崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

東アジア文化研究所・研究会

2011年09月30日 05時02分21秒 | エッセイ

 研究所として大型教室をいただいて展示空間ができるようにした。中国長春の有名な画家の6メートル大作の東洋画も壁に掛けた。この研究所でははじめての研究会が昨日夕方大型スクリーンを使って行われた。国立民族学博物館の関雄二先生を代表とする科研プロジェクトチームの一人として参加した本学の鵜沢和宏教授がこの夏ペールで調査した映像を使いながら説明をした。東京大学の泉晴一教授が1950年代調査を始めて以降続けて調査研究をしているということである。私は分野が異なるということで常識的な説明ではなく、最先端の研究をわかりやすく発表するのように注文した。本学ではほかに中国考古学の専門の黄曉芬教授、文化人類学の専門とする研究者の私がいて共同研究もできそうである。
 動物の骨や人骨などから食生活を中心に発表された。中でも人間の肉を食べたということに質問が集中した。遠いところでの長い研究の内容を30分でまとめて発表、討議ができたことは有意義であった。学内の交流を刺激することができたことにも私は満足した。古川薫氏に研究所の墨書き看板を頼んであり、懸板式、研究会以外に教職員の談話会、12月のオープニングシンポなどの計画が順調に運ばれるように準備したい。この研究所が有効に利用されることを期待する。

馬山の昌信大学の総長へ電話

2011年09月29日 05時04分40秒 | エッセイ
 韓国慶尚南道馬山にある昌信大学の設立者である姜秉道総長へ電話をした(写真右端が総長、左端が副総長)。その大学は短期大学から4年制大学校になるという情報を聞いてお祝いの電話をした。教育部から2013年から4年制に認可が下りたという嬉しい話であった。高校を設立し、全国的に有名になり、さらに短期専門大学を設立、それが4年制大学校の認可を得たのである。そのパワーに私は感動したのである。数回訪問してその活気を皮膚で感じた。韓国でも少子化現象のために大学の経営が難しい時、逆に活気を起こすのが私には神秘的にも感じられた。
 クリスチャンである姜氏は着実なそして充実した教育へ全力を尽くしている。大学経営の危機がいわれているこの時によいモデルであろう。教育や研究に力を入れず学生募集だけではいきずまるだろう。建物の以前に教職員の質が大学の質を上げる唯一の方策と思う。特に教員はプライドが高く、個性が強い人が多く、協調性は少ない。彼らの知恵を総合して協力体制を作るのは政治以上の「政治」が必用であろう。それを成し遂げていくのが本当のリーダーシップである。

鵜澤和宏教授の動物考古学

2011年09月28日 05時08分26秒 | エッセイ
 明日(2011,9,29)東亜大学東アジア文化研究所主催で研究会を行う。本学の副学長の鵜澤和宏教授が「アンデス文明形成期の研究」を発表する。彼は動物考古学(人類学)を研究していて文化人類学などにも幅広い視野を持っており、私は時々彼の研究の話を楽しんでいる。今回は特にこの夏ペルー北高地へ発掘調査に出かけた時の発掘現場の映像などをもって最近の研究成果について発表してくれると思う。採取された骨や歯から年齢、栄養状態など動物利用、牧畜の拡散と生業変化、動物の象徴性などに説明するだろう。彼は全国的に、また英文、スペイン語などの論文などを通して世界的にも知られているがこの地域では知られていない。学内でも彼の研究内容は知られていない。
 以前本欄で少子化と大学の経営に関して触れた時、質の高い研究と幅広い教育、つまり研究と教育を重視すべきだと考えた。しかしこの大学に来て「研究」が抜けていると感じた。研究にも注目すべきだという私の旨をくみ取っていただき東アジア文化研究所の設立に至った。これから研究と教育をバランスを取りながら発展することを願っている。学内外に研究を進めていくセンターにしたい。

プーチン首相、大統領復帰へ

2011年09月27日 05時38分07秒 | エッセイ
 ロシアのプーチン首相が大統領選への出馬を表明したことを聞いて私は失望する。私はソ連崩壊後の民主化が進みつつある時、ロシアに頻繁に調査に出かけたがプーチン氏は旧ソ連崩壊に混乱した社会に秩序をもたらした人物として指導力は評価されると思う。しかし制度を巧みに利用し、それを超えて行動することは無理だと思う。英雄は一人しかいないのだろうか。エリチン時代の社会が混乱した時プーチンが英雄的に現れた。それは民衆による民主化ではなく、権力闘争によるものであった。アフリカからの民主化の風が吹いても良かろうと思う。日本で強力な指導者を求める声をよく聞く度に私は自由を争奪したことのない国民は独裁者を希求するというフロムの言葉を想起する。私は軍事独裁政権を長く経験した者としてロシアの政界が心配である。

