崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

경쟁

2021年08月03日 05時37分26秒 | 講義
オリンピック競技を見ながら初めて見る種目などを知る。ハードルを高くしたような競技もあり、分からないことも多い。 単純なルールがあるのが見やすい。私はフェンシングなどは全く分からないので、面白さを知らない。小さなボールで遊ぶ卓球やバドミントン、そして野球などに関心が大きい。スポーツ競技は基本的に互いに争う競争が面白さだ。生きることもこんな競争だ。
 昨日同僚の経済学者の競争についての授業に映像で参加した。競争は能力発揮効果を上げる点がある。独占の否定的な面もある。 われわれの日常は競争の延長といえる。しかし、それだけでは社会を安定させることはできない。そのため、競争に対する厳格な規制を設けている。つまり、競争はお互いに協力し合うものだということだ。 似たような商人が並んで競争するが、実は多くの客を呼び寄せる大きな長所があるという日常的なことを確認することができる。
 올림픽 경기를 보면서 처음 보는 종목 등을 알게 된다. 허들만 높게 한 듯한 경기도 있어서 알 수 없는 것도 많다. 단순한 룰이 있는 것이 보기 쉽다. 나는 휀싱 등은 전혀 알 수 없어 재미를 모른다. 작은 공을 가지고 노는 탁구 뱃드민톤 그리고 야구 등에 관심이 간다. 스포츠 경기는 기본적으로 서로 다투는 재미가 있다. 경쟁이다. 산다는 것도 이런 경쟁이다.
어제 동료 경제학자의 경쟁에 대한 수업을 영상으로 참가하였다. 경쟁은 능력 발휘 효과를 올리는 점이 있다. 독점의 부정적인 면도 있다. 우리들의 일상은 경쟁의 연장이라 할 수 있다. 그러나 그것만으로는 사회를 안정시킬 수 없다. 그래서 경쟁에 대한 엄격한 규제를 두고 있다는 것이다. 경쟁이 즉 서로 협력하는 것이라는 것이다. 비슷한 장사꾼들이 나란히 앉아 경쟁을 하지만 실은 많은 객을 불러 오게하는 큰 장점이 있다는 일상적인 것을 확인할 수 있다.

「平和」

2021年07月30日 05時06分35秒 | 講義
アジア言語文化講義の最後の時間、アジアの戦争と植民地に関する問題を回想させた。 平和教育は十分だ。 しかし、「平和」という名目で戦争をするという危険性をよく知らないと。ネパールの学生は平和な観光国を強調し、ベトナムの学生は戦争でベトナムが統一したことを肯定的に受け入れるといった。戦争と平和の問題を考え、余韻を残した。
 スポーツは純粋な競争・戦争だ。コロナ感染者1万人を超える危機の中でも五輪ゲームは進んでいる。相手と戦うようなものは戦争に似ている。競技は厳格な定則を守りながら身体能力を発揮するものだ。相手がいるゲームだが、実は自分との戦いだ。このような選手たちの試合を見ていると、政治とはずいぶん違うと感じる。こじれた心で妬む不快な国の人々もいる。

 아시아언어문화 강의의 마지막 시간, 아시아의 전쟁과 식민지에 관한 문제를 회상시켰다. 평화 교육은 충분하다. 그런데 평화란 명목으로 전쟁을 한다는 위험성을 잘 모른다. 네팔 학생은 평화스러운 관광국을 강조하고, 베트남 학생은 전쟁으로 베트남이 통일한 것을 긍정적으로 받아들인다는 발언이 있었다. 전쟁과 평화의 문제를 생각하게 여운을 남겼다.
스포츠는 순수한 경쟁이다. 코로나 감염자 1만명을 넘은 위기 속에서도 올림픽 게임은 진행되고 있다. 상대와 싸우는 것 같은 것은 전쟁과 비슷하다. 경기는 엄격한 정칙을 지키면서 신체능력을 발휘하는 것이다. 상대가 있는 게임이지만 실은 자신과의 싸움이다. 이런 선수들의 시합을 보면서 정치와는 많이 다르다고 느낀다. 꼬인 마음으로 시기 질투하는 불쾌한 나라 사람들도 있다.

