崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

柳美里と対談

2017年09月29日 09時36分19秒 | 講義

 昨日の午後作家柳美里氏を新下関駅で迎え、半年ぶりの再会であった。下関には初めてということで在日韓国・朝鮮人が多く住んでいるグリーンモール商店街を歩きながら紹介した。私の知り合いの女性にも会った。通りを抜けて、朝鮮会館、韓国教会、朝鮮学校へ。生徒たちは例外なく挨拶の言葉とお辞儀をしてくれた。盧先生の案内で教室で二人の女子生徒がカヤグムを演奏してくれた。そして城下町の長府、功山寺では突然住職の有福孝岳先生に声をかけ、柳美里氏を紹介した。有福先生はカント哲学者、親切にも境内の文化財、仏像、苔の美しい内庭など見せてくれた。今日の柳美里氏の講演会は彼女の希望により私との対談の形式行で行う。主に彼女の話を聞くことになる。大きく期待している。


黒田勝弘『隣国への足跡』角川書店2017

2017年09月29日 07時23分18秒 | 講義

 黒田勝弘氏の連打の本「ぼくの日韓史」と宣言の『隣国への足跡』を読んでいる。気になる言葉が続いている。特に親日と反日である。「朝鮮半島における南北対決は、日本を受け入れ「親日が率いた南が勝ち、日本を拒否し続けた「反日」の北は負けたのだと。日本統治が終わり、日本人が去った後にも、朝鮮半島にはこうして日本が残り続けたのである」という最後の文である。本当に精粹に匕首を刺す言葉である。しかしこれは中国や東アジアに広く適応される言葉である。昨日授業では植民地の負の遺産を残すか、破壊かと学生たちが激論した。中国の女子学生は残すだけではなく博物館などで作り上げるべきだと主張した。私が匕首で刺された感がした。


長生きとは

2017年09月28日 05時53分32秒 | エッセイ

 私は戦前の貧困農村の出身である。我が家には回る道具は綿の種を取るムレ、木の臼位い。鉄でできたものは包丁と鎌、若干の農具があった。常備薬はなく、トイレットペーパーもない。小学校4年生まで自動車を一台も見た覚えがない。日本の警察の自転車を見たことがあるだけであり、ほぼ石期時代の後期のような状況であった。そんな時、朝鮮戦争が起きたのである。飛行機や戦車、銃、大砲など多くの武器を見た。残酷な戦争の中に巻き込まれた。当時最新の武器、文化に接した。10歳ころの私にとっては、原始時代と現代文明との混合であった。このような農村出身であることとは不名誉に思われるかもしれない。しかし私はそうとは思わない。今私は長生きをしていると思うが、それはただ年齢を指すものではない。石器時代からインターネット時代まで、第1波、第2波、第3の波を全部生きてきたという意味がある。戦争体験談である最新著『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』について慶南大学校の張教授が研究論文を発表をするという電話を受けた。嬉しい。


在日東洋経済日報

2017年09月27日 05時13分39秒 | 講義
 毎週2回つつ市民向けの公開講座を行う。柳美里氏の講演について遠くからも問い合わせが多い。ネットと口コミによって知性人の反応が感じられる。長周新聞だけは現地取材と深層分析の報道をしている。柳美里氏には期待が大きい。在日韓国・朝鮮人、命、自殺など重いテーマが浮かぶ。それらは私にも重要な研究テーマであり、聞きたい。自殺というテーマはエミール・デュルケーム(Émile Durkheim)の『自殺』Suicide以来多くの研究成果がある。ここで自殺論を披露するわけではない。自殺予防対策論でもない。深刻な人生論である。私自身文学青年時代に自殺を考えたことがあり、日本人の文学者の自殺については『恨の人類学』で書いたことがある。彼女は高校生向けの講演から始まり、『自殺』の終わりに快楽(セックス)とエイズの倫理(?)関連性の指摘には脱帽である。お尋ねしたいことが多い。本欄の読者から柳美里さんへの質問を承りたい。来られて、直接質問してくださればなお嬉しい。
 

