崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

武士刃

2013年08月31日 06時00分34秒 | エッセイ
 下関に住むようになり地方都市に生きる楽しみを覚えた。小都市の中を歩きながら遺跡物をみて、住民たちと出会うことである。松陰、晋作など日本近代史の重要人物、そして声楽家の藤原義江に関心を持っている。義江の伝記式の古川薫氏の小説を読み、トークショーもしたことがある。実は別に文学の専門家ではなくとも、文学作品や映画、ドラマをみて語る人は多い。私は文学評論家になろうとしたが脱線して民族学・文化人類学者になったが最近それほど逸れていないという感がある。人間の生き方に関心を持ち、それが研究テーマであるからである。
 古川氏から彼の米寿記念作の新著である『武道初心集~いにしえの教えに学ぶ組織人の心得~』が届いた。誰でも古い価値観の本であろうと思われる本を古川氏はなぜ関心を持ったのであろうか。最近会った時「武士道に夢中になっている」という話を思いだした。しかしひも解いてみると忠、孝、死、名など懐かしく、慣れた言葉ばかりである。日本留学から帰国して日本語の教師になった時読んだ本が『葉隠』であった。私は日本人の死生観から近代化論まで発展させて歴史学者と経営学者と3人で共著の論文を発表したことがある。その内容は身の回りの話ではなく、そこには生き方の重要な戒めがあることに注目したい。私は武士、サムライ、死を再認識した。
 最近、下関が生んだ偉大な作家を死んでから名前を目にした赤江瀑という作家に注目するようになった。彼は都会から遠く、地方に生まれ生きた人であり、地域性を超えた人物である。彼の作家と劇作家としての名高さはべつとして彼の作品に触れることが出来た。彼の作品の展示会が私が奉職している大学で行われる「12回しものせき映画祭」で彼の代表作である「オイディプスの刃」を上映することになった。早速映画を鑑賞した。秘蔵の名刀を研ぐ研ぎ師(渡辺裕之)の場面に圧倒される。刀、殺人、自殺、エロティシズム、香水などに、悲劇の要素が混ざって長いストリーを圧縮して画面が流れる。追いつくだけで必死で見る。単純な探偵物語りやハッピーエンディングの映像に慣れた人には重すぎる映画を「鑑賞」することになる。これを市民に見ていただきたい。
 


本当の人権は内政干渉を超える

2013年08月30日 03時50分56秒 | エッセイ
 シリアで死者10万人、その上、化学兵器を使っている惨事続きにアメリカが空爆をしようとしている。イギリスは賛成し、日本も賛成せざるを得ないであろう。多くの読者は賛反を判断するのに難しいだろう。戦略的か政策的な話になると専門家ではない人の煩い世間話になりやすい。ニューヨークタイムスの今朝の記事を読んだ。アメリカとイギリス側、シリアのアサド政権と反政府側の専門家や市民のインタビューなどを広く伝えてくれる。その文中には米欧からの軍事攻撃があった場合、シリア空軍は「カミカゼ・パイロット」を投入、自爆攻撃を仕掛ける準備をしているというニュースも含まれている。ある通信はこの部分だけをクローズアップして、「神風」という題で伝えている。部分をクローズアップするのは一番悪い報道の仕方である。国家やマスコミの戦況報道が如何にプロパガンダ的であるかは近い古い歴史から我々は良く知っている。私は戦況などに関する日本のマスメディアはもちろん韓国や中国のものも信用しない。
 本当の人権は内政干渉を超えなければならない。メディアは世間話的、あるいは戦略的な状況やストーリーを伝えることは出来るかもしれないが、より根本的な価値観や認識に立って考えているかが見えてこないからである。メディアの関係者はただ戦争や核は嫌だという人権主義者(?)や好戦的な戦略家になってはいけない。10万人以上の国民が死んだのにそのまま権座に居座っているアサドをどう考えるか。軍は戦争をするためではなく、命を守るためのひとつの社会福祉的組織として考えるというような米がシリアの大量犠牲を対岸の火として見ていることは出来まい。ただ報復のための攻撃になってはいけない。日本ではいじめ自殺などを大きく人権問題にしながらもこのようなジェノサイドに対しては遠い他国のことであり無関心に近い。ロシアと中国は戦略によって複雑になるのではないかと主張している。中国は日本の安倍政権を「神風政権」と言っている。本当の人道主義が何か、内政干渉が何か、根本的に考えてほしい。