국가권력

2021年07月16日 05時49分05秒 | 講義
名門大学の学生たちの討議映像を再び見せながら国家権力を利用してロックダウンなどのコロナ政策を行うことについて討議を行った。マイクを回しながら、ネパール、ベトナム、中国、韓国、そして日本の順に意見を聞いた。 映像では、中国の清華大学の学生が、「国民は国家を尊重するために強制することを尊重する」ということだが、出席した学生からはそのような意見は出ず、人権を尊重する意見だった。概して国家権力が強いことに否定的だった。 それでは名門大学とは何か。疑問に思う。ある学生は、日本の大学の講義はすべて受動的だという。おそらく映像で見たハーバード大学サンデル教授の討議式講義が、日本の大学の教授法に疑問を提起したのであろう。


 명문대학생들의 토의 영상을 다시 보이면서 국가 권력을 사용하여 코로나 정책을 사용하는 것에 대한 토의를 하였다. 마이크를 돌려 가면서 일본 네팔 베트남 중국 한국 그리고 일본의 순으로 의견을 들었다. 영상에서는 중국 청화대학생이 국민은 국가를 존중하기 때문에 강제하는 것을 존중한다는 것인데 출석 학생에게서는 그런 의견은 나오지 않고 인권을 존중하는 의견이었다. 대체로 국가권력이 강한 것에 부정적이었다. 그러면 명문대학이란 무엇인가. 의문이 든다. 어느 학생은 일본 대학의 강의는 모두 수동적이라고 한다. 아마 영상에서 본 하바드대 산델 교수의 토의식 강의에 대해 일본 대학의 교수법에 의문을 제기하는 것 같다.

민주냐 독재냐

2021年07月07日 05時09分25秒 | 講義
 NHKで放映された2時間番組のサンデル教授の講義を視聴した。日本の東京大学、慶応大学、中国の清華大学、米国のハーバード大学など名門大生約20人の学生と討論式講義だった。名門大学に入れたのは<運>なのか<実力>なのか、という質問に多様な答えが出た。 日本人学生は全員<運>だという。大きな問題点にぶつかる。
 「民主か独裁か」と叫んで刑務所に行った私の先生たちを思い出す。コロナ対策で中国のシュー氏は、民主主義をあざ笑うかのように、選挙を通じなくても民意を反映する政治制度の長所を自慢するかのように語る。 <開発独裁>をあざ笑った人々も失望する。
韓国では多くの候補が騒ぐ。民衆政治、すなわち無知な人がより良い政治ができるという話のように聞こえる。

NHK에서 방영된 2시간 프로 산델교수의 강의를 시청했다. 일본의 동경대 케이오대 중국의 청화대 미국의 하버드 등 명문대학 20여명의 학생들과 토의식 강의였다. 명문대학에 들어 가는 것이 <운>인가 <실력>인가라는 질문에 다양한 대답들이 나왔다. 일본인 학생들은 전원 운이라는 것이다. 큰 문제점을 쏟아낸다.
코로나 대처에 <민주냐 독재냐>고 부르짖고 감옥에 간 나의 선생님들을 떠올린다. 중국의 슈씨는 민주주의를 비웃든 듯 즉 선거를 통하지 않고서도 민의를 반영하는 정치제도의 장점을 자랑하듯 말한다. <개발독재>를 비웃던 사람들도 실망한다.
 한국에서는 여러 후보들이 떠들어 댄다. 민중정치 즉 무식한 사람이 할 수 있다는 말처럼 들린다.

2021年07月03日 05時54分28秒 | 講義
 日本文化論で花について講義をした。前回の時間の講義<花見>について問題点をしっかり理解した学生はベトナムの学生だった。ベトナムでは雑草のようなものが日本では愛好されて販売されており、その逆のものもあるという。花をひとまとめにして美しくするのは日本的な特徴の一つであるという中国人留学生は、日本に来て白い花が多いのを見て葬儀ばかりだと勘違いしたことがあると話した。 中国ではたいてい儀式用に使うが、個人の趣味とする人が少ないという。四季がはっきりしていない国では花は自然の風景に過ぎない。日本は盆栽など人工的な美を追求している。花が好きで鑑賞する日本文化、そして私が生け花をすると知っている学生もいた。 『花の文化人類学』を書きたい。

