崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

売春者か愛国者か

2014年10月31日 05時12分53秒 | 旅行
 読書会で慰安所に関する歴史学者や性・ジェンダー論者の文献研究を紹介した。今読んでいる慰安所日記には数十の慰安所で売春業で大金が動いた現実があったにもかかわらず、それは無視して文献に現れる片鱗をもって帝国軍制云々と言っている。文献学と社会学とはまったく異なる場合があり、時には矛盾があり、結論が反対になることもあり、学問の難しさを痛感しているところである。売春業の話から強制連行された(?)愛国婦人のようになった慰安婦が現在存在していることと合わせて総合的に把握することは難しい。また政治的な要因があり、発言し難いとも思われる。
 慰安婦問題は戦争期に起きた問題であり、強制連行か否かを超えて日本国の誤りであることは事実である。植民地や戦争については日本が責任があり、謝罪すべきであることは言うまでもない。慰安所を戦争と植民地問題へ拡大してしまうと、戦後処理のサンフランシスコ条約や日韓国交正常化の日韓条約に遡り、もう済んだ事項になってしまう。しかし戦後処理の中でも人権問題は残るという側面をもって日韓関係を悪くしている。いわば慰安婦と言われる本人たちの意識とは遠く離れた人権主義者たち(?)によって日韓関係が悪くなっている。
 日本のさまざまな人権運動も主体の運動より、周りの同情団体が問題を作ったり起こしたりしている。被害者自身が問題とし、協力を求めて社会運動をすることが望ましい。外郭団体や政治家が主導した運動がトラブルの主原因と私は考える。セックスも国家によって時には売春者にもなり愛国者にもなる。性と政治に関しては今、出版準備をしている。photo by mochi thinking

山中太先生の授業に参観

2014年10月30日 04時27分56秒 | 旅行
 先週の講義では友人の北村皆雄氏の製作で以前放映されたビデオ「177人家族の人に嫁いだ12歳の新婦」を見せた。それに学生たちのコメントを以て導入して若干議論してから本講義に入るのが私の講義パターンである。その映像には177人の大家族、12歳の新婦の二つの話題がある。学生たちの意見では「12歳の結婚は早すぎ」というのが多かった。そこに問題提議、私の母は10歳で結婚して幸せに暮らした。結婚適齢は何歳かと問いかけた。学生たち曰く、結婚判断力があるのかと言った。私から考えると40歳ころではないと結婚の判断がつかないのではないかと反問した。
 なぜ結婚するのか、子供そして血統主義に、また代理母へ問題点に至る。林権澤監督の映画「シバジ(種受け女性)」を見せた。父系制家族、父親の存在の薄い社会など文化人類学の本質に入る。インドのナヤール(Nayar)社会では夫と妻は同居しておらず、夫は妻の部屋を夜間訪問するだけであった。また夫は妻や子供に対して扶養の義務をまったくもっていない。最近日本人男性がタイの女性たちに人工受精で子供を産ませ、16人の父親になったことを話題にした。若者にとって重要なそして必要な講義であると思って準備をし、提供した。
 教員資格のための授業、特別に佐世保愛宕中学校の教諭の山中太先生の授業を参観した。私は師範大学4年生の時に幼稚園、小学校から中学校、高等学校などで教育実習や授業参観をしたことを思い出した。教案作成と授業には厳しい課程を経て2年間高校の教諭となった。しかし多くの大学教員たちはこの課程を経ず教壇に立っている。大学教員の授業方法の改革が必要だと本欄でも時々触れてきた。
 昨日「道徳授業」に参観して多くのことを考えさせられた。その授業の道徳の内容も良かったが授業方法も良かった。文科省の教育改革が発表されても担当教員の授業方法が改革されないと改革は無理だと思って、ハバード大学の教授方法を本欄にも紹介したことがある。つまり授業は創作過程である(A class is art)ことを考えてほしい。大学には授業参観はあっても規定だけをクリアすればよいと思われており、大きい効果は期待できない。2018年から、また「道徳の授業」が実施されるという。それは教員たちの意識改革がなければならない。