残暑お見舞い申し上げます

2013年08月29日 05時20分52秒 | エッセイ
 猛暑が峠が越えたような雨後の朝夕の涼しさに3枚の残暑お見舞いのお葉書が届いた。福岡の花乱社からのものには「これからの刊行予定」の本として崔吉城著「東アジア文化人類学への道」が載っている。インタビューと論文によるものになる。出版社の別府大悟と宇野道子の両氏と執筆者の南氏に拍車をかけたい。私には今年予告や予定の本が数冊あるが発行は未だであり、私も慎重になったのか怠け心が出ているような感がする。
 出版社からの文に気になるところがある。「昨年より編集・制作の請負い仕事が増え」という。多くの出版社が請負業者化されるのではないだろうか。先日全国的名門出版社の関係者から著者たちからの外部資金を受け入れながら営む話を聞いた。また出版社のホームページなどには自費出版の項目を設けているのも多い。私が以前日本の出版社も中国の出版社のようにほぼ自費出版になっていくのではないかと書いたことがあるが、いまの出版の難境からそれは止むをえない状況であることが否定できない。
 出版社が請負業者的になるのではないかと心配になる。それがただの憂い、私の老婆心に過ぎなければよい。水道工事などが請負業によって営まれることを非難するつもりはない。出版は文化事業ということにポイントがある。ある社長は私に「この本は売れゆきがよくなくても出版する」と言ってくださったことを覚えている。出版社も大衆文化の中で営まれているものであり、価値や文化意識だけによるものではないが、その精神を失っては社会はあまりにも絶望的ではないか。読者に戻って考えたい。読者に必要な良い書物を、価値あるものを提供してほしい。本当に色々苦労はあっても世界から灯火の光のように残って欲しい出版社への期待がある。

親しさは創作の力

2013年08月28日 04時35分55秒 | エッセイ
 私は相手もそう思うかどうかしらないが自分勝手に「親しい人」とか「友達」と思っている人が多い。それを自分なりに分析すると片思いのようなものと言える。しかしそれなりに親しくなるか友達になる方法があるようである。それを一つ披露してみる。たとえばこの夏休み中キャンパスが静かな時でも連日私の研究室には人が集まって和気あいあい長く話し合っている。昨日12回「しものせき映画祭」準備のために集まって4時間弱話し合った。下関の映画人の鈴木、河波、権藤が外部から来られ、大学側から画家の川野教授、同僚の山本、礒永らも集まった。準備の話し以外にも世間話、笑い話などが延々と続く。なかには意見が対立して喧嘩し離縁になりそうな危機の時もあった。私は仲裁に入り、笑顔を戻した。皆が外に出て建物の壁にスクリーンを掛けて野外上映を実現したいということに全員一致、笑いながら別れた。これが親しくなるモデルだろう。
 私は市民に奉仕ができればとボランティアで参与することが多い。それは利益や損害などを全く考えていない、善意である。しかし私のこの心を利用しようとする人がいる。場合によってはこの善意が悪意に利用されることもある。私は人の善意を大事にしたい。たとえば権藤博志氏は奉仕の心でいろいろと協力してくれる。その心を利用して軽く受け入れてはいけないと常に注意を払っている。つまりフォーマルではない、インフォーマルな人間関係を大事にすることが親しくなることである。重要な会議を数十回しても親しくなるとは限らない。この映画祭で私の製作、権藤氏の編集、河波氏のナレーション、エクストラなどの共同製作が披露できるかもしれない。親しさは創作の力にもなり得るということであろう。