일본문화론에서 꽃에 대해 강의를 하였다. 전 시간의 <하나미> 강의에 대해 바로 문제점을 이해한 학생은 베트남 학생 뿐이었다. 베트남에서는 잡초인 것이 일본에서는 애호되어 판매되고 있고, 그 반대의 것도 있다. 꽃을 한데 모아서 아름답게 하는 것이 일본적인 특징의 하나이다. 중국인 유학생은 일본에 와서 흰 꽃이 많은 것을 보고 장례식이라는 것으로 착각한 적이 있다고 하였다. 중국에서는 대개 의식 용으로 사용하지만 개인 취미로 하는 사람이 적다는 것이다. 사 계절이 뚜렷하지 나라에서는 꽃은 자연스러운 풍경일 뿐이다. 일본은 분재 등 인공적인 미를 추구하고 있다. 꽃을 좋아하고 감상하는 일본문화, 그리고 내가 꽃꽂이를 한다는 안 학생도 있었다. <꽃의 문화인류학>이란 책을 쓰고 싶어진다.

강의 중반

2021年06月12日 05時44分14秒 | 講義
원격 강의로서도 중반에 들어 섰다. 일본문화론 강의에서 나의 연구를 소개하고 토의하는 시간을 가졌다. 글로벌리즘이니 세계화 국제화라는 화려한 말을 좋아하는 시대이지만 실은 민족주의로 역행하는 최근의 세계적인 경향을 소개했다. 거기에 역사가 나타난다. 영상으로 학생들과 대화를 하였다.
하야시군은 일본인으로서 말하기 힘들다고 하였다.
중국인 SUN 군은 교수인 나 자신에 대한 관심이 생겼다면서 중국의 인터넷 상의 나의 연구에 대한 것을 소개한 글을 올렸다. 조선전쟁 때 중공군이 나의 고향 마을에 주돈하였던 글이다. 이렇게 해서 교수와 학생이 서로 알고 친해지는 것 그것이 사제관계의 출발이라 할 수 있다.

遠隔講義としても中盤に入った 日本文化論の講義で私の研究を紹介して討議する時間を持った。グローバリズムだから世界化、国際化という派手な言葉が好きな時代である。リモート で学生たちと話をした。
林君は、日本人としては言いにくいと言った。
中国人のSUN君は、担当教授に関心ができたとし、中国でインターネット上の私の研究について紹介されている文を読んだという。それは朝鮮戦争の時、中国共産軍が我が故郷の村に駐屯した時のことに関するものである。このように、学生と互いに知り合って親しくなること、それが師弟関係の出発と言える。


SUN インターネットで先生の作品を探してみたところ、中国の有名なメディア「観察者」が先生の作品『Origin of Korean Comfort women』のある部分の翻訳した、先生の作品を読むことができました。 作品の中で興味深かったのは、朝鮮戦争時の中国軍の描写です。 中国はソ連側の下にあり、北朝鮮を支援していたので、先生は中国軍を侵略者として書くのかと思っていましたが、先生の本では、中国軍隊は敵でありながら、村人をとても親切に扱った中国軍に対して、同盟国である国連軍は女性に対して凶悪な行為を行ったと、とても高く評価して書かれています。 また、先生の本『哭きの文化人類学』、それも中国語に翻訳した、日本人は中国人と韓国人の泣くことを理解できません。先生の本に従い、文化の違いによく知ることができました。

사형

2021年06月11日 05時24分35秒 | 講義
とても易しい言葉の講義に学生たちは難しいという。 難しい内容を分かりやすく講義するのが私の趣旨である。 昨日は「死は神聖なもの」。 死によって人間は人生を終え、あの世、すなわち極楽か天国に行くという信仰がある。 死後に残る人生を生きるべきだ。 そこに死刑制度と死を考える問題を提示した。 ネパール人学生は死刑制度がないとし、ベトナム人学生は死刑制度が必要だとした。より根本的な問題を投げかけた。神聖な死を刑罰にしたのはなぜか。私も難しい。学生たちも苦しい。よく理解出来ている学生こそ難しいと言う。哲学的で現実的な問題である。

