崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「花帝国主義」

2016年03月31日 06時01分07秒 | 旅行
 桜についてはほぼ毎年書いており、今年は筆欲を抑えていたが、日本中に桜の花の写真、映像、話しが溢れているので我慢できない。おそらく日本の花見(桜)騒ぎは世界唯一のものであろう。先日「春になっても春らしくない」(春来不似春)と書いたが確かに春になったようである。しかし海岸の桜はまだ咲いていない。散歩している人もいない。日本全国の桜騒ぎを花ナショナリズムと言った人がいた。否、その話は戦前に遡る。「花帝国主義」であったと思われるふしもあった。朝鮮に吉野苑を作ろうとしていた。華麗な花のない松林の宮中昌慶苑にソメイヨシノの桜を植えたのは植民地植林であった。
 植民地朝鮮でも桜の花見騒ぎは起きた(写真)。戦前の絵はがきなどにはその華麗な桜の花見の様子が伺える。朝鮮ではそのソメイヨシノの以前は山桜があったが、花はあっても花として注目されることはなかった。戦後韓国政府は日本帝国の花の斬首により桜が受難を受けたことは周知のとおりである。しかし1960年代昌慶苑の桜の花見が一気に復活して花見で賑わった。当時私も毎年楽しんだ覚えがある。しかし倭色一掃により今は松林に戻った。韓国では今でも花見が有名なところがある。それでも鎮海などでは桜の花見が復活している。花見と花札はまだ残っており、今では韓国文化となっている。
 

検閲

2016年03月30日 06時20分27秒 | 日記
東京で会った多くの方々の中には私のブログやフェイスブックを読んでいる人が多かった。彼らは私が早く起きて文を投稿することなど比較的日常生活なども把握していた。彼らとは話を交わしやすく、すぐに親しくなり良かった。ブログに書いた後てフェイスブックに載せることも知っており、また、ブログとフェイスブックに載せる時間差があるのも知っている人もいた。その通り、ブログに文を載せてから妻が犬と散歩から帰ってきて私の文章をチェックした後に再び修正版をコピーしてフェイスブックに載せるので時差ができる。すなわち妻の日本語修正や検閲があるということである。検閲」という話は言論を殺すという悪いことだけではなく互いに善意の検閲は良い。一般的に人は日常的に意識するかどうかは別として互いの言動に気を付けて生きている。それを誇張して監視、個人情報保護、言論弾圧等等抵抗的な輩がいるだけである。
 私のフェイスブックをよく読んでくれる記者出身の知人の話である。毎朝読むことになるという。ただし文が長が過ぎると指摘する。一定の時間に文が載ってきて、文化人類学者で韓日間の微妙な問題にも率直に書いているので読まなければならないという。わかりやすく文を書くのは多分教授生活から始まったことであろう。その話を聞いていた放送作家である知人は彼自身面白さや文は工夫しないという。そのまま率直に話すだけだという。それでスポンサーや行政当局からクレームや注意を受けることがたびたびあるという。検閲は放送などには存在すると力説した。検閲という言葉の代わり意見やコメントという表現をした方が良いかもしれない。

 동경에서 만난 많은 사람들 가운데 나의 부로그나 훼이스북을 읽은 사람이들이 많았다. 그들은 내가 일찍 일어나 글을 올리는 것에서 비교적 일상생활 등도 파악하고 있어서 이야기를 나누기 쉽고 바로 친해질 수 있어서 좋았다. 부로그에 올리고 나서 훼이스북에 올리는 것을 알고, 또 두 글을 올리는 시간 차가 있는 것도 알고 있다. 실은 부로그에 글을 올리고 나서 아내가 개 산보에서 돌아와서 나의 문장을 체크한 다음에 다시 수정판을 올리고 그것을 복사해서 훼이스북에 올리기 때문에 시차가 생긴 것이다. 즉 아내의 일본어 수정 검열을 거친다는 것이다. 검열이란 말은 언론을 죽이는 나쁜 것으로만 생각하는 경향이 있지만 실은 서로 선의 검열은 좋은 의미가 있는 것이다. 우리들은 어떤 의미에서 서로 남을 주시하면서 살고 있다. 그것을 과장해서 감시, 개인 정보 보호, 언론탄압 등등 저항적인 말을 하는 무리들이 있을 뿐이다.
나의 훼이스 북을 잘 읽어주는 기자 출신 지인으로부터 이야기를 들었다. 매일 아침 나의 글을 읽게 된다는 것이다. 다만 글이 길어서 흠이라고 지적한다. 일정한 시간에 글이 올라오고, 문화인류학자이고 한일간의 미묘한 문제에도 솔직하게 적고 있으니 읽을 수 밖에 없다는 것이다. 알기 쉽게 글을 쓰는 것은 아마 교수 생활에서 비롯된 것일 것이라고 말한다. 그 말을 듣고 있던 방송작가인 지인은 쉽게 재미있게 쓴다는 의식은 전혀 없다는 것이다. 그냥 솔직하게 말할 뿐이라는 것이다. 그래서 스폰서나 행정 당국으로부터 클렘이나 주의를 받는 일이 종종 있었다고 한다. 검열은 방송 등에 존재한다는 것을 역설하였다. 검열이라는 말 대신 의견이나 건의라는 말로 표현하는 것이 좋을 것 같다.

