崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「倫理」の教育を

2013年10月31日 03時44分55秒 | エッセイ
 北京天安門事件が特にテレビなどで報道されている。しかし中国や韓国ではそれほど報道されていないようである。資本主義経済だけ開放して他は独裁で国家体制を持ち続けられるだろうか、第二の天安門事件のようにみえる。独裁体制の中国政府がこのくらいで揺さぶられるかという態度であろうか。日本のメディアは公平的(?)に中国の環境汚染など頻繁に否定的なことを報道している。日中関係も悪くなっている。その中で日本の中国研究者156人が「新しい日中関係を考える研究者の会」を結成して、「もう黙ってはいられない」学者の出番であると論じた文(倉重篤郎「日中の死角」毎日新聞2013年10月30日)を読んだ。その文を昨日の「日本文化論」の授業で学生に読ませてから議論した。
 日中関係悪化の理由として田中角栄、周恩来両首相による国交回復交渉において中国が500億ドルという巨額な対日賠償請求権を放棄したことについて日本側が正当に評価し感謝する儀礼をしなかったことと言っている。つまり日本側は感謝の国家意思表明という公式的な「感謝表明」がなかったという。「中国では、受けた恩はメンツにかけて返すのが流儀。それに対して日本は勝手に中国が放棄した、という構え。それ以来、中国民衆にとって日本は儀礼を欠く国と映り、その後の日本側の親中旧世代の退場、中国の愛国主義教育が重なり日中間の相互否定の感情が増幅してしまった」と言うのである。
 政治的な日中問題を禮儀、特に日本側の欠礼にあるという。その政治問題より私は日本人の感謝について考えてみたい。日本では日常的に感謝の言葉として「ありがとう」が頻繁に使われる。ボールペンを貸しても有難うと感謝する。しかし形がないものには感謝を感じない。小銭でも貰ったら感謝するが給料やボーナスなどには当たり前であるかのようである。国費であれば乱用するような現象がないとは言えない。見えないものとして受けたり貰ったりしたことには感謝のこころが湧いてこない。経済的に成功した旧友に奨学会でも作って熱心に勉強する学生に賞として奨学金を出すことを助言したことがある。彼はいう。そのように制度化したお金に人は感謝しない、個人的にお金を上げることにしたいという。「ポケットから1万、10万だして上げると一生忘れないといわれる」という。私も言わせてもらうなら自費で色々情報を集めて予め準備したり、予約したりして案内しても彼らが感謝の心を持っているとは感じられないことが多い。見えないものにも感謝するよう新しく「倫理」を教育すべきである。

 
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死後結婚

2013年10月30日 04時48分18秒 | エッセイ
映像作家であり監督の北村皆雄氏と調査した旧い映像をDVD化するための仕事が一段落して送った。1999年韓国東海岸村で行った死後結婚のオググッに関するものである。この映像では人間文化財の金石出氏が元気よく演奏する姿が見える。1999年6月11-12日韓国慶尚北道浦項市清河青津1里デコジ村清河青津1里の海岸の砂場で朴氏の死後結婚が行われた。この死後結婚クツは主に海上事故死の原因を探ることが重要な目的であった。特に神竿をもって死者の口寄せに関心が集まって緊張感が一貫した。朴氏は3人兄弟の末っ子である。誠実で真面目で、心優しい人であり、船長として遠洋船を乗った。彼がアメリカオークランド近海で早朝4時半頃漁業中トイレへ行く途中失踪、行方不明になったという。家族は信じられなく船会社を疑っている。乗組員たちが口を合わせて同じことを言っているのではないか。死体も見つからず、疑問が多くあり、死因は一つも明らかになっておらず、船の乗組員が会社に無線で送った内容だけでは信じることができない。このような状況でクツを行うことになり、この死霊祭は死者の口寄せに集中しており、泣きの祭りとも言われた。
 
