今日は年度末、日曜日、定年や人事異動も多い。所属集団から離れるか変わる人も多い。私は国も変わって、多く転々として職場を代えてきた。経験や心も大部変わってきた。人との出会いも変わっている。日本には高齢になりひきこもる人も増えていく。人との出会いを大事にすべきである。昨日十年以上の付き合いがあり、韓国から留学生を多く送ってくださる崔鐘星氏から電話、「健康を大事に」という挨拶、嬉しい。教会では「聖徒の交わり」と毎週暗唱する。しかしそれを深く考えることや説教を聞いた覚えはない。軽視されているのか。教会は社交の場ではないという人もいる。聖書と十字架以外には要らない。中世のようである。我が愛犬の「人(犬)形」を作ってくれた人がいる。愛情を感ずる。
韓国で取材活動をしながら長く住んでいる黒田勝弘氏の存在を羨ましく思う時がある。それほどナショナリズムが強い韓国で鋭く苦言を書きながらも多くの韓国人の友人を持っている人柄である。以前彼が韓国の桜切りナショナリズムを批判してメディアからバッシングされたことは私が時々引用したが、今度はビビンバナショナリズムに強烈な批判の話。最新著『韓めし政治学』を読んでいる。「ビビンバがいかに”神格化”されたか」という半行の文、面白い。もっと面白い(?)のはバッシングである。
「殺してやる」「爆破する」「自宅の住所はどこだ」などテロまがいのものを含め脅迫電話がかかり、警察当局が一時、警護にやってきたほどだ。(P295)
親日嫌い、嫌韓排撃、孤独なナショナリズムだけの国になりそう。
私の関心は慰安婦から移っていく。昨日の読書会で私は芸者は性を売るのではないかと疑問を投げた。日本では売春婦や慰安婦と違って日本の「芸者」は芸を見せる者であり、セックスは売はらないという言説がある。日本の芸者と類似しているのが中国や韓国の「妓」である。しかし日本の多くの男性が妓生観光をしたのは承知の通りである。それはセックス観光だった。アメリカで日本の芸者を映画化したことに、芸者が売春化されたと日本人は非難する。夫婦には性があるが性を意識することはほぼないように、芸者にもそうであろうか、日本文化としての言説、アイデンティティを持っているのか、その意識を分析してみたい。
日韓関係の悪さは明確、それは政治家の間だという。民衆の流れを効果的に「治める」のが政治の基礎、英語ではgovern governmentつまり政府である。政治家が信念を押しつけるのは独裁的になるであろう。残念である。その日韓関係の最悪中、昨日港で韓国からの50人の留学生を迎えた。嬉しい。最悪という日韓関係を吹き飛ばせる。彼らは大きなカバンを数個ももってきた。自転車も持ってきた。大型バスと軽トラックでも間に合わなく数回往復する。大学側から鵜澤副学長が対応する。私は歓迎し、写真を撮った。今年の大学ランキングの発表、「教育充実度」や「国際性」の評価の高い京都大学が一位という。私は大学や学科の次元ではなく、少なくとも私の講義ではよい教育をしたい。
春休み最中であり人影が少ない昨日、田辺氏と川原氏から研究所へ寄贈された本を整理しながら読みたい本を手にした。『絵はがき』と『Memoirs of a Geisha』の2冊。後者の紙の本を読み始めてからキンドルの電子ブックで読むことことにした。文中の知らない単語を指で押すと説明が表れ、辞書などで調べる時間を節約出来て速くて楽しい。言葉の勉強にも大いにプラス。音読の本も多く、外国語の勉強にもよい。なぜ外国語を勉強するのか。人生を楽むためであろう。本能だけでも楽めるが、より広く、深く、長く、楽しむためである。私の新入生へのメッセージでもある。
小学校で英語を教えるという。読み書きが中心な感がしてならない。言葉には「聞き、話し、読み、書き」の四つの基本機能がある。「読み書き」が中心になっているのではないかと心配である。「聞き、話し」は教員や機器、施設などの難点がある。しかしその主点が欠如してはいけない。いち早く始まった韓国の英語の熱狂ブームでもやはりそれが問題である。ある学父兄が小学生の子供の授業参観でショック受けたという投稿がある。英語に失敗した世代なのに、子供たちにも同じように実戦英語ではないので英語恐怖症がでるか、心配であると。
