崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

今日は禁煙の日

2008年05月31日 07時22分39秒 | エッセイ
 今日は禁煙の日である。タバコが健康上禁煙になったのは西洋からである。はじめに軍隊の集団生活で健康に悪いという医師の診断によって禁煙するようになったという。タバコは世界的に大きい文化圏を形成している。朝鮮半島にタバコが現れたのは李朝中期であり、比較的新しい文化である。当時老若男女が楽しんだが目上の人の前に禁煙するようになり自然に老人の嗜好品になった。今でも韓国では老人の前ではタバコを厳しく控えるようになった。また韓国の基督教でもタバコは宗教の信条によって禁煙されている。陸軍士官学校ではタバコを吸うことが発覚されて退学させられた人もいた。韓国にはタバコに関する規制がいろいろあるが、その中には愛煙者もいる。私の恩師や友人は死ぬまでヘビースモーカーであった。健康上の理由より社交性の関係でタバコは肯定的に機能したことも認めなければならない。
 

自衛隊の輸送は見送り

2008年05月30日 08時16分29秒 | エッセイ
 韓国国防部は29日C-130 郵送機で救援物質を成都に運んだ。韓国軍輸送機が中国に入ったのはこれが初めである。一方今朝のニュースで日本は自衛隊の輸送は見送りをしたという。日本の判断というよりは中国側に否定的な反応があったのであろう。純粋な援助であるので断られることはとても残念と思われる。しかし私は中国側の判断が正しいと思う。韓末時代に韓国政府は反乱の制圧ができず中国や日本の軍を入れてしまって結局は李王朝が滅亡された教訓があるからである。自衛隊の援助が純粋とは思うが人道主義よりは利益主義が上回っていると思える。自衛隊員に国家や民族を超えて人類の生命と人権を尊重する価値観が充分確立されているか、いま私は日本の人道教育にまだ不信を持っている。

結核病

2008年05月29日 07時17分16秒 | エッセイ
 一昔前、結核は大変恐ろしい病気であり、それで多くの命が無くなった。一昨日病院でCTを取って頂いた。古い病巣が白く石灰化されたのが写っており、専門的にはわからないが胸がぼろぼろなのかなあと写真は繰り返し見た。しかしお医者さんは結核の跡とは別のところの気管支炎と診断され薬をくれた。私は1959年この病気の末期に臨んで死を目の前にしたことがある。闘病生活をしてようやくここまで生きてこられてたことに感謝している。闘病中一緒に暮らした精神病者に伝道されクリスチャンになって生き方を大きく変えた。「九死一生」心身とも一新するには10年近く掛かった。その古い病巣は私の行動をいろいろと制限してきた。スポーツとは縁のない生活、ただ規則的な生活習慣などを守るようになった。私の死にいたる病名は何になるかなと考えるとやはりそれに近いものではないかと考えている。

死を認める

2008年05月28日 06時52分48秒 | エッセイ
 まだ風邪が治っていない。風邪には一定のプロセスがあり、今は最終段階かもしれない。普段死ぬことは考えてもそれは健康と長生きが前提になっている。しかし今度の風邪では死ぬことの恐れは感じない。死を認めるようになった。読者からは大げさに言っているといわれるかもしれないが病気を通して健康であることに感謝したり、死に対する恐れを感じることになるだろう。しかし今度の風邪では死を認める転機になっている。なぜかは分からないが病気を通して人は成熟していくのかもしれない。親しき先輩の死を偲ぶ文集を作るにあたり、彼の死も素直に受け止めて一文を送りたい。

風邪

2008年05月27日 07時31分25秒 | エッセイ
 昨日釜山出張の帰りにまっすぐに病院へ向かった。行く前から風邪気味だったが高熱、咳、のどの痛みなど今までに無い苦しさである。血液検査、レントゲン検査を受けてお薬をいただいて帰宅した。若くない自分、体力低下している自分をはっきり意識した日である。

プラタナス

2008年05月26日 07時24分12秒 | エッセイ
釜山でプラタナス並木歩道を歩きながら昔を懐かしく思っている。日本植民地政府は新作路に成長の早いポプラを植えて今でも農村ではそれが多く残っている。日本がアカシアなどを輸入して朝鮮の山林を破壊しようとしたも言われている。大学のキャンパスには銀杏の木を植えた。私はソウル大学の古いキャンパスで黄色の落ち葉を踏みながら歩く文学少年であったことを思い出す。プラタナスは戦後アメリカ式の並木として植えられている。その木に登って軍人の行列をみた。歩道を歩いてみると車道とは違って歩道の事情は非常に悪かったことを思い出す。近代大都市の並木通りを歩きながらなつかしく思った。