「独島体験館」

2014年10月29日 04時15分19秒 | 旅行
昨日ソウル市内にある東北アジア財団の展示館「独島体験館」を観た。韓国近代史が専門の最高権威者の原田環先生の説明を聞いた。今までこのような展示などを観てもあまり関心がなかった。それは客観的ではないという私の偏見のようなものがあったからである。私は国境意識とは近代国家によって意識が始まり強化されたと思い、1905年独島(竹島)が日本に編入されたことに絞って観た。韓国側はこれは日本の強制編入としてそれを認めるわけにはいかない。ここに韓国側の矛盾が発生する。「強制による編入」といいながら戦後韓国が武力によって独島を占拠したのである。1948年日本より早く独立した韓国が占拠したということ。
 原田先生曰く、日本は1952年サンフランシスコ講和条約によって独立国家と認められたが、その間日本は主権行使ができず韓国が独島を先拠し、支配するようになったがそれは無効だということである。ただサンフランシスコ条約では独島は日本の領土と認めたということに韓国側は日本の猛烈なロビー活動によってそうなった(연합국, 샌프란시스코 '대 일본강화조약'에서 일본의 맹렬한 로비로 인해 독도 누락)と説明する。そうなるとこの展示会で見所は連合国、サンフランシスコ条約での竹島が日本領になったということである。しかしその展示や解説書にもその点については触れていない。そこで私はこの展示は客観性がないと判断した。
 このような類のものはここだけではないだろう。日本でも多くの博物館や展示施設がそうかも知れないと思う。私は長い間韓国の反日、最近は日本での嫌韓など偏見の塊のような現象にあきあきしており日韓ともに嫌な感じを持つようになっている。いつも肯定的な姿勢を持つように努力してきているが、今になって否定的なネガティフ人間になるのではないかと自戒している。もう一回、改心の契機がほしい。

日帝植民地と近代化

2014年10月28日 03時13分32秒 | エッセイ
 
昨朝城南のセマウル中央研修院を訪ねて行ったが正門で外人には公開しないと断わられたが事情を説明し、歴史館の展示室を開けてもらい観ることができた。朴大統領のセマウル運動の状況を見た。1981年に以前の場所の同研修院で教育を受けたことを想起した。
 急いでホテルに戻り産経新聞の元支局長の黒田勝弘氏と昼食とりながら日韓関係に懸案となっている慰安婦問題などについて談話をした。彼は朴クネ大統領への支持率が維持している点、それは女性大統領の人気の主な要因だといわれた。
 続いてソウル大学の李栄勳教授に日帝植民地統治期の経済、近代化について話を聞いた。まず彼は経済史から日本植民地を見るには国史学会の研究者たちから非難されると話を始めた。彼らは収奪論一辺倒で変わることはないだろう。それを肯定的に見るのではなく収奪論の視点を変えることが問題である(嶋)。しかし時代が変わって経済史からは客観的に見る研究が進んでいる。たとえば東国大学の金洛年編『植民地期朝鮮の国民経済計算―1910‐1945』(東京大学出版会2008)によると1941年のGDPと1967年のGDPが同じであり(崔は農村振興運動の成果では?)、むしろ日帝時代より戦後の時代が暗黒時代であるように語った。1900年を前後して日本からの資本流入,近代的な制度の定着によりGDPが上昇し、生活レベルが大きく上がった.。栄養状況も良くなり(原田)人口も増えた。
 李氏は戦後の経済発展については朴正煕大統領の近代化政策をとったこと、セマウル運動においては一切政治宣伝的なことをせずもっぱら韓国の近代化、高等教育などに注力したと評価した。李氏は農村振興運動とセマウル運動の差については、前者は村の自主的な共同体とせず上からの行政主導のものであったが、後者は村を単位として自主的に運動を起こす、それが行政的に協力する形のようであったという。特に朴大統領は精神革命、セマウル運動は教育(原田)、工場運動まで起こして経済的な近代化を成し遂げたという。そして韓国経済を大きく成長させた。日本植民地の遺産による成長というより戦後アメリカの主導の政策によるものではないか。安倍政権の地方創生と新女性の活躍(上水流)においても触れられた。
 その後植民地翻訳叢書1の『朝鮮の巫覡』の出版自祝賀会として、社長の洪鐘和氏、私と共同翻訳者の朴氏と夕食会を行った。 


