崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「親しい人」friendly

2019年04月19日 05時32分07秒 | 講義

 昨日のクラスでは二人の日本人を除いて他の30人が留学生。その前で、私の留学の時の失敗談を例にして話をした。当時は日本の大学側や教員たちも留学生に対する理解が足りなかったと思う。留学生の私が目立ち、笑われたり非難されることが多かった。書類に指導教官との関係欄に「親しい人」friendlyと書いたのが「親族だ」と嘘をついたと女子教授にを言われ、学内で大騒ぎ、言葉がよく分からず誤解されたこと、それは今でいうならセクハラと非難されることでもあった。2回も盗人と誤解されたこともあって後日、謝罪を受けた。貧しい留学生だったからだと思う。文部省の研究費を貰い、猛勉強、文学博士号を取得、国立大学教授、そして今に至っている。温かい日本人が圧倒的に多かったが、いまだに著書で誤解されることが多い。構わないと思いながらも、上手くいっていないのかなと思う時もある。*写真2019.3.27 下関港

コメント

新学期初授業

2019年04月12日 06時07分37秒 | 講義

 今年度の初授業「アジア文化言語論」、同僚が親切に教室準備をしてくれ、30人以上の学生の前に立った。私は20代から60年間の教育、講義歴であっても新鮮、かつ緊張の時であった。古い内容を繰り返すのではなく、常に教授法を新しく開発しようとしている。自己紹介はwebsiteによる通信のために私のフェースブック、ブログ、ツイッターなどを英語と日本語で紹介(プリント資料)から始まった。学生たちからも自己紹介、日本、韓国、中国、ベトナム、タイ、ミャンマ、ネパールの学生たち。中には日本人の学生二人、一人はニュージーランド留学の経験者。
 まず日本語が十分ではないようなのでリスニングテストのように話をした。話のメーンポイントをキャッチできるか。まず私の長生き、それは第一波、第二波、第三波まで人類史全般を生きたということ。そして一人旅の調査旅行の辛い経験、北京空港でのカバンの取り違えの危機の話、ロシアイルクーツクでロシア語を知らず列車時刻表の標準時間を読めず苦労した話を別々して理解度を観察した。それらを正確に把握する学生は少なように感じたが。出席カードではよく理解している学生が多かった。幼い時の話の中で「戦争を面白いと思ったと言った話を聞いてとても衝撃的でした」と書いた学生もいた。これから楽しくなりそうである。

コメント

「引きこもり」

2019年04月05日 05時45分05秒 | 講義

 「引きこもり」が100万人とも報じられている。私は統計以前に日本社会が如何にそのような社会であるか、皮膚で感じている。引きこもり、いじめ、自殺、ハラスメント、ヘイトスピーチ、差別などが強調されている、そして迷惑はかけない、妄言叩き、規制、法律を多く作り、蜘蛛の巣のような行動制約がある社会だと常に感じている。「危険な外」に対して「安全な家」になり、引きこもるのは自然であろう。このように多くのネガティブキャンペーンも必要と思われるが、反面逞しい子供教育、防衛的な人格形成がより必要と思う。tvで尾木教育評論家からもそのような話を聞いた覚えがない。虐められて、差別されて、ハラスメントされてもそれを乗り越えていく人格形成の教育が必要である。
 私も「杜門不出」まとまった時間が欲しく、春休み読書と執筆を楽しんでいる。これも引きこもりか。昨日櫛田学長と共に功山寺の坐禅に参席させていただいた。私自身、仏教の儀礼や文化体験をしてみたかったからである。一時間動かず正座をして有福先生の説法を聞き、座禅をした。瞑想meditationとも似て異なる。目を閉じない。参加したのは私なりに引きこもりたくないからでもある。町は個人、社会に開かれて、繋がっている。私も研究所で多くのプログラムを作って無料で公開し、社会的な絆を広げようとしている。温かい社会教育が必要であろう。

