崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

政治家の妄言とは

2007年11月30日 05時35分19秒 | エッセイ
 タレント出身の宮崎知事東国原氏が「徴兵制のようなものが必要」ということを言ったことでマスコミが問題のあるように取り上げている。日本人がよく使う「建前と本音」の「本音」つまり“規律と道徳のある青少年の教育の必要性”を理解せず、ある単語だけに反応することは私は無駄な報道だと思う。人それぞれ言葉のレトリックがあり、「言いたいこと」の本音と言動一致が理解されないことがある。たとえばブッシュ大統領のように「悪の主軸」といい、「敵対政策」を発表したような言動一致のことになればマスコミなどが大きく問題にしてもよい。ゴシップや冗談などの失敗は多めにみるか理解してよい。自称「先進国」という日本人の心も大きく先進してほしい。
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道を迷う

2007年11月29日 07時51分05秒 | エッセイ
 あるところを探しに行って道に迷った。全く知らない裏道に入ってしまった。そこには華麗な酒屋の問屋やクリニックなどがあって坂道の上は住宅など人が生き生きしている雰囲気がある。道路ぞいのシャッターが下りているのとは違って活気さえ感ずる。迷うことから異境を発見するよう感もする。捨てられて人生を迷うことから英雄、姫や王子が生まれる昔話が多い。時間のない時道に迷うことは大変焦ってしまうが、時には道に迷うことは悪くもない。新しい発見があるからである。
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マクドナルド

2007年11月28日 06時46分05秒 | エッセイ
 マクドナルドは都市化近代化社会の生活様式に合わせ注文に迅速に対応し持ち歩いて食べるような、食生活を根本的に変えるファストフードである。1940年代にアメリカで兄弟が始めて以来最も国際化に成功した食べ物である。現在アラブ数カ国を除いて全世界に普及しており、アメリカ文化の象徴的なものである。日本の早稲田店が調理日時のシールを張り替えて販売していたという。担当者の一人が「もったいない」という。我々の普段の食生活でも賞味期限を少し超えても「もったいない」と思い食べることがある。戦後多くの人が捨てられた大根の葉っぱを拾って食べたことを思い出す。いま問題になっているのは公衆衛生と節約精神が対立、そこに公衆食への信頼の問題である。「信」を得るためには「損する」ことも必要であることを知ってほしい。
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お洒落と言われ

2007年11月27日 06時12分57秒 | エッセイ
 家内とイギリスに行った時,高価なプレゼントとして青色のマントを買ってあげたがそれがタンスの中で眠っていた。数年前から冬季にそれを私が室内と散歩の時愛用するようになった。スカーフも首に巻いて温めて風邪を防ぐようにしている。その姿を見たある中年の女性と学生が私に「お洒落ですね」と言った。それはほめ言葉であり、また「変わった人」というニュアンスにも聞こえる。私は靴を磨くことはあまりないが、襟元を飾るようなアンバランスなお洒落をしているのかなと思う。食べ物を質素にしても衣装にお金をかける人もおり、けちな人が賭博には大金をかけるというアンバランスにも似ている。そのアンバランスを芸術的にはデフォルマションという。話がだいぶ飛躍してしまった。
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弁論大会の応募資格

2007年11月26日 06時17分15秒 | エッセイ
 韓国語弁論大会で応募資格が話題になった。たとえば、ほぼ朝鮮語・韓国語と日本語の両方を母語のように話せる家庭や環境で育ったバイリンガルな人も応募できるかという疑問を提議した人がいた。外国語弁論大会とはそのような言語環境に恵まれず学習して習得する人の競演であろうと思う。それは「学習と努力の競演」を意味する。自ら他言語を学習する目的意識をもって、その言語と社会や文化を学びながら習得していく貴重な過程を前提にしていることを意味する。したがって母語や準母語的な環境で育つような言語環境ではないところで自ら学習意欲をもって勉強することは「異文化を悟る」ともいえる。このような人々の大会であると位置づけすることができるのでないだろうか。
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韓国から日本へ旅行