釜山のチャイナタウン

2008年05月25日 06時22分41秒 | エッセイ
 草梁外国人商店街はテキサス村とも呼ばれる。仁川に次ぐ韓国の有名なチャイナタウンである。釜山中国人架橋中学もあり、中華料理店が残っている。しかしそこには中国人の人口が減り、ロシア人があふれるようになった。商店街や商店の看板などにはロシア語で書いてあり、ロシア女性が客引きをする。釜山の国際化の象徴的なところである。
 古い中華料理屋に入って私が懐かしく思うチャンポンとヤンザンピなどを注文した。同行した上水流さんが韓国語の基礎も習ったのでハングル看板を読み歩き、食堂の主人の若夫婦と中国語で話をして、明るい雰囲気の一瞬であった。彼らは台湾で大学を出たという。釜山市はこの地域を観光化しようとしているのでアンケート調査も行なった。過去には中国人を無視したが今はそれを市の観光化に利用しようとするのは日本と同様である。下関グリーンモールは在日朝鮮人を持って観光化しようとしている。下関は門司と特別市の構想があるが、それは釜山まで入れて観光化するのは如何でしょうか。

遠回りのニュース

2008年05月24日 07時45分34秒 | エッセイ
 先日韓国の大学と私の職場である東亜大学が提携したことが韓国の新聞に掲載されたということをスウェーデンの友人からの電話で分かって検索することができた。その発信は下関であるが、それが韓国大邱新聞に掲載されて、ニュースキャッチはスウェーデンということになるが一昔までは想像もできなかったグロバール化されたことを意味する。しかしネット上のグロバールとは人間関係の親密化とは必ずしも一致するわけではない。ミャンマーや中国の大地震などをそれほど近く感じない人が多い。先日アフリカへ宣教師として出発した人を考えると私は安易な生き方をしていることを反省する。

愛新覚羅

2008年05月23日 07時16分09秒 | エッセイ
 下関の随筆家の瀬戸口久子氏に会った。彼女を知ったのは先日ある喫茶店で愛新覚羅溥傑に関する資料展示をみてからである。「愛新覚羅」とは満州国の皇族の苗字である。中国式では「金」である。私はむかし中部大学で愛新覚羅の金レンコウ氏と同僚であってもう一人の同僚のわが家の隣家の学者と結婚したので親しく付き合った。なぜ愛新覚羅が下関に縁があるのかと思い、展示会の人に会ったのである。まったく個人的に交流して資料を送ってもらったものから蒐集したものがあって小さい資料室を造ったという。私は愛新覚羅自体に対する関心より85歳の彼女の人生に関心を持った。エッセイ、詩、絵などに充実していながら弓もしているという。下関の歴史や色々な方々との出会いなどを情緒的に書き留めた『紙人形』を貸してくれた。生活を楽しく、人生の苦難を語る人から勇気をいただくが充実している瀬戸口久子氏からは幸せを感ずる。 

風邪を引くこと

2008年05月22日 06時14分09秒 | エッセイ
 韓国語では風邪を「感気」「コッブル」といい、気候や季節の病気の意味がある。「夏には犬も風邪を引かない」という。しかし今私は家内からバトンタッチされて風邪を引いていた。家内は看護師であり、健康管理には得することが多いが、病院から病気を運んでくる危険性が常にある。今の風邪はまったく病院から運んできたものである。なぜなら外の理由が考えられにくいからである。もちろん歯科で長く治療を受けた後に休まず講義したことなども理由になったかもしれないが、やはり家内からもらってしまったのが種であろう。医者や看護師は自分の健康への危険性、生死と戦う大変な仕事であることを再認識した。

領土は紛争の種

2008年05月21日 05時41分33秒 | エッセイ
 韓国は北朝鮮までを領土としており、北朝鮮は韓国済州島まで領土としている。韓国では北朝鮮の五道の知事も存在する。北朝鮮の博物館で済州島を自国として展示し説明しているのを聞いて驚いたことがある。中国は台湾を領土としている。日本は北方四島を領土しており、また竹島を領土している。個人の家が隣の家の屋敷を所有権と主張しているなら大きいトラブルになるだろう。また隣国の領土を自分の領土と主張することは大変失礼なことであろう。このようなことを第三者からみると、竹島をめぐって所有権を主張することは幼児が玩具を奪い合うことのように見られるだろう。日韓関係の国交正常の会談の難しさを「この島を爆発しましょう」と語った人が酷く非難されたことを思い出す。いま日本の教科書に竹島の表記はいかがなものであろうか。