父:あなたの願いを父がすべて叶えてあげるから言いなさい。父と母、家族たちに恨みがあるんじゃないか?
巫女:何も言わないつもりですか?
妹: お兄さんの胸に収めたこと言えば胸がすっきりするので全部話してから行きなさい。現世にすべておいて行きなさいって。

 
 このように当時の巫俗は信仰として活きていた。しかし後に現場を訪ねた時は死霊祭に報道関係者、研究者、伝授者など100人くらい参加したもの、報道用の行事のような印象が大きかった。
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『みのもんたの朝ズバッ!』

2013年10月29日 04時34分52秒 | エッセイ
 ニュース情報さえNHKから『みのもんたの朝ズバッ!』へ変えて数年間視聴する番組に異変があった。みのもんた氏が降板する記者会見があり記者との一問一答の「訊問」のような会見ニュースを見て大変失望した。次男の窃盗未遂事件に親として責任をとった決断という王朝時代の話のようでしょうがない。私の印象の1、久し振りに視た儒教文化の「父親像」、2、日本にまだ「連座制」があるのか、3、「成人式」は要らない、4.「正義感」などであった。儒教でいうなら親不孝に親が怒っているが、そうではなく子離れ出来ていないようである。40代になった息子を4、5才の子供扱いをする親心が「美徳」であろうか。連座制的なことではないか。韓国では政治家に家族や親族の不正に共同で責任をとる、特に反共産主義法では身元調査が厳しかったのは有名であるのと酷似している。今日本で子供を殺すニュースが多い中、子供を持っている人が孫の父(次男)まで責任を取り、怒るのは社会へ警鐘であろうか。正常とは思えない。成人式はただの慣習ではない。未成年の意識変化を求める立派な文化である。また子供の不正こそ厳しく公に処罰しようとすると正義を超える子供の人権の問題となろう。
 言論では彼が社会正義を主張してきた人として発言し難いなどのコメントがある。そんな人こそコメントできないと思う。人はそれぞれ罪人である意識を持つべきである。イエスは罪のないと思う人はこの姦通の女性を石で殺せといったら誰もいなかった。彼は躓くことなくそれこそ正義の無いメディア界に戻って80歳まで正義を主張するよう働くことを強く希望する。彼は神から与えられた試練とチャンスだと思って悔い改め、もう一度戻って頑張って欲しい。親子関係も改善和睦なることを祈る。昨日我が家にはソウルの姉から2.3キロのキンジャン・キムチが届いた。愛の贈り物である。
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「しものせき映画祭」フィナーレ

2013年10月28日 05時10分13秒 | エッセイ
 朝、映画祭の準備の様相をみて東京などから来られたゲストたちに挨拶をして教会に出席した。教会では教会員の法事の昼食会、急いで映画祭に参加して全体のフィナーレまで席に座っていた。東亜大学の創立者の友人の原田氏も朝から晩まで一緒であった。何にしても最初から最後まできちんとされていることから彼が社会的に責任感を持って成功したわけがわかった感じがした。また中には満洲映画協会に勤めた曽根崎明子氏もいた。去年より観客数も増え質も増していると評する。
 午後の部では木下監督の「月は昇る」と2本のドキュメンタリー映画であった。一つは大阪府知事選挙の立候補者たちの選挙活動を追っている「立候補」である。映画の大部分はマック赤坂の変人に絞られている。マック赤坂が主人公のようになっている。彼は奇抜なパフォーマンス、マスコミと対立、駅前の交通量の多いところでスマイルダンスをして周りの人に迷惑を掛けては警察と衝突した。選挙の結果は最下位落選。何のために300万円の供託金を出して立候補したのか、問題作として考える。選挙は民主主義の「核」とも言える。独裁国家から見ると民主主義の堕落と言われるかもしれない。しかし選挙は立派な社会劇である。刑務所から犯人だった人が出て大統領になり、メディアの人、大衆タレントさんたちの政治家への変身など良い舞台である。私はこれを見て公正公平を名目飾りにした法律を逆利用して変人が暗躍できる日本の大衆民主主義の堕落と民主主義の限界を感じた。その点考えさせられる映画である。
 もう一つは妊娠出産をめぐるメッセージ性のつよい豪田トモ監督「うまれる」という映画である。妊娠から出産の過程で夫が父親としてなっていくこと、命の大切さ、そして幸せな家族を作っていく。少子化社会へのメッセージが数多く、医師、看護師、助産師、社会福祉関係者などのスピーチが過度に出ている。政府の新しい「国策映画」のようにも感じたのはその所為であろうか。今度の映画祭の重要な企画者である河波茅子氏の息子さんのゴスペル歌手の浩平氏の挿入歌を歌ったのも讃美歌のように聞こえた。「しものせき映画祭」は彼の生出演で立派なフィナーレを飾った。参加者、報道して下さったメディアの皆さんに感謝である。有難うございました。
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「亀山能」鑑賞