아주 쉬운말 강의에 학생들은 어렵다고 하였다. 어려운 내용을 알기 쉽게 강의하는 것이 나의 취지이다. 어제는 <죽음은 신성한 것이다>. 죽음으로 인간은 삶을 마감하고, 저승 즉 극락인지 천당에 간다는 신앙이 있는 것이다. 사후에 남을 삶을 사는 것이다. 거기에 사형제도와 죽음을 생각하는 문제를 제시하였다. 네팔 학생은 사형제도가 없다고 하고, 베트남 학생은 사형제도가 필요하다고 했다. 보다 근본문제를 던졌다. 신성한 죽음을 형벌로 삼은 것은 무엇인가. 나도 어렵다. 학생들도 어렵다. 잘 이해한 학생들이야 말로 어렵다고 한다. 철학적이고 현실적인 문제이다.


배움

2021年06月09日 05時25分53秒 | 講義
 学ぶということは些細なことから学校教育を含めて広く社会化といえる。 幼い頃から「肩越しに学ぶ」という言葉が常に頭に浮かんでいる。学校教育を超越したことを意味する。私は多くの恩師から多くのことを学んだ。講義をはじめとして常に見聞きしたことが多く、その影響が大きかった。難しい言葉でいえば、価値観を共有することになる。つまり、その言葉には模倣というものがある。友人や国同士でもそうだ。見たり真似したり、学んだり、創造したりするのだ。善意の競争も良い。乗り越えようと躍起になる必要はない。訓戒の文となった.

배운다는 것은 사소한 것에서 부터 학교교육을 포함해 넓게 사회화라고 할 수 있다. 어려서부터 <어깨 너머로 배운다>는 말이 늘 머리에서 맴돌고 있다. 학교 교육을 초월한 것을 의미한다. 나는 많은 은사들로부터 많은 것을 배웠다. 강의를 비롯해 늘 보고 들은 것이 많고, 그것의 영향이 컸다. 어려운 말로 하면 가치관을 공유한 것이다. 즉 그 말에는 모방이라는 것이 있다. 친구들이나 나라들끼리도 그렇다. 보고 흉내 내고, 배우고, 창조하는 것이다. 선의의 경쟁도 좋다. 뛰어 넘으려고 악을 쓸 필요는 없다. 훈계의 글이 되었다.

「日本人は礼儀正しい」

2021年06月05日 05時14分13秒 | 講義
遠隔授業で半学期を過ごした。昨日は先週の講義に対する学生たちのコメントに対して私が反応しながら映像対話を交わした。外国人留学生たちは、口をそろえて、「日本人は礼儀正しい」と評した。私は、学生に、特に韓国の学生に「東方礼儀之国」という言葉をよく口にする韓国の礼儀を、日本人と比較する意味で質問を投げかけた。またタイで12年間暮らした学生の貴重な体験談も聞いた。
 日本では本人ではなく会社などの責任者が謝罪する、あるいは親が代わりに謝罪する姿について、国民を子供扱いするのではないか。謝罪などで自分が評価されるといった生徒もいた。私は個人主義や平等主義の人権にも触れた。他人に不快感を与えないことを指摘した学生の意見で、結論のようになった。講義の中盤評価は良い。

원격수업으로 반 학기를 보냈다. 어제는 전주의 강의에 대한 학생들의 코멘트를 가지고 내가 반응하면서 학생들과 영상 대화를 나누었다. 외국 유학생들은 일구동성 일본인은 예의 바르다는 평을 했다. 나는 학생들에게 특히 한국 학생에게 <동방예의지국>이라는 말을 자주하는 한국의 예의를 인본인과 비교하는 점에서 질문을 던졌다. 그 중에는 타이에서 12년간 살았던 학생의 귀중한 체험담도 들었다.
일본에서는 본인이 아닌 회사 등 책임자들이 사죄하는 장면이 많다고 그리고 일본인은 본인 아닌 대표, 또는 부모가 대신 사죄하는 모습에 대해 본인 아니 국민을 아이 취급을 하는 것 아닌가. 사죄 예의 등으로 자신이 평가된다고 한 학생도 있었다. 나는 남을 의식한 개인주의가 약한 점을 지적하였다. 어느 학생은 상하관계 경노사상에 대해서 좋게 평가하는 말을 하였는데 나는 평등주의 인권을 강조하였다. 남에게 불유쾌감을 주지 않는 점을 지적한 학생의 의견으로 결론이 된 셈이다. 일본문화론 강의의 중반 평가는 좋은 것으로 생각되었다.