コメント

韓国からの50人の留学生

2019年03月28日 07時03分54秒 | 講義

 日韓関係の悪さは明確、それは政治家の間だという。民衆の流れを効果的に「治める」のが政治の基礎、英語ではgovern governmentつまり政府である。政治家が信念を押しつけるのは独裁的になるであろう。残念である。その日韓関係の最悪中、昨日港で韓国からの50人の留学生を迎えた。嬉しい。最悪という日韓関係を吹き飛ばせる。彼らは大きなカバンを数個ももってきた。自転車も持ってきた。大型バスと軽トラックでも間に合わなく数回往復する。大学側から鵜澤副学長が対応する。私は歓迎し、写真を撮った。今年の大学ランキングの発表、「教育充実度」や「国際性」の評価の高い京都大学が一位という。私は大学や学科の次元ではなく、少なくとも私の講義ではよい教育をしたい。

コメント

「下関・遊郭のうつろい」

2019年03月24日 06時51分46秒 | 講義

 下関に住んで十数年、私は余所者か、地元の者かと自問することがある。文化人類学者として私は下関は研究調査のフィールドでもある。すでに日中戦争とシベリア抑留などに関してはインタビューしたものもあり、出版されたものもある。昨朝は古い遊郭だったところが食堂居酒屋となっていると聞いた「まんなおし」を見て写真を撮った。そして東アジア文化研究所主催の研究会のために準備した。読書会のメンバーが中心、地元の知性人の西原、藤川夫婦、孫山夫婦、中村、磯部、田中、広島から中国新聞の編集委員の伊東氏ら20人弱の参加で元下関図書館長の安冨静夫氏(1940)が「下関・遊郭のうつろい」という演題で講演をされた。下関の廓、市の発展と共に駅を向かって東から西へと港町の繁栄と共に移ってきたこと、遊女たちと舞踊協会の会員たちによって歌舞伎や先帝祭が引き継がれ、戦争時にも絶えることなく華麗にして今になった経緯を語ってくださった。
 終了後記念写真、私の研究室で長い笑談が続いた。私が慰安婦に関する本で韓国からバッシングを受けた話、それについて韓国の今の政権は問題、変わると良くなるのであろう、在日の人たちは日本が好きで日本に住んでいるという冗談か真談か力強い発言もあった。伊東氏の提案、次は在日の発表を聞きたいと提案が出た。私は大賛成であり、近い内に実行しようと応対した。


 

コメント (2)

お知らせ安富静夫氏講演

2019年03月19日 06時46分38秒 | 講義

お知らせ:下関は港町、花街の文化が盛んなところであった。それは先帝祭の八文字として有名である。その由来について詳しく語りあう良い機会である。郷土を愛をする人たちに聞いていただきたい。
 東亜大学東アジア文化研究所は元市立図書館長の安富静夫氏に聞くことになった。参加費無料、市民の参加を願う。

2019年3月23日、午後2-4時

東亜大学13号館7階

コメント

「日本は良い国」

2019年01月26日 06時48分44秒 | 講義

 韓国から40数名の高校生と校長らが来校した。私は一言歓迎の言葉を語った。日韓関係が最悪とは言われても民間交流は良くなっていくという趣旨、外国・日本に初めてきたという学生もいて、私は長く住んでいて「日本は良い国」だと言った。その良いところを見てくれと言った。今回の日本旅行は無事に楽しいものであって欲しい。
 権藤氏が講義の映像記録のDVDを持ってこられ、研究室でワンアジア講義の反省会のようになった。内容も地域も多様、講義方式が様々だと、これから結果報告書を書くための意見交換になった。副学長の鵜澤先生が車で送ってくださり帰宅した。マンションの入り口の反対側を通り過ぎ回転してきてエレベーターの前まで丁寧に安全に届けてくださり、彼のやさしさを再認識、大変恐縮、感謝。
 