ソウルのマラソン

2014年10月27日 04時53分20秒 | 旅行
最寄りのバス停に立っている姿をちらっと見て、定かでは無かったが家内の運転する車に乗せず、声もかけず通過してしまい残念と思ったが、小倉の新幹線乗り場で私の肩をたたいた人が、その林先生であった。旅の楽しいことは人との出会いや景色などである。今度の旅の予兆であろうか。ソウル市庁の前でマラソンがスタートした。これも日本真似か。ホテルで二人の名誉教授の嶋睦奥彦氏と原田環氏、県立広島大学の上水流久彦氏と4人でコーヒーを飲みながら打ち合わせをした。コーヒー料金が42000ウォン(一人1000円くらい)で高く感じた。もう韓国は安く買い物ができる観光の国ではない。喫茶店という付加価値がある喫茶店の文化空間も日本より粗末なのにコーヒー代は高いと思った。逆に日本の物価が安くなって韓国人の旅行客は多い。
 町の食堂街を見回り、人が多く入っている店に入った。コプチャンなべとマッコリはおいしかった。量が多すぎ残しても満腹であった。35000ウォン(二人で3500円)、韓国はやはり安い。日韓関係などについて放談した。「日韓関係を悪くしているのは政治的リーダーたちだ」という意見が多い。実は研究者の中で喧嘩や葛藤が起きている。韓国内で反日派が親日派を非難中傷し、裁判にもなっている。それらについて嶋氏は「党争」というコメントをした。韓国の史学界ではその言葉は朝鮮を貶めた言葉だと歴史の時間でならった。しかし私も「(四色)党争」ということを認めたい。私は自著『親日と反日』で親日や反日の「日(日本)」は日本を借りた韓国人であると指摘した。日本にも植民地研究者たちに似ている現象がある。  
 

「チルソクの夏」

2014年10月26日 04時34分43秒 | 旅行
 「楽しい韓国文化論」で「チルソクの夏」を鑑賞した。講師は河波茅子氏、簡単なイントロから映画を見て感想を話し合った。地元下関の人が多く参加、協賛、協力などエキストラも多く登場した下関の映画であり、韓国釜山と往来し、陸上大会に参加した高校生が恋をする。七夕の天の河のロマンの話に隠喩される青春映画である。ストーリーは昔の植民地時代の映画「朝鮮海峡」を思い出させる。ただ戦前の映画では朝鮮人差別が出てないがこの映画では朝鮮人差別が目立つ。
1977年下関の高校生・郁子と韓国人の少年アンテイホウが出会い、恋に落ちるfall in love。日本語、韓国語、英語で交際する場面は現実がよく描かれている。1,2,3、4などの韓国語を体操のリズムに合わせて覚えること、韓国語のラジオを聞くことなど下関の特徴がリアルに表れる。看板や垂れ幕などハングルや下関の海底トンネルの境界線などは広く普及されにくい地域性が濃い。悲しい場面と雨、10年後の時間のカットの処理などは旧式なイメージが強い。特に山口県と福岡県の境界をもって38度線云々という長い演説のような場面は映画の価値を一瞬に落としている。
 しかし恋の青春映画としてもう一つのポイントがある。朝鮮人が相手ということで親から反対される場面があり「ロミオとジュリエット」だと言われる。本格的な差別を主題にした映画ではないが日韓交流の障碍や壁になっており、重要な意味がある。ギターをもって歌いチップを貰うながしの父親が「朝鮮人」を差別するのは面白い。差別されるほどの貧困層が差別する。差別は唯一の自由、特権のように「高位意識」を持つことが魅力であろう。差別される人が差別するという私の持論にピッタリ。世界的な差別映画の名画「招かれざる客」と合わせて鑑賞すべきである。

結婚誓約

2014年10月25日 04時47分44秒 | 講義
韓国の言葉と文化という講義で冬のソナタで教会式結婚式を見せて、せりふ「나 정유진은 강준상을 남편으로 맞아 평생 아끼고 사랑할 것을 서약합니다(私ジョンユジンはカンジュンサンを夫として迎え一生大切にして愛することを誓約します)」の意味を問いながら暗唱するようにした。「大切にして愛する」(아끼고 사랑할)という二つの単語の日本語訳が難しいことを知った。아끼고 という単語は節約、控え、「もったいない」などの意味があるがぴったりする日本語が見つからない。사랑(愛)という単語も日本語では愛と訳するより「好き」と訳した方がよい場合が多い。日本ではキリスト教会以外ではあまり使われない。韓国語でも古語でいう愛という言葉はクリダつまり懐かしむような間接的な言葉である。愛は近代語である。
 このように翻訳は文化や社会を知らないと難しい。辞書を以て言葉の変換式の翻訳ではうまく表現ができない部分もあり簡単ではない。先日オーストラリアの‎Adam Park-Zulawnik氏からその旨「文化訳」を紹介する文を送っていただいた。彼は英語圏の方で日本語と韓国語が完ぺきな方であり、翻訳の難しさに触れた。彼は韓国語の文学作品の良い英語訳が少ないのでノーベル文学賞が取れないと言った。そして韓国人がよく使うウリ(我が)を例にして韓国人がナショナリズム、民族主義から脱皮しないとノーベル文学賞は難しいと主張した。いま日本の右傾化を心配する声が高い。しかし日本は右翼といっても一部にすぎないが、韓国では国民の大部分が同じ考えであることが問題であるとも言われている。
 