a:日本人はよく謝罪をするという事だが、テレビでニュースを見ると何か不祥事を起こす度に上の人間が頭を下げている。謝罪をするが、そのために生じるデメリットもある。
b:日本のあいさつについて、日本人にとっては礼儀やねぎらいのような傾向にあると感じる。
今の世代が過去の出来事について謝罪する責任はあるのか、過去の出来事、歴史について向き合うことが大切だ。韓国なら何でもなかったような些細な状況でも日本人は謝る。
c:上下関係なども厳しい。
d:感謝をするようにしている。
e:中国人は日本人の今の礼儀作法はとても複雑だ。日本のマナーが最も煩雑。
f:不愉快な気持ちを持たせないように.
g:相手に見ないところでもお辞儀、相手の体に触れることを控え、敬意を表す。

*9歳のころからずっとタイで住んできましたが、さすがにどの国でも日本みたいに礼儀が正しい国はない。些細な間違えでも相手に許してもらえるまでずっと謝り続けるのが日本人だと思います。

世界の食文化

2021年05月31日 06時13分14秒 | 講義
世界の食文化 「東洋経済日報」2021.5.28寄稿文
     
日本の食文化として夏には「土用の丑」、鰻をたべる丑の日がある。ウナギを食べると夏を元気に乗り切れるという俗説があり、暑さが最も厳しい三伏(初伏·中伏·末伏)に食べる。しかし、鰻と形が似ている蛇は食べない。食べ物とは栄養、味、そして食材の生態的な文化だと言える。国ごとに食材の種類や料理法などが異なる。

私は東南アジアの魚市場で蛇を食品として売っている現場を見たことがある。中央アジアで牛馬など肉を紐に掛けた肉林の市場も見た。そして品川場で数時間に何千頭をするその現場を見たことがある。中国の延辺で犬肉料理店が軒を連ねているのも見た。ホテルでは犬体を刻み料理するのを見てびっくりして、そのホテルを変えてしまった。これらの現場を見た後から私には動物映像の激しいトラウマが残っている。

菜食文化や肉食文化と言われる文化がある。しかし、肉食文化だからと言ってもどんな動物の肉でも食べるわけではない。ヒンズー教では牛肉は食べない。イスラム教では豚肉を食べない。どんなに飢えても人の肉は食べない。栄養ではなく、文化の問題である。ある国では牛を神様のようにもてなし、ある国では想像もしなかった材料で料理を作る。

日本文化論では和食として刺身、つまり魚を生で食べる文化が話題になることが多い。 中国などの大陸から来た留学生たちは、それに対して否定的な反応が多い。私自身も食べるが、好んで食べているわけではない。私はいまだに韓国料理が好きだ。オーストラリアで暮らして世を去った友人も基本的に韓国料理を好んだという。幼い頃から親しんだ味を好むのは一般的なことである。

私の日本文化論の時間でベトナムの留学生は淡々と自国の犬猫肉を特別食として食べること紹介した。韓国でも健康を守るために補身用として食べる。日本人には犬はペットというイメージが強く、食べるという文化にはカルチャーショックを受けたとコメント。

犬を仕事仲間やペットと考える見方が強い現代のヨーロッパ圏などでは、牧畜文化であり、犬が有史以前からパートナーであったので食べない。特にイギリスが顕著である。中央アジア・モンゴル地域でも犬は食料ではない。イスラム圏では宗教上の教義としてイヌを食料とすることが禁じられている。ユダヤ教ではカシュルートの規定があり、食のタブーになっている。