コメント

伊藤亜人「東アジアの課題」

2019年01月22日 05時50分20秒 | 講義

「冬のソナタ」期を除いて日韓関係が悪いのが常態である。それは政権を営む人間の質による。しかし長期的な視野からみると日韓関係は友好的な方向に進展していると思う。以前に早朝の四時帯の深夜のラジオの放送で伊藤亜人氏が話すのを聞いたことを思い出す。私が一九七一年韓国で初めて会った日本人の研究者であり、友人である。日本語を知らない留学時、大変お世話になった方である。昨日ワンアジア共同体の講義をしていただいた。私には感無量な時間であった。
 彼の調査地である韓国珍島、天童よしみの歌にも歌われるところからの話、70年代の韓国の現実を基に韓国を理解していく。少数民族が全くない単一民族として多民族との共生の経験のない韓国が今多民族共生の体験、民主化、キリスト教化、民族主義の強い国でありながら人々は海外へ進出している。北朝鮮は植民地時代から開発された産業を基礎に技術開発などに尽力している。私は朝鮮半島の南北統一は社会主義と民主主義の混合、調和にはならないか、理想的には考えられないかと質問した。彼は否定的であった。東アジアを全体的に眺め、朝鮮半島に絞って、新鮮かつ刺激豊富な内容であった。講義中受講者から3回も拍手があり、公演会のような雰囲気で奨学金授与で今学期ワンアジア講義が全部終了した。

 

コメント

ワンアジア講義

2019年01月16日 05時40分02秒 | 講義

 朝、目覚めラジオ、BBC,起きてPCを開きネットニュース、SNSなどで情報を知る。それらに比べ新聞は古い。自宅で長く購読の新聞は旧聞のよう、図書館で多くの新聞を開いて論調を比較する。昨日はそこにワンアジア講義の13回をまとめて説明した。アジアの芸術と宗教についての講義方式、資料を全く持たず黒板だけを利用する講師からレジュメ、PPt、映像資料などを豊富に使いこなせる講師まで多様であった。
 私は自分のメモも公開し、学生に呼びかけた。メモを取る習慣をもつことを強調した。スマートフォン時代の中での講義とはフェースとフェース、直接対面し、一緒に感じ考える現場であることを強調した。鵜澤教授とは思考、漢字、日本語などについて対談をした。学生のコメントから「日本語の学習に漢字が一番難しい」(留学生)「漢字を捨てなかった日本は良かったと思う」(日本人)「多くの講師が替わりながらの授業はじめて、良かった」「ぼく自身もメモをとる」「韓国人と日本人は一緒に生活できるか?」などなど。

コメント

「中国は自由な社会である」

2018年12月27日 05時02分17秒 | 講義
日韓関係が最悪といえる目下、「日中関係は良い」と、昨日のワンアジア共同体講義の講師の金俊氏は言った。「紀年」をめぐるナショナリズム神話つくりの話が面白かった。日本は明治、大正、昭和、平成の紀年、年号を使っている。北朝鮮の「主体」、台湾の「民国」、以前韓国では「檀紀」が使われた。儒教は孔子の神格化の話など広く長い。「難しかった」という声が多い。その後研究室では討論があった。権藤博志氏が中国共産党、共産主義、社会主義社会がなぜ市場経済と資本主義を取り入れるのか、その意味は何だろうと質問した。それは当然自由民主主義が伴われるのではないかということであった。
 金氏は多民族国家であるから韓国や日本より「中国は自由な社会である」と強調した。彼自身は中国朝鮮族でありながら中国をカバーするようである。私は彼の発言が学問の姿勢であるのか気になった。学者、研究者たちが民族としてアイデンティティを装って愛国心を語るのではないか。中立的ではなく中国や韓国の味方をする彼の学問の姿勢が心配になった。
 先日私が韓国の東亜大学校の「名士招請特別講演」が取り消された私の屈辱の噂を韓国で楽しんだように伝えた。悪い日韓関係によるものではなく、他の事情であろうとも言った。私は新年3月2日には京都で対談を行う予定である。チラシ案が来ている。崔吉城×小倉紀蔵「『中立派』文化人類学者、日本と朝鮮半島を語る」ゲスト/崔吉城氏(現東亜大学人間科学部教授、広島大学名誉教授)となっている。私は韓国の釜山の東亜大学校の教員ではない。日本の東亜大学の教授である。「中止にならないように」願っている。 

