崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

涙の力学

2009年01月31日 06時23分33秒 | エッセイ
 日中終始卒論発表会を聞きながら指導学生以外全員にコメントをした。学生たちは先生たちと一緒に作った作品(論文)をパワーポイントを利用してプレゼンテーションをした。本番になって緊張してうまくできなかったという学生もいたが、大学でこのような経験をさせていくのは大変有益だと総評をした。多くの学生はインタネット上の情報を集めるだけにと止まっている。中には宮本君のように本も多く読んで私と対等に議論できる学生もいた。
 特に真形君は私が東亜大学赴任して一年から担当した学生である。そのクラスの学生たちからは当時、勤務したばかりの私が大学の事情をよく知らないということで集団的に困らせられた、いわば、いじめに近い印象があったが、彼はとっびな発言をして私は注目していた学生の一人である。その後卒論まで4年間一貫して私の指導を受けた。私は最後の段階ではスピーチ論を語り、繰り返し練習させた。彼の発表は冬ソナの涙の力学に関するものであり、泣く場面(女主人公ユジンの50回)を画像分析したり充実したなものであり、プレゼンテーションも非常に良かった。このように教育効果が出たのをみて満足するのが孟子の三悦の一つであろう。

迷惑メール

2009年01月30日 06時17分25秒 | エッセイ
 迷惑メールが一日百数十件入ってくる。時にはそこに普通のメールも入っているので一括して処理することもできない。数の多少はあっても迷惑メールは嫌なものである。私はホームページなどでメールアドレスを公表しており、多く来てもしょうがないとは思いながらも処理は本当に面倒である。圧倒的に多いのは英語圏からのものである。またその大部分はエロ、健康、金貸し、高級時計などの宣伝である。
 迷惑メールの「迷惑」とはなにかと自問してみる。今私が書いている本欄さえ人には迷惑になるかもしれない。道を歩くと多くの看板、ポスターなどいたるところに迷惑の情報が溢れている。場合によっては迷惑であるが、場合によって情報である。自分が情報を発信することもあり、意外な情報を受けざるをえないときもある。それが迷惑に感ずる時もある。韓国を旅行してきた人から聞いた話であるが、彼女が大きい荷物を抱えている時、見ず知らずの人が手伝ってくれたという。迷惑ではなく嬉しく感動したと言っていた。迷惑のようなものの中にも大切な人間関係があることに気をつけるべきであろう。

韓国からのレポート

2009年01月29日 06時05分16秒 | エッセイ
 広島大学大学院で文化人類学を学び、博士号を取得して韓国世明大学校で講師をしている中村八重氏が「中国新聞」に旧正のことについてレポートをした。その後彼女は私のブログを読んで偶然に本欄と一致するとメールを送ってくれた。しかし現地にいる彼女のレポートが新鮮な文で、韓国の旧正の雰囲気が伝わってくるので要約して紹介する。
 
 韓国のソルは郷愁とお祭り気分とのんびりさが混じったような「本当の正月気分」が感じられるのも日本の正月と似ている。ソウル中心部にある鍾路に大勢の人が集まってカウントダウンが行われた。初日の出を見る人も多い。「新年、福をたくさんもらってください」というあいさつが交わされる。携帯の文字メッセージで年末年始のあいさつをする人は多い。人々の間では新正の後2回目の「福をたくさんもらってください」のあいさつが交わされる。韓国ではソルをひとりで過ごすと言うと哀れみの目で見られてしまうことが多い。私も教え子や同僚に「え、実家に帰らないんですか」といった具合に驚かれた。私の場合外国人だからしょうがないと言うことは出来るのだが、連休でも仕事で帰省できない人や、一人で暮らす人や、親類が少ない人など多いはずだ。家に帰りたくない人だっているだろう。テレビでは渋滞情報がトップニュースとなり、家族についてことさら語られることの多いこのソルの連休を、そういった人たちはどんな気持ちで過ごしているのだろうと考えながら、雪道を歩いて帰った。(堤川在住)


「日本は寒い国」

2009年01月28日 05時44分05秒 | エッセイ
 昨日中国から金君家族が突然研究室に訪ねて来た。金君は広島大学で長い間留学して博士号をとって清華大学に赴任して中国へ帰国した人である。夫婦の間には日本生まれの一人娘がいて小学校に入ったばかりだという。昨日その娘に日本と中国を比較して質問してみた。彼女は一言で「日本は寒い国」という。それは韓国人や中国人が一般的にいう言葉でもある。外の気温は中国や韓国が低く相当寒いのだが室内温度は日本が寒いということになる。それほど気温が低くないので暖房が徹底しないからである。私は早朝、起きても部屋が暖かくなるまで布団を被ってコンピューターの前に座っている。冬は常に寒さを感ずる。
 温かさにも文化的な差がある。韓国人は風邪などの病気では熱いオンドルで汗を出して治そうとする。頭などを冷やそうとはしなかった。その温かさとは熱いオンドルで体を温めるのだ。それはストーブなどによる熱風によるものではない。外国人からは日本人の寒そうな生活が人情も冷えているようにみえるのかもしれない。