日本は犬猫を愛する国である。食材を選ぶのは自由ではあるが犬食文化は愛犬という問題と衝突する。それはクジラの問題とも似ている。欧米などの反捕鯨国からは日本の捕鯨に大きな反発があり、反日的なデモも各地で起きた。捕鯨をめぐる問題は、ナショナリズムまで刺激する。ソウル市は犬食を「嫌悪食品」に指定して販売を禁止した。

愛犬に関しては犬を愛する人への心配りが必要である。つまり愛する心、愛する人の愛にどう対応すべきか民主、人権の基本的な問題である。あくまでも人の愛は尊重されるべきであろう。

世界の食文化

2021年05月31日 06時13分14秒 | 講義
世界の食文化 「東洋経済日報」2021.5.28寄稿文
     
日本の食文化として夏には「土用の丑」、鰻をたべる丑の日がある。ウナギを食べると夏を元気に乗り切れるという俗説があり、暑さが最も厳しい三伏(初伏·中伏·末伏)に食べる。しかし、鰻と形が似ている蛇は食べない。食べ物とは栄養、味、そして食材の生態的な文化だと言える。国ごとに食材の種類や料理法などが異なる。

私は東南アジアの魚市場で蛇を食品として売っている現場を見たことがある。中央アジアで牛馬など肉を紐に掛けた肉林の市場も見た。そして品川場で数時間に何千頭をするその現場を見たことがある。中国の延辺で犬肉料理店が軒を連ねているのも見た。ホテルでは犬体を刻み料理するのを見てびっくりして、そのホテルを変えてしまった。これらの現場を見た後から私には動物映像の激しいトラウマが残っている。

菜食文化や肉食文化と言われる文化がある。しかし、肉食文化だからと言ってもどんな動物の肉でも食べるわけではない。ヒンズー教では牛肉は食べない。イスラム教では豚肉を食べない。どんなに飢えても人の肉は食べない。栄養ではなく、文化の問題である。ある国では牛を神様のようにもてなし、ある国では想像もしなかった材料で料理を作る。

日本文化論では和食として刺身、つまり魚を生で食べる文化が話題になることが多い。 中国などの大陸から来た留学生たちは、それに対して否定的な反応が多い。私自身も食べるが、好んで食べているわけではない。私はいまだに韓国料理が好きだ。オーストラリアで暮らして世を去った友人も基本的に韓国料理を好んだという。幼い頃から親しんだ味を好むのは一般的なことである。

私の日本文化論の時間でベトナムの留学生は淡々と自国の犬猫肉を特別食として食べること紹介した。韓国でも健康を守るために補身用として食べる。日本人には犬はペットというイメージが強く、食べるという文化にはカルチャーショックを受けたとコメント。

犬を仕事仲間やペットと考える見方が強い現代のヨーロッパ圏などでは、牧畜文化であり、犬が有史以前からパートナーであったので食べない。特にイギリスが顕著である。中央アジア・モンゴル地域でも犬は食料ではない。イスラム圏では宗教上の教義としてイヌを食料とすることが禁じられている。ユダヤ教ではカシュルートの規定があり、食のタブーになっている。

日本は犬猫を愛する国である。食材を選ぶのは自由ではあるが犬食文化は愛犬という問題と衝突する。それはクジラの問題とも似ている。欧米などの反捕鯨国からは日本の捕鯨に大きな反発があり、反日的なデモも各地で起きた。捕鯨をめぐる問題は、ナショナリズムまで刺激する。ソウル市は犬食を「嫌悪食品」に指定して販売を禁止した。

愛犬に関しては犬を愛する人への心配りが必要である。つまり愛する心、愛する人の愛にどう対応すべきか民主、人権の基本的な問題である。あくまでも人の愛は尊重されるべきであろう。