スッピン顔

2016年03月29日 05時27分32秒 | 旅行
 乗り換えのために重いカバンを持って階段を走って降りて、ぎりぎりに電車に乗ってドアーが締まり発車、無事に帰宅した時は夜、寒さは変わっていない。私は完全に回復したのだろうか、その力はどこから来たのか、自らかなり無理したと思いながらも嬉しくなった。帰宅、即時フレージアーを生けた。今度の会では多くの方に再会、新しい出会いがあった。会員以外にも多くの人と会った。もう少し話をしたかった人が多かったが残念だったと思っている。岩波書店の馬場さんからは私も寄稿した『甦る民俗映像』をいただき、岩鼻教授からいただいた『山形民俗』には私のことにも触れられている。音楽民族学専攻の酒井正子教授には久しぶりに会った。会議が終わって桜下の道を歩き、一緒になった下川、伊藤、高橋、林氏らでファミリーレストランに入り、テレビや新聞の経歴からの識見の歓談となり、ホテルのルームでは黒崎女史と伊藤氏が我が夫婦の研究協力の体制の話に迫ってきて長い談笑の時間が続いた。
 昨日の午前中には今度の会長であり友人の北村皆雄氏の会社を訪ねた。感謝を込めて友好親善訪問であった。タクシーの運転さんは自衛隊出身の75歳、法政大学、飯田橋の桜の花見道、朝鮮総連本部、自衛隊、新宿御苑前などを観光案内しながら若い自衛隊員だったころ付けで飲み、その借金を返すためにアルバイトの道路工事をした話に夢中、聴きほれているうちに会社の門前まで着いていた。孫弟子に当たる弘さん、スッピン顔で病気後の私の健康に驚く表情、今は一躍映像制作、山登り名人となった。自分の世界を大きく繰り広げているいくことに私は感心している。もう一人の若くて親切な気配りできるスタッフは、文化人類学が専門で映像関係の仕事をしていると言う。彼女も化粧はしてないようだが輝いて見えた。なぜか、厚い化粧した女性には中身がなさそうに見えて、逆にスッピンに近い女性に会うと中身がシッカリしているという私の偏見はかなり当たっている。いろいろな顔を思い出している。