東アジアの正月

2009年01月27日 06時18分02秒 | エッセイ
 昨日の欄で中国や韓国の正月について書いたが、日本では旧正月の感覚はほぼない。日本滞在の韓国人から挨拶の電話やお土産をいただいて、正月こそ日本と東アジアが全く異なる文化であることを痛感した。日本を除いて東アジアでは旧正月行事が盛んになり圧倒するのに日本では全く平日であることは対照的である。これだけではなく、連休などもそうである。これから国際化が進むとカレンダー作製も変えていかねばならない。ある外交機関では日本の休日と自国の休日を合わせて休日にしている。
 隣の国の名節について日本のマスコミは最小限にしか報道していない。アジアへの理解を口では強調しながらもその報道はまだ乏しい。私自身は新正を守ろうとしていたが、社会がそうなっているので無視することができないと思っている。日本の政治家や言論人はアジアへの理解を主張することが多いが、まず「正月」文化への関心から始まらなければならないと思っている。日記を読んだ感想 (朴正人)

2009-01-27 16:40:14

어제는 느닷없이 한글입력시험을 해서 죄송합니다
간단하게 자기소개를 하는데 교포3세 박정인이라고
합니다 현재 치바현에 거주하고 있으며 90년대 한국
에 유학을 했고 대학은 한국에서 나왔습니다
일어로 쓸 수도 있겠지만 교수님께서 한국분이신데다 한국어로 쓰는 것을 제가 마다할 이유가 없다고 생각해서 굳이 한국어로 쓰기로 했습니다
제목의 이슈와 관계가 없는 개인적인 감상문을
쓰는 형식으로 글을 올려 죄송하게 생각합니다만
제가 교수님께 느끼신 소감을 말씀드리겠습니다

몇년전에 교수님과 한국에서 별로 평판이 좋지 않은
오선화씨가 대담하는 책을 본 적이 있는데 그때 그
책이 생각나서 그런지 제가 교수님께 선입관과 오해를 가지고 있었던 모양입니다 그 오해와 선입관이란 교수님이 혹시 조중동(조선 중앙 동아)과 유사한 담론을 전개하는 수구적인 지식인이 아닌가 라는 오해와 선입관였습니다 하지만 일기를 보고 나서 그런 오해와 선입관은 오히려 제가 가지고 있었다는 걸 깨달았습니다 죄송합니다 조선학교에도 참관하시고 햇볕정책에도 긍정적이시고 제가 좋아하는 재일작가 이회성씨와도 친분이 있으시고 2분법적인 사고가 아닌 객관적인 시각으로 사물을 보는 분이 라는 걸 일기를 통해 알게 됐습니다 그리고 교수라는 직함이 있는데도 서민적이면서도 권의가 없는 편하게 이야길 할 수 있는 분이 라는 생각을 가지게 돼 호감을 가졌습니다 다만 교수님이 이명박씨에 대해 호감을 가지는 듯한 대목에 대해선 좀 아쉽다는 생각이 드는 것도 사실입니다(웃음) 하여튼
교수님의 일기를 통해 저도 느끼는 바가 크고 도움이 되는 일이 많습니다 감사합니다

「我が正月」

2009年01月26日 06時59分36秒 | エッセイ
今日は韓国の正月である。23日毎日新聞朝刊に「二つの正月」というエッセイを掲載した。以下全文である。

今年は1月26日が旧正月である。韓国では旧正月を「我が正月」といい、祝う。韓国だけではなく、広く中国文化圏、ベトナム、モンゴルなどにおいては最大の名節として旧正月がお祝いされる。中国では旧正月には帰省者が2億人近いという。韓国でも2千万の民族が大移動するとも言われる。旧正月とは中国式の陰暦によって新年の始まりの元旦を意味するものであり、古くは日本をはじめ中国の影響によって正月とされてきた。韓国人にとって日本をはじめ世界的に広く祝う1月1日の正月はただカレンダー上の年始であり、名節という実感が薄く、「日本の正月、倭ソル」という。
日本は明治以来西洋の陽暦に変えてきた。いわば日韓合併以前の朝鮮王朝も1895年にそれを採用し始めた。その後日本植民地政策によって引き継がれていた。しかし朝鮮民族はその政策に抵抗して新正を日本の正月「倭ソル」だといい、旧正を「朝鮮ソル」「我が正月」といい、守り続けた。
戦後韓国では李承晩大統領も新正をまもる政府政策を一貫して実行した。人によって旧正を守ることが愛国者のように主張したが、朴大統領は旧正を旧来の因習に過ぎないと、新正の政策を守ってきた。そこで両方とも守るかどちらか一つを守るようになり、新正優先の「二重過歳」現象が起きた。全斗煥大統領は旧正も名節休日として旧正中心の「二重過歳」を制度化した。日本では西暦と日本の年号を組みあわせたのと同様である。それぞれ西洋化とナショナリズムを反映している。
新暦はカレンダー、旧暦は名節などの組み合わせになっている。新正は日本植民地政策によって始まったように誤解されているが、それは事実ではない。ただ日本の政策が強制的であったことが抵抗を招いたのではないだろうか。