曼珠沙華

2011年09月26日 05時22分25秒 | エッセイ
 東京からのお客さんを土井が浜の「人類学ミュージアム」に案内した。久しぶりに農村風景が目に入り、黄金色の稲田に曼珠沙華が赤く点綴している。秋、特に、彼岸ころに咲くのでヒガンバナと呼ばれる。彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。田んぼの土手や道端に咲いている。花が少ない季節に赤色の花が目立つ。私は花を生けることも考えているが、日本では死人花、地獄花、幽霊花、狐花、捨子花などで呼んで、不吉であると忌み嫌われるが、欧米では園芸品種が多く開発されているので遠くからは見たことはあっても近くて観たことがない。仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、昨日は近づいてみた。
 実は全草有毒の花である。ネズミ、モグラ、虫などを避けるように球根を植えるという。毒を抜いて救飢植物としても利用されたという。しかし誤食してしまうケースもあった。この花をみると私は毒キノコを思い出す。そのキノコはほっそりした茎に赤に傘に黄色や白の点が紋になっていて視線を引くものである。ほっそりした美女のようなキノコが毒を持っていることは子供の時の人生観の始まりであったかもしれない。今まで優しかった人が怒って悪口を言うのを見ると「人は毒を持っている」と思う。私はどんな毒を持っているだろうか。人間は毒を持っている。その毒を抜いていくべきであろう。

早熟か、神童か

2011年09月25日 05時14分41秒 | エッセイ
 家内の姉夫婦とその娘家族4人の6人と我が家族ミミも一緒に3食をともにした。中には1歳の女の子と5歳の男の子がいて我が家のワンちゃんミミと合わさってとても賑やかだった。私の子供時代とは比べものにならないほど子供の知恵が発達しているので驚いた。3歳の孫はハーモニカで誕生日祝いの曲を吹いてくれたという。昔はこのくらいの子供であれば神童とか、早熟と言われた。そして子供が子供らしくないことに懸念もした。
 私は子供の手が届くものがどうなるか心配したが、子供たちはそれに触れず安心した。知的発達が早いと同時に大人に近い行動をする。その親にその旨を聞くと別に教育はしていないのでいろいろな情報媒体によるものではないかという。それを聞いた家内は急にその姉家族に3人の博士、私の含め4人もいることを数えたのである。この二人の子供の父親(写真中央)も電子学の博士で、ソニー会社の研究所に勤めているという。遺伝、教育より博士の雰囲気であろうと納得がいきそうである。

ネジをキチンと締めること

2011年09月24日 05時12分16秒 | エッセイ
 研究所のオープニング準備のために一昨日は古川薫作家に看板を墨書きでお願いし、昨日は大掃除をした。千葉から家内の姉夫婦が連休休みで訪ねてこられたので4人の「清掃部隊」となった。展示と研究会ができるよう棚や机などを配置した。そのために壁一面を書画の展示用にするため本棚を移動させながら机の配置など力仕事、拭きそうじなど3時間以上続けた。私は鉄製の本棚を組み立てるのに全力を尽くした。特にネジを締めるのに力を要した。
 今は工場では電動で回すようであるが、一昔前までは手作業でネジを回した。その時、日本製がよかったことは従業員がネジをキチンと締まるからと聞いたことがある。日本は後進国から安いものを買ってボダンなどを再作業して売る縫製業も盛んな時代もあった。ネジやボダンをキチンとすることは簡単でありながらその作業の質は異なる。それは自分のものであるという意識と同時に他人のためにもキチンとする真心が必要である。ネジを全部締めなくとも立っている本棚に本を納めるには問題がないが、なぜキチンと締めるために力を消耗するのであろうか。日本人は物作りの「真心」を持っている。それが復興の力になるだろう。

落し物

2011年09月23日 06時03分29秒 | エッセイ
 研究所のカギを失くしてしまい大学構内と家などで探し廻っても出ない。最終的に大学の事務局に忘れもの申告をすることにして電話をした。「もしもし、恥ずかしいけど、忘れ物…」「どんなものですか」「研究所のカギ…」「私が持ってます」たった2回の問答で嬉しい朗報を受けたのである。彼女は我がマンションの隣のマンションに住んでいる方でカギを持ってきてくれた。彼女をベランダに案内し、夜景を見てもらい、談笑をした。
 忘れ物、落し物から人情を拾い、逆転の出来事であった。われわれは忘れ物、落し物をすることが多い。その多くは探しても無駄なこと、残念なことになる。また忘れてしまうこともある。しかしそれを逆転することは難しく、「運」とも言えるかもしれない。また「幸運」を人工的に利用しようとすると「悪運」になるかもしれない。幸運には心から感謝すべきであろう。