国策映画と記録映像

2016年03月28日 04時50分25秒 | 旅行
 早朝4時過ぎフェイスブックに下川正晴氏の投稿があり、数回更新。彼は会場にいた。聴講数は約70余人、真摯な会議は続いた。亘氏の異文化への理解というイントロ、そして牛島氏の解説と「海の生命線」の上映、それを編集した教育映画「南洋諸島」が佐藤氏の解説で上映された。昼食は堀まどか氏らと急いで済ませて私の出番。簡単な解説から始まった。日本帝国の最高潮の時の「強盛大国」(今北朝鮮が叫んでいる標語)の勢いをどう鑑賞すべきか。海軍政策でありながら空軍の必要性を訴える様子を見てほしいと説明した。人でも国家でも最高潮の時からの堕落あり。敗戦の日本も見るよう叫びたい気持ちを抑えながら説明した。日本帝国から日本国となった戦後の日本の最高潮、今、日本は危機意識を持つべきだというメッセージも含んでいた。今度の映像の中で一番長い「北進日本」を上映した。家内と急いで苦労して作成したナレーションを文章化した新しいバージョンを配り、皆さんに修正するようにお願いした。
 シンポジウムは発表者と私の7人が登壇して私が司会を勤めた。紹介や挨拶など抜きに本題に迫っていった。二つのキーワードを出した。国策と記録映像に関するものである。火山の爆発や煙突の煙を元気付けと近代化の象徴のように説明している映像を見た。今や脅威と汚染の象徴とされる。その説明と関係なく映像は映像であることを話題の種とした。6人のパネラーを二分して沖縄、台湾、サハリンの発表者に国策への意味を問い始めてよく話が展開されていた。沖縄の植民地論については私から追求した。北海道やサハリンなど少数民族が独立したら国家は成り立たないかもしれない。どこまでが日本かという根本に迫った。映画を学校教育に使ったという映画は挿入写真の比較にしかなっていない感があった。国策映画を誰に見せるかという問題も出た。その追跡研究が必要であることも私は指摘した。次には国策映画の中の記録映像の分析に迫っていった。サイレント映像、通訳もない映像が一番客観的かと問いかけた。パラオの女性の上半身裸のシーンは「土人」への差別かという問題。それは生活習慣そのままの記録映画であると評された。アフリカ=動物王国のイメージを作るテレビの映像でも記録自体はいいことになる。何を選ぶかがドキュメンタリーの要であることも話題になった。寒さの中、花見をしながらホテルへ向かった。*写真は下川氏撮影
 
 

「海域の植民地」

2016年03月27日 04時17分34秒 | 日記
 法政大学市ヶ谷キャンパスの前、線路沿いの桜が2分ほど咲いていたがやはり「春来不似春」寒い中花見を楽しむ(苦しむ)群れがいた。日本映像民俗学の会は大型教室で10時、北村皆雄 映像民俗学の会代表の開会のあいさつ が時間通りに進行。100余人の参加者がいた。亘純吉氏の研究大会テーマの趣旨では映像を以て戦前の日本の境界「海域の植民地」への問題提議をした。後田多敦氏は『Japan-日本-(タイトル不詳)』(制作年・制作会社不詳)10minと『海の民-沖縄島物語』1940、30minの映像を以て映像は事実であっても製作意図が沖縄を日本帝国である宣伝、植民地から全部解放されても沖縄は今なお解放されていないことを指摘した。私は歴史学者がこの映像自体をどう評価するかと質問した。映像を離れた映像研究のその範囲と方法論を問った。
紀旭峰氏の『南進台湾〜国策記録映画』1939、64minと『国民道場』が上映された。初めて見たものではあるが、私が台湾で見せた映像と大部重なっていた。植民地研究に貴重な資料であることは間違いない。
 会員作の上映は「光と風と!幻の漂海民ーフィリピン・スールー海」(北村皆雄)、「不漁時ハラン(供物奉納儀礼)」(牛島巌)「アラヨの歌」(アンドル・リモンド)、「極北への旅1917-18」(岡田一男)があった。ドキュメンタリーとして貴重な映像であった。特に「極北への旅1917-18」は今日の私の発表の映像である「北進日本」に合わせて用意してくれたので参考になる。長い上映と鑑賞、討論が終わって懇親会は市ヶ谷の地下の居酒屋、日本人の騒音文化の中に乾杯音頭を指名されてが遠慮した。耳が遠く、耳元に手をラッパのようにして傾聴、不便さなし、周りの人だけに通姓名、韓国式の自己紹介、話題は住宅文化、軍慰安婦などの話、盛り上がった時退席、昨日に続き今日の会が楽しみである。