毎年この頃になると桜の話。日中戦争のインタビューを文章化している中に気になる地名の武漢の話がある。現在中国で名を知られる桜の名所である武漢大学の桜の花見に関するものである。武漢を占領した日本軍がキャンパスに28本の桜を植えたのが始まりであるという。1972年の中国と日本の国交回復を機に、日本は1000本の桜の木を贈呈した。今そこで日本人が和服を着て花見をし、中国人に暴行されたという。ネット人たちは暴行した中国人を狭い民族主義者だと非難している。日本人が和服、花などナショナリズムに乗ったのも幼稚である。日本時代の軍港の韓国・鎮海の桜が花見で有名になっている。
春の日和、園芸センターにて散歩。一行は男女5人。桜も蘭も見当たらずただパンージの展示、粗末な市立施設である。でも散策コースとしてはベスト。蓮が半開している。
孔氏に私が花はなぜ奇麗か。蜂のためだろうか。蜂には美覚があるのか。波はなぜ、雲はなぜ…美しい、子供のような愚問を連発したら、彼曰く神様の存在を言い出した。教会では聞けなかったメッセージをここで知り、謙虚になる。
下関に住んで十数年、私は余所者か、地元の者かと自問することがある。文化人類学者として私は下関は研究調査のフィールドでもある。すでに日中戦争とシベリア抑留などに関してはインタビューしたものもあり、出版されたものもある。昨朝は古い遊郭だったところが食堂居酒屋となっていると聞いた「まんなおし」を見て写真を撮った。そして東アジア文化研究所主催の研究会のために準備した。読書会のメンバーが中心、地元の知性人の西原、藤川夫婦、孫山夫婦、中村、磯部、田中、広島から中国新聞の編集委員の伊東氏ら20人弱の参加で元下関図書館長の安冨静夫氏(1940)が「下関・遊郭のうつろい」という演題で講演をされた。下関の廓、市の発展と共に駅を向かって東から西へと港町の繁栄と共に移ってきたこと、遊女たちと舞踊協会の会員たちによって歌舞伎や先帝祭が引き継がれ、戦争時にも絶えることなく華麗にして今になった経緯を語ってくださった。
終了後記念写真、私の研究室で長い笑談が続いた。私が慰安婦に関する本で韓国からバッシングを受けた話、それについて韓国の今の政権は問題、変わると良くなるのであろう、在日の人たちは日本が好きで日本に住んでいるという冗談か真談か力強い発言もあった。伊東氏の提案、次は在日の発表を聞きたいと提案が出た。私は大賛成であり、近い内に実行しようと応対した。
下関の歴史博物館は常設展が一般的で一度だけになりがちであるが、美術館は訪ねることが多い。昨日は「ゴルゴ13」展を見た。ほぼ知らない007、コミックが展示されている。さいとう氏のインタビューの映像も視た。ゴルゴ半世紀、そしてご自身の画業の軌跡、分業作業の話も印象的であった。「武器庫」から公開されるモデルガンを取って発射ポーズも撮った(写真)。漫画に没頭したことのない私には理解し難い、しかしその影響には注目したい。
今日は地元の文化について郷土史家安冨氏が下関の遊郭文化について語る。どう掘り下げるか、考えている。
東亜大学13号館7階、2時から
昨日は卒業式で終始した感がする。式前に学長と長く歓談したが、学事のことではない。学長のベトナム旅行から土産もいただき、私の京都での講演など近況を、特に研究会では春画を以て美と性の問題を掘り下げていくことを伝えた。
式場ではいつものように教員席に座った。席は入れ替わりが激しいと思った。式順は定型化されたもの、特に注目したことがあった。古く学縁のある方の博士学位授与である。世界的に形質人類学の権威ある鵜澤宏和教授の指導で韓国の考古学者の金昌億氏が新羅の研究で論文博士学位が授与された。私は副査を務めた。
海辺の平家座屋で昼食をとった。彼は関釜フェリーで来られたが韓国からの観光客で満室、日韓関係の悪さは全く関係ない、政治的なものとは別次元、正常な人間関係、特にアカデミズムなどでは善なる人間関係、何も変わっていない。彼は政治的なことには無関心、聖人のようであった。政治やメディアとは異次元で希望が感じられた。
韓国からの電話はお花見のお誘い。鎮海港の桜祝祭は有名である。日本時代から今も海軍本部である。祝祭中は軍港も公開されるというので行こうと思った。日本時代の映像を視ながら見たくなった。今反日文政権ではこの祭りはどうなるのだろうか。また私の調査を兼ねての花見はどうなるか。自制することにした。
日本は既に桜の開花のニュースで興奮状態、花を鑑賞するというよりお祭り騒ぎになる。「国花」というのは象徴、シンボルであるが、何か独占的に騒ぐのはいかがなものであろうか。大連に桜祭りがあると聞くと多くの日本人は親日的と感ずる。桜は日本にだけ咲くのではない。春の絵がある。