“太もも娘”

2011年09月22日 05時47分03秒 | エッセイ
 「東洋経済日報」に私と一緒に長く連載している産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏が「礼儀知らずの野蛮人?」(2011/09/09)を書いた。韓国ではあんまり肌を出してほしくない儒教的礼儀観があり、日本人に対しては「礼儀知らずの野蛮人」と伝統的に優越感があったが、日本でも人気の新韓流スター「少女時代」や「KARA」など“太もも娘”が大流行していることを指摘した。特に韓国の今年の夏が「太もも全盛時代」だった。繁華街でもターミナルでも、都市でも田舎でも、韓国いたるところ短パンや超ミニのホットパンツの「太もも娘」たちであふれているという。私のように若い学生の教育の現場にいるものとしては自分も学生の流行には慣れていくのかそれほど違和感はない。思春期を過ぎたばかりの若者がパーソナリティや知識からアイデンティティを形成して自己を見せることができないので成長する身体の美、「女の美脚」を見せたい心は十分理解できる。髪で額を隠すのも流行している。このような若者の流行は大人にまで移る。以前口紅の色が紫系が流行した時、ある老女が紫色の口紅を塗って表れたのでびっくりしたことがある。流行は価値観や礼儀観を激しく破壊する。それは「流行の暴力」、あえて言うと「文化の台風」のようなものである。過ぎ去っていくものである。流行も文化であり、文化も変わるものである。

「長興巫俗研究者の崔吉城教授」

2011年09月21日 05時41分41秒 | エッセイ
 韓国全羅南道の長興から『長興郷土学研究』(創刊号、2010)が届いた。一昨年そこで講演したことを思い出す。そこには下関で楽しく付き合った李永松・魏明溫夫婦がいる。魏氏が講演の内容を含んだ私と妻に関する生活や学問などを総合的に描いた「長興巫俗研究者の崔吉城教授」が寄せられて、嬉しく、照れくさく、光栄であり、感謝である。。「外国で自分の故郷に関して詳しく記憶している人」「崔吉城教授は女性のすることであれば子供を産むこと以外は何でもできる、生け花もする」「新親日派の論議」「奥さんの幸子氏は自分で知っているいる女性の中でこの人以上に献身的、勤勉、楽しくものごとを成し遂げる人はいないと思う」などと紹介されている。
 私が長興に初めて調査に行ったのは1968年の夏であった。それは1930年10月村山が調査に行ってから40年弱の後であった。私が調査してからさらに40年後現地から呼ばれて講演した時は感慨無量であり、感情が高ぶった。被差別の巫の芸能集団はすでに解体されて私の研究が最後であった。100年後でもこの記録は残るだろう。張籌根先生とともに調査した内容が新聞に報道されて巫家出身の芸能人から強く抗議されたこともあった。しかし以後私は続けて調査を行った。彼らは被差別から今では人間文化財に身分が上昇している。
  

映画『サンダカン八番娼館 望郷』

2011年09月20日 05時21分30秒 | エッセイ
 京都造形芸術大学でのシンポジウムのために女性の美と性に関して論文を書いている。画像や映像を見ている。日本の売春に関する古典的なノンフィクション作家・山崎朋子の『サンダカン八番娼館』『サンダカンの墓』を読みながら、映画『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督1974年作)を観た。映画は明治時代に天草からボルネオのサンダカンにいわゆる「からゆきさん」としてわたった女性への聞き取り調査を基にしている原作にそっている。私はこれらの作品を通して戦前の日本の恥部を明らかにしようとするのではない。原作・映画から問題点を探って価値ある真理を明らかにしたい。
 まず二点を指摘したい。貧しさからボルネオに売られた人が「望郷心」で帰還した時の村人の冷たさは、私にはショッキングである。我が韓国の生まれ故郷は一時的に売春村(?)になったことは以前にも何回も触れたが、売春した人がその村に定着して村人と仲良く暮らしたこととはあまりも対照的であるからである。戦争中のことを互いに理解して傷には触れず仲良く生きることは素晴らしいと思う。人の痛い点を持って差別することは決して良いことではない。
 もう一点は作家が強調する彼女たちは日本に背を向けて眠っている墓からのメッセージである。当時の彼女たちの心情に触れたようで心が痛い。日本や韓国の母国を離れた人は望郷の意識を持ちながらも距離を置きたいアンビバランス(二重心理)のような心情がある。望郷だけであれば異国には住めないだろう。


