崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

田中克己日記

2021年08月06日 21時46分51秒 | 研究業績
校正紙を送ってから妻の運転で「花の海」に走った。夕陽に向かうひまわりを見に行ったが、ひまわりが太陽に背を向けたように東を向いている。未成熟期の性向と読んだことがある。猛暑で歩くのは控え目にして、休憩室に入ると大勢の人が座って平常的だ。非常時という時をひまわりのように背にしている。 私たちもアイスクリームを食べた。 帰り道、ニトリという家具店に寄ってみたが目につくものはなかった。新しいものを買うときは不要物の処理をどうするかと思う。
 こんな私の日記もいつ捨てることになるか分からない。しかし、残るのもある。1972年の日本留学時の私に関する記録が、ある教授の日記の中に3回も入っているという投稿を見て探すと、12月18日当時の田中教授が残した日記に「韓国人留学生が来て日本語ができないので英語で通じた」という。 しかし、(※省略)という表示がされているこの文が気になる。虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残すと聞くが、、、。

 교정지를 보내고 나서 아내의 운전으로 <꽃바다>로 달렸다. 석양을 향한 해바라기를 보려 갔는데 해바라기가 등을 돌린 듯 동쪽을 향하고 있다. 미성숙기의 성향을 읽은 적이 있다. 폭염에 걷기가 조심스러워 휴게실에 들어가니 여러 사람들이 앉아서 평상적이다. 비상시란 때를 등돌리고 있다. 우리도 아이스크림을 먹었다. 돌아오는 길에 니토리라는 전국적인 가구점에 들려 돌아보았으나 눈에 들어오는 것이 없다. 새 것을 살 때는 불요시의 처리가 어떨까를 생각한다.
이런 일기도 언제 버리게 될 지 모른다. 그런데 남는 것도 있다. 1972年 일본 유학시의 나에 대한 기록이 어느 교수의 일기 가운데 세 번이나 들어있다는 투고를 보고 찾으니, 12月18日 당시 다나카 교수가 남긴 일기에 <한국 유학생이 왔으면서 일본어가 안 되어 영어로 통했다>고 한다. 그런데 생략이라는 표시가 되어 있는 (※省略)이 글이 궁금해진다. <登校。韓国の留学生来しも日本語できず英語で話す(※省略)> . 호랑이는 죽어서 가죽을 남기고, 사람은 죽어서 이름을 남긴다. 어떤 이름인가. 그냥 살다 죽은 사람일 뿐이다.

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1 コメント

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初めまして (中嶋康博)
2021-08-07 10:27:38
ネット上で個人ホームページを運営し、昔の詩人たちの紹介・顕彰活動を行っております中嶋康博と申します。
このたび先師、故・田中克己先生の戦後日記を翻刻中、度々崔吉城先生の名前が挙がっており、検索しましたところブログを拝見いたし吃驚した次第です。

崔吉城先生の名前は1973年(昭和48年)にも5回、出て参ります。

半世紀前の学生時代のことなど懐かしく思い出して頂けるかと、御一報申し上げたくコメントさしあげました次第です。

昨日facebookひも付きのmessage機能でメールを差し上げましたが、不達でしたでしょうか。
突然のコメントにて失礼いたしました。
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