2013年10月27日 03時41分17秒 | エッセイ

昨日は亀山八幡宮の会館で「亀山能」を鑑賞した。開演の1時間前から150人ほど満席、それも関係者席として3割ほど指定されており、畳式席にて座布団上に座って3時間半大変な苦痛を我慢しながら全過程を見た。以前にも神楽などで数回見たことがあったが今度はもっと本質に迫り、朝鮮半島のシャーマン儀礼や仮面劇と比較し考えながら終始焦点をずらすことはなかった。演目は能「翁」、狂言「盆山」、能楽「清経」であった。中島氏の解説によると元来邪気を払い五穀豊穣を祈る神事であり、芸能ではないことがポイントであると思った。この下関の物は「翁」から能と狂言が合流して能楽か猿楽のように発展しているという。仮面戯は宮中儺礼戯として中国から広がったとも思われている。
 まず今度の「能」は神事として厳粛さに注目した。韓国の仮面劇も元々宮中の神事儀式としてあったものが民間に定着している。お面には祟りがあると言われても演目は芸能化してハンセン氏病患者、妾と本妻の三角関係、両班をからかうなど民間娯楽化している。私の生まれ故郷の楊州山台ノリは両班(官吏)をからかうものである。「能」は舞台で行われても娯楽や芸能性を最小限にしている。韓国の仮面劇は神社や常設の舞台を待たず野外で公演される。今は伝授会館で公演されることも多い。能はお面を被っても、韓国の仮面劇とは異なり、シャーマンの儀礼に似ている。扇と鈴を持って舞うことは朝鮮半島とそっくり。これに関しては20世紀初めころから鳥居龍蔵などが注目して比較し書いた素晴らしい論文がある。昨日の能舞台では背景絵と神木として「青松」が飾れ、置かれていた。韓国のシャーマン儀礼では松の枝は神の寄り代の降神木となり、鳥居が朝鮮の巫儀(写真下)を見て感動をしたのとは逆に私は日本の能(写真上)を見て感動した。能と巫儀には歌舞のテンポや発声などが異なる。しかしそれは変異化されたものと思われる。私は母が信じた巫俗信仰を信仰として見て育ったものとして日韓は、否、世界的にも通じあうと感じた。今日は「しものせき映画祭」の最後の日、映像で、トークショウでの劇性を見て感じる一日となるだろう