怒りの文化

2014年10月24日 05時25分44秒 | 旅行
 昨夜韓国のドラマの中で気が強い女性が可愛い女性に怒り、塩辛を頭に引っ掛ける場面をみて私は怒った。二度と韓国のドラマを見たくない気持ちになった。禁忌画面にしてほしい。考えてみると韓国には「怒りの文化」もあるのではないだろうか。韓国のドラマでは怒る場面に食卓を引っくり返し、家具や携帯などのも壊しながら暴れる。そして酒を飲むパターンが決まっている。そのような怒り方は古く、それほど変わっていない。私の母はそのような行動にいつもサンノム(卑賤の奴)だと非難してヤンバン(品の高い人)はそうしないと言っていた。日本でも以前はこの様な場面もあったが、いまはほとんど見られない。そうなると日本人はヤンバンになったのだろうか。
 昨日の読書会では今読んでいるビルマの戦争日記と関連して第二次戦争のビルマのドキュメンタリー映像を見て感想を話し合った。私は日本が明治維新以降軍国化して飛行機や戦車、近代的な武器を作り、戦争の戦略も現代的な戦争の画像について語った。二人の日本人からはこのようなプロパガンダ映像は戦後タブーとされて見ることもなく、私から近代的な日本軍と言われたことは初耳だったと驚いていた。今は自然災害が怖い。しかしそれとは比較にならないほど何千倍以上の破壊に「万歳」をしてきた日本であったことを反省すべきである。
 今日本では植民地研究が盛んであっても植民地や戦争へのタブーをもって積極ではないことが理解できた気がした。それは戦後の日本の教育が戦争を具体的に反省したわけではなく、戦前と同様、頭での東洋平和と反戦平和主義者への教育であったからではないか。私は日本の戦争に怒り、戦後の教育に怒る。

『黄海旅行記』

2014年10月23日 04時46分22秒 | 旅行
ある日下関に寄ったと突然の電話で、会ったことがあり、その時ふらりと旅をするロマンチストであると感じた平井敏晴氏である。先日は彼が私にある雑誌社からのインタビューを担当することになったと聞き、嬉しかったが台風で日程もインタビューアーも代わった。平井氏のご著書の『黄海旅行記』が届いた。黄海とは朝鮮半島の東海(日本海)の反対側の西海を指す地名である。地球上には海に色をつけた黒海、紅海、青海そして黄海がある。水の色が黄色い。黄砂の影響はより古く水の色にまで染みついていたのである。その海にも魚は豊富、特にイシモチが多く、その漁業について拙稿「波市」がある。朴景利の小説「波市」もある。
 黄海の対岸には中国の上海や大連があり、飛行機で軽く旅行ができる。弥生時代に稲作がこの海を渡って日本や韓国へ伝来したという説もあるが、その海を渡ったということが実感出来なかった。しかし最近海上を旅行しながら近いと感ずるようになり、その説にも信憑性を感じるようになった。平井氏の旅行記はその近さと「国境に縛られた旅は、もう古い」と言いながら韓国からフェリーで黄海を渡り、中国の町へ、縦横無尽に歩きながら異人、異物にも違和感なく、触れ合う風景が自然に伝わる。
 私は大部前にアジアを調査旅行して旅行記を韓国語で書いたことがある。ただ見て体験したことだけを書いた。あるテレビ局の人から批判を受けた。異域で人や事物に出会っても嬉しさや辛さの感情がまったくないと言われた。私は読者が読んで感情と思索を持つようにと、客観性を維持して書いたものである。その後私の旅行記は旅と思索に変わった。平井氏は韓国・中国を内側に入れて歩く点が注目される。そして東アジアの文化とレジャーと美食にあふれている。ツアーでもなく一人旅を誘う案内書にもなっている。今は「異文化」という言葉が大げさに感じるようほど情報にあふれている。