粗末な釜山とのふれあい公演

2013年08月27日 05時11分01秒 | エッセイ
 一昨日下関の馬関まつりには釜山市から朝鮮通信使行列が来られていたが例年のように行われ、ディズニーランドの人気キャラクターのミッキーが行列になり雨の中盛大だったといってメディアは41万人が参集したと報道した。しかし参加者たちは報道とは、例年とは違うという。「釜山とのふれあい」公演は例年楽しんだが今年は期待はずれだった。雅楽と平家踊りなど演目と中味舞台状況など観衆の関心の配慮が足りなく、やはり田舎のものになってしまった。参加したが観衆は例年より少なく、途中退席者も多く、心配なほどであった。しかしメディアは500人以上参加の盛況だという。一般人の参加意識がメディアと行政とは相当距離があると感じた。ある人は釜山市が中心に行う朝鮮通信使行列にも問題点を述べる人もいる。それは純粋な民間の行事ではなく、韓国のナショナリズムを持つものが民間行事のように行われていくのに抵抗感があるからだという。
 昨日日韓親善協会連合会役人たちと「楽しい韓国文化論」講座の準備会を行った。私は今、日韓関係が良くない時期に当たり日韓親善会が働くべき時期ではないかといった。彼らが曰く、政治的には悪いといっても民間レベルでの交流には変わりがなく、むしろ増しているのではないかと。第2回目の韓国文化論は主に日本人の希望者が予想以上多く40人ほどであり、韓国旅行希望者は10人を大きく上回っていて抽選でもしなければならないのではなどの話になり嬉しい。海の表面では波が高くても深海では悠々と魚が平和に泳ぐように楽しい韓国文化論は続くであろう。
 昨日私を応援するようなメールが届いたのでご了承をお願いしながら紹介したい。広島大学の大学院研究科長でおられた山下彰一先生からである。
 
 
崔 先生のブログには驚きました。話題の広さもさることながら、その1つ1つの観察と視点が実に見事で、しかも簡潔かつ明瞭、ストーリー性があり、短編小説をいくつも読むかの如く、一気に読ませて頂きました。ここで考え込むことは、日韓関係の過去の経緯とその整理、さらに、これからの関係改善の方向やあり方を、双方が納得出来るよう、再度、分析・解明し直して、未来志向の両国関係の樹立を目指してほしいことです。今回頂いた先生の記録集を、両国関係者が丁寧に分析し、未来志向の考えに基づき、断ずべきは断じ、融合・協力すべきところは協力し、双方が新しい友好関係を築いて行くための方向付けとけじめを、是非つけて頂きたい。両国の歴史関係に通じておられ、これだけの見識を持たれておられる崔 先生には、ご多忙とは存じますが、”今後の韓日関係の在り方検討のリーダー”として、上記の問題意識を持つ大学生や若手教官、歴史家を糾合し、「新たな日韓関係樹立」へ向けて、行動を起こしていただきたく、お願い申し上げます。下関でお会い出来る機会がありましたら、是非、上記のプロジェクトを進めてみたく、お願い申し上げます。猪突で失礼なお願いですが、何卒ご検討願いたく、お願い申し上げます。2013年8月25日  山下彰一


(写真はシーモール百貨店での通信使キャラクター)

「母の祈り」

2013年08月26日 05時00分20秒 | エッセイ
大韓下関キリスト教会で初めて教壇に立って「母の祈り」という題で説教をした。牧師とは異なった世俗的な話から始めた。母のシャーマニズムの信仰の祈りによって成長しながらその信仰をどんどん迷信と思い、母の信仰から離れクリスチャンになったがシャーマニズムの要素はキリスト教の教会にもあってそれほど異なっていなかった。その礎は祈りであることを知った。「母の祈り」は世界に通じることも知った。それが私の信仰の基本でもある。私はクリスチャンとしてシャーマニズムを研究するようになったという話になった。
 私は「母の祈り」「巫女の祈り」によって、さらに多くの人の祈りによって生きている自分を発見したと、語った。人が神へ「祈る」その意味を探った。それはお願いであり、必ずしも答えや返しが前提になるものではない。つまり物々交換から資本主義による交換や計算的な交換のようなものではない。この点、計算高い現代人には祈りは不合理的なものと思われがちである。祈りの基礎は愛であり、古い言葉でいうと「恩」である。母の恩は深く高く、「恩返し」と言っても返し切れない永遠な愛である。その愛や恩は目に見えない放射線のように我々は受けている。災難、困難な、辛い時、さまざまなところで祈ることがある。それはただ効果のない空しいことではない。祈りは要求ではなく、演説でもない。ただ信仰と愛の本質である。愛はイエスの生き方のように私の人生の核である。愛を持って生きれるように祈りを持って締めくくった。私の話は世俗的なところから本当のキリスト教の「説教」になった。しかし私の説教に聞き手の表情は硬く、頬笑みを見せる人も少なかった。私の話も一方的になってしまった。(写真は2012年10月アメリカシアトル聖公会の司教や牧師たちに私の証し)

