崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

日韓親善会

2010年09月30日 06時15分36秒 | エッセイ
 下関海峡メッセで行われている「韓国螺鈿工芸作品展」(吉正本螺鈿工芸院主催)を観覧した(写真は東京会場のもの)。広い展示場に大型の作品まで大小様々な作品が展示されている。しかし午後の時間帯とはいっても観覧客が私以外に1人しかいない。螺鈿工芸とは、貝殻を加工した螺鈿を、木や漆面にはめ込んだ生活工芸である。韓国人には必須家具ともいえるもので、部屋を飾る、富を象徴するのがこの工芸品のダンスである。日本では桐のダンスが好まれ値段も高いと聞いた。桐は太鼓の材料にはなるが、木材が弱く高級とは思えない。しかし湿度の高い日本では桐の意味は説明で分かった。日韓文化交流の意味も込め、この展示会がもっと市民に見てもらいたい。
 その展示場からレストランへ直行、山口県議員であり、日韓親善会の石崎会長などと食事をともにした。日韓親善会は全国的な組織であり、山口県連合会は福岡に次ぐ2番目に古く、来年2011に50周年になるという。韓国の親善会とも連絡しながらよい行事ができればと思う。本当の「親善」とは何かを考えてみよう。

自由国家への道はまだまだ遠い

2010年09月29日 05時55分16秒 | エッセイ
北朝鮮独裁統治体制、3代世襲が実現するという。27歳の息子に「大将」とう称号を与えたという。このような軍組織から考えると軍は王国の「私兵」のようなものであろう。考えてみると北朝鮮には自由の歴史がなかったことに気が付く。
 李王朝、大韓帝国、大日本帝国・朝鮮(日本植民地時代)の延長の国家である。北朝鮮は王制が続く王国としか見るほかない。戦後一時期には植民地から「解放」の自由があっても人民にとってはただ「混乱の時期」という記憶しかなく、自由を味わうことができなかったのである。したがって北朝鮮の住民は金3代世襲制にも我慢できるのであろうと想像する。韓国の歴史を見ても独裁王制の期間が圧倒的に長い。否、全世界史がそうであったと言っても過言ではない。民主主義に至る道は長かった。北朝鮮が自由国家になる道のりはまだまだ遠い。悲しい。
 

増補版のために

2010年09月28日 04時59分33秒 | エッセイ
1年ほど前に韓国語で出した本『映像が語る植民地朝鮮』が再販されることになり、版型やフォントなども変えるので相当の量を増補しなければならない。その大変な作業をしているが資料が自宅と研究室に分散していることが不便と感ずる。理想的には自宅に資料を全部持ちたいがスペースの問題がある。運転とは縁のない私としてバスを乗り替えて通勤するような大学研究室の資料利用が不便である。運転免許を持っていない不便さがこの頃時々感ずる。中部大学や広島大学では研究室が近い大学の内外に住んだのも幸いであった。定年するときは学問は終わりだと思って多くの本を関連するところに寄贈したが今になって後悔する。
 下関では大学と離れた海辺に住むためである。この夏のような猛暑でも冷房をせず過ごせ、また執筆中に海を眺めながら憩いの場にもなっているので満足している。すべてが揃うことは難しい。道歩とバスでの通勤で人と出会い、観察する時にしている。柳田がバス停であった老人との対話から『先祖の話』を書いたという。そのような人と会えるかもしれないと今日も大学へ向かう。

「召命」

2010年09月27日 06時14分45秒 | エッセイ
今度の研究会では朝鮮、台湾、南洋まで植民地期の日本の意識に関する話題を提供するような発表であった。私が論文をもって発表したのはピント外れのようであった。植民地、歴史、民俗学、民族学などに話題は広がった。私にとっては植民地を広く検討するよい機会であった。会議は延長になり、最後の発表では今和次郎と柳宗悦と朝鮮半島のところには質問とコメントしたかったが時間的にできず残念であった。
 友人の国家公務員と会って話をした。彼は時間外の仕事が多く手当は少ないと聞いた。夜遅く帰宅して私のような仕事には手当は一銭もないことに気がついた。日本では研究会には交通費、滞在費だけが精一杯である。オーバーペーはない。それでも研究者がよく集まる。それは研究を使命、仕事、趣味のように思うからである。有名な地理学者川村博忠氏は「楽しいから旅費が出るだけありがたい」といった。私も寝ながらもアイディアを絞るなど、それこそ寝ても覚めても研究テーマを考えている。使命感を持っている。このような職業に関してマックスヴェーバーは「召命」と言っている。それを単なる仕事でするならば「奴隷」であろう。手当などを考えずに研究ができることは幸せである。

