崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

肩組みあう友

2009年05月09日 05時37分42秒 | エッセイ
前回の握手のことを再考してみたい。日本では握手が一般化されていないと指摘したことは日本人を悪く言っているのではない。それは人間関係の身体的距離感があるということに過ぎない。ニューヘブリデス諸島を調査した人から聞いた話ではそこでは人と会っても「視線を合わせない」という習慣があるという。猛犬に視線を合わせるのは危険だということに因んでいるようである。日本人に握手の習慣が少ないことは別に善し悪しの問題ではない。私はハーグはしないがロシアと中国でハーグされたことが印象に残っている。
 握手ではタイミング、相手の性別、年齢などに気を使うので大変面倒なことである。その握手が韓国で一般化されたのは韓国では伝統的に身体的接触をする挨拶があるからであろう。韓国では幼い時から親しい友人をオッケイドンム(肩組みあう友)という。パーティやデモ隊などで、特に酒を飲んで肩を組むことが多い。女性同士も友だちは手を繋いで歩るく人は多い。この光景が日本人から同性愛と誤解されそうである。それは韓国人の表現様式として理解してほしい。日本人に握手が少ない、身体的な距離感があることは親しさの有無のはかりにはならない。それは泣く様式と悲しさとは必ずしも一致するものではないことと同様であり、それが拙著の『哭きの文化人類学』の結論である。