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「独島の日」「竹島の動画」

2013年10月26日 05時23分16秒 | エッセイ
 竹島の問題でよく聞かれる。「ここだけの話、実際はどうでしょうか」と。それは私の意見を聞きたいということである。先週講義で「国際極東軍事裁判」の映像中に外国人弁護士たちの弁論を中心に公正、公平、客観などを議論した。これらの言葉は立派な意味をもつが、主観や自愛などが入ると難しくなる。自分自身とは関係ないことであれば公正、公平は社会正義になるが、自分を含めると困る。その代表的な問題が日韓関係を混乱させる竹島の問題である。昨日10月25日韓国では「独島の日」として記念した。それについて民族誌(民族主義的)「朝鮮日報」の記事に批判的な題が付いていたので探してみた。記者は次のように言っている。「そこまで日本を真似することはないだろう」と。それは「領土問題は存在しない」と言いながら領土を主張する矛盾を指摘している。つまり韓国が済州島を、日本が富士山をそれぞれ自分の領土と主張する必要性があるのかの論法である。この論法によると「領土問題は存在しない」と韓国は占拠しているので「独島の日」が必要であろうかという。
 近代的国民国家形成以前までは王宮や都が中心であり、島は「島流しの地」に過ぎなかった。今私は矢内原忠雄が書いた南洋群島パラオに関して読んでいる。マジェーランやクークが発見した島々は陸地から遠く、資源も少ない島に宣教がなされたことを知る。人々はすぐさま「収奪」と思われるかもしれないが、島にも関心を持つ視野の開発であろう。近代国家以前のことはさて置き、国境や領土意識が発生した時点から国境という意識によって竹島に注目すべきであろう。日本は1905年の条約によって日本領土説を主張しているが、韓国はそれより5年早く大韓帝国が1900年10月25日「石島(私は本欄で触れたことがあるがドクとは慶尚方言で石のことである)」(独島)を韓国領土すると勅令第41号で決めたという。これが近代国際法で領土を明らかにした最初のことであると主張する。
 国際化とグローバリズムは流行語にもなっているがナショナリズムと愛国心が強化されながらも都鄙の差は以前と同様である。領土意識より地方へ関心を注ぐ市民意識の変化が何より優先的であろう。
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忘れない

2013年10月25日 05時39分39秒 | エッセイ
昨日はFBに速報として李光奎氏の死亡を知らせ多くの友人、知人から反応があった。韓国主要新聞などでは一斉にほとんど元在外同胞財団理事長としての訃報を載せている。彼はウィーン大学で民族学の博士号を取得し、帰国して韓国の家族研究に没頭した。この写真は2001年日本の「比較家族史学会」の20周年記念ソウル大会で彼を講師として迎えた時の物である。前列右から4番目の方である。当時韓国文化人類学では日本時代の植民地日本人学者の先行研究とそれに影響された韓国人の研究が基本文献であったので西洋の文化人類学(民族学)の彼が注目され、歓迎された。
 彼は私の大学3年先輩であって最初から一緒に読書会をし、一緒に調査をし、またよく会って話をする友人となった。彼は家族研究を一段落して閉め、海外での経験を生かして海外の韓国人いわば海外同胞研究へ注力した。そして2003年在外同胞財団理事長となった。私は彼がソウル大を定年した後広島大学へ研究教授として推薦して一緒に在日韓国人の調査研究を進めた。その結果が私との共著の『差別を生きる朝鮮人』(第一書房)である。火田民調査、全国綜合民俗調査、韓国文化人類学10周年記念シンポジウム、国際韓民族大会など数多く一緒に行った。
 当時彼は毎日自転車で坂道を走って出勤して教員や学生、特に留学生たちに模範的であった。 今大事な友人を失った。彼の多くの肩書きより私には数多いエピソード、パーソナリティ、友情の感情が濃く残っている。私が留学して数日後彼が東京へ来た。国際会館という私の一つのベッドで一緒に寝たこともあった。海外留学生活の長かった彼から慰められることもあった。友人と言ったが「友人」に義務のようなものがあるとすれば、愛すること、忘れないことである。彼はこの世を去ってしまったが私は忘れない。
 

