崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

本屋はどうなる

2010年05月31日 05時39分55秒 | エッセイ
 久しぶりに東京新宿の紀伊国屋書店と三省堂に立ち寄った。洋書の8階に行って驚いた。見慣れた広い洋書コーナーが極端に縮小されているからである。本屋の低落的運命が見えてくるような感がした。以前にも触れたようにイギリスのロンドンの中心街の伝統的な書店もDVD化していく傾向があり、未来の書店の姿を推測したが、その変化は想像以上に早い。amazonの迅速な通販とipodなどの影響が書店の存在さえ変える時代になっている。出版界と書店界も積極的に対応すべきである。
 英文書の『南アフリカ・マンデラ以後After Mandela』を買って飛行機の中で読み、悪名高いアパルトヘイトを改革した人は黒人ではなく白人のクラーク大統領であったという。またソ連崩壊の契機となった大統領のゴルバチョフにも触れているが彼とは異なる改革者として誉められていることを知ったのは大きい収穫であった。便利さも良いが、電子ブックではない印刷された本からじっくり考え、読みとることも必要、かつ重要であると感じた。
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長寿のために

2010年05月30日 05時51分41秒 | エッセイ
 昨日は法政大学の5年間研究プロジェクト「日本意識」という研究会に参加、そして懇親会まで有益な討論であったが、疲労も強く感じた。十数名の中に古くからの友人伊藤亜人、川村湊、ソウルからの全京秀、台湾から黄智慧などの諸氏と懐かしく会えたのも良かった。
 全京秀氏が面白い話をしてくれた。彼は40年も生きた牛をテーマにしたドキュメンタリー映画を持って長生きをするためには仕事を続けることだと言う。初めは慰めのお世辞のように思ったが彼は真摯に話をしているので聴いていて本当に慰められたような気がする。本研究会のメンバーである80才過ぎのアメリカ・スタンフォード大学のベフ・ハルミ教授は5年間計画に対して10年計画はどうだろうかと言ったという。この研究会は熱心に研究をする長生きのための研究会にもなりそうである。(写真前列左から全、クライナー、川田、崔、伊藤、後列から黄、川村、安孫子(所長)、山本、近藤、石井、桑山)
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久しぶりに東京へ

2010年05月29日 05時20分11秒 | エッセイ
 下関に住んでから韓国へ行く頻度が多く、東京への出張は久しぶりである。釜山まで行くより東京の方が5倍ほど遠く、費用と時間も大分かかる。昨日福岡空港でJAL東京行きチケットを購入の際、シルバーになって3万円弱の値段が1万100円だった。思わぬことで感動した。また内心JALの経営は大丈夫だろうか、日本に住んで良かった、歳をとるのも悪くない、東京は近いのだとか、いろいろ考えた。
 東京の市ヶ谷のホテルで古い友人のビジュアルフォークロアの北村皆雄氏と三浦庸子氏に会った。二人はNHKのシリーズ映像を制作して放映するのに忙しい。北村氏は映画「ほかいびと:乞食者」を監督すると言う。いろいろな共同プロジェクトの話もした。今日は法政大学で5年間の研究プロジェクトの最初の研究会に参加する。また久しぶりに大勢の研究者の話を聞き、対話すことを楽しみにしている。大変な1日になりそうである。
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誕生日が同じ

2010年05月28日 05時15分56秒 | エッセイ
ある新聞社の支局長と昼食をとりながら談話した。新聞記者も取材と記事を書くだけではなく、新聞を普及させるなど営業まで、神経を使うと言う。多くの私立大学の教員が教育と同時に学生募集にも神経を使うのと同様である。人によってはこの件についてはアカデミズムの危機だともいうかもしれないが、経営にも関心を持つことによって職場に愛着を持つこともありうる。新聞も読者を大事にする紙面を考えて名前などを多く載せることや編集まで普段気がついたことなどを細かく配慮すべき点を話したりした。
 話題の中身は沖縄の米軍基地の問題であった。日本国民は敗戦国としての戦争責任、軍隊を持たず経済発展をさせたアメリカへの恩、軍に対する否定的な態度に対する私の意見を聞いていただいた。軍事戦略家ではないが、日本の民主主義、リーダーへの期待などについて話した。突然私の誕生日の「6月17日」を覚えていたので驚いたが、実は中学生の彼の娘の「愛の誕生日も6月17日」と同じであると言うことでまた話が盛り上がり楽しい時間であった。
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タラの芽