法政大学でヨセプクライナー研究会

2010年09月26日 05時22分38秒 | エッセイ
 朝食時に広島在住時からお付き合いがあった方で、今は内閣総理部で働いている人、アメリカスタンフォード大学からのハルミ・ベフ先生、ドイツボン大学から来られたオイルシュレーガー教授などと久しぶりに会った。昨日から法政大での研究会に参加中である。ベフ先生とは3年前パリでの国際会議で会って以来である。彼は私より10歳年上にも関わらず夜の懇親会まで参加した。先生はロサンゼルス生まれだが、少年期を日本で過ごし、アメリカで教育を受けた文化人類学者である。私は韓国で彼の英語の『文化人類学入門』をテキストにしたことがある。
 会場は市谷法政大の高層棟25階である。会場に着いた時、同行したオイルシュレーガー氏が見えなかった。後で聞いたところ彼はエレベーターを利用しないと言う。もちろん降りる時も階段で降りたのである。会議はベフ先生の「日本帝国時代の日本意識の意義」から始まった。植民地時代の内地と外地の区別意識がテーマとして出されて討論した。私を含め7人の発表と討議で時間は延び延び、弁当を食べながら続けた。懇親会は沖縄料理専門店を貸しきって行われた。乾杯だけ皆で、後は隣の人と話が交差して騒音化していく。私の隣の若い美女は膝を折って姿勢を崩さない。なるほどお寺さんの娘、また私の知人の明治大学日向教授の学生でもあったと言う。楽しい話の中、少し早く引きあげ、また今日も続く会議を楽しみにしている。(写真の上は懇親会、下の中央がベフ先生、所長の法政大の我孫子先生)



ダイエット

2010年09月25日 03時21分25秒 | エッセイ
先日同年の人に久しぶりにあって痩せたので何か病気でもしていないかそのわけを聞くと、彼は大変なダイエットや、断食の努力をしたと言う。その話を聞いて私も「減量しないといけない」といいながら健康を意識した。それで私は自分のことに気が付いた。やせないといけないという言葉を傍で聞いた家内から私がやせることには否定的であり、太ることには抵抗がないことが指摘されて正鵠を指したと思った。私はやせることには懸念、太ることにはそれほど抵抗がないのは私の成長過程が背景にある。私の中高の時代の写真を見ると顔が長細く貧困相そのものである。私が成長した時代の農村では太った人が健康であると思われ、母は村で一番太った人を品格のある人のような態度をとった。
 ダイエットという言葉はまだ私には栄養があまる贅沢な話のように聞こえる。食料はもちろん料理に有り余るほど経済的に豊かな今の世代を生きる人は幸せである。昨夜東京に来て専修大学の樋口先生に中華料理をご馳走になった。もちろんとてもおいしかったこともあるが食料の危機を感じた時代を思い出しながら最後の皿のスープまで飲んでしまった。このような私にはダイエットという言葉はふさわしくない。

「尖閣」の国境をDMZ化

2010年09月24日 06時00分34秒 | エッセイ
尖閣諸島の領土問題で中国との緊張が名前通りに「尖閣」である。無人島であった領土の問題は難しいのに専門家ではない中国人が堂々と「中国の領土である」と主張することができるのはなぜだろうか。 中国の国家安全当局は不法に「軍事目標」でビデオ撮影していたとして日本人を取り調べており、中国漁船衝突事件で逮捕された中国人船長の拘置に対する報復の可能性があるという。それは国家安全当局や警察だけのことではない。中国での現地調査などでカメラを取られそうな時、お金で交渉した体験を多く持っている私にとっては当事者たちの苦労が伝わってくる。
 朝鮮半島には世界で例のない国境(?)がある。いわば南北の軍事境界線である。その線を挟んで南北に4キロ(2+2)は非武装地帯(DMZ)にしている。朝鮮半島で起きた南北の朝鮮戦争の悲劇的残滓といわれるが、今尖く先閣している「尖閣」の国境をDMZ化するのも悪くないのではないだろうか。