隣人への愛は空説

2008年05月20日 06時20分05秒 | エッセイ
 中国やミャンマーの災難は他人事ではないので世界的に、日本でも社会団体や政府レベルで救援活動が行われている。韓国政府は北朝鮮の要請が無くとも食糧援助をすると発表した。軍事政権や独裁の国で起きたこととして因果応報とも思う人がいるかもしれないが、私は何より「偶然」だと思う。そこに住んだ人々の被災は決まった運命ではない。
 生存や人権はすべてを超える問題であり、無報酬的な感覚で援助すべきである。しかしクリスチャンとして私も教会も何もせず、ただニュースを聞くたびに罪意識を感じるだけである。竹島の問題はまた日韓・隣国間の禍根であり、不和の種として浮かび上がりそうである。「隣人への愛」とはいったい何であろうか。イエスの力説は空説になっているような感じが無いわけではない。基督教会がただの親睦集団のように、社会的存在感の弱いのが日本のキリスト教会である。反省すべきである。

野薔薇

2008年05月19日 06時01分30秒 | エッセイ
今私の住むところに白色や淡紅色の野薔薇が満開し、初夏を知らせる香が充満している。野薔薇の「野」とは野生の自生するバラという意味であるが、花屋で野薔薇を咲かせて高く商品化されたものもあり、野薔薇の野をはずしても良いように思う。実は赤く熟し、漢方で営実(えいじつ)といい私はこの野生の花と香を教会に捧げて皆で鑑賞しようとした。崖に咲いている野薔薇を切ろうとして棘に刺された。茎に鋭いとげがあるので韓国語ではチレコッ(棘のある花)として親しい花である。「チレコッが咲く南国のわが故郷」という歌があり、最近は人気ドラマチレコッもあった。日本では野バラは即ち野生花であるが、韓国ではより親しいチレコッである。野生の花にはあまり感動しない、それを花言葉や歌詞などで美意識化されたら花見までして騒ぐだろう。ひっそりと咲く野生の花に美意識を持つことこそ純粋な美意識であろう。

幼稚園長と夕食

2008年05月18日 05時44分03秒 | エッセイ
 ある幼稚園長と夕食をしながら昔啓明大学校付属幼稚園長の金先生と親しく付き合って幼稚園の行事によく顔を出していたことを思い出し、幼稚園長とは縁があるなと思った。啓明大学付属幼稚園は大邱市で最大の幼稚園である。金先生から園児たちの奇抜的な話を多く聞いたことを思い出し、また木村園長との縁に不思議な感もした。大学生時代フロイド心理学について勉強したこともあって、また師範大学であったので多くの教職科目をとり、教育実習もしたこともあり、私はこの幼稚園にも関心をもって、入園式、卒園式、祝福式など多く行事に参加し、時々幼稚園のブログにも書いた。ただ普段の教育の現場を見てないのでその事情を聞くことができた。授業参観の学父兄たちの私語が酷いというのを聞いて「ゴミ分別」は良くできても「公私の分別」はよくできていないなと思った。

名古屋コーチン玉子のつぼ焼きチーズのプリン

2008年05月17日 07時00分42秒 | エッセイ
 数日前は奉職した中部大学の旧同僚の堀内勝教授から『鷹の書』が届いた。私が中部大学に在職中に鷹の研究に参加したことがある本が出版された。そこに私の名前も載っているのでより懐かしく思った。今中部大学の会誌に寄稿するために執筆中でもある。わが夫婦は職場を多く変えながら移り住み、人間関係を転々としてつなげている。今下関に住んでいるがまた移るかもしれないと思いながら、限界であろうとも考えている。愛知県春日井市に4年間住み、楽しかった時を懐かしく思い出す。
 先日名古屋・愛知教育大学に転勤した上田氏のところで研究会を開いてもらった。また彼から「先生の日」にあわせて名古屋メシの店の名古屋コーチン玉子のとろけるつぼ焼きチーズプリンを送ってくれた。「茶碗より味」という韓国のことわざがあるが、茶碗とプリンの味が調和した「なごやかな」味である。妻ともども感謝している。