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休日の補充

2013年10月24日 04時30分07秒 | エッセイ
 昨日は祝日を補充する日なので私の水曜日の授業はないといわれて少し気分的に軽くなった。祝祭日の関係で月曜日ハッピーマンデーには休日の授業の補充が多くあったが昨日は金曜日のものであった。私は意識せずその直前に自分の授業がないことを知った。政府が定めた2005年現在、「日本国民の祝祭日」は計15日であり、その労働を他の日に補充するということはどんな意味であろうか。日本の祝祭日に関する法律によれば「休日とは、業務・営業・授業などを休む日」となっている。私は原理主義者ではないが、それによれば休日の分を補充することは違反であろう。それより労働と休日の意味を深く考えてほしい。北朝鮮では休日を「労働からの解放」と言っている。労働を罰とするところも多い。韓国では嫁生活はもっとも辛い「苦生・コセン」という。休日をノヌンナルすなわち「遊ぶ日」という。日本の休日の労働分を補充すべきだと思うと重い負担となるだろう。日本人は休日の意味を知らない単なる勤勉な国民であろうか。
 私たちは重労働(?)の読書会を行った。礒永氏が1935年「朝鮮」に掲載された慶尚北道の農村振興に関する寄稿文を読んだ。その真ん中の部分に私が調査した村や簡易学校名が出てわくわくして読んでいき、農村振興を担当した「姜光乙先生」の名前が出て私は歓声をあげた。なぜなら姜先生の40日間の出張の間朴正煕氏が代講したというインタビュー調査で姜先生の教え子たちから何度も「姜光乙先生」のお名前を聞いていたからである(写真1995)。文章では初めて名前を見つけることができ、本当に嬉しかった。私は資料提供した礒永氏に感謝のことばを言った。休日の労働分の重労働のような仕事の中から喜びが噴出した。仕事、労働、休み、遊びの日の意味が分からなくなった。
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死後結婚

2013年10月23日 04時43分28秒 | エッセイ
1999年6月11~12日韓国東海岸村の清河で行われた死霊祭。ビジュアルフォークロアの北村皆雄氏の撮影の映像作品の解説を書いている。今は亡き金石出氏がセナプで伴奏した映像、写真家金秀男氏が参加した懐かしい映像である。2005年10月4日金氏が祀られるオググッも行われて私は両方とも北村皆雄氏と同行して調査を行った。秀男氏が2006年に亡くならたりして研究者などの状況も変わった。彼とは日本語と韓国語での共著も出したが、不帰の客となって冥福を祈る心で、今私の日記と神野氏の分析ノート(写真)を参考にして書いている。私の作業遅れで年内の発行が難しくなりそうであせっている。
 1970年を前後にして調査中、朴大統領政権のセマウル運動が強化され、迷信打破政策が激しく、予定した村祭りが中断されたこともあった。その後キリスト教化などが拍車をかけ、巫俗信仰は「迷信打破」でなくなるのではないかと思ったが今では人間文化財とされ、盛況である。賎民だと打ち明けた金氏は人間文化財として82歳で栄光なる人物としてこの世を去った。
 この映像は清河の船長として遠洋船に乗りアメリカオークランド近海で早朝4時半頃漁業中トイレへ行く途中失踪したという朴俊良氏と26才で亡くなった全賢淑氏の死後結婚の映像である。彼は真面目で、心優しい人であり、死体も探せず、会社の責任を問うこともできず、家族が認めるほどの根拠もなく、会社や船員たちの話も信用できず、大変困った状況でクツを行うことになった。したがって死者の口寄せがどうかと注目されながら進行したのである。この海岸地域では海上水死した人、特に未婚(チョンガ)の死者の魂を慰める民間信仰が強い。花嫁は1973生まれの全賢淑氏、寺の仏堂の中には位牌と写真が祀られているが、その霊を未婚で水死した船長の朴氏(1966年生)と死後結婚をさせ、極楽世界で幸せに暮らして生まれ変わるように祈る儀礼であった。
 東海岸地域にはこのような死後結婚が行われ、私は以前にも調査報告したことがある。最近は信仰より伝統文化として強く伝授されていると思ったが、東海岸別神祭の事務次長の鄭氏のFBによれば蔚山市文化財2号の別神祭が予算がなく、旧暦10月に行われる予定の物も中止になったという。彼はいう。社会が産業化され村がなくなり、別神祭が委縮されていると残念がっている。信仰を文化財として指定することに私は懸念してきた。その信仰の祭りが文化財として形骸化して変質するのは当然であろう。国粋主義的文化政策の問題かもしれない。
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「東洋経済日報」に寄稿文「ドキュメンタリー映画監督に挑戦した私 」