無駄な待合

2010年09月23日 05時43分00秒 | エッセイ
 中国からの客を迎えに副学の鵜沢先生の車で一緒に下関港で行き、2時間待って最後に職員に名前と年齢を確認したところ既に出たことが分かった。鵜沢先生にも面目がなく、にわか雨の中急遽研究室に戻っても彼の姿はない。彼の友人の中国に電話したが連絡の方法がなく、せっかくの中秋の雰囲気をこわしたようである。もちろん私の中秋の名節の気分も台無しになった。彼からは何の連絡もない。
 帰宅して夜彼から電話があった。下船して出ても私が居ないからそのまま広島へ行ったという。私の携帯番号を知らないこともその電話でわかって唖然とした。彼から携帯に何度も電話があったのに不思議に思い訪ねると友達の携帯から掛けていたとの事である。彼の準備のなさと私の見守りが不十分で会えずに残念であった。
 2時間の待っていた時間は考えてみると無駄でもなかった。以前私を迎えに仁川空港に出版社の社長など数人が待っているのを知らず一番早く出てしまって合えなかった時の無駄は待合をした人の心境を体験することになった。そのくらいの人数の通関で2時間もかかる下関港入管手続きの遅さや荷物の多い団体客を観察する時間でもあり、待合わせ場所に最初から最後までいたことは初めてのことであった。鵜沢先生とも専門や日常の話まで楽しんだ時間であった。無駄な待合、有効な談話の時間でもあった。
 

大阪地検特捜部主任検事逮捕

2010年09月22日 05時48分46秒 | エッセイ
大阪地検で虚偽有印公文書作成罪などに問われた村木厚子元局長(54)の無罪が確定されたというニュースで驚いた直後担当検事の大阪地検特捜部の主任検事を逮捕したというニュースには唖然とした。その検事が郵便不正事件フロッピーディスク(FD)のデータを有利に「改ざん」したという。(写真は前田検事容疑者)
 政治主導と言っても司法は法律で保護されている機関である。特に民主主義の原則である三権分離であり、司法は政治から直接干渉されないようになっている。その内の者は特殊、特権をもっている。政治指導者は世論調査で喜悲が交差するのに司法の人はそれとなく、特権を発揮する。その特権は社会を安定させるためのものであるのに国民の上に君臨する厄介なものになったような印象をこの事件から受ける。
 私が始めて日本留学したとき警察が人を殴って、警視庁長官が辞任したニュースを聞いて、当時独裁国家の韓国と比較して日本を羨ましく思ったことがある。そのような日本に回復して欲しい。

読むということ

2010年09月21日 05時07分00秒 | エッセイ
 今1930年代の二人の論著を読んでいる。二人は同じ時期に活躍した研究者であるが、Aが創造的な発想で研究したが、BはAの成果をほぼ引用せず利用して自分の発想のようにして、第一人者になっていくのである。Aの独創性は認められていない。私はその人のオリジナリティを探してBに影響したこと、さらには二人の人間関係まで想像するようになった。日本では折口信夫と柳田國男の関係に似てるかもしれない。読書とは人に出会うことであろう。今私は二人の研究者を、学者という以前に人間性まで遡って辿って読み取ろうとする。
 秋は読書の季節という。日本人はまだ新聞を読む率が高いという。新聞には事故、事件ばかりではない。その裏の人間の心や考えを読むべきである。今、読書率を高めることと読解力を深める読書三昧の秋に向かっている。
 

敬老の日 

2010年09月20日 06時57分49秒 | エッセイ
 長い間楽しんだKBS2TV『怪しい三兄弟』が昨夜最終回であった。大体の韓国ドラマが無理なハッピエンディングをするということはすでに指摘したが、これも例外なく失望で終わった。悪質の姑は嫁たちにお詫びし、仲良くなり、急に子供が生まれる、きちんとできなかった結婚式も行われるなど幸せな楽園を作って終わるドラマで今まで楽しんだ作品への失望が湧いてしまった。しかしこの作品は現代韓国社会の家族関係を表している。特に長男重視、嫁姑の葛藤、世代による夫婦たちの価値観などをよくあらわしている。
 大家族の主人、戸主である父親が警察を不名誉な退職をし、退職金も詐欺され、みじめな状況になっていく。妻から蔑視されても結局は家族愛、親孝行によって幸せに暮らす。このドラマを見た日本人から韓国人の親孝行が羨ましいと言われたことがある。日本は高齢化社会で長寿という人間のもっとも目指す幸せを達成している。今日は敬老の日、昨日教会で私も老人として祝ってもらった。「…終わりまで」の讃美歌は葬送歌のように感じた。高齢者たちの死生観が求められる。

