妊娠の女性がお腹を気にするような気持ちである。朝鮮戦争の後に食べ物がなく、栄養失調の時代に痩せていた自分を考えてみると幸せすぎる現象である。世界ではいまだに食糧不足で苦労している所が多い。自制すべきであろう。私が気にする理由は運動不足である。自己コントロールができていない。しかし私をよく知っている医師は日野原先生のように百歳を越えるだろうと言ってくれた。医者の言葉を嬉しく重く受け止めようとしている。しかし階段などを上がると呼吸はきつい。サーチュレーションが低いのが体でわかる。時々家内から散歩に誘われても応せず、椅子に座って原稿ばかりいじっている。安保が解決(?)し、これから憲法裁判に向かうという話が出ている。反対意見がアジアの国の世論になって外交まで難しくなるだろう。対与党であれば野党が統合して戦って政権交代をしてほしい。野党として世論に乗り政権をとる絶好のチャンスではないのか。
 昨日本屋に寄った。『正論』10月号に「慰安婦に関する米学者声明への日本の学者からの返答」が載っているというので購入したかった。いつも行く本屋で簡単に手に入る雑誌なのに1冊もない。売れ切れたという。一般的にそれほど売れるとは思わなかったので意外な気持ちであった。他の本屋で1冊だけ残っていたのを買うことができた。アメリカの日本研究者と日本の日本研究者の声明と返答であるのは報道によって知っている。私が好きな言葉が繰り返されている。「偏見に染められてはならず」「事実は事実」「真実は事実から」などである。しかしアメリカと日本の意見は異なる。異なるのは当然かもしれないが、それぞれアメリカ、日本の中では意見が一致するのはなぜであろうか。在米韓国系学者と在日韓国系学者とのケースも同様であるように思われる。これは研究の結果の差というよりは民族の差ではないだろうか。結局日米のスポーツゲームのようになってしまったのではないのだろうか。



韓国民俗学者大会

2015年09月19日 05時17分43秒 | 旅行
ソウルから韓国民俗学者大会で基調講演を頼まれたのは数か月前、民俗学者大会とは民俗学関係20余学会の連合研究大会だという。その大会のプログラムが来ている。私の仮の演題が「民俗学と法の関係」である。民俗学や文化人類学では民俗と法との関係がないわけではないが、民俗学や文化人類学は法以前の段階において、人間の生活や文化に関する研究が主であるが、なぜ法との関係なのか頭を傾げたくなる。しかし考えておくべき様々な問題があることから受け入れることとした。法が中心の話にならないように考えながら国家意識は強くない社会風習においての法の意識を考察してみたい。民族レベルの民俗が国家レベルで文化財へ、そして世界文化遺産へとなっていくための問題が顕著である。世界文化遺産とは文字通り普遍的な世界化を意味する。民俗文化の世界化は重要な思想の発展と思われるが、稚拙な政治家たちによって国家主義に汚されてしまって政治的な所有、宣伝、競争になってしまった例が多い。その例の一つに最近の日本の近代文化遺産の登録の件がある。
 文化人類学研究入門書の一つである社会学古典のウィリアムサムナーのOn Folkways and Moresでは慣習から法律へ進行、関連性を考察されている。まさに慣習から法律(西洋真似?)へとなっている。習慣、慣習、モラルなどから法律化していくことである。 隣国の中国や北朝鮮のように独裁国家では法は上から作られ国民を縛りづけるようになっている。日本は対照的に民衆から政治へ作り上げている。しかし、様々な規定、法律が細かく、法律の網が過度に張られていて「規制緩和」の訴えが聞こえる。憲法は自由などを保証してくれるが、一方では人を縛りづける。法律を作る政治家のレベルは国民のレベルを示す。憲法をめぐる論争が激しいのもその例であろう。

強行採決

2015年09月18日 05時27分41秒 | 旅行
安保法案に反対するデモ、国会での強行採決などをみて1960年代の韓国学生デモを想起する。賛成と反対の意見を聞いてみると戦争と平和の対立のように思われるがそれほど差がないから説明しても理解し難いという。平和は平和的な外交と軍事的バランスによるものであり、憲法などがそれほど重要とは思えない。一般的に独立国家はそれぞれ軍隊と戦争法案(?)を持っている。軍、武力の存在がすなわち戦争をすることを意味するのではない。今、日本では圧倒的多数が反対であるというが本当の世論、民意とは何だろう。民主主義選挙によって選ばれた圧倒的多数を占めている自民党の意見は民意ではないということかと反問が生まれる。安保法案についての世論も依然と自民党への支持率が非常に高い。何が本当の世論で、民意であろうか。本当の世論は一票の投票によるものである。とは言っても街頭デモや徹夜国会での論戦は無視されてもいいのだろうか。既存の国会が本当の民意であると思ったらフランス革命や韓国の民主化学生革命は起こらなかった。今の日本での論戦は革命ではなく騒ぎに過ぎない。
 日本人の政治意識の低さによるものである。選挙には関心が少なく、投票率は低く、選挙権を簡単に放棄し、放置していた結果であることを痛感しなければならない。投票は棄権して、街頭では熱を挙げるなど日本は民主主義国家になっていないのではないだろうか。日本に民主主義はまだ十分定着していない。今度「戦争内閣だ」とまで言った人は次の選挙を革命選挙と思って投票すべきであろう。メディアも信用ならない。多くの新聞は戦争を賛美したのに戦後急に反戦主義に変わったものである。国民の過半数もそうであった。冷静な批評性のある世論が力になることが必要である。今度それぞれの地元の選挙区でまず「落選」させる心を持つべきである。次の選挙によって「戦争法案」を「平和法案」へ作り直すこともできる。総理も「小」選挙区で落選したら「大」権力が失われる。選挙の怖さを知らせなければならない。

李恢成『地上生活者』第5部

2015年09月17日 05時37分40秒 | 旅行
 最近友人知人からいただいた本の読後感想文を書く暇もなく、目薬を付けながら韓国で出版予定の著作集書きに夢中になっている。そんな中、友人の李恢成氏から『地上生活者』「第5部」が届いた。2011年以来4年ぶりの分厚い大作である。その4年間彼の文はどう変わっているのかと読み始めている。4年間どのように成熟しているのだろうか。「ぼく愚哲」という自伝小説であるが、「ぼく」と「愚哲」という主人公は作家李氏の分身であり、全く同人物とは言えない。本物の「彼自身」が語りたい「物」は何だろう。それについて、

 「愚哲」と「ぼく」という同一人物を対称化させて物を見ようとする批評性がある(8ページ)

 という。その「物」は朝鮮半島、南北コリアの民主主義としており、「批評性」は「人間とは何か」という。世間が空論で熱戦し、事実を歪曲するが、彼は「物」を以て真実に迫っている。人それぞれ事実を正直に語ろうとしてもそれには限界がある。作家はその壁を壊し、真実に迫るのである。私は文学少年時代以来それに魅力を感じているが、いまだに実行していない。私は李氏がやっておられないエッセイを書き、講義・講演などで時間を過ごしている。私は最小限に自分の体験や事実に基づいて『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』を上梓した。小説のように読んでくれる読者もいる。感謝である。