帝国の敗戦

2016年03月26日 05時50分20秒 | 旅行
下関から小倉へ、のぞみに乗って東京に着いた。飛行機に乗るのが常であるが、家内の仕事の時間との調整で乗ってみた。まわりの人が入れ替わったのを見ると東京まで一緒に乗ってきた人は少ないだろう。その距離は1100キロ、朝鮮半島の最北端までは1100キロ、ほぼ同じ区間を乗った。韓国だったら釜山から豆満江までの距離の旅に当たる。朝鮮半島が統一したらこのような旅ができる。窓から見る風景は桜前線は性急なマスコミの先行であり、花冷えで花は咲くのを躊躇している。まだ冬の麦畑が碁盤のように見えた。窓は映像のように映る。本島の半分を走る実感がわいてくる。日本は広い。戦前の日本はさらに広かった。修学旅行が朝鮮半島を経由して満洲へ、アルバムを見せながら楽しい思い出を語ってくれた人を思い出す。
 田舎から都会へ出るといつも「田舎の鶏が市場の真ん中にいる」の表情になる。数日前に上京している林さんと待ち合わせ夕食を済ませてホテルに安着した。早速、北進日本の映像をみた。アナウンサーのトーンの高いナレーション、北緯50度線から赤道まで日本の広い海…という場面が展開される。1934年作のこの映像は日本史の中で一番華やか時代であった。その映像をどう説明するべきか気になる。その幻の夢は1937年に始まる日中戦争、1941年に始まる太平洋戦争、そして敗戦となった。その話は帝国の話だけではなく、隣の家の物語り、自分の生い立ちのような運命のように思える。今日本は戦後一番幸せな時代、決して幻ではないと私は声高く語りたい。今北海島新幹線開通の映像がテレビで流れている。
 

短歌

2016年03月25日 05時45分07秒 | 旅行
数日前古川薫氏が奥様からの頼みであるといいながら「やまぐち短歌大会作品集」を渡してくれた。その奥様は歌人の森重香代子氏である。お宅をお訪ねした時お茶をご馳走になったことはあっても話したことがない。私は文学少年時代には詩を書き、大学では有名な女性詩人の金南祚氏の講義を聞いた。同級生から二人の詩人が出て文壇に登壇したが私は失敗。それは私は感情の表現があまり出ていないということが分かった。詩は諦め、小説を勉強したが、それは語彙が少ないと言われたことがあり、評論家を目指したのである。以前拙著『アジアを歩く』を読んだ読者から、著者として感じたことの表現がないと厳しく言われたことがある。感情を入れることにより、偏見が入りやすくなるのではないかと自分なりに控えた結果である。しかし以降ブログなどにも感情を入れるようになった。
 今日東京へ出かけるのに寒い。これを日本では「花冷え」という季語がある。古くは王昭君の詩「春來不似春」(봄이 왔건만, 봄 같지 않다)と歌われたが多くの人が感じている季語である。日本には「花冷え」の季語の俳句、川柳、短歌が多い。花=桜を連想するものが多い。また花冷えと酒の話題が多い。私は酒とは縁が薄く酒に対する感情はない。なかなか花冷えの感を歌った名作が見当たらない。朴ワンソ作家は「花冷えのような孤独を感じた」(나는 꽃샘추위와 같은 외로움을 느꼈다)と書いた。花冷えと孤独はどうつながるのか。一般的に韓国人は花冷えをコッセンチュイ(花が咲くのを嫉妬する寒さ)という。本当に感情を表すすばらしい表現といえる。民間歌人の名作といえる。

恋人から妻へ、弟子から同僚へ、女性から老婆への変身

2016年03月24日 05時41分28秒 | 日記
27日に東京の法政大学で日本映像民俗学の会での発表のために「北進日本」(98分)の映像を繰り返し見ながらナレイーションを採録している。その作業はほぼ家内と一緒に行っている。家内は若い時から現地調査、研究発表などにほぼ同行していて私は研究内容を深く議論したりして今に至っては私を越えるアイディアを持っており日本文をチェックしてくれる。家内は恋人から妻へ、弟子から同僚へ、女性から老婦人へと変身していくようである。朝は私の日常的なブログなどの文を校正して、出退勤の運転、草稿のチェックなどをやってくれる。その隙間を利用するように二つの職場に通っている。
 新学期の講義をしながら4月には中国大連大学で講演、7月も講演、研究会参加などが決まりつつある。新年度も忙しくなりそうである。去年末に病で死況をさ迷ったことを思い出しながら頑張ろうかと思っている。大連大学では「私の日本留学」について講演をする。大連には教え子も数人いて会えることも楽しみである。最近回復がよく心機一転したような気分であり、韓国語の著作集も執筆を始めている。