2013年10月22日 03時38分05秒 | エッセイ
 先週(2013.10.18)「東洋経済日報」の連載エッセー「ドキュメンタリー映画監督に挑戦した私 」を映画祭参加者たちに配った資料を全載する。

 私が文化人類学の講義でルーズベネディクトの『菊と刀』をテキストにして講義した時、下関市豊北町から通学している本山大智君が日中戦争の参戦者である小山正夫氏の話をしてくれた。より詳しく調査を続けるように彼に言った。後に彼は数回調査して映像をもって報告してくれたので、私は彼の調査を応援するために小山宅を訪ねることとした。私が行くことを聞いた元KRYテレビ局のカメラマンの権藤博志氏と毎日新聞の記者の尾垣氏が我が夫婦と同行することになった。本山君の案内で2011年11月初めてインタビューすることができた。小山氏は97歳で元気であり、当時、叔父から送って貰ったカメラで戦争中ご自身が撮った写真のアルバムを見せてくれた。戦時中ではあっても写真を撮ることができたし、現地の朝鮮人のカメラ屋で現像して持ち帰ることができた。しかし戦後国連軍によって武装解除とともに写真も多く剥ぎ取られたという。アルバムには軍事戦略に関するものがはぎ取られた跡が残っている。

私はそれから3年間数回調査を行い、写真とキャプション、日程記などを整理した。元の写真をコンピューターに取り込んで拡大、色の調整などによって135枚の日中戦争の写真を明確に見ることができた。そして最近それをもって訪ねて行って、それらの写真を壁に映し出しながら確認と説明を求める形で自由な談話をした。小山氏の夫人とも和気あいあいと話が展開されていた。私は現地調査では自然な雰囲気の中で本音の話がでると考えている。従来の多くの戦争や植民地というテーマで証言を聞くと「悲しい、悲惨な」ことが語られ、聞く方も暗い表情で、時には訊問するように証言を聞くというような決まった形式であった。私と彼はいわばラポールつまり心理学的にいう信頼状況で写真を見ながら話し合った。

 私は多くの写真の中で特に2枚が気になった。一つは一人の女性の写真である。それについて彼は「彼女であり、夫婦になっていた」と話し、婦人は戸惑った表情をした。私は100歳を目の前にした人の自由な放談と理解した。もう一枚の写真は「慰安室」という表札のような看板が掛っている建物の前に二人の日本兵が立っているものであった。彼は「女と寝るところ」と語り、その場にいた人は皆驚いた。特に慰安室で同じ故郷の女性と出会った話は劇的な話であった。日本軍との関係、つまり軍の内か、軍の外かがインタビューのポイントになった。

「慰安室」の存在は初めて分かった。公開して皆で考える資料としたく、ドキュメンタリー映画「文化人類学者の調査記録~小山上等兵が撮った日中戦争」(40分)を作った。証言をノーカットで流して視聴者自ら判断するようにした。「慰安室」は軍の外側にあった遊郭のような施設か、内部の軍の下部組織であったかは直接見て判断するよう願っている。日中戦争の初期に参戦した兵士が戦争と慰安を生々しく語るのを多くの人が見て考えることを期待する。