長崎の教会群とキリスト教関連遺産

2013年08月25日 05時46分26秒 | エッセイ
 文化審議会は世界文化遺産登録に長崎の教会群とキリスト教関連遺産を推薦することを検討していると伝えられている。東京へオリンピックを誘致するニュースのように日本の世界化への動きと感ずる人も多いだろう。二つは過去と将来が対照的なものである。長崎の教会群のものは歴史的な記念物であり、オリンピックは7年も先の未来へのものである。大浦天主堂(長崎市)などの教会、「島原の乱」の舞台となった文化遺産とはどのような意味があるのか、考えてみたい。キリスト教伝来と信仰の歴史を示す、日本の歴史の中の残虐性を示すものである。その歴史の記念物として文化財に指定することはどこに意義があるのだろうか。日本は韓国よりキリスト教の伝播も早く長く、残虐な犠牲者も多い。したがって今信者は1%にも足らず、キリスト教の殉教や、キリスト教の教訓を活かせない国である。
 いまその長崎のキリスト教会を歴史的記念すべき文化財云々ということは何のためか問いたくなる。その犠牲や殉教がいまに全く影響がないとは言えないが、それを世界遺産と強く主張するような意識はあるのだろうか。私はキリスト教の「歴史」は日本ではあまりにも空しいものとして感ずる。歴史とはただ「捨てられた過去」ではない。完全に捨てた過去は本当の意味では伝統や歴史とはいえない。
 今日説教のために聖壇に立つことになっている。禁教の時代を経て復活しているキリスト教の歴史に立つ意味があるかもしれない。それは長い間私が教壇に立っているのと似てる。私は教壇に立つ毎教会の説教壇に立つ気持ちで講義をしてきたつもりである。それが皮肉や冗談で言う「説教」ではなく、本当の説教と思ったからである。長崎などのキリスト教の犠牲の歴史は日本には見え難い。今、文化財指定に推薦にしている時こそ、それを「生きている歴史」にしてほしい。

2013年08月24日 04時18分22秒 | エッセイ
  昨日南米ペルーの2、500メートルの高山地の発掘現場から同僚の人類学者の鵜澤和宏氏から電話がきた。文明の神器の携帯スマートフォーンの威力を通して元気な話を聞いた。現地においても9月の映画塾のチラシの原稿の遅れたという話し、私はそれは二の次であり、健康で無事に帰ることを祈ると話して切った。日本とは真反対側にあたり、「寒い」高山からの言葉であり、猛暑の日本との相違であった。日本でも地域的には豪雨が降って猛暑の峠を越えて、徐々に秋へという話もある。
 下関には大雨予告が出ても雨らしい雨がまだ降っていない。時々遠くから雷火が光るだけある。その度に愛犬ミミは私に抱かれようとする。ミミちゃんは生活一般は家内について散歩し寝るが、雷など怖い時は私に近づき抱かれたいのである。家内に愛されるが、危機の時には私が頼りになるということだろうか。私を敬愛するのだろうか。ここで犬から評されることを自慢話か慰めの話のように書いているが、重要な点を考える。家内はミミちゃんを絶対的に愛し、保護する人であるが、私は怒る時もあって距離感を持つようである。そのミミちゃんが雷が鳴るという時の危機を感じた時、家内より私を選ぶということはただ喜ぶことではない、意味があるのだろう。それは意外にも冷たさや怖さが信頼感とつながっているのではないかと思ったりする。大げさに言うと人が神の存在を求めるのと似ているのかも知れない。愛の多様性を考える。