9.18

2010年09月19日 06時02分47秒 | エッセイ
昨日は1931年9月18日に起きた満州事変の記念日である。関東軍が柳条湖事件を起こして中国の抗日事件だとして制圧し、翌年満州国を創立して日本の最後の植民地としたのである。私は数年前に日本の関東軍が、満鉄の線路を爆破した事件の現場であった中国瀋陽市郊外の線路や記念館の「9・18歴史博物館」建設の状況を見た。また去年は当時の首都の新京、今は長春の満州国の王宮を観覧した。小学生の観覧が多く、反日教育、あるいは歴史現場教育をしているようである。
 昨日は中国で「国恥を忘れない」というスローガンで民衆が日の丸を燃やす騒ぎが起きたという。逆に「国恥を忘れない」ようにするべきなのは日本国であろう。日本の国の品格などと言われるがその品格を国民が守り、作らなければならない。 

「古木には鳥も来ない」

2010年09月18日 05時55分57秒 | エッセイ
 韓国の民謡に「木でも古くなる(古木)といつも来ていた鳥も来ない(남구라도 고목이 되면 오던 새도 아니오고)」という詩句がある。年をとると人間関係も疎遠になるということである。私の恩師がそれを持ってエッセーを書いた。来年米寿になるが、時々私のほうへ電話で「だれだれから何の連絡もない」と不評をいう。耳が遠くなって通話が不便であり、電話するのも難しく思われるが、先生は人からの音信が欲しい。その不評は人への関心であり、愛情であることは十分感ずる。
 高齢者の孤独が社会問題になっている。デーサービスが増えつつある。私の近所にも数箇所ある。覗いてみると集まっていてもただ背向きに孤独に座っている人が多い。人と話すことに不向きであった人が高齢になって変わるわけはない。家内が散歩の時、鳥に餌を上げる老女が言うには人は訪ねてこないのに鳥でも訪ねてくるから嬉しいと。孤独は来ない鳥への思いやり、愛情を深める時間でもある。

松下村塾

2010年09月17日 07時14分08秒 | エッセイ
KRYテレビの竹村昌浩氏から送ってもらった山口放送制作のDVD「松陰を継ぐ君へ:青春の山河」(2009年11月1日(日) 午後3時00分~3時55分)を見た。吉田松陰の近代的な教育、先見の目が若者へ情熱となって時代を動かすという主題である。「学問」が主に知識の作業であるといえば、「教育」は影響することである。松陰の教育は若者へ力強く影響したということで成功的であった。彼の教え子から日本近代化の中心的人物が出た。高杉晋作は奇兵隊を結成し、倒幕にいたった。伊藤博文は近代国家の基礎となる憲法制定に尽力した初代内閣総理大臣であったが朝鮮の少年安重根によって暗殺された。今私が書いているテーマである。DVDを通して教育への情熱に感動した。
 先日ソウルで会った韓国の友人の一人は伊藤博文に関して見識を披露した。伊藤は日本で一般的に思われるようによい人格者ではないという。伊藤は若い時に暗殺したことのある人で暗殺されたことから山口という地域は暴力的な、日本一保守的なところだと言った。韓国の嶺南(慶尚)地域と似て政治に関心が大きい地域であるから総理大臣が多く出るという。ここ下関に住みながら同感せざるを得ないことであった。日本では朝鮮半島と一番近い県として福岡と山口があるが、非常に対照的である。山口県は韓国へ消極的、福岡県は積極的だなと常に感ずる。しかし近頃下関と韓国全羅地域と結ぶ連絡船が増えるという。山口も積極的になってほしい。

組閣とリーダーシップ

2010年09月16日 04時50分25秒 | エッセイ
 菅内閣の組閣にシャーマンのリーダーに関する私の研究を思い出す。そのリーダはクッを行うたびに自分の人脈を利用して15人からなる儀礼団を作る。それは儀礼を効果的に行うための一時的なものである。メンバーたちの横関係などや永続的なグループではない。専門的にはアクションセット(action set)という。その良いリーダーとはその村において住民との関係、シャーマンたちの能力を考慮して儀礼を効果的に行うように作る。そのメンバーの中には互いに人間関係が悪い者が参加することもある。しかしリーダーとの関係を優先する。私が調査した儀礼には本妻と妾が一緒に参加したことがある。仕事を徹底的に成し遂げることが鉄則である彼らの中では問題が発生することはない。そこではリーダーシップが重要視される。
 今民主党国会議員の全員野球という発想から組閣する上リーダーシップが問われている。適所適材の原則では寄せ集めのようになり横関係が悪くなる憂いがある。しかしその人たち(内閣)の素質や能力を発揮させるのが良い親分であり、良い内閣総理である。そこに人格とパワーが問われる。組閣発表を楽しみにしている。