崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ホームページ更新

2007年05月31日 05時14分52秒 | エッセイ
 文部科学省の研究費による研究会の報告蘭を設けるために更新する機会にホームページ全体のデザインも更新した。前回までは自力でデザインをしたが更新するたびにトラブルが時々起きて困った。この度は業者の力を借りた。これからは業者と相談しながら更新していきたい。一般的に若年齢層と高齢年層の差をコンピューターをこなせる力によって判断するが、私はこれからもその差を乗り越えようとコンピューターに挑戦してみたくて、楽しみながら頑張ってみたい。

「洋子の話」

2007年05月30日 06時31分37秒 | エッセイ
 私は本欄において先日アメリカで問題になっている「洋子の話」についてある人から韓国の聯合ニュースの「韓人教師ホ・ソシンの洋子の話”撤去」という記事を転送してもらった。ホ・ソシンは、韓国人が被害者なのにどうしてこの小説が日本人を被害者としているのかと抵抗している。
 戦後ある時期のこととはいえ、「歴史を事実で見る」ことと、ノンフィクション作品を文学作品ととして理解すべきではないか。アメリカ韓人の運動者たちの'文学作品の理解の足りなさ’をもう一度確認した。 
 

松岡農相の自殺

2007年05月29日 06時23分34秒 | エッセイ
 「なんとか還元水」という発言で有名になった松岡農相が自殺した。これは自殺とは言えない。英語やフランス語ではkill(himself),sui-cideなど他殺に近い。体は自分のものではない、神のものだという生体観に基づいている。儒教では体は祖先のものだという。松岡氏はマスコミや政治家、世論に追い込まれた「自殺」である。彼は世俗的には成功したかもしれないが神の前に失敗した人である。世俗を投げ捨てて悔い改めることができず「自殺」の形をとった。日本は有名な作家の自殺や切腹の文化を持っている。良い文化とは言えない。自分を世間に長く残すパフォーマンスではなく、自己犯罪であることを認識しなければならない。

昨日のハプニング

2007年05月28日 06時24分27秒 | エッセイ
 昨日、北九州の在日教会の小倉教会で二人の女性が長老に就任することを祝う礼拝に参加した。女性の牧師や長老がとても少ない中で「女性長老」ということで大きい意味がある。在日教会には牧師が足りず、韓国では多すぎなので韓国人牧師が韓国から日本に来て韓国式で伝道している状況である。小倉教会は少ない牧師の成功的な例といえる。また、在日韓国教会の中で評判の高い牧師が宇部教会崔栄信牧師である。
 記念写真の時ある中年女性が現れて自分を記憶しているかと聞かれた。彼女は大邱で会ったという。私は日本からの留学生であると思い、思い出すに時間がかかった。彼女が」崔牧師の物を扱うことを見てどのような関係ですかというと「主人です」と崔牧師を指す。また思い出すことが難しくなった。牧師と結婚した昔の卒業生がいたのを思い出すにはしばらく時間がかかった。1979年啓明大学校の時の女学生であった李ムオクさんであることを確認した時は私は興奮した。それを披露した。私にとって大きいハプニングであった。30年ほど前の弟子にあって教育者として「三悦」の一つであった。

出版記念講演

2007年05月27日 06時54分42秒 | エッセイ
 昨日の午後、下関韓国教育院で拙著『樺太朝鮮人の悲劇』(第一書房)出版記念に講演をした。戦時交戦中という無法アノミー状況において人間が人間らしく正しく行動できなかった悲劇である。私は法律、民族、国家を超越する人間像、人格を作るべく教育をしていきたいと語った。日本では目下、主に知識を伝える教育から人格の教育へ改革しようとしている。決してナショナリズムに戻る改革ではなく、ルソーが言った自然な人間教育にならなければならない。それが真のグローバリズムの教育である。

読売新聞(福岡)の南氏のコメント

2007年05月26日 05時39分36秒 | エッセイ
崔先生
ホームページのエッセイも時々、目を通しています。その切り口、なかなかいい
ですね。
「本当のことを本心から言い続ける」姿勢にさわやかさを感じます。
先日、「学校と社会の連携・融合」をテーマに、発言をする機会を与えられました。私は連携・融合の大前提は、情報開示だと語りました。包み隠すことなく、真実を語ること。とりつくろうことなくプラス面もマイナス面も見せあうことが大切
と感じます。
 「下関学」から世界へ。さらに発信し続けること期待します。そして、傷つけ
あったり殺し合ったりすることのなく、だれもが心地よく生きることのできる世
の中づくりを目指したいものです。
 また、お会いして、語り合いたいものでね。

*了解を得てメールから抜粋した文

引揚者の体験記を読んで

2007年05月25日 06時31分17秒 | エッセイ
 引揚者の体験記大木信夫著『朝鮮海峡』(文芸社、2001)を読んだ。著者の父親である人は麗水での裁判官。病気で帰還が困難、そして自決した。リヤカーで運ばれ焼かれるという惨めな終末。この本には終戦直後の事情が詳しくリアルに表現されている。著者は勉強が大嫌いだと描かれているが、人生の生き方や文章の表現力などからみて優秀な人と思われる。ジャンク船上の飢餓状況で人間の品格を失うこと、緊迫な状況において朝鮮人、金山との信頼関係の強さ、日本で朝鮮人としてイジメられるなど問題点を多く露出している。本当に感動した。