近隣国家への植民地

2017年09月26日 06時18分15秒 | 講義

 昨日の公開講座の講義「アジアの民族と国家」鵜澤教授のイントロでグローバル化、櫛田教授の美のグローバル化に続いて私から15回の講義全体の趣旨を語った。要領を得たイントロの時間であったと評価したい。この地域で最高の知識研きの講義であると自負する。学生90余人、市民・教員20余人の100人を超える規模で行った。私は40余年間の植民地での経験、調査に基づいて広い視野を広げようという強いメッセージの話に終始した。西欧先進国からの植民地はスペイン、イギリス、フランス、オランダ、ドイツなど、そして遅れて始まった日本がアジアに侵略と戦争、植民地を行った。韓国の世界一の反日はアイルランドのように近隣国家であること、近隣関係は友好交流が多く、競争敵対があると主張した。質問と意見が多い。近隣国家間の植民地について台湾と韓国の比較は、アイルランドと韓国の比較についての質問などこれからの講義に生かされるべき点である。
 講義の後、孫山氏から私の日本語へのコメント、この度は聞きやすかったと言いながらなぜかフェースブックなど文章とは異なる雰囲気を感じたと言った。言葉と文の差、そこに家内や編集者が存在することを話題にした。このような過程を経て、書籍は読者に提供される。言葉の問題は本講座の来週のテーマになっている。


「引退牧師」

2017年09月25日 05時18分54秒 | 日記

 最近会う牧師に「引退牧師」という人が多い。一般的に定年まで職務を全うするのではなく、途中で辞められた牧師だという。牧師という職は聖職として権威があり、尊敬されるはずであるが、他方不安定な職業であることが分かった。信徒たちに同様な言葉を繰り返し説教をし、日常的に付き合っている中でその権威と尊敬を失うと無力になり、追い出される。教会は担任牧師がいなくても説教、司会、掃除、食事、案内など変わらずスムースに営まれている。牧師に似ている職が政治家である。人気や支持率で生きるが不安と緊張がある。比較的に農業は安定職である。戦争中に農民たちは「北でも南でもかまわない」と言いながら仕事をしていた。つまり状況によって変化することなく安定した職業だといえる。


リハーサル

2017年09月24日 05時06分05秒 | 講義

 午前4時台のNHK番組「明日へのことば」を聞くことが一日の始まりになっている。それは加齢によるリズムであり、別に勤勉を意味するものではない。その時間帯にもう一つのプログラムが入っている。BBCのHardtalkを視聴する。前者はフリー・トーキングであるが、後者は司会者主導により早口で進行される。深い内容で話すので英語字幕を視ながらの英語リスニング勉強になっている。ノーベル文学賞受賞作家Howard Jacobson氏との対談は意味深い。メディアの発展が読書など文字文化への悪影響を及ぼしていることを語った。映像メディアに集中することによって読む力、パーソナリティや思考能力が低下するという。
 明日の月曜から始まる公開講座「アジア共同体論」の最初の時間は鵜澤教授の司会、櫛田教授と私がイントロを語る。私は講座全体の趣旨を語るためにパーワーポイントを作成した。昨夜家内を前にリハーサルをした。EUのようにアジア共同体は可能であろうか、問題点に迫る。家内のOKを得た。市内の他大学生もAキャンプ科目として単位取得が可能である。関心を持っていただけたらと思いながら報道機関や知人たちにはメールで情報を送っている。