脱稿万歳

2014年10月22日 05時05分59秒 | 旅行
 夏から手直しをした原稿を出版社へ送った。スピードの速さを好んでいる私にとっても思いの外、時間がかかった。慰安婦像を立てることはもうすでに李氏朝鮮時代の「烈女」像から始まったと思われ、まるで性の国策のようなものが、現在に至っていると思われる。朝鮮戦争の記憶から現在の慰安婦まで、性を主題にしている。慰安婦問題には触れているがそのもの自体を問題にしてはいない。しかし、自然に納得するだろうと期待する。
 県立広島大学の原田環先生から慰安婦に関するソウル大学名誉教授の安秉直先生と私の記事のコピーなどを多く送っていただいた。慰安婦たちの証言のインタビューについて週刊誌の記者の記事である。安先生が語り、それがねつ造されたという記事である。政治的と同時に社会的にも微妙な慰安婦問題を正直に語り、それを聞いた記者がどれだけ客観的に書けるかの問題である。5時間もインタビューとメール取材が行われたということ、私も8時間以上インタビューを受けたことから頷ける。その内容を記者がどうまとめるかは記者自身の能力、人格によらざるを得ない。それは日常会話もそうであろう。話をしても相手がどう理解するかは別のものであるからである。
 私も出版予定の書で朝鮮戦争について記憶をたどり語りながら、多くの証言者のことを考えた。記憶自体が正しいと自ら信念をもっていながら都合に合わせて語る部分はないかと常に戒めている。その記憶と戒めをどれほど考えているかによって証言の質は異なると思う。吉田の嘘、朝日の誤報であったことは明らかになって河野談話も政治的な状況で作られ、また政治的な状況を勘案して作成したという事実を知りながらも、このまま継承するということも、政治的なことである。大変恐縮なことであるが、私には非常に高慢な態度が一つある。それは社会は私より正義がないという信念から生じているものである。そしてその社会へ影響を及ぼしたいと思っているのである。

小渕優子氏の辞任記者会見

2014年10月21日 04時37分19秒 | 旅行
スマートフォンで小渕優子氏の辞任記者会見を視聴し、韓国から来られた高校生たちの前に立って挨拶や通訳などを務めた。スポーツデーで本校の教員や学生はほぼいない。行事には関心を持って参加すると思ったら、それを機に逆に参加せず教職員は休務としているのだろうか。教員、学生一緒に校内で長くいながら勉強や研究をして過ごした時代が懐かしい。ただ予備校のように一時期の勉強の時の接点しかないような現在のような個人主義ではなかった。いまのような個別化していく現象をみて寂しい。これが日本の先進化というならば、私は賛同できない。
 辞表提出後の小渕氏の記者会見を見てとても残念に思う。野党に不法性追求に追い込まれ結局辞表を出すのは一見法治社会の正義を守るような政治だと思われるかもしれない。私にはその直感がこない。なぜなら日本人のいじめ方を知っているからである。以前ある人たちから私が苛められた時を思い出す。その中の一人が私の印鑑が日本式ではないとか、押し方が間違っっているとかと電話で言われた。日本ですでに十数年使った印鑑をもって非難されるとは意外なことであった。上手いいじめ方であった。
 大臣辞職に当たるくらいの理由はたとえばスパイとか売国奴かであろう。うちわで選挙法違反を正すことは悪くないが、人間社会の正義を弱める立法主義であることは反省すべきであろう。法律は社会秩序を守るものであり、必ずしも正義ではない。法律守護の前に正義を守ることが大事である。