2007年11月25日 09時09分45秒 | エッセイ
 韓国から日本へ旅行する人が日本から韓国への旅行者数を逆転するようになったという。つまり韓国から日本に来る人が多い。ドラマから始まった「韓流」が「人流」に変わっていくのである。円安で韓国人が日本で買い物をするようになる。また下関は太刀魚などを韓国に輸出している。国境を挟んだ国の間でこのような現象が起こるのは極めて自然である。ただ日本と韓国は朝鮮海峡を挟んでおり、それが簡単ではなかったが、これからはその現象が急テンポで進められることが想像される。韓国からの現象は歴史的に大陸からの流れとは異なるもの、いわば文化の多様性、国際化の現象である。
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韓国語弁論会

2007年11月24日 07時00分41秒 | エッセイ
 勤労感謝の日であり港ではさかな祭、グリーンモ-ルではリトル釜山などでそれぞれイベントが行われる中,下関シーモルの大講堂では山口県韓国語弁論会が行われた。満席だった。韓国語学習の動機はいわゆる韓流ブーム、主にドラマから出発した人が多い。ドラマから韓国へ旅行し、韓国の俳優やタレントさんが好きになり韓国料理を作り、韓国語で案内するなどその広がりを強く感じた。サムルノリのアトラクションで韓国音楽を楽しむことも一味であり、韓国語をめぐる文化交流の時間でもあった。
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音楽を楽しむ

2007年11月23日 07時26分10秒 | エッセイ
 音楽とは「音」と「楽」の合字で「音を楽しむ」ことである。昨日教会でバイオリンとピアノのコンサートのリハーサルでは実に音を楽しんだ。音の美しさを再発見したような斬新さがあった。普通演歌などは歌詞を読むよな部分が多く、単調な感じがする。しかしクラシックになると音だけで表現されている。そこにはメロディや和音、音の高低、強弱、テンポなどが複雑に調和している。続いて金剛山歌劇団の公演を楽しんだ。ほぼ毎年のことではあるが特に崔栄徳氏のチャンセナプの演奏には惚れてしまった。朝鮮の伝統楽器の胡笛を改良したもので元のものより軟らくメロディが自由自在で崔氏の演奏は「音美の極まり」であった。ただ南北統一など旧イデオロギーの変形したようなものは玉の中の塵のようであった。
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愛犬と和解

2007年11月22日 07時07分04秒 | エッセイ
 わが愛犬ミミは丸1歳過ぎで早くも反抗期になっているようである。私が仰向けにして酷く叱ってから私にはなかなか近づかない。抱いてあげたり餌を上げたり和解しようとした。やっと仲直りができたようだが一定の距離を置くようである。全面的に受け入れる家内に対しては完全に信頼しているが従うことはない。ミミは私の反応にはいささか注意する。犬の反抗と私の怒りは対決であり、喧嘩でもあり、互いに自分の自我の確立のために必要なことであろう。犬は従順的な動物とはいえるが、反抗期があってこそ魅力がある。優しさと強健さを持つべきである。従順な国民だけでは民主主義は出来ない。場合においては抵抗もする国民になるべきであろう。
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日記を書くこと

2007年11月21日 05時57分48秒 | エッセイ
 日記を書く人は多い。私も1960年代以来日記を書き続けている。日本に留学した時代の日記が流失され古本屋で見たという情報を聞いて心が痛い。しかし日記を書き続ける。日記には非常にプライベートなことを書くことが多い。しかしそれは隠すべき秘密ではない。ただ公的に知らせたくはない。なぜ書き続けるか自問してみる。おそらく存在感を持つためではないかと思う。書けなかった一週間前のことを思い出せず、読み捨てた新聞を読む場合もある。しかし日記は自分中心の歴史である。自分の人生を曖昧な記憶だけではなく、他人が書いた記録によるものでもなく、自分が主人公として自ら書く自分史である。このブログも日記に近く、二重に書く負担があるが、二重の楽しみもあるから書き続ける。
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お月様は

2007年11月20日 07時12分25秒 | エッセイ
 月に関する神話や昔話が多い。子供の時母親とお月さまに念願を祈ったこともある。朝鮮半島の南部にはタルブルノリ(月火遊び)という民俗行事がある。昔は陰暦つまり「月暦」が使われた。月は地球の人々の神様であり、季節のリズムの基礎になっていた。しかしハイビジョンカメラから見た。月面は固い面の中にクレータなどが鮮明に映されたのをみて、失望しながら、また神秘感に包まれた。なぜ落ちずにそのまま位置しているか、それより月に比べて地球は美しい。地球には生命が存在しているからである。論理的に説明できない大きい偶然に地球には命が誕生し、またその小さい偶然として私は生きている。我々の存在自体を合理的にあるいは偶然と解釈している。「大偶然」「小偶然」の基礎には聖なる摂理が存在するのかもしれない。
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在日小倉教会献堂式