 *「/」はコメンテーター

9/25「ワンアジアに向け」崔吉城(東亜大学教授)・櫛田宏冶(東亜大学学長)
10/2「日本語と国語」上田崇仁(愛知教育大学准教授)/山田寛人(山口大学非常勤講師)
10/23「植民地からみる地図」礒永和貴(東亜大学准教授)
10/30「アジアの軍隊」田中雅一(京都大学教授)
11/6「スペイン植民地」 鵜澤和宏(東亜大学教授)/家根橋伸子(東亜大学教授)
11/13「華僑のネットワーク」 李鎮栄(名桜大学教授)/馬場晶子(東亜大学准教授)
11/20「台湾と南洋植民地」植野弘子(東洋大学教授)/上水流久彦(県立広島大学准教授)  
11/27「東アジアカフェ文化」山路勝彦(関西学院大学名誉教授)/瀧田修一(東亜大学准教授)
12/4「満洲国の建国」呂秀一(大連大学教授)*Skype林楽青(大連理工大学准教授)
12/11「国家と戦争」纐纈厚(山口大学名誉教授)/楊小平(東亜大学東アジア文化研究所非常勤研究員)
12/18「東南アジア経済」西澤信善(東亜大学教授)/古川智(東亜大学教授)
12/25「日朝関係北朝鮮」福原裕二(島根県立大学教授)
1/15「東アジアにおける日本建築の起源」諏訪春雄(学習院大学名誉教授)/川野裕一郎(東亜大学教授)
1/22「中華思想清末改革」金俊(淅江工商大学教授)/原田環(県立広島大学名誉教授)  
1/29「民族と国家」鄭俊坤(ワンアジア財団首席研究員)奨学金授与

 

 

 


   

悪口の舌戦

2017年09月23日 05時23分13秒 | 日記

 韓ドラやネット上に投稿されたものを読み、観ながら韓国では言語浄化がまだ十分ではないことを痛感する。セックスに関する、特に近親相姦に関する悪口が多く、嫌な時が多い。ただ日本語の字幕や訳語によって醇化されている。韓国では言語浄化運動が長く続いているが、それは主に日本語からの外来語のワリバシなどの禁止である。北朝鮮では悪口が日常化されている。日本人を「日本の奴」というのは普通である。国営放送でも悪口は多く出ている。ジェスチャーでの悪口も多い。私の恩師の任晳宰先生は「辱説(悪口)考」を書いた。しかし朝鮮語で老人に対する悪口は少ない。トランプのロボットマンRocketmanと金正恩の「狂った老人」늙다리미치광이の悪口の舌戦が続いている。高齢者への悪口は不適切な表現である。しかしその程度は皮肉にもジェントルな悪口と言える。
 下関シアターで朝鮮学校の北朝鮮への修学旅行記録映画を観た。日本での被差別と「禁じられているいる国」に訪問というイメージを持って作り、注目されている感がした。映写中に数回上映トラブル、10分以上暗黙の時間、1950年代の映画館を思い出した。


平和な心の国民

2017年09月22日 05時40分04秒 | 日記

 地方新聞の地域面を担当する記者からのメールがあった。解散選挙態勢に入るので他の取材は難しい。それを読んで私は解散が平地風波のように感じた。政治がこの小さい地方まで圧倒する影響があるのか。既成国会議員の任期を短縮すとか、国民に投票の機会を与えるとか、否定肯定の面がある。それより国民が政権を変えるほど民主革命的意識があるのか。人気投票のようないわばポピュリズム、世論調査のような選挙ばかりでは困る。政権に一針でも刺すような投票であれば必要であろう。昨日私は統計学担当の教授と世論調査について話しをし、韓国のある大学総長とは電話で話した。彼に戦争になりそうだと私が言うと彼は「心配無用だ」という。平和な心の国民である。読書会、講座の打ち合わせ、講義もした。いつも距離をおいているような同僚が教壇に私が座る良い椅子を運んでくださった。忙しく、嬉しい一日であった。*写真は環境美化のために電信柱を切った跡


非情な「日常」

2017年09月21日 04時56分24秒 | 講義

 大学の後期授業開始の日の「文化人類学」では重いイントロダクションになった。私の人生の4分の1しかならない学生たちにはどうしても人生論的になる傾向がある。昨日は猛読中の柳美里氏の高校生向け講演録のような小説『自殺』からであった。彼女と私は非学歴と学歴が対照的である。しかし学識の対照ではない。彼女は非学歴者ではありながら高学識者である。私は学歴社会の中心である大学で教授として学生に「非学歴」を主張することになるのか。彼女がイジメ、自殺の多い生徒たちに「自殺を自分の人生の中にプログラムすべきだということです」という。ショックな話である。非情な「日常」にがまんできず自殺した太宰治が殉教者だという。日常(文化)をどう生かすべきか教育の問題にぶつかる。来週からは月曜日には市民にも公開する「アジアの民族と国家」、土曜日には「楽しい韓国文化論」を行う。市民の参加を歓迎する。昨日9月20日付「長周新聞」に報道していただいた。
 