キジバト

2013年08月23日 05時12分44秒 | エッセイ
 私の隣の研究室の山本達夫准教授がキジの写真を持ってきた。自分の手のビラに米粒をおいて食べさせ、右手で写真を撮ったものである。毎日訪ねてくる二羽に餌をあげるという。キジバトとは森林に生息するが、都市部でも普通に見られるというが、私には縁の遠い鳥である。鳩は平和の鳥として象徴され、よいことであると聞いた。しかし鳥による伝染病の報道で警戒する人も多い。地上から16階にあたる高いマンションの我が階を含む上下の階では鳩駆除騒動のようなことがあった。この階が産卵巣に適当であろうと思ったようである。隣の数か所に鳩が出入りして夜宿にしているのを見つけて、空き箱を伏せ、反射するディスクを垂らしている。この階が鳩の高さにあっているか、我が家の玄関は位置的によくないようで結局鳩は来なくなった。
 今年も原爆記念式では鳩を飛ばした。平和の象徴として恒例的に行う行事である。平和の象徴であり、駆除の対象の鳥でもあることに違和感を感じる。昔、西条に住んだ時目の前の椅子の中から鶺鴒が2年続きで巣立って行ったことを思い出す。バリ島のホテルの食卓に自然の鳥が飛んできて「ここは楽園だ」と思ったことがある。子供の時、人家に近いところで一番親しい鳥が雀である。その時何度か飼ってみたが失敗であった。絶対人を信頼しないし、警戒していることを知った。なるほど。農村では雀群対策として網を張り、雪深い時に檻の下に餌を撒いて獲って焼き鳥をしてきた長い歴史がある。雀はそれらの人間との関係からの敵対しでおり、警戒しているのではないか。鳩が人の前を悠々と歩くのは日本人が優しいというか鳩には害を与えないということから信頼している長い歴史があるからである。平和的な関係を作っていくには長い年月の信頼関係が必要である。

教育は植民地を超える

2013年08月22日 05時35分28秒 | エッセイ
 猛暑の夏休み中であっても毎週の読書会は面白く続く。昨日は倉光氏が植民地朝鮮における民俗研究者たちの「朝鮮」特殊号の座談会の内容を読んだ。村山知順、秋葉隆、孫晋泰、宋錫夏など私にとって親しみのある人ばかりで植民地とは意識せず懐かしく興奮状態であった。私は村山著を2冊翻訳し、秋葉隆に関して翻訳完了して出版社では新刊予告にもなっている。孫と宋の二人は韓国民俗学の始祖のような人物としてその研究が受け継がれている。特に秋葉の研究を引き継いだ、秋葉の弟子の泉靖一と任宰・李杜鉉の3人の先生の影響で私の学問の骨組がなされたといえる。
 倉光氏は「植民地は敗北するか」という。少なくとも私には師弟関係は植民地とは無関係、超越した関係であると言った。先週亡くなられた李杜鉉先生は東大で教えたことがあり、その師弟関係が形成されている。しかし植民地期に日本人が当時朝鮮人の先生との師弟関係は耳にすることはなかった。それは事例が少ないからであろうか、日本人の先生の恩知らずの本性によるものであろうか。否、そうではない。韓国の全州の儒教式山寺小屋の漢文塾に訪ねた時、名刺を出すと「朝鮮人が日本人を教えることは民族の誇りだ」と大声で生徒に紹介されてびっくりしたことを思い出す。私は広島大学などで教鞭をとっており師弟関係を作れたと誇りを持っている。実は学生が偉いのである。やはり教育は植民地を超えると思う。