以前北京の古書街のユリチャンで「春画」を求めたら「春の絵」を見せてくれた。昨日図書館から春画の本、2冊を借りた。9月に日文研で「韓国の春画」について発表するための準備である。植民地時代の映像分析に続いて画像分析のためである。性と美、日中韓の特徴は、そして西洋と東洋の比較を試みる。檀園、蕙園の25点の名画を開く。日本の浮世絵へも挑戦する。春は長引くのだろうか。
私は最近、日本で多くの研究会などに参加しながら感じたことがある。それは研究者たちが先行研究はほとんど知らないか、または無視して独断で、新しい説を主張する傾向が強いということである。剽窃などの問題もあるが、それより学問研究の基礎の問題だという気がする。朴裕河教授の投稿で知ったことをここに紹介する。<この間、ソヒョン教授が、いわゆる「鉄の棒」について明快にまとめた文章を読んで嬉しかった>(ソヒョン、2019)という。日本人が朝鮮で英雄が出ないように風水的な位置に鉄の棒を打ったという作り話。私は『親日と反日の文化人類学』(明石書店)と『親日と反日』(タラグォン)でこの真実について詳細に扱ったことがある。当時野崎教授の調査報告と私の風水の暴力説が韓国と日本でよく知られたが、今改めて話題になるのは嬉しく、一方では寂しい。
朝鮮総督府庁舎の破壊と「風水」ナショナリズム
詳細情報
タイトル | 朝鮮総督府庁舎の破壊と「風水」ナショナリズム |
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著者 | 崔 吉城 |
出版地(国名コード) | JP |
出版年(W3CDTF) | 1999-05 |
NDLC | ZG6 |
対象利用者 | 一般 |
資料の種別 | 記事・論文 |
掲載誌情報(URI形式) | http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000025540-00 |
掲載誌情報(ISSN形式) | 04288653 |
掲載誌情報(ISSN-L形式) | 04288653 |
掲載誌名 | 日本民俗学 / 日本民俗学会 編 |
掲載通号 | 218 |
掲載ページ | 1~24 |
言語(ISO639-2形式) | jpn : 日本語 |
나는 요즘 일본에서 여러 연구회 등에 참가하면서 느낀 것이다. 최근에는 연구자들이 선행연구는 거의 모르거나 무시하고 독단으로 새 설을 주장하는 경향이 강하다는 느낌이 든다. 표절도 문제이지만 학문 연구의 군본적 문제라는 생각이 든다. 박유하교수가 투고한 글에서 알게 된 것을 여기에 소개한다. <얼마전에 서현교수가 이른바 ‘일제의 쇠말뚝’ 에 대해 명쾌하게 정리해 준 글을 읽고 반가웠었다 > (서현, 2019)는 것이다. 나는 <친일과 반일의 문화인류학>(아카시서점)과 <친일과 반일>(다락원)에서 이 문제에 대해 깊이 다룬 적이 있다. 당시 노자키교수의 조사 보고와 나의 풍수의 폭력설이 한국과 일본에서 잘 알려진 것인데 새삼스레 화제가 되는 것 같다. 한편 반갑고 한편 서운하다.
お知らせ:下関は港町、花街の文化が盛んなところであった。それは先帝祭の八文字として有名である。その由来について詳しく語りあう良い機会である。郷土を愛をする人たちに聞いていただきたい。
東亜大学東アジア文化研究所は元市立図書館長の安富静夫氏に聞くことになった。参加費無料、市民の参加を願う。
2019年3月23日、午後2-4時
東亜大学13号館7階
京都の国際日本文化研究センターでの研究会から昨夜無事に帰宅した。無事とは前回に比べて健康状態も良く、指定席であって、予定通りに帰り、韓ドラの連続テレビに間に合ったことである。研究会でも日韓、日中の関係が悪いと言われても民間レベルでは関係が悪くないと発言した人もいた。
帰りの電車の中で『Homo Deus』を読んだ。これからは戦争は起こらない。経済が重要な抑止力になると述べている。文大統領は南北統一という反日平和商品で人気を図ったが経済的に困るだろうというメッセージが読み取れる。前回の京都での講演について書いた新聞コラム「日本人は勤勉と正直」の掲載紙が届いている。