 


画家金斗鉉

2017年09月20日 05時39分34秒 | 日記

 千葉県浦安市から有名な画家金斗鉉氏が来られた。1953年日本人を母として北朝鮮の咸興で生まれ巨済島に非難したという。映画「国際市場で逢いましょう」の主人公のような方である。9才には日本に来たことがあり、1971年から日本に住んでいる。広告代理店でグラフィックデザイナーを経てフリーランスイラストレーターとされている。李朝時代の風俗画「箕山風俗圖帖」などを思い出すが、中にシャーマンの絵が私を驚かせた。彼はクリスチャンとして宗教心を表現する技を持っているように感じた。『最新イラスト・カットの辞典』(主婦の友社)「絵が描けない人のためのワークショップ」に興味が湧いてくる。来年3月下関で展示会を予定しているので楽しみである。


植え替え

2017年09月19日 05時54分24秒 | エッセイ

 観葉植物フェニックスロベレニー、20年ほど一度も植え替えもせず、以前FB友のsejin Pak氏から指摘されてもそのままにしていたが、今度強風で台から落下。プラスチック製の鉢が壊れた。昨日二鉢に根分けして植え替えるのに2時間以上かかった。高齢の私には重労働だった。苦労か、楽しみか。苦労と享楽は一緒になると思った。スポーツ選手がそうであろう。負けて泣いた選手がまた続けるのはなぜだろう。単なる苦労ではないからであろう。ただ両者のバランスの問題であろう。今週から新学期が始まる。表面は苦労の始まりのようであるが、学生たちとの新鮮な出会いと成長、楽しみも多いと期待感いっぱいである。


敬老の日

2017年09月18日 05時53分45秒 | 日記

 台風警報に恐れ、鉢を室内へ、暴雨の中教会へ、台風は下関は無事通過した。今日は「敬老の日」、昨日ニューフェースの牧師の説教を思い出す。復活信仰、永遠に生きる生き方の話であった。イエスは30余年生きて死後2000年以上崇拝されていることとして私は掘り下げている。ニュートンなどの科学者もそのような存在である。敬老とは単なる長生きの願望を意味するだけではない。死後のことを考える意味があるだろう。死後、「あの世」を含めて考える人生観、高齢者に希望を与える。*写真はシャーマン李芝女氏の巫扇子絵


台風前夜

2017年09月17日 06時11分02秒 | エッセイ

 二つ危機前夜である。まだ静かな朝を迎えている。一つは台風18号が北上中であり、恐れている。もう一つは北朝鮮への武力行使が近づいている危機に晒されている。台風とハリケーンは地球の一部分における脅威である。戦争の危機も一部にある。中近東のような戦争の長い地域と、平和な日本は対照的である。今その日本で危機感を感じている。一人独裁の北朝鮮による脅威である。「一人独裁」は強そうで弱いものである。朴正熙大統領の暗殺で韓国は民主化が一気に進んできた。「一党独裁」の中国や日本より北朝鮮が「先軍」から「先進」するかもしれない。


私の系譜

2017年09月16日 06時02分53秒 | エッセイ

 私の二人の恩師、任晳宰・李杜鉉両先生を思い出している。私は両先生から世相の「俗的なこと」は学ばず妥協せず生きることを影響されているようである。先生方のその人生観はどこから縁由したものであろうか。30年ほど前に私と伊藤亜人氏が任先生にインタビュー、名桜大学の李君が撮影して残っている映像がある。その時、同席した有名な評論家の李相日氏が任先生に「任先生の人生観と関連して尊敬する人あるいは影響されたと思われる人は誰ですか」と質問した。先生は「京城帝国大学の先生たちだ」と答えた。われわれは一瞬戸惑った。先生自身より聞き手のわれわれが過剰に「親日」を意識していたからであろう。今の私に似ている現象がある。私が反日や親日を意識する以上に周りの人たちが、特に教え子たちが過剰に「親日」を意識しているのではないかと想われる感がある。