*写真は2013.8.22山口新聞掲載の「楽しい韓国文化論」記事

祈雨祭

2013年08月21日 05時33分23秒 | エッセイ
 猛暑も苦しいが旱魃も苦しい。洗車が要らない程、いるもなら数日ごとに雨が降るというこの日本でも水位が低くなったというニュースを聞いている。それより木が萎れているのをみて、農作物はどうであろうか心配である。撒水車が水を撒くのをみた。海辺に住みながらも旱魃が続く。気象情報に視線がいく。空を見上げる。雲がみえる。寒気が欲しい。熱(温)寒の二つの雲の出会いがなければ雨は降らない。天気予報の専門家といえども自然の現象は究極的には計り知れない未知、無知、神秘的なものである。なぜ太陽は熱を持つようになり、地震を起こすのか。桜島の火山爆発で火山灰で地上を黒く被ってしまっている。
 古くは韓国では祈雨祭を行った。水を箕で吹いたり、墓を掘ったりした。その理由は合理的ではない。ただ神様に異様な行動をして注目され、雨をもたらせて欲しかったのではないだろうか。自然現象だけではなく、われわれの日常茶飯事にも合理的な論理だけで済まない問題が多い。特に人間関係がそうであろう。愛と憎しみの交差は熱(温)寒の二つの雲の出会いがなければ雨にならないようなものである。日韓関係にもそのようなものと寛容になるように祈る。
 戦争の話が多かった8月が去っていこうとしている中、日中戦争の兵士の手記に「戦争は面白いものです」(毎日新聞8.19の12半面)とか猛烈な売れ行きを見せる『竹林はるか遠く』が「アメリカの公教育の教材に使われたのは、児童文学の条件を満たす母子、兄弟の深い心情の通い会い」(長周新聞、8.19竹下一氏)といわれる話の交差、それらが甘い雨のように感じられる。

慰安所日記

2013年08月20日 05時41分40秒 | エッセイ
 昨夜遅くまで「しものせき映画祭」の実行委員会で作品選抜を行った。興行が目的ではなく市民文化として共有するのが、特に大学で行うものには研究を兼ねて意味がなければならない。作品を中心に考えると著作権、解説者、フィルムや会場など条件も検討しなければならない。まず大学での作品として「紅高粱」「狼火は上海に揚がる」「オイディプスの刃」「日中戦争軍人であった小山正夫氏」と決めた。それぞれの作品には解説と全体総合討論を入れることにした。映画研究会に近いものになりそうである。市民会館では「アニメ制作体験教室」「月は上りぬ」「うまれる」と決めた。最終決定の会議を残して夕食もなく9時頃送っていただいた。彼女はJAICAの派遣でカンボディアのテレビ局へ行く予定である。私は若い時の体験として積極的に進める言葉を十分話す前に下りた。
 私は映画祭に日本の芸者や売春業の名画としてサンタカン8番号の「望郷」「さゆり」などを選びたかったが委員たちが私の気持ちに乗ってくれず残念と思った。昨日韓国へ本の編集などの業務に行ってこられた同僚の礒永氏がいま話題の『日本軍慰安所管理人の日記』(韓日両語)の本が届けてくださり、猛暑中「猛読」した。まず解説を読まず本文だけを読んでから解説文を読んだ。それは日記を書いた作者の立場に立つための一番基礎的な読み方であるからである。私も数十年間日記を書いているが、今年からは公開のブログなどになっているが、日記は見せる目的ではない。私のものは自分用のメモに過ぎない。この日記もそうであると感じた。日記を書いた方は慰安所のいわば慰安業をその時代に普通の仕事として行ったメモである。しかしこの日記を読む人は大前提にしているのが慰安業や売春が「醜業」とか「愛国産業」として見ているとはかなり距離のある読み方があるといえる。以前にも触れたように多くの国では売春は醜業というのは職業差別とも言われている。平時にさえそうであり、戦時においてはなおさらである。したがって今、日韓の視線は軍との関係、強制に注目しているのは彼の意図とは焦点がずれたものである。
 最後にこの本の解説文を読んだ。安秉直氏をはじめ数人が研究会などを経て分析的に論じており大変分かりやすくまとめた苦労に感謝である。安氏は私と同時期にトヨタ財団の研究助成金を得て日本植民地研究会を東大で発表した時のことを思い出す。彼はナショナリスト韓国史学者の慎某氏と議論した文も私が読んでいたので客観的に解説してくれると期待した。「日本政府が民間業者に対して単純に関与したものではなく、徴用・徴兵・挺身隊のような戦時動員の一環として慰安婦達を組織的に動員した」といい、「新しい日本軍慰安婦像を提示しようとした」という。40か所弱の慰安所がビルマ、シンガポール、ベトナムなどで広く日本帝国軍との関係は明らかになった。それは戦争と動員に関わった恥の歴史であることは否定することが絶対出来ない。それは日本帝国の戦争責任を問うべきことである。しかしいくら悪い帝国軍であっても国家の軍制にいわば売春を直接組織の中に入れたということはこの日記からはそのように読めない。日本の「醜業史」を踏まえて読めば読むほど慰安所は「遊郭」であり、慰安婦は「売春婦」にしか読めない。広く読者とともに読んで議論したい。