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「しものせき映画祭」

2013年10月21日 05時38分37秒 | エッセイ
昨日朝8時過ぎから夜8時まで一日の半分の時間を「しものせき映画祭」で過ごした。10時から「紅いコーリャン」の上映の前後に解説と評論をした。大型スクリーンでキチンと視て、感動をした。原作と映画とは異なった効果があることを体験した時間であった。それは夜の座談会で古川氏が「狼煙は上海に揚がる」をもって同じ感想を述べており、質疑のように談話できたことは良かった。
 朝から3人のプロが字幕付けの作業をして、午後1時半から「小山上等兵が撮った日中戦争」を上映し、権藤博志氏と本山大智君と製作経緯に関するトークをした。小山氏の証言が聞きとれなかった方言さえ表記ができて本当に映画らしく上映ができて嬉しかった。本山君は当時学生であったが今は社会人、観客の前で、ドキュメンタリー映画が出来上がったことの嬉しさを良く語ってくれた。私はこれから論文やDVDなどとして作成して、研究資料としていくつもりである。
 ロビーで飯山氏が装置した35ミリフィルム映写機で赤江瀑氏原作の「オイディプスの刃」が上映され、その前後に川野裕一郎氏の解説があり、展示会と合わせて市民にも注目された。訪れてきた多くの人は毎日、朝日新聞の記事によって知ったと言っていた。感謝である。
 5~6時にそのロビーで平井愛山氏、古川薫氏、川野裕一郎氏と共に座談会(司会河波氏)が行われた。最後に上映された「狼煙は上海に揚がる」は高杉晋作の上海視察をテーマにしたものであり、市民の関心は高かった。しかしアヘン戦争、太平天国、清朝の歴史に関する知識と映画の関連性を知らなくては理解できないようなものであった。解説がほしかった。8時大学祭の花火とともに私たちのイベント第1日目が終った。次回の映画祭は来週の日曜日(27日)市民会館で行う。まだ副実行委員長の役目は終わっていない。
 
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血のスープのヘジャンクック

2013年10月20日 03時47分13秒 | エッセイ
昨日は東亜大学40周年記念シンポジウムがあり、大学祭も始まった。大きい講堂に有名人が演壇に並んで座って「美」をめぐる話題だが参加者は少なく、さびしい風景であった(写真)。市民はともかく大学のソリダリティつまり結束がなく、教職員や学生の無関心を感じた。独裁も問題であるが、個人主義でもない「無関心の個別主義」はもっと問題である。ある講師は「教職員の堕落だな」と嘆いていた。祭りは結束を高めるというのは常識、日本は祭りの国とも言われるが、結束は何処にあるのやら。結束は協力の基礎であろう。私も嘆く。
 昨日朝から映画祭の準備や研究所の「赤江瀑展示会」などで構内を走り回った。また「楽しい韓国文化論」講座で焼肉文化について語った。在日朝鮮人の三大企業の一つである焼肉の特徴を朝鮮半島の牛文化から話を始め、牛肉料理のメニュを取り上げた。牛の頭料理から尻尾料理、牛頭肉スープ、舌のタン、腸のソルロンタン、骨と腸のコムタン、肉刺身のユッケ、センマイ刺身、肝刺身、血のスープのヘジャンクック、尻尾のテールスープ、皮料理のゾッピョン、雄牛の性器料理の牛腎湯、焼肉のジョンゴル、蒸肉のカルビチン、醤油煮詰のジャンチョリン、干し肉の肉脯等々さまざまである。その中で日本人になかなか親しめないものが血のスープのヘジャンクックである。血の料理は韓国だけではなく、広く遊牧民族にあるが、生の血を飲むのはそれほど分布圏が広くはないし、しかもそれは薬食に近いものであり、一般料理とは言えない。日本食と韓国食の最も対比的な一般料理としては血のスープと肉刺身のユッケといえる。しかし肉刺身は日本でも生食の馬刺しなどがあるが、血のスープのヘジャンクックはない。韓国料理が日本に定着するとしても名物料理のヘジャンクックが日本の食卓に出るのは難しいであろう。私は幼い頃から食べていたので、懐かしさもあって大好物である。
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白いキムチ