SNSを通して

2021年05月29日 05時27分23秒 | 講義
昨日も遠隔授業で日本文化論を講義した。国境を越えて、学生たちと話し合う時間を過ごした。会話を交わした学生らが、授業の感想欄に、「教授との会話が嬉しかった」と書いた。社会的にも開放され、多くの読者とSNSを通じて世界に広がっていくことが楽しい。ネット上の友達が増えて世界が広がっている。読者たちとの楽しい会話が多くなっている。昨日はある雑誌社から電話があって楽しい会話を交わした。
共通のネット友達が100人を超える人たちを受け入れて4000人近くになることは感謝である。その中には批判的であったり、自分と意見が違っても友人にしているが、中には悪口や誹謗中傷など「人格」に対する侮辱的な単語を使う人とは友をやめた。一昨日は2人をネット友から外した。私の広い意味の教育と研究を否定する意見だった。相手を全面的に否定する言葉はお互い慎まなければならない。

어제도 원격수업으로 일본문화론을 강의했다. 국경을 넘어서도 학생들과 대화를 나누는 시간을 보냈다. 대화를 나눈 학생들이 수업 감상란에 교수와 대화를 기뻤다고 적었다. 사회적으로도 개방되어 많은 독자들과 SNS을 통해서 세계로 확대되어 가는 것이 즐겁다. 넷트상 친구가 늘어가서 세계가 넓어지고 있다. 독자들과의 즐거운 대화가 많아지고 있다. 어제는 어느 잡지사로부터 전화가 와서 즐거운 대화를 나누었다.
공통의 넷트 친구가 100인을 넘는 사람들을 받아 들여 4000명 가까이 되니 감사하다. 그 중에는 비판적이거나 나와 의견이 달라도 친구로 삼고 있지만 개중에는 욕설이나 품의 없는 말 그리고 인격에 대한 모욕적인 단어를 사용하는 사람은 끊었다. 수십년 동안 서너 사람 뿐이다. 그제는 내가 잘 아는 두 사람을 넷트 친구에서 해제하였다. 나의 넓은 의미의 교육과 연구를 부정하는 의견이었다. 상대를 전적으로 부정하는 말은 피차 삼가하지 않으면 안 된다.

난징학살기념관

2021年05月27日 06時32分14秒 | 講義
 본란은 수강생들도 읽을 수 있도록 쓰고 있다. 지금 강의 중인 <아시아 문화언어>에서는 북한에서 중국으로, 몽골 시베리아 사할린, 캄차카 반도로 북으로 가고 있다. 단순한 여행담이 아니다. 기념관이나 박물관을 보면서 현지에서 느낀 점으로부터 학생들에게 문제점 그리고 메시지를 내고 있다. 지난주에는 중국 난징에 있는 난징학살기념관을 둘러본 뒤 평화와 인류애를 어떻게 할 것인지 의문을 던졌다.거의 많은 학생들이 전쟁을 싫어하고 평화로워져야 한다고 쓰고 있다. 그것도 거의 복사의 글이다. 그 중에 좋은 글이 있었다. 용기를 얻었다.
 
 원폭자료관 등과 같이 과거에 있었던 비참한 일을 다시는 반복하지 말라는 경각심으로 그에 관한 자료 등을 잘 보관하고 전시함으로써 전시하는 것은 중요하다. 하지만 피해자 측의 국가가 그 전시를 보면 아무래도 편견 등이 섞여 버리는 것 같습니다.따라서 평화를 위해 그러한 것들을 전시한다면 편견을 갖지 말고 왜 그러한 일이 일어났는지, 무슨 일이 일어났는지를 피해자측 시점에서도 가해자측 시각이 아닌 객관적인 시점에서 보고 기록한 것을 전시해야 한다고 생각합니다. (2년 )

「アジア文化言語」

2021年05月27日 05時55分19秒 | 講義
 本欄は受講学生たちにも読まれるように書いている。今講義中の「アジア文化言語」では北朝鮮から中国へ、そしてモンゴル、シベリア、サハリン、カムチャッカ半島へと北に向かっている。ただの旅行談ではない。記念館や博物館を見ながら現地で感じたこと、考えたことから学生たちへ問題点そしてメッセージをだす。先週は中国の南京にある南京虐殺記念館を見てから平和と人類愛をどうすべきかと疑問を投げかけた。多くが戦争は嫌、平和になるべきだとコメント。コピペの文が多い。その中に良いコメントもある。勇気づけられる。
 