朝青龍

2009年01月25日 07時27分34秒 | エッセイ
 朝青龍が長く休場してから登壇して優勝に近付いている。熱気が満ちている。私は彼の強過ぎる自己主張的態度からすこし否定的に見ていたが今回は肯定的に心から応援している。彼の登壇直前にマスコミのコメンテーターたちがうるさく初戦で敗れて進退を図るなど否定的な話を口を揃えて言っていたことを覚えている。その予想とは真反対の力を見せている。日本のコメンテーターは客観性が弱く世流に乗っ取って口を揃えて語るのが常であり、そのように感じさせられる。彼らは事実を客観的に把握する力が弱いからである。相撲に限らず日本のマスコミが心配である。チャンネルは多数であっても意見は多様ではない。それが世論を主導し、政治が行われることは危険である。マスコミも同じ意見の仲間の集まりではなく反対意見も入れる仕組に構造改革をすべきである。

朝青龍

2009年01月25日 06時25分24秒 | エッセイ
 朝青龍が長く休場してから登壇して優勝に近付いている。熱気が満ちている。私は彼の強過ぎなことには否定的な態度であったが肯定的に心から応援するようになった。彼の登壇直前にマスコミのコメンテーターたちがうるさく初戦で敗れて進退を図るとか否定的な話が口揃っていたことを覚えている。その予想とは真反対の力を見せている。日本のコメンテーターというものは客観性が弱く世流に乗っ取って口を揃って語るのが常であり、そのように感じさせられる。彼らは事実を客観的に把握する力が弱いからである。相撲に限らず日本のマスコミが心配である。チャンネルは多数であっても意見は多様ではない。それが世論を主導し、政治が行われることは危険である。マスコミでも仲間集まりではない反対意見も入れる仕組に構造改革をすべきである。

送別会

2009年01月24日 07時19分17秒 | エッセイ
 下関韓国教育院の李永松院長の送別会は異例のものであった。普通の送別会と言えば功労を褒め称え別れの寂しさを語るものであろう。その予想をひっくり返したものであった。1978年全南大学校に在学中、キリスト教クラブの会長であった彼は反政府運動者として3年刑を受けて刑務所にいた体験を生々しく語ってくれた。私は彼の父親が囚人の彼に送った手紙を読み上げる時、涙を抑えるのに苦労をした。
 韓国では植民地日本の残虐だけを展示、強調しているが、実は自民族を虐待した軍事政権の負の遺産が隠れ消えていく。彼はただ悲惨な歴史を語ろうとしたわけではない。また彼の恨みや鬱憤を払うために語ったわけでもない。正義のために闘って犠牲となった数多い人のおかげで、民主主義を手に入れることができたと証言したのである。彼が残してくれた生の証言は残されるわれわれに大きな力になっていくに違いないと思った。

スピーチ・演説

2009年01月23日 07時07分11秒 | エッセイ
 オバマ大統領の演説やスピーチの人気が話題になっている。私は卒業を前にしている学生たちに話術を講義した。私も師範学部で教師になるためにスピーチ論を受講したことがある。当時アメリカで学んできた先生の講義の新鮮さを未だに覚えている。最初に聞く術を学んだ。つまり表情などのフィードバックで話し手に影響を与える方法であった。この方法は後に文化人類学でインタビューに役に立った。またレジュメを作り、メモを持って相手を説得するために3分スピーチを繰り返し練習した。その理論を十分にこなせるようになったわけではないが、教職者とか特に政治家になるにはスピーチ論は役に立つと思っている。今度オバマ大統領の演説を聞きながらアメリカ社会はスピーチ論を一般化していると感じた。日本ではこのスピーチ論などという言葉も聞いたことがないほど重要視されていない。オバマ大統領の影響で日本でもスピーチの重要さを認識するようになったことは歓迎すべきである。