      

コメント

SNS

2018年12月26日 05時14分54秒 | 講義

 朝起きてすぐコンピューターを前にする日々が十数年になる。そしてニュースを知り、投稿している。ブログ、Twitter、フェースブックでは政治家や重要人物とも交信する。毎日数万の読者、広く世界に、多様な情報、応対する。新聞からニュースと批評を求め、数個の定期購読をしたが減らし、それも断わろうかと思っている。私は昔から新聞には一方的な読者ではなく情報提供者として関係してきた。今ここでは無関係になった感がする。ネットでは批判・非難があっても反論、関係も改善できる。
 テレビは私の日本語の教師、ビデオボックスのようなものである。英語のリスニングにも有効である。偶然にサウンドオブミュージックを鑑賞した。ヒットラー時代のウィーンを背景にしたミュージカル、修女院、将校の愛、感動した。私にもまだ感動する感情がある。今日は中国から来られる金俊教授がワンアジア財団支援公開講座で講義をする。

コメント

銭湯文化

2018年12月21日 05時14分59秒 | 講義

  昨日の観光人類学では「温泉旅行」をテーマにした。まず留学生たちに日本での温泉感想を求めた。意外にほぼ日本の温泉に行ったことがないという。中国の大連からの留学生のチョウさんは日本式の銭湯、サウナがあって知っている。ベトナムからのルーティさんは自分の国では銭湯などはないという。熱帯、亜熱帯地域では温泉や銭湯文化はない。私の調査では中国、モンゴル、サハリンなどでは温泉は病気、療養目的が主であり、裸で入る大衆風呂は日本特異の文化と言える。
 温泉文化が日本特異な伝統文化と日本人は自慢げに言う人が多い。お風呂、銭湯、足湯、慰安旅行、芸者、どんちゃん騒ぎなどが複合的である。それも廃れ、単純化していく。今ではむしろ風呂文化が稀であった韓国で盛んになり、日本人が韓国へ垢すりやエステ(化粧、マッサージ)旅行に行く。伝統文化の「伝統」の意味が希薄になっている。

コメント

雪辱

2018年12月20日 04時26分27秒 | 講義

 数回触れたが私が韓国のある地方の私立大学から「登らせ梯を外された」という同僚の慰めの言葉があった直後それを「雪辱」(恥をそそぐ)するようなソウルの国立大学から講演依頼が来た。快諾した。このように相反することはどこでもありそうな話である。
 韓国から留学を希望する学生が増えている。私に日本人からのネット投稿では韓国で反日を教育された学生たちが日本で就職をすることに反対する意見が多い。私は反日と親日を超えた教育に努めたい。昨日の講義のディスカッションでメディアの問題を指摘した学生の意見があった。私はポピュリズムなど民主主義の問題点が多いと応対した。共産主義、社会主義でも悪くはないとも言った。民主主義とは人類史の中では短い最近のことであり、王朝や専制主義の歴史が長い。民主主義の出発地であったそのフランスから乱暴なデモと暴力の映像(写真)が流れた。民主主義を超越する新しい何々「主義」が創られることを期待する。