2013年10月19日 06時50分09秒 | エッセイ
 先日ソウルで多くの韓国料理を食べてきたが中に特に気に入った美味しいものが白キムチ(ベッキンチ)である。ある韓定食ではそれを3回もお代りをして食べた。美女の社長は私が美味しく食べるのをみて、次にくる時は多く準備しておくので予め連絡してくださいと空約束のような冗談もした。家内が帰宅して数日後白キムチを食卓に出してくれた。その食堂から持って来たものではなく、買って来たものでもなく、自ら作ったものである。普段キムチを作るが今度はその韓国料理屋のものを参考にして梨を入れるなど工夫したようである。食堂以上に母のキムチの味を復元したのである。韓国ではこのように味を復元伝授した人を「人間文化財」とすることがある。今日は「楽しい文化論」で私が焼き肉に関して講義する。韓国の文化と味の話をするつもりである。
 先日、私と一緒に民俗学を始めた女性が李王朝の宮中料理を復元して人間文化財に指定されて有名になり日本でも知られた人、今は亡き「黄慧性食文化」で宮中料理を食べた。そこでも白キムチが出た。現代食のメニュとしてビビンバ以外にはトウガラシはほぼ使われていなかった。李王朝の宮中料理が庶民の私の味とは異なるのか、美味しさはあまり感じなかった。黄氏の味が娘に上手く伝授されなかったのか、李王朝の味は現在とは異なっていたのか私の口には合わなかった。倉庫のようにそれらしい装飾もない所で椅子に座って食べる宮中料理は異様な雰囲気と味、とても人に勧められるものではなかった。ただトウガラシを使ってないキムチを日本人に注目させたかったようである。日本では韓国料理と言えば辛いものと思われるが、ソウルの品のある料理にはあまりトウガラシは使わないことを知ってほしい。韓国のキムチ文化のリアリティを体験させたい。
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新しい縄張り

2013年10月18日 01時57分33秒 | エッセイ
 昨日「朝日新聞」(大隈)、「毎日新聞」(西嶋)などに「しものせき映画祭」が報道された。私の監督の「小山上等兵が撮った日中戦争」も触れられていた。8時半からはNHKテレビ朝イチ番組で下関を紹介するものをスマートフォンで見た。1か月ほど前からプロヂューサの加賀氏から相談があったものである。全国に下関の唐戸市場、グリーンモール、 関釜フェリーなどを良く取材し、紹介していると感じた。
 また毎日新聞の平川氏から「赤江瀑展示会」の取材を受けた。私は、古川薫氏は地域で活躍しながら全国レベルで活躍する人もおり、赤江瀑氏は地域ではほぼ活躍せず全国的に活躍した作家であると説明した。また外部から入って活躍している人もいる。これら三つのタイプは全国にいるといえる。展示については担当者である川野裕一郎氏に来てもらって説明をするようにした。
 講義の中で、学生に私について知っていることは何かと聞いたら中津君は「韓国から東京、名古屋、広島などを廻って来られたユニークな先生だ」と言う。私は地元の者ではない、異邦人が地元の縄張り意識という鉄網条を破って下関に住み、根をおろしているという、それをユニークというのだろう。そして私自身がそこで縄張り意識さえ持っているかも知れない。
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健康診断

2013年10月17日 05時16分10秒 | エッセイ
今週末の「大学祭」の期間中に東亜大学東アジア文化研究所で劇作家赤江瀑氏一周忌記念展示会を行う。画伯の川野裕一郎教授によって工夫されて分かりやすく展示されている(写真川野による)。赤江氏著の単行本、文庫本の小説50冊他、20個ほどの書、10個の写真、遺品などを公開することになり、展示中には川野教授の解説や赤江氏の生前の貴重なインタビュー映像も放映予定である。市民に公開して文化意識を高めようとしている。多くの方の来館をお待ちしている。
 昨日集団健康診断をうけた。数か所を順番待ちしながら終るまで1時間ほど掛った。胴と心電図の検査のところでは屏風の裏で女性看護師から「へそまで出して」「胸を出だして」といわれ、その通りにした。プライバシーが意識されず健康と命を大切にすると考える時間でもあった。屏風を囲んでその裏側で診察を行い、その外側で待っている風景が葬礼の一つのように見えて滑稽だった。死体を屏風で隠して外側で参りをする韓国での風景のようであったからであった。屏風を背景にして祝い、囲んで参るという嬉悲の両面がある。「死生」は表裏であり、それを考える時間でもあった。
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