送別会の司会

2009年01月22日 06時03分32秒 | エッセイ
東京のある名門大学大学院から「韓国のシャーマニズムについて」という特別講義を求めてきたのに断ってしまった。何とか頑張ればできたかもしれないのに折角その大学院で研究上議論し、予算を立てて声を掛けてくれたのに断ったのは心痛い。しかしそれより自分自身について情熱が下がったのではないかという失望感が生じて心が痛い。最近まで東京など各地に集中講義や講演に喜んで出張した。時間を守るために必死でエスカレーターで2段づつ歩いた元気が大部廃れている。
 しかし下関に近いところは楽しく出席している。明日は韓国教育院長の送別会の司会と談話を含め4時間以上予定している。李永松院長は韓国全南大学の学生時代に民主化運動で受刑した方であり、私が調査した調査地出身の方で最も親しく付き合い、協力してもらったので話は長くなると思う。しかしまだ風邪が十分治っていないのが心配である。彼に韓国の軍事政権下の状況を質問し、私も堂々と語りたい。

オバマ大統領就任式

2009年01月21日 06時29分22秒 | エッセイ
 私にとって異例なことであるが深夜2時ころからアメリカ大統領の就任式の中継を見た。牧師の祈り、奥さんと並んだ彼が聖書の上に手を当て宣誓するなどキリスト教の礼拝に似ており、キリスト教の精神がよく表れている。アメリカ社会の特徴ともいえる。
 アフリカからの移民、被差別黒人人種、食堂へ入れなかった父の息子が今、アメリカの指導者になると彼は言った。それは恨みや抵抗の言葉を超越した福音のように聞こえた。
 偉大な民衆の歓声と熱光はいつ変わるかわからない。それは政治行政の過程で変化するだろう。しかし私が注目して感動することは被差別民族に感じられる卑怯や屈折などの暗いところがないこと、民衆の熱狂に乗せられるのではなくそれを越えて民衆をリードしていけるという信念が伝わってくる。多様な社会、民主主義の模範を続けて見せてほしい。
 

選ばれた人

2009年01月20日 06時20分07秒 | エッセイ
 今日黒人オバマ氏がアメリカの大統領に就任する。長い選挙戦を経て盛大な式典があって、ふさわしい。人気投票のような選挙によって指導者を選ぶということで制度としては不足であろうという人もいるが現在のところ最良の制度といえる。日本では総理を国民から選ぶという論理はあっても実感はない。北朝鮮はこの制度に反極に位置する。
 しかし選ぶのがすべて最善とは言えない。否、選ぶ次元を超えたこともある。人間存在の本源である「出生」は選ぶことができない。オバマ氏も黒人の親、そして自分もその遺伝子を持って生まれた。それは「運命」ともいえる。人生の生き方もさまざまな道を選んでいくが、生まれて死んでいくことは選ぶ次元ではない。
 オバマ氏が職務遂行していくところで支持率が落ちていくと思われるが、アメリカ人が彼を大統領に選んだことは偉大なアメリカとして記憶されるであろう。

風邪は通過儀礼か

2009年01月19日 07時14分41秒 | エッセイ
 私にとっては冬には風邪をひくのが通過儀礼のようであり、年末年始に風邪を済ましたはずであるが、免疫がないのか、また風邪で苦労している。学生たちが風邪という理由で欠席のことを聞いては仮病ではないかと思ったが、自分が風邪でで苦労して反省している。ある友人からメールが来た。数年間暮らしたタイランドから久し振り日本の広島に帰って体の調子が悪くまたタイランドに戻ったと言うのだ。
 南太平洋は寒くなく、風邪もひかず住める楽園とも言われている。そこで調査中に冷房で風邪を引いたこともあった。「風邪をひく」であり、自分が風邪を引くという自分に理由があるのである。病気は個人の健康管理の結果ではないだろうか。

模様替えの制約

2009年01月18日 07時49分46秒 | エッセイ
 私は家の中を模様替えすることが半趣味だと本欄で書いたことがあり、それは今だに続いている。昨日も風邪を引いていてしんどかったけどがんばって行った。しかしその制約があるのに気がついた。それを家内にクィズのように質問したら体力、気力がなくなった、スペースの制限があるなどの答えが返ってきた。実は長く内緒にしていることがある。収納棚を本棚に変更することも考えたがやめた。私がいなくなって多くの本が無用になってからの家内の生活にまで影響したくはないからである。なぜか私が先に死ぬことを前提にしている。かなり前から順番などないのに心にそう決めている。
 死後のこの世にも関心がある。まず自分の研究や生活を人が記憶することを希望する。また愛情があふれる社会になってほしい。自分が死んだらこの世は何もないという合理的な考え方は社会を悪くする。戦前、戦後の研究や引上げの話を読みながら彼らがこの世を去ってもこの世に生きたことを私は大切にしている。