卒業シーズン

2016年03月23日 05時50分37秒 | 旅行
卒業式のシーズン、桜前線の話も始まっている。私のお隣の研究室の山本達夫先生が今まで見た最高の正装で嬉しい表情をしていた。福岡大学から論文博士が授与されたからである。ドイツ史専攻の彼に私が学位論文を積極的に勧め初稿を読んだのは数年前、そして待っていた成果であった。昨日記念写真を撮る時彼は私に「チェ先生のお蔭」と言ってくれた。彼に新しい挑戦とチャンスがあるように祈っている。私は自分の成功のように嬉しい。
 私は韓国から留学生が少ない時代、成城大学で課程博士4年在学、多く指導していただいた論文を提出したが学校側の事情で受け入れられず、結局筑波大学から論文博士号(文学)授与された時は大きく救われたと嬉しかった。博士入学から13年目のことであった。その留学時代には多くの先生方にお世話になり、多くの恩恵を受けたと今は思う。それが今、私の留学生への配慮として生かされているのかもしれない。

「幻の満洲映画『迎春花』」

2016年03月22日 05時53分46秒 | 日記
昨日卒業式に参席、まだ大学の構成員であること、学父兄の席を見ると若い人ばかりのように感じた。世代交代が早いということと、私が老いたことを思った。研究室に戻り古川薫先生を迎えた。先生は91歳、お変わりなくお元気で、田中絹代氏の墓参りに行って来られたとのこと。昼食は弁当を食べ、午後の研究会を待ちながら談笑した。先生は福岡の発展を例にしながら下関もアジア向けの発想を持つべきだと言われた。それは先生の「アジア人」論だといい、これから新しく新聞連載に2年間約束をしたので少なくともその間は死ねないとおっしゃっていた。
 続いて林楽青氏の「幻の満洲映画『迎春花』」について発表があった。李香蘭、木暮実千代などが出演している。日本人と満洲人(中国人)との恋愛、三角関係、恋愛は実らず別れる。満洲国で満州人を相手に作った国策映画といわれるがむしろ満州人に教えてもらうような場面があり、必ずしもプロパガンダ映画と言い切ることはできない。しかし映画として成功したのか否かは分からない。林氏は当時満洲に住んだことのある人たちに見せてコメントを求めた話を紹介した。それは「この映画は面白くない」と言われたが、彼自身は「面白い」と相反する意見であった。私が「面白くない」という反応にはハッピエンディングであること、つまり恋愛は盛り上がって結婚などにゴールインする決まったストリーを先入しているからではないかと言った。美学研究の大家の金田晉先生、美術評論家の清永修全先生、芸術家の櫛田学長など多くの方は面白いと言われ、古川先生はプロパガンダとは言えないとの意見を述べた。古川先生をご自宅へ送ってから帰宅、大部疲れた。さらにこの週末東京での発表に備えて本気で準備し始めた。昨日はスカイプでも公開した。沖縄と海外から視聴した方に感謝したい。

 

「北進日本」

2016年03月21日 05時36分45秒 | 旅行
 日本映像民俗学の会で発表のために映画「北進日本」(1934)を鑑賞している。家内と一緒にナレーションを採録する。大変な作業でありながら楽しい。ナレーションは映像を説明するか解説するものであるが、実は映像とはかけ離れている。それがプロパガンダ映画の特徴である。カメラマンが撮る、撮った意思とは関係なく、製作者(国家)はナレーションで説明するがある。例えばカメラマンは漁師が魚を捕る場面をリアルに美しく撮っているが、その場面をもってナレーションは「我が帝国は北洋まで漁業権」「日露大戦の結果、ポーツマス条約により我が国は極東両遼沿岸延々9000マイルに渡る地域の漁業権を獲得しました」云々と声高く長く語る。1930年代の日本は一番幸せな(?)時期であったように受け取れる。日清、日露、満洲事変などで強大な帝国になり、強権的に語っている。怖さ知らずの日本帝国が表れている。
 小船から5千トン級の親船に乗る時の無秩序さは現在の日本人とは違っている。当時の日本人はまだ危機の時でも並ぶような秩序があったとは言えない。名作映画「タイタニック」、セウォル号事故、大震災など危機では秩序が壊れ、無秩序になる。その無秩序の状況を見て笑ってはいけない。その危機の源とは「死」である。死を前にした時でも秩序を守れるか、考えながら映画をみる。今となっては登場人物全員が死んでしまった映像を真剣に鑑賞する意味がここにある。