「国際交流学科」新設

2011年09月19日 05時49分57秒 | エッセイ
 昨日の朝、港にて韓国からの高校の校長をはじめ40人のお客を迎え、大学へ行きオープンキャンパスに参加した。トータルビューティ学科の卒業発表会には映像と実演、音響、照明などで「和道」をテーマにして化粧、衣装、ダンスなどで感動した。東亜大学には全国で4年制大学ではトータルビューティ学科が唯一存在する。創立に否定的な教員も多かったが、もう卒業作品を出したのである。しかも素晴らしいものである。満席で拍手。来年度から「国際交流学科」が新設される。拍手されるまで教職員が頑張ることを期待する。
 小倉駅に隣接しているホテルでの夕食会で日本食で接待した。日本料理をもって日本文化を語るような時間であった。十数名の入る個室であったが料理はあまりお勧めできるものではなかった。日本の定食料理として私が味わったものとしては全く期待外れであった。ホテルなのに、人が多く、一回きりの通りすがりの駅の商いの料理屋に引っかかったような気分で残念であった。しかし韓国からのお客さんたちは日本料理として称賛した。車での帰りの道のりは大雨で大変、今朝は台風の後、秋晴れになった。本当に「秋」になっていた。昨日は質の高低が交差した一日だった。

「冷静」

2011年09月18日 05時38分49秒 | エッセイ
 我が家の犬ミミに治療食を食べさせるのは大変である。獣医から膀胱にできた結石は上手く溶けなければ手術をしなけれならないといわれているので犬に強制的にでも食べさせなければならない。しかし犬にはインフォームドコンセントが通じなので困る。嫌がるミミに食べさせようとしたり、叱ったりでミミに冷たくするようになる。否、それは「冷情」といえる。日本では「冷情」という言葉は使われず、それは冷淡であり、理知的であり、知識と思われるかもしれない。韓国語では温情と冷情が頻度多く使われる。温情を持ちながら冷たくするという感情の冷情は普遍的な感情を示す。冷情にはより濃い温情が必要である。

韓国停電

2011年09月17日 04時23分47秒 | エッセイ
 韓国で済州道を除いて全国的に5時間停電したことで250余か所の交通信号機が無効、エレベーターに人が閉じ込まれるなど大変な混乱状況であったというニュースがあった。電灯などなかった時代を暮らしてきた私としてもそれはショッキングなニュースある。現在は水道や電気は生活のインフラの基礎中の基礎であり、5時間も停電となると社会が麻痺状況だったであろうと思う。この停電状況から電気の有難さを感じた人は多かったであろう。
 数年前に北朝鮮を訪問した時のことである。本屋に行きたいと言っても案内者はなかなか案内してくれない。私がホテルの前に並んでいるタクシーに乗ったら案内者もしかたなく乗った。本屋の前で下車、待ってくれと言う案内者について本屋に入った。停電で真っ暗だった。私が蛍光灯式の懐中電灯を壁につけて、金日成全集などの本を大量に買うことができた。もう一つ。案内者と親しくなってから彼の高層マンションに行ってみたいと強く希望を出したが、結局エレベーターや電灯を決められた時間以外はつけることができず実現できなかった。彼らは電気不足を寒い国であるから水が凍って発電量が少ないからだという。その国が核開発するということで問題になっている。
 私の案内者に「やはり祖国は楽園ではないか」と言われた時は返事に困った。

春画

2011年09月16日 05時00分59秒 | エッセイ
京都造形芸術大学でのシンポジウム「日本文化と性」で春画や芸者の写真などを見せながら発表する予定でかなり長く準備している。韓国の美人画はいいとしても春画を公開するかどうかは考えている。このシンポジウムは 京都造形芸術大学の田口章子教授を中心に芸能研究会で行われるものであり、パネラの一人の田中優子教授は春画研究者でもあり、公開しても良いであろうとは思う。しかし一般公開でもあり、研究の本質を知らない人から非難されることも覚悟しなければならない。できれば非公開で議論したいが、本欄でも知らせており、一般公開となっている。
 文化人類学では性を結婚などと関連して多くの業績を上げているが、性を扱うことは難しい。私は今度「性と美」の関連性について考えてみたい。マリノウスキーが残した問題点によって考える。田中、諏訪の両教授との議論にも期待したい。このたびそのために芸者に関する映画、小説などに多少触れる機会ができ、好きな作品を読みながら研究をした。関心ある方は是非参加することを希望する。