何義麟『台湾現代史─二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』

2014年10月20日 04時50分39秒 | 旅行
台湾の何義麟氏から自著の『台湾現代史─二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社)をいただいた。彼とは共同研究などで話をしたり論文を読んだりして親しく感じている。今度の著書から彼の冷静な視線と文章力には感動した。何氏は台湾現代史について客観的に堂々とわかりやすく語っている。台湾の人々が負の歴史をどう語り、政治的に論点としているかが分かる。台湾でも植民地「歴史認識」が学問や政治的にも問題になっている。少なくとも韓国のように反日、植民地絶対悪の論理ではなく、多様であることが理解できる。台湾では日本統治の「日治」と日本占拠の「日拠」の言葉について論争がある。韓国で「日帝時代」を「強占期」(強制占拠期)に替えたことそっくりである。つまらない。
 台湾の日本植民地を以て語る時中国大陸からの「再植民地」(蒋介石の父子の統治)に関する批判と日本植民地への評価が書かれている。それに比して韓国では李・朴の独裁政権を肯定的に評価し、朴の父子が大統領になっているのと対照的である。なにより韓国では李氏朝鮮の政治が「惡政」、倭の侵略が最悪とされている。その李氏朝鮮時代の王宮が色彩カラフルな歴史ドラマに美しく映っている。汚い歴史をカラーで塗り染めるのが歴史認識とは言えない。
 
 日本はどうであろう。若い美女大臣下ろしを楽しんでいるようである。法律は人を裁くが、正義を裁けない。その旨「東洋経済日報」へ寄稿文「監獄から思索」を蛇足とする。


『監獄からの思索』
 ソウルから郵便が届いた。『監獄からの思索』の著者の申栄福氏からのものである。彼は陸軍士官学校の教官をした元同僚である。当時彼は淑明女子大学の講師から、私は高校の教師から陸軍士官学校の教官となった。訓練期間中や教官の時、軍務と社会奉仕活動を一緒にした。先日ソウルで聖公会大学を訪ねた時、思い出し連絡をしたが不通、名刺を置いて帰国した。数日後に彼からの手紙とサイン入りの彼の著書『講義』が送られてきた。それは論語など中国の古典を以て思索している内容である。彼が同じ監房で4年間一緒にいた漢文学者との暮らしに基づいて書いたものであるが、つねに監獄からの話が基になっている。
 彼は朴正煕大統領独裁政権の転覆を図ろうとしたとする罪で無期懲役、無期囚だった1968年以来20年20日間刑務所に収監された。釈放されてから聖公会大学の特任教授をして教鞭をとり今に至っている。申氏は1941年慶尚南道で生まれた。父親は大邱師範を卒業して慶尚北道で簡易学校の校長であった。彼がソウル大学に入学したのは私と同じで1959年、4・19の学生革命と5・16の軍事クーデタを目撃した。彼はこの世の変化に大きく感動した。特に朴正煕は「拳銃をぶら下げた李承晩」でしかなかったと抵抗した。大学院を卒業して淑明女子大で講師をしながら『青脈』という雑誌の研究会に参加していた。これが後ほど統一革命党傘下の民族解放戦線と発表されたものである。陸軍士官学校教官で現役将校身分だった申氏が統一党革命首謀者の政治思想犯として無期懲役者となり、軍事裁判では死刑が宣告されたが、裁判所が情状を参酌して無期懲役となった。死刑囚であった時は無期になっただけでも良かったと思ったが死刑より絶望的であったという。
 収監中、常に考え思索し、両親と兄弟に書簡を送った。それが『監獄からの思索』である。個人の危機、恨みとは縁のないような世俗社会の存在に根本的な疑問を投げている。監房の窓から見たネズミ、タンポポの花、列車の汽笛など如何にも平然と社会が動いていることを書いた文を私はいまだに忘れられない。届いた本は読み進むのが懐かしく、辛く、悲しく、虚しくなる。彼の刑務所での青春、中年時代までの冤罪というか、その恨みや欝憤を全国民と共に代わって払ってあげたい気分で愛読されている。このような有能な人材を刑務所に入れた国家権力の矛盾は土をたたきながら慟哭すべきであろう。今彼の罪を信ずる国民は一人もいないだろう。
 彼自身の人生は刑務所によって潰されたわけではない。監房の中を宇宙にして色々な人との出会い、偉大な思索をして、まるで世俗から離れた聖なる空間で悟ったような偉大な人になったのである。私は多くの流配島と呼ばれる島でインタビューをしたことを思い出す。大逆罪などで島流しされた祖先を罪人と思う子孫は一人もいない。大逆罪で処刑された数々のケースをみて裁判制度とはいかに正しくないかを痛感する。裁判制度とは社会秩序を守るためであっても正義を守るには十分ではない。