2010年05月27日 06時21分37秒 | エッセイ
 網走に住んでいる家内の兄さんからタラの芽が届いた。東アジアに分布するタラの木の芽を採ったものである。日本でも有名なは山菜とされている。ウニなどの海産物をよく送ってくれるが中に私の好物のタラの芽が入っていて嬉しい。ちょっと湯がいて酢コチュジャンを付けて食べるのが好きだ。日本では天ぷらがこのまれているようである。タラの芽は私に懐かしい故郷の香りを運んでくる。
 私の生まれ故郷の農村では海産物は塩サバ位であり、肉類も少なく、山菜などは豊富であった。私は幼い時にこのタラの芽の味を覚えたのである。多くの山菜の味が日本では知られていない。たとえばキキョウ、白山菊、蔓人参などは朝鮮半島では一般的な山菜であっても日本ではほぼ知られていない。タラの芽は糖尿病にもよいといわれるが私はただの好物である。
 家内の兄弟は6人、姉は千葉産のピナッツを送ってくれる。韓国の昔話には魔女のおばあさんが8人の娘のところへ訪ねてもてなされる幸せな話があるが私は訪ねて行かなくっても送り届けてもらえるのでもっと幸である。
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VIP

2010年05月26日 05時15分28秒 | エッセイ
 以前、本欄で紹介した私の旅行鞄を出勤カバンにしている。コンピューターを入れたカバンを背負って歩くと胸を圧迫するような感じになり、引っ張るカバンの方が多少、楽だからである。しかし、しばしば「旅行ですか」といわれることがあり、人には不自然に見えるのが気になる。いつものように「若い」「丈夫そう」「元気」などと言われたことは昔、弱者へと変身して行くようである。
 家内の車で朝早く出勤して帰りは副学長を務めている鵜沢教授の運転で帰宅するこの頃である。その度に「私はVIPだ」と感ずる。私は昔一度ある大学の総長と同行して海外旅行した時、飛行場でVIP室や入管手続き、一等席などを体験した。政治家などがこの「特別扱い」の味を好む気持ちが分かる。しかしVIPは特殊な人の占有ではない。日常生活でも自分がそんな気分になる時があるはずである。ある人は子供から、配偶者から、学生から、友人から「VIP」扱いを受けていることに感謝すべきである。また人をVIP扱いする気持ちも大事である。
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船酔い

2010年05月25日 05時20分40秒 | エッセイ
 韓国教育院長の徐聖淑氏のお世話で、船のエンジンが専門である水産大学校の前田和幸教授夫婦と金ヨンウン客員教授と関門海上を走っている外国船を見ながら食事をした。海を見降ろしながら住む我が夫婦にとって船には関心があり、対話が面白くなると思った。しかし話題についていけない。
 大量貿易は海上によるものであり、その原動力はエンジンであるとのことである。それに関しては日韓の技術が世界的に先導するという話である。多くの話題にはついていけると思っていたが知識の幅の狭さを感じた。ただ船酔いが酷い最近の私にはそれに対応できる船はないかと質問したら既に大型豪華船にはつきの装置がついているという。今、日韓の高速船が競争しているが、これからは船酔いのない船の競争が欲しい。また物や人を運ぶだけではなく、文化を運ぶ空間としての船の活用を望む。
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逆慰問