이두현선생님별세

2013年08月19日 06時25分28秒 | エッセイ
나의 유일한 생존의 은사, 서울대학 명예교수 이두현선생님이 세상을 떴다. 내일 (2013.8.20)의 아침 7시 서울의 삼성의료원에서 영결식을 한다. 선생님은 1959년 서울대 입시 때 처음 만나, 나의 인생과 학문에 크게 영향을 주신 분이다. 대학 2학년 때부터 선생님의 민속조사에 참가하고, 일본 유학까지 오게되는 등 오랜 세월 여러가지로 신세를 진 분이다. 선생님의 전문은 나의 태어난 고향 양주의 가면극이며, 양주에는 우리 선조 대대로의 단골무당의 趙英子씨가 살고 있었다. 내가 巫俗연구를 하게 된 것도 선생님의 조언 때문이었다.
선생님의 연구는 또 한사람의 나의 은사인 임석재선생님으로 거슬러 올라가고, 또 임선생님의 은사인 경성대학의 아키바(秋葉隆) 선생님으로 다시 거슬러 올라간다. 나는 전후에서 전전으로, 피식민지에서 식민지로 거슬러 올라가는 역사적으로 복잡한 인연을 가지고 있다. 이(李) 선생님은 아키바(秋葉) 선생님의 제자인 이즈미(泉靖一) 선생님과는 친구, 그 선생님의 영향으로 내가 일본에 유학하고, 동경대학의 문화인류학의 이즈미선생님의 제자들의 협력을 얻으면서 사회인류학에, 그리고 일본 식민지 연구로 연구 영역을 넓히면서 현재에 이르고 있다.
 몇 년전에 선생님의 저작집 간행 위원회를 구성할 때, 선생님은 노구에도 불구하고 동석하여 주었다. 최근 저작집 2권이 막 나왔다 (사진: 향해서 나의 오른쪽이 선생님과 따님). 선생님은 그 간행을 재촉하여, 「유고집을 만들 작정인가」라고 꾸중을 하기도 하였다. 일본 차를 좋아하셔서 내가 끊어지지 않도록 보내드리고 있었지만, 차가 도착하면 선생님께서 기쁜 전화를 주시었던 것이 불과 2개월 전이었다. 옛 이야기도 했다. 어제 부보를 듣고 나는 강한 쇼크를 받았다. 선생님의 은혜의 깊이 생각하고, 감사하고, 명복을 빈다. 향년 89세.