日韓関係は問題ない

2014年10月19日 05時39分29秒 | 旅行
馬山から来る三十数人の高校生たちを迎えるために港に以前より早い時間に行った。最近日韓関係が悪いせいか乗船者が少なく下船が早いからである。しかし昨日は閑散だった待合室に人が多くなり待機する大型バスが多かった。引率者の崔処長に聞いたら船は満席だったという。日韓関係は問題ないと心から快哉を叫んだ。
 昨日の楽しい韓国文化講座では悪い日韓関係を改善させたのに大きく貢献した「冬のソナタ」の映像と解説、そして討論した。人物相関関係図をもって、4角関係の恋、2回の交通事故、親子関係の確認、泣き、気を失う場面をもって純愛、美男美女、ロマンチックな雪風景など話題を提供した。そして2004年、「冬のソナタ」に関するある女子大生の43人のレポートを紹介した。20歳ころの彼女たちは肉体関係のないプラトニックラブへの関心が高いことなどに触れた。この映像を初めて見る人からすでに見てはまって「冬のソナタ」をテーマに旅行に参加した人もいて議論が高まった。
 韓国のドラマや映画は日本に遅れているという先入観があって、韓国のものはどのようなものであろうかと見てはまったという人、奥さんが先にはまり、夫を誘い夫婦ともに好きになったという人、日本のドラマ、特に歴史ドラマに比してカラフル、美しさの魅力と言う人、しかし純愛ドラマは日本にも古くあったので懐かしく感じたという人、ヒットする要素がたくさんある作品であるなど延々と話は続いた。会長の友松氏は映画作りに韓国の政府の支援政策に触れた。それについては古い国策映画についての意見も提示した。私は受講される方々の出席率の高さと熱心に感心した。(写真は半分の面)

小さい失敗が大きい事故

2014年10月18日 05時17分26秒 | 旅行
 昨夜9時のNHKとKBSのトップニュースは韓国京畿道城南市の野外コンサート会場で起きた換気口の崩落事故で16人が死亡、11人が重傷したことだった。現場近くにいた観客は午後5時ごろから始まった韓国の人気アイドルグループが出演したイベントに参加した。換気口の上からはステージがよく見えるため既にファンが陣取りしていたという。換気口に上がった観客らに対し、イベントの司会者が「危険だから下りてください」と促したが、観客らは耳を貸さなかったという。それが崩れ落ちた。観客の多くは崩落に気づかないまま、ステージに熱中していた。
 小さい失敗が大きい事故に繋がることが常である。大型事故を防ぐためには普段から小さいことを守る習慣を身に着けるべきである。行政もその小さい失敗を防ぐために徹底すべきであろう。もの作りの名人の工作を見るといかに小さいところに気を使っているかが分かる。後進国の衣服を日本やアメリカでやり直して商品化した商人、私の友人の話は忘れられない。後進国の衣服はボタン付けが悪い。それを直して製造元を替えて商品化するという。今はほぼ機械的な作業で質が上がったが、まだ大型事故を起こしかねない後進性は残っている。人生も小さい失敗で取り返しがつかずに終わることも多いだろう。 

最年少受賞

2014年10月17日 05時33分59秒 | 旅行
 ノーベル平和賞が17歳のパキスタンの女子学生に授与された。聞いて唖然とした。平和賞は政治的な意味が大きいということを認めても大きく疑問を持つ。日本でいうと未成年に授与したことになる。功績より未来向け、あるいは女子教育、イスラム過激派へという国際的な状況から平和を願っていることのメッセージは大きい。しかし賞は功績への評価であろう。つまり未来ではなく、過去に関するものである。過去をもって未来を展望することはもちろんである。しかし今度の場合は、極端に言うとイエスの誕生を祝う宗教的な意味にはなるかもしれないが平和賞の受賞の対象にはならないと思う。伝統的には英雄は神秘的な誕生、天才的少年から英雄へという古いパターンがある。
 賞は世俗的であり無視した人もいたが、実はそれを目指すような人や国家も多くあって無視することは出来ない。世界的に賞を目指すロビー活動が激しい。オバマ大統領が当選したことが契機に受賞された時に趣旨に対する異見も多かった。平和賞は平和への活動の注文式の受賞ではない。今オバマ氏は良し悪し問わず爆撃の責任者のアメリカの大統領である。受賞された方には失礼ではあるが、平和賞の委員会は再構成の必要があると思う。