友人

2016年03月20日 06時08分41秒 | 日記
高等学校の同窓の友人の韓君と便りが絶えてから長い。ソウルに行けばもう一人の友人と一緒に会うのが常であった。ところで彼が死んで墓まいりをして泣いた後から便りが途絶えた。そして数年後になった今、彼の夫人が私のフェイスブクに、文と写真を送ってくれた。彼らは韓国でそれぞれ大学教授をしながら16年住んで再びオーストラリアのシドニーに戻って、韓君はそこで韓国学校の校長をしているという。彼が韓国に行く前に、当時シドニーの大学で教授をしていたとき時、私と家内が訪ねて楽しい集いの夜を過ごしたことを思い出す。フェイスブクに私は次のように書いた。

 韓君,久し振り。写真で会えてうれしいね。私はいつもソウルに行けば連絡すると言っていながらこのように久し振りに、しかもオーストラリアと遠く離れた君の安否を知るようになったね。奥さんに感謝します。私は最近心臓の手術を受けて今は大部回復中だよ。私と妻は相変らず学校で、病院で、まだ現役で仕事をしている。また書きます。

 チェ教授うれしい。連絡が切れて気になっていたが、家内が上手く捜し出したよ。もっと遅くなる前に君たち夫婦がオーストラリアの我が家にきてちょっと過ごして行ってよ。私たちには余分の部屋がある。必ずそうしてほしい。

 
 今すぐにでも行く準備をしたい気持ちになった。私は人に会いに旅に発つことが多く、それが旅行の動機になっている。数年前には北ヨーロッパに友達を探して行ってきたこともある。
 フェイスブクを通じて訪ねてくる方たちもいる。昨日はこういう文が載った。

 教授様の文をフェースブックで読んで学生たちに対する愛情がいっぱいに感じられてこのように初対面のごあいさつをします。 私の娘が東亜(トンア)大学校に今年の夏に体験講義を聞く研修に行くということを聞いて大学ホームページを訪ねて行って教授様が使われた本を見ました。 私は韓国国民大学校でドキュメンタリーと映像製作を教えていますが私も討論中心の教授法とe-learning教授法を用いて疲れている学生たちと意思の疎通を図ろうと努力しています。 たびたび連絡します。香りいっぱいの蘭の花を見にお寄りしてもいいでしょうか。

私の返信

とてもうれしいです。ありがとうございます。必ずお会いしたいです。

 
 


나의 고등학교 동창 친구와 소식이 끊인지 오래되었다. 그는 내가 경제적으로 어려울 때 집에 데려가 묵혀준 친구이고 늘 서울에 가면 으례 만나고는 했다. 그런데 우종호가 연락하여 만나기로 주선하여 주었으나 그가 죽고 나서 성묘를 하고 울고 난 이후로 소식이 끊겼다. 그리고 수 년 후가 되어 그의 부인이 나의 훼이스북을 통해 서로 글과 사진을 보게 되었다. 그들은 한국에서 16년 살고 다시 호주의 시드니로 돌아가서 한국학교의 교장을 하고 있다는 것이다. 그가 시드니대학 한국학 교수로 재직하고 있을 당시 방문하여 즐거운 송별회를 해 받은 것을 떠올린다. 훼이스북에 나는 다음과 같이 적었다.

한상대군, 나 최길성이야. 참 오래간만에 사진으로 보니 반갑네. 나는 늘 서울 가면 연락한다고 하다가 이렇게 오래간만에 호주와 멀리 떨어져 안부를 알게 되었네. 어부인께 감사하오. 나는 얼마전에 심장 수술을 받고 입원하였다가 지금은 많이 회복되었오. 나와 아내는 여전히 학교에서 병원에서 아직 현역으로 일하고 있소. 다시 연락하기로 하고 이만 줄이오.

최교수 반가워. 연락이 끊겨 답답했는데 우리집사람이 용케 찾아냈네. 더 늦기 전에 자네부부가 호주 우리집에 와서 좀 지내다가 가. 우리한테 여분의 방이 있어. 꼭 그렇게 해주겔 바래.

당장이라도 여장을 챙길 기분이 되었다. 나는 막연히 떠나는 관광에는 별 관심이 없으나 사람을 만나러 떠나는 것이 여행의 동기가 되고 있다. 수년전에는 북구로 친구를 찾아 다녀 온 적이 있다.

훼이스북을 통해서 찾아오는 분들도 있다. 어제는 이런 글이 올랐다.