コメント

朝鮮の国策映画

2018年12月18日 06時14分11秒 | 講義

 下川正晴氏は毎日新聞社を退職しても肩書は元毎日新聞論説委員とし、山口や小倉で記者生活を懐かしく思って語った。また下関から福岡や小倉に転出している二人の現役の人からもよろしくというメールが届いた。下関支局には距離を置いた。彼は言う。彼は韓国もよく知って、私に日本では現役と退職の間では溝や疎遠、距離を持っているという。私は広島大学の「名誉教授」というタイトルもあり、その大学には関心をもっているが、それは片思いだということになる。突然日本人とは、職場とはという思いを抱いた。職場はただ働く場以上の何ものでもないのか。職場愛というものがあると私は思ってきたが彼の言葉は意外だった。学生のコメントの中にネパールに関する言及が少ないというコメントがあったことに触れ、下川氏はネパールの学生たちに向けて冗談を交えて語ったり、朝鮮の国策映画、日本語と朝鮮語などに触れた。

 

コメント

お知らせ:下川正晴氏東亜大学で特講

2018年12月15日 06時28分17秒 | 講義

 日本で韓国の映画を紹介している言論人下川正晴氏(元毎日新聞ソウル支局長、論説委員)が明後日12月17日12時50分から東亜大学で「植民地朝鮮の映画」について講義をする。市民の参加も歓迎している。下川氏は1970年毎日新聞山口支局、1980年に北九州に務め、大分短期大学では韓国映画上映会も多く行った方である。ソウル留学、韓国人が偏見と誤解に凝り固まっているのが分かったという。彼は次のように「下関は、僕の朝鮮理解の出発点になった場所と言って良い」と書かれている

レジュメ:「映画は超時空旅行である〜日本統治下の朝鮮シネマ群像」
 ●ソウル特派員としての体験(例:慰安婦問題)
・書かれたものは信用しない(特に教科書)。理由:思想で再構成されたものだからだ。
・証言も全ては信用できない。裏取りが必要だ。
・映像の力=①意図しなかったものまで映っている②その時代の思想によって編集されている③目と耳による感性的認識は、多様な歴史認識に至る入り口である。

●植民地朝鮮(台湾)をめぐる論争:「収奪論」vs「開発論」vs 「植民地近代論」

●日本統治時代の朝鮮シネマの発掘:2004年以降、中国電影資料館などで見つかる。十数本。新しい(自分ならではの)植民地認識への入口になる。韓国で研究進む。日本での研究は崔吉城先生など一部にとどまる。

●実例①ネットで全部見られる朝鮮シネマ:李炳逸監督『半島の春』(1941)。朝鮮の美人女優・金素英(女学校を卒業したばかりの女優志願生役)が主演。1940年当時の京城(現在のソウル)を活写し、当時の朝鮮映画界の苦闘をメロドラマ化した作品。→では、見てみましょう①何を感じましたか?

●実例②DVDで見られる朝鮮シネマ:崔寅奎監督『授業料』(1940)。光州の朝鮮人小学生の作文が原作(朝鮮総督府学務局長賞)。八木保太郎が脚本を書き、薄田研二が先生役を演じた。当時の小学校の様子がよく分かる。僕の評価=朝鮮シネマのベスト・ワン。崔吉城先生もDVDを持っておられる。→では、見てみましょう②何を思いましたか?
●実例③DVDで見られる朝鮮を舞台にした日本映画:今井正監督『望楼の決死隊』(1943)。「永遠の処女」原節子らが主演した共産ゲリラ掃討の国策映画。監督は戦後の共産党員。朝鮮人出演者は解放後の朝鮮映画界トップに抜擢されたが、のちに金日成によって粛清された。Amazonで中古DVDを売っている(僕が宣伝して以来、値段が高くなる一方です、笑)→では、見てみましょう③何を勉強したくなりましたか?
●歴史認識とは何か?:戦争は、人民を大量殺害した「大火事」であった。
「円錐」は、どんな形をしているか? 真横から見れば三角形、真上から見れば円である。
新聞記者の基本「火事取材」=前後左右から、上から下から観察し、被災者(火元?)や消防団員らに話を聞く。
●再び「映像の力」とは何か:①意図しなかったものまで映っている②その時代の思想によって編集されている③目と耳による感性的感覚は、多様な歴史認識に至る入り口である。そして「敗者は映像を持たない」(大島渚監督)=終わり。

コメント