恩師李杜鉉先生の訃報

2013年08月19日 03時43分36秒 | エッセイ
 私の恩師,ソウル大学名誉教授の李杜鉉先生がこの世を去ったと崔来沃氏から電話で知らされた。明日(2013.8.20)の朝7時ソウルの三星医療院で告別式(發靷式)を行うという。先生とは1959年にソウル大入試の時に会ったことを覚えており、私の人生と学問に大きく影響をしてくださった方である。大学2年生の時から先生の民俗調査に参加し、日本留学まで長い間いろいろとお世話になった。先生の専門は私の生まれ故郷の楊州の仮面劇であって、そこには我が先祖代々の得意巫女の趙英子氏が住んでおり私が巫俗研究をするようになったのも先生の助言からであった。先生の研究は私のもう一人の恩師の任宰先生へ、また任先生の恩師の京城大学の秋葉隆先生に遡る。私は戦後から戦前へ、被植民地から植民地へ遡る近い歴史に上る複雑な縁を引いている。李先生は秋葉先生の弟子である泉靖一先生とは友人、その泉先生の影響で私が日本に留学し、東大の文化人類学の泉先生の弟子たちの協力を得ながら社会人類学へ、そして日本植民地へと研究を広げながら現在に至っている。
 数年前に先生の著作集刊行委員会を立ち上げる時、先生はご老軀にも関わらず奥さんと娘と同席で夕食会を行い、最近2冊目が出たばかりであった(写真:向かって私の右が李先生と娘さん)。先生はその刊行を催促し、「遺稿集を作るつもりか」と叱られたこともあった。日本茶を好んでお飲みになり、切れないようにお送りしていたが、お茶が切れそうだと先生からの嬉しいお電話をいただき、お茶が届いたというお元気で嬉しそうなお電話があったのは2カ月くらい前のことだった。耳が遠いということで奥様からイントロのお話しがあってから代わって直接話をしたが、普通に通話が出来、昔話もした。それなのに昨日の訃報には強いショックを受けた。李相日先生からも連絡をいただいたが今日私が中心になっている「しものせき映画祭実行委員会」が私の学校で行われることも含めてどうしてもスケジュールの調整ができず,二十日の午前七時の發靷式には参加できないのがとても残念である。先生のご恩の深さを思い、感謝し、冥福を祈る。享年89。

どちらの映画を選ぶか

2013年08月18日 05時47分11秒 | エッセイ
この秋、大学で行われる映画祭への推薦のために韓国映画2編を鑑賞した。私の推薦の基準は日韓関係、解説可能なもの、生き方へのメッセージ性のあるものとする下心である。「光州5.18」は残忍な軍人が市民を虐殺して権力を握って全斗煥,盧泰愚の二人が大統領になったこと、徴兵制が反政府へ反抗武装化した現実、社会倫理の矛盾を語っている名画であった。「歴史を知らない民族に未来はない」ということは日本を非難するだけの標語になるわけではない。昨日の本欄のある読者は日韓の歴史認識について「ルサンチマンからの脱出は自らの道徳で人を責めることではなく、その規範を自らに課して責任を完遂するというものだ。自己の道徳観を相手に理解させるために最も必要なことは、相手に対する批判ではなく自らに対しての行動であるだろう。」(太田あつし:永進専門大講師)と指摘した。
 もう一編は「DMZ非武装地帯」である。以前本欄に触れた「真空地帯」に対になるような題であり、内容である。軍隊の内部では一般社会の現実とは逸れた「地帯」であることは軍体験のない人にはわかり難いと思う。内務班の中での階級の厳格性、古川氏はその気合いという暴力性が現在体罰として残っているとコメントしたのを想起すれば良い。現在の韓国軍や北朝鮮の人民軍には日本帝国軍の制度が強く残っている。「腕立て伏せ」「右向け右」など直訳の用語はもちろん気合いと暴力、日用語となっているようなシバル(セックス悪口)などは日本の「真空地帯」を何倍も膨らませたようであり、「非武装地帯」とは異なって「戦闘地帯」になっていることを表現している。同じ民族の南北の敵対は民族殺肉の戦争である。北朝鮮と対置していながらさらに日本と敵対しようとしている韓国。
 日本帝国は隣国の台湾、朝鮮、満州などを侵略や植民地した負の遺産は大きい。その侮辱は大きい。歴史にはモンゴルからも恥辱的なことがあった。しかし、いま韓国人はモンゴルが好きになった。私個人としては日本で差別されたことも多く、また恩恵も多い。今は日本に多くの友人、弟子を持っている。恨みながら戒める生き方、寛容して心安らかに生きる生き方、どちらを選ぶか。どちらの映画を選ぶべきだろうか。