 日本の広島にある原爆資料館などのように過去にあった悲惨な出来事をもう二度と繰り返さないようにという戒めとしてそれに関する資料などをきちんと保管して、施設で展示することでいろいろな人に見てもらうことはとても大事だとは思います。でも、被害者側の国がその記録を展示したりするとどうしても偏見などが混じってしまうようにも思います。なので、平和の為にそれらのものを展示するのなら偏見を混ぜず、なぜそのようなことが起きたのか、何が起きたのかを、被害者側の視点からでも加害者側の視点からでもない客観的な視点から見て記録したものを展示するべきだと思います。(2年)


가족기업

2021年05月15日 15時16分18秒 | 講義
先日本欄で紹介した彼は、私と同年の同じ大学で共に授業を受けたことを、お互いに記憶している間柄である。サンフランシスコからの国際電話で,いまのコロナ危機を乗り越え,彼に会って多くの話をしたいと語った。彼が作った家族財団が発行した本『相互依存的資本主義(Interdependent Capitalism)』を送ってきた。 序文を読んだ
 米国で成功した単純な成功談ではない。尹氏が成功した苦労と逆境に勝った話が中心ではない。その家族が成功したことを基盤に財団を作って社会革新を図るための提言をしている。そんな研究テーマに対する1万ドルの研究論文賞も発表した。
 一般的に中国人や韓国人が家族企業として成功したことはよく知られているが、たいてい否定的なイメージがある。相続争いという社会的問題を思い浮かべることになる。ところが彼ら尹氏家族は、自分たちの成功により、社会的に貢献できるように努力している。
 初めの<故郷>の物語が印象的である。私のように戦争の辛さを思い出す故郷とは対照的に、彼らは美しい思い出を持っている。優しい心、誠実な努力で成功した人々だ。肯定的な考え方、美しい成功談だ。彼らは言う。私たちは遠い歴史の前の時代から、みんな家族や親戚関係の中で暮らしていた。それは他の知らない人たちにも行動を誘発した。今日も核家族として孤立しているようだが、結局見知らぬ他人とつながっている。そのような点で、ある家族·親族関係は社会、政治、経済などで隣人と他の地域社会に拡散する。彼らの成功が、より良い世界を作るのに貢献するということである。

지난 번에 본란에서 소개한 그 당본인은 나와 동년 같은 대학에서 수업을 같이 들은 것으로 서로 기억을 떠올리고 있는 사이이다. 샌프란시스코로부터 국제 전화를 길게 하면서 지금의 코로나 위기를 넘기고 그와 만나서 많은 이야기를 나누고 싶다고 하였다. 그가 만든 가족 재단이 발행한 책 <상호의존적 자본주의(Interdependent Capitalism)>를 보내 왔다. 서문을 읽었다.
미국에서 성공한 단순한 성공담이 아니다. 윤씨가 성공한 고생과 역경을 이긴 이야기 중심이 아니다. 그 가족이 성공한 것을 기반으로 재단을 만들어 사회혁신을 기도하기 위한 제언을 한 것이다. 그런 연구주제에 대한 1만달러의 연구논문상도 발표했다.
일반적으로 중국인나 한국인이 가족기업으로 성공한 것은 잘 알려져 있다. 대개 부정적인 이미지가 있다. 상속 싸움이란 사회적 문제를 떠올리게 된다. 그런데 이들 윤씨 가족은 그들의 성공을 사회적 기여에 노력하고 있다.
처음 <고향>이야기가 인상적이다. 나처럼 전쟁의 쓰라림을 떠올리는 고향과는 대조적으로 그들은 아름다운 추억을 가지고 있다. 고운 마음, 성실한 노력으로 성공한 사람들이다. 긍정적인 사고, 아름다운 성공담이다. 그들은 말한다. 우리들은 먼 역사 이전시대로부터 모두 가족 친척 관계 속에 살았다. 그것이 다른 모르는 사람들에게 행동을 유발시켰다. 오늘날도 핵가족으로 고립되어 있는 것 같지만 결국 낯선 타인들과 연결되어 있다. 그런 점에서 한 가족 친족 관계는 사회, 정치, 경제 등으로 이웃과 다른 지역사회로 확산된다. 그들의 성공이 더 나은 세상을 만드는 데 공헌할 것이라는 것이다.