2007年11月19日 06時32分26秒 | エッセイ
 在日小倉教会は故崔昌華牧師によって有名になった。崔牧師は在日運動家として日本の政治や差別と闘った人であり、私とは国際会議で隣席して話したこともある。指紋押捺反対、韓国人の名前の日本式の読み方反対など数多くの運動をした。彼の生前の努力によって昨日新しい建物建坪延べ240坪の会館と礼拝堂の献堂式が200人ほどの賀客によって行われた。祝辞を述べた在日キリスト教の総会長鄭然元牧師は私が留学した時、開拓教会で宣教中あり、今大きい教会に成長した教会の担任牧師を長く務めた方であル。久しぶりに会えて嬉しかった。崔昌華牧師により小倉教会は戦ったイメージが強く日本人との平和と和解、愛の交流のイメージは薄い。新しい礼拝堂とKCC会館が日本人に広く開放され、「和解の場」になって欲しい。
 
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非社交的な日本人

2007年11月18日 05時45分15秒 | エッセイ
 大型バスツアーで日帰りの観光旅行をした。45名の満席であった。そこには20名、7名、4名、3名、2名、一名というような参加グループで構成されていた。20名のグループの中でもいくつかに分かれていた。全く単に集った人々の行動であった。全くといえるほどグループ以外の人とは会話も交わさない。なぜ面白くない団体旅行のバスが満席になったのかを私は考えた。一緒に乗ったのはほぼ経済的効率のためだと思う。極めて非社交的な日本人と感ずる。韓国人や中国人、否世界何処の民族でもこのような人間社会はないと思う。日本人には国際化の根底が弱い、あるいは基盤がないように思われる。あまりにも人権とプライバシーばかり気にして貴重なコミュニケーションの機能を無視した社会のバス旅行を観察する機会であった。
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文化的に貧しくなっている

2007年11月17日 06時27分41秒 | エッセイ
 韓国では油価が高くなり再び練炭が利用されるようになったという。戦後韓国では主な燃料が薪だったので森林が疲弊してしまった。50年代末に練炭が登場して一気に生活が変わり森林が守れるようになった。しかしガス中毒死も多かったが練炭は韓国を豊かにした要因でもある。私も30年間近く19孔の練炭を利用した。70年代に日本に来て、練炭ではなく、電気と灯油が主燃料であった。当時、まだ市場などでは19孔の練炭を見かけて懐かしく思ったこともあった。韓国も練炭がほぼ消えていったが最近油価が高くなり、練炭を多く使うようになったという。
 今日本も油依存を考え直すべきではないだろうか。エコ生活が叫ばれている。貧乏ではない人の節約は「質素」「清廉」であるが貧乏人の生活はただ「貧しい」だけである。質素な人こそ贅沢な精神生活、文化生活ができる。今、日本人の生活は物質的に豊かになっても文化的には貧しくなっているのはないだろうか。
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イギリス友人から悲報 

2007年11月16日 06時15分56秒 | エッセイ
 イギリスのシェフィールド大学のグレーソン教授から彼の愛犬バンデタBandita の悲報が届いた。彼はアメリカ人牧師であり、宗教人類学者でもある。韓国で同じ教会に出席し、同僚でもあった。後に彼はイギリスのシェフィールド大学に移った。奥さんはジャーナリストのイギリス人である。その夫婦は韓国からイギリスへ行く時二人の養子と1匹の犬と猫を連れて行った。その犬の名前がバンデタである。その犬は韓国の伝統的な雑種として保身湯用のドンケ(糞犬)である。数年前わが夫婦が訪ねた時は二人の子供と犬はイギリスのジェントルマンになっていた。糞犬もイギリス人の教育によってジェントルマンになったのを目撃し感動したものである。私が犬の安否を聞いたところ、その犬は数年前17歳半でなくなったと次のような悲報が返ってきた。
 Sadly, Bandita died a few years ago at the age of 17 1/2!
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