わが犬が一番美しい

2007年05月24日 06時01分06秒 | エッセイ
 「わが犬が一番美しい」と感ずるのはなぜであろうか。それは恋をする時の感情に似ている。好きであるから肯定的に見る。好き嫌いは論理を超える時が多い。その論理や合理を超える、つまり経験的なものである。犬食文化から見ると犬も食材になる。それは犬を愛した経験が少ないからである。熊を殺して食べるアイヌの熊祭りが非難されたことがある。動物についてもさまざまな文化がある。

ホームページ更新

2007年05月23日 09時38分43秒 | エッセイ
 ホームページを更新しようと新しくソフトを購入していじってしまって昨夜から見れなくなりました。緊急に臨時のものを作ったのですが、読者にはご迷惑をかけて大変申し訳ないと思っております。近いうちに更新画面を見せることができるように努力します。

今なぜサハリンか

2007年05月22日 06時21分50秒 | エッセイ
 新著を出したところ、ネット上に「今なぜサハリンか」という意見がある。戦前の樺太は日本人の意識の中から綺麗に消えたものであり、新しく問題(?)にすべきではないかという意見かもしれない。また愛読者の一人の堀氏は読んでみて日本や日本人を強く訴える強き文章ではなく、柔らく感じたという。読んでない人と読んだ人の違いである。今週下関韓国教育院では出版記念講演ではその概要と裏話を披露してみたい。

懐かしさ

2007年05月21日 06時00分00秒 | エッセイ
 科研の研究会に下関住まいの河崎威氏をお招きし、メンバーたちがインタビューをさせていただいた。彼は75歳、親が岡山から1923年韓国全羅南道羅老島の漁村に移住し、彼はそこで生れ、順天中学校の時終戦で引き上げた方である。現在、彼の名刺には肩書きが表裏いっぱいあるほどの役職で活躍されている。彼は日本より生れ故郷である麗水が最も懐かしく思っていると言っておられた。その「なつかしさ」は純粋なものである。彼は懐かしい生まれ故郷の麗水を訪ねたりもする。生れ故郷を懐かしく思うのは人間の普遍的な心理である。懐かしい風景や食べ物などを好んで求める。そこで「懐かしい産業」ともいえる観光産業も多い。懐かしさを人間のエネルギーにすることは可能である。

1989年韓国西海の映像

2007年05月20日 06時22分26秒 | エッセイ
 昨夜科研の研究会として、1989年韓国西海の多島海でイシモチ漁、波市、草墳そして日本時代の日本人村の現在を歩いた映像を3時間鑑賞した。東京のビジュアルフォークロアーの代表の北村皆雄氏が同行してカメラマン明石氏が撮影したものである。当時私のインタビュー映像が多く出て照れ臭かった。当時私は相当冒険的であった。暴風注意報が発令の状況でも数回も貸切船舶で島を脱出した。ようやく脱出して目的地に着いたが船主が警察に違反とされ連行された。自分では危険なことをしながら遭難碑には頭を上げた。自分はあくまでも安全だと信じて行動したのを今反省する。

朝鮮半島南北鉄道連結

2007年05月19日 05時19分34秒 | エッセイ
 朝鮮半島の南北関係は朝鮮戦争もあって改善することが難しい。しかし金大中大統領以来、主に政治家の努力によってやっと鉄道を連結するところまできた。私は南北関係を和解させる日本の役割が可能かと思ったが拉致問題一本すじで北朝鮮とは悪化の一方をたどるだけであって失望している。大きい問題はあっても東アジア全体が交流するという大勢を阻むことはできない。政治家は広く遠く未来を見てほしい。 

植民地の土地所有権は

2007年05月18日 06時44分06秒 | エッセイ
 植民地朝鮮で大きい缶詰工場を営んで成功したが終戦と共に引き上げた人の話である。もちろんその人は高齢の方である。植民地朝鮮での土地文書も持っている。その所有権を主張する訴訟を起こそうとしているという。日韓条約によってそれは無効だとある人が言ったが、弁護士を立ててやってみたいというのだ。イギリスが香港を返還しながら上海の建物の所有権を主張したということを想起しているようである。彼は植民地の被害者であるという意識を持っているようである。植民地史は生き続けている。

弟子に騙された人の話

2007年05月17日 05時44分45秒 | エッセイ
 元教員であった年輩の女性の話である。昔の彼女の学生であったという女性が尋ねてきた。突然の弟子の訪問に彼女は嬉んだ。そして古い話で師弟関係が復元され盛り上がった。その時弟子(?)の女性が先生の糖尿病について心配しながら良い治療寝具である41万円の敷き布団を売り込もうとした。先生は笑顔で弟子を帰らせたが騙されたと腹を立てた。その次の日、私は古い弟子からその事例と似ている電話を受けた。
 社会的に何かをしようとしたら何かの関係によって行動するのは人間関係の基本である。ただその子弟関係が持続している内に贈与関係や授受関係が成立する。切れた関係でその関係だけを利用する時不当な関係になりうる。この事例のように彼女が騙されたと不快感を持つのは当然である。