2010年05月24日 05時23分03秒 | エッセイ
 病気の人にお見舞い行き、逆に励まされた事を以前にも書いたが、昨日もそうであった。半年ほど入院して治療した権藤氏から元気な声で電話がかかってきた。早速会った。奥さんと一緒に現れた。痩せてはいたがかなり回復している。二人の話は医学の用語も多く、かなり病気に詳しい。奥さんは夫の食べ物のために知恵を絞っている。病状を客観的に把握して良い治療を受けたことが分かった。私は話を聞いた上で「ご飯を良く食べれば治る」と「診断」して笑わせた。それは本人自身が優しく、真面目な方で規則正しい生活をし、奥さんの誠意ある看護などの総合的な結果だと思った。彼の回復の成果に私のもう一つの診断が下、それは夫婦愛の結集である。昨日のように病気の方に会って逆に元気をいただけたことを、「逆慰問」と言えるだろう。彼は6月の私の古希記念会の撮影を担当して元テレビ局出身として作品を作ってくれるという。感謝である。
 
  
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ベランダへ鉢ものを

2010年05月23日 06時15分57秒 | エッセイ
 今年は冬から即、夏というような感じで、季節の変化が激しい。冬の間に室内で育てた鉢ものをベランダに出すには注意が必要である。せっかく温和な環境で育ったものが日差しと風などによって害を受けることがある。特に下関のように玄海灘(朝鮮海峡)の風の強いところの高層アパートのベランダに出すには時機をみなければならない。
 このところ大学生の就職率が低いと非常宣言を出している。大学では教育して社会に出さなければならない。4月に新入社員の姿を眺めながら鉢ものを外へ出す心に比喩して微笑する。私は誠意をもって育てた鉢ものを直射日光を避けて、しばらくは日陰において徐々に新緑を出すようにしているが、新人社員も社会が一緒に育てて行くことを望む。しかし温室や室内に置く時はただ保護的な環境に置くのではなく、社会や世俗に順応して行けるような力を作らなければならない。大学は単なるモラトリウムではなく、社会を変える種を改種しなければならない。伝統的因習から改心するような教育をすべきである。
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朝鮮半島情勢

2010年05月22日 05時38分12秒 | エッセイ
 哨戒艦沈没事件によって朝鮮半島情勢が緊迫している。韓国政府は「北朝鮮の犯行」と断定した。与党はそれを選挙に利用しようとし、野党は防衛できなかったことを批判している。北朝鮮は捏造だと言っている。韓国は文民政府とは言っても軍が中心となっており、北朝鮮は軍事独裁政権で、軍と軍の問題でもある。それをそれぞれの政府が政治的に利用しようとしているとも言える。軍は命令に従順することになっていても武力で独歩しよとする。民が軍を注視すべきであろう。
 私が軍に勤務した時、夜、火事で将校の食堂が完全に焼けた。その時、上からの指示によってその日の内に建物が復元され、火事はなかったように経過したことを思い出す。軍は死を覚悟している特殊集団である。北朝鮮の軍が無謀な犯行を起こしたことは実に恐い。
 マイケル・ウォルツアーの『戦争を論ずる』には戦争は「政治の延長」であり、「政治は戦争の延長」だという。しかし指導者たちのための戦争であり、民に犠牲が及ぶことを考えなければならない。
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崔錫栄の再就職

2010年05月21日 06時11分35秒 | エッセイ
 私のもとで中部大学で修士課程、広島大学で博士後期を終え巫俗に関する博士論文を書いた崔錫栄君が韓国で私が昔勤めたところで勤務していたが研究に没頭するためにまわりの不思議な視線を浴びながら退職していた。彼はその数年間で研究成果を出した。一昨日、彼が希望する職に再就職が決まったという電話を受けた。私は心から万歳を叫んだ。
 辞職した人が同じ類の職場に再就職することは日本では難しい。噂が先走って能力ある人がそれを発揮出来ないような雰囲気を常に感じている。崔君の事例を見て韓国が本当に能力主義社会になっていると実感した。まだまだ多くの能力をもっている人材が眠っていることを考えると残念であり、彼にとってはこの度の再就職は大きな勝利と思う。新しい職場で蓄積してきた実力を所信の通りに充分に発揮して欲しい。
 