교수님의 글을 페북에서 읽으면서 학생들에 대한 애정이 담뿍 느껴져 이렇게 초면에 실례를 무릎쓰고 인사를 드립니다. 동아대학교에 제 여식이 올여름에 체험강의를 들으러 연수를 간다는 소식을 듣고 대학홈페이지를 찾아가 교수님이 쓰신 책을 보았습니다. 저는 한국 국민대학교에서 다큐멘터리와 영상제작을 가르치고 있습니다만 토론중심의 교수법과 e-learning 교수법으로 지쳐있는 학생들과 소통을 하려고 노력하고 있습니다. 종종 안부여쭙고 향기 가득한 난꽃 구경하러들려도 되런지요.

나의 답신

너무나 반갑고 감사합니다. 꼭 만나뵙고 싶습니다.

개인정보 보호라고요. 그것도 지나치면 움추려 고독하게 되지요.

































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박화서 최교수 반가워. 연락이 끊겨 답답했는데 우리집사람이 용케 찾아냈네. 나와 친하게지냈던 박찬효가 재작년에 저 세상사람이 되었고 조동국이는 몇달 전에 다녀갔어. 더 늦기 전에 자네부부가 호주 우리집에 와서 좀 지내다가 가. 우리한테 여분의 방이 있어. 꼭 그렇게 해주겔 바래.

「梅光学院騒動」

2016年03月19日 06時45分14秒 | 旅行
 下関の梅光学院大学の改革が連日のように報道されている。地元の最も批判的地方紙が遅れながら1ページ全面を使って報じている。私は100年の歴史を持っているキリスト教ミッションスクールとして小規模で経営も上手くいっていると思っており、この「梅光学院騒動」にはとても残念だと思っている。地方の私立の難しさはそこに限らず全国的ではないかと思われる。大学は3月10日大学ホームページに学生が減り、経営が難しくなり、伝統ある学院を活性化するために改革をしたと説明している。そして学生の募集の難しい中高の教師の希望を受け入れながら退職させたのである。さらに文学中心の大学でありながら人文系の人気がなく改革しなければならないというリストラである。
 このような状況は日本だけの現象ではなく韓国でもある。私の知人の多くは定年退職ではなく、「名退」(名誉退職)をしている。早めに多めに退職金を貰って退職している。地方の大学経営で一番困るのは学生が減少縮小するに伴って教員を減らすべきであるが、有能者は転出するが、残った人物が問題人物となり、経営や教育に邪魔になる場合がある。なんでも否定し、グループ化して問題を起こしたり、内部告発の源になる。私はいろいろな大学でその状況を見てきた。地方の大学こそこのような人材の集まりを撃破しなければならない。改革と伝統を守る努力をしなければならない。
*写真右が只木統括本部長

留学生誘致と教育

2016年03月18日 05時37分57秒 | 旅行

昨日は20余人の大学院教員たちに留学生誘致と教育について話をした。留学生を受け入れることは経営が困難であであるからではないかと消極的、ネガティブな態度をとるのではなく、より国際化、教育の本質の変化において肯定的に考えるべきであると主張した。異文化体験として留学、グローバル化の実行のためである。文部科学省が2020年まで「30万人計画」を発表したのがそれである。話は私の経歴から始まった。経歴について話すとすぐ自慢話と思われがちだが、話す必要があった。何故なら私自身が日本に留学した体験を以て、帰国して日本に多くの留学生を送ったことがあり、また日本では広島大学と東亜大学で留学生を指導しているからである。日本人は留学とは後進国から先進国へ、エリートコースと思われるが、韓国ではドラマでみるように問題児であってもアメリカ(英語、平等と能力主義を求めて)へ留学する傾向が強い。現在東亜大学に韓国の留学生が百数十人がいるということに誇りを持つべきだと話した。
 私が東亜大学に赴任した時は外国との姉妹提携がゼロであったが、櫛田宏治学長とほぼ一緒に出張し提携を結びはじめ、現在28個にもなっている。提携を結んでおくだけではない。常に連絡を取りながら交流をすることが大事である。中国や韓国の大学から大学院へ留学する人も増えている。もっと大事なことは教育の内容である。折角努力して留学生が来てくれたのに教員からは留学生は「大変だよ」という声が出た。私は学生は大切な「お客さん」であること、注入式授業方式は改善すること、プロジェクト型講義で学生と一緒に公開講座参加、研究する態度を持つべきだと強く主張した。この会議が終わって留学生を交え、映画を見ながら分析し、7時過ぎた。家内は私のハードスケージュルから健康を心配していた。ベランダの満開した櫻の花を見て満足している。