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ユルム茶

2010年05月20日 06時31分19秒 | エッセイ
 ユルム茶は家内の好物である。私が韓国に行った時ある人がそれを覚えて何時間もかけて車で走ってきて届けてくれた。原料になるユルムとは稲科の一年草の植物である。東南アジアが栽培の発祥地で、韓国には中国から伝えられた薬用植物であり、食用・飼料用として栽培されている。新陳代謝を助ける作用をする。このユルム(鳩麦)茶は香ばしい風味がある。韓国には双和茶、高麗人参茶など漢方系のものが多い。しかし日本人からすると栄養食かお粥のように感ずるかも知れない。
 朝鮮半島には14世紀末儒教化され、仏教儀礼に使われる茶をなくしたのでお茶文化は消えてしまった。世界的に特にアジアでは韓国だけがお茶文化が欠如している。その空白にコーヒー文化が入って定着している。1960年代に私が文化財専門委員とした調査をしていた時に全羅南道のお寺の一か所でお茶でもてなしを受けた。その後韓国は日本の影響もあってお茶が多く開発されるようになった。今慶尚南道や全羅南道には茶畑が広く広がっている。
 伝統的に韓国人は客もてなすときマッコリという酒を出したていたが丁茶山氏はお茶を勧めたと聞いている。今ユルム茶で心身どもに健康になりそうな気がする。
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カワニナ

2010年05月19日 06時06分31秒 | エッセイ
 久しぶりに弟子の宋義翼君が韓国から訪ねてきた。彼は韓国慶山名産のマクワ瓜を一箱持ってきた。私の好物だと覚えているという。感謝である。日本ではあってもそれほど一般化されていない。下関辺りでは船で運んで来て売っている時もある。パプリカなどのように韓国から輸入が多くなることを願っている。
 日本と韓国間では魚類が輸入出されているという。海産物に詳しい河崎氏から聞いたところと太刀魚、なまこなどが対象物であるという。韓国の商人からカワニナを輸入したいという話もきいている。日韓では互いに食材の好みが異なっているのでそれを上手く観察すれば利益を得やすい。日本ではカワニナが好まれないが、韓国では非常に好まれる。それを日本から輸入しようとする。以前池の傍に住んだ時、ジュンサイを採っている人からは韓国や中国で食材として食べないので輸入して利益を得た話を聞いた。日韓の交流が深まっている実感である。
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「記録されなかった満映 最後の日々」

2010年05月18日 05時31分18秒 | エッセイ
 先日山口放送の竹村氏がこられて来週28日午後3時50分から放送予定の「記録されなかった満映 最後の日々」の編集について話し合った。その映像は去年9月に私が旧満州映画協会を訪ねて調査する時、同行して撮影したものが主であろう。時間帯が視聴率が低いことから「流すもの」ではなく、「残るもの」にした方が良いと助言した。彼は以外にその言葉を重く受け止めて良い作品を作ろうとする覚悟が見えた。旧満映が残したものから映像カットを探したが適当なものがなかった。プロパガンダ映画「兵隊さん」から李香蘭の軍慰安公演のまとまった映像を推薦した。使用に関する許可のために韓国の関係機関に電話してクレジットを明記することでOKを受けた。彼の制作した映像を期待しながら、私はその時間帯に東京出張のため移動する。読者の視聴と感想を願いたい。
 
山口放送
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死霊祭

2010年05月17日 05時16分38秒 | エッセイ
 重要無形文化財の技能保有者の金有善氏の死霊祭のオグクッは日光海水浴場の砂浜に三つのテントを張って行われた。これで私が世襲巫を調査し学界と世間に紹介した世代は全員死亡したことになる。次の世代に交代したので私より下の世代のムーダンばかりであった。久しぶりにクッ堂に座って参観した。
 昔を回想する時間でもあった。村人が主体になってするものではないので村の祭りの雰囲気ではなく、数十台のカメラの前で公演するようであった。私が知っている学者が数名おり、民族音楽者の朴美慶、造花研究者金泰燕、民俗学者李慶などの諸氏と挨拶を交わした。ムーダンたちは白い喪服だった。ノンドウクッが終わってムーダン全員と記念写真を撮る時はカメラ30台ほどから撮られた。私は前回全羅道長興で昔の調査地から歓迎され幸せを感じた。この度は大勢のムーダンたちとカメラマンたちの見守りの中、村を出た。皆の心使いに心から感謝しつつ現場を離れた。
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