崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

リトル釜山フェスタ

2005年11月24日 06時05分24秒 | エッセイ
 昨日は下関グリーンモールにて行われたリトル釜山フェスタを見て歩いた。戦前から在日朝鮮人たちが多く住んでいる通りを「町おこし」のために始められた祭りである。例年と比べて参加者がはるかに多いという。先日弁論大会に800人が集まったこともそうであるがいわゆる韓流ブームの表れと思われる。祭りは韓国の食料販売、飲食する風景、そして朝鮮文化の伝統の歌舞や日本のよさこいなどもにぎやかに行われ、朝鮮文化と日本文化の交流の一日でもあった。
 主催側の話を聞いてみると例年より朝鮮総連が積極的な参加したということである。特に朝鮮学校の学生、卒業生の積極的な活躍があるという。民団系はより日本化してしまい、韓国の伝統をそれほど保有していないが、総連系は朝鮮学校を中心に民族教育を通して朝鮮語と朝鮮文化を強く保有しており、それが注目される。このような場が彼らの活躍のよいチャンスでもある。時代の変化を痛感する。日朝関係が正常化すると彼らの役割はより活発になることが目に見えるようである。

山口県韓国語弁論大会

2005年11月21日 09時57分23秒 | エッセイ
 先日金剛山歌劇団公演に1300人、そして弁論大開へも予想をはるかに越えた大勢の方々の集まりがあり、この熱情は下関市民の文化レベルが高いことを意味する。昨日山口県韓国語弁論大会が下関シーモル会館で行われた。300人以上の観客の前で挨拶に立った江嶋下関市長がはじめに韓国語ですらすらお話されて皆がおおいに驚いた。20人の弁士の登壇と応援団の呼応、内容も多様で、身近なものから古代文化、下関という地域と文化交流まで幅広く、レベルも高かった。間を挟んで申哲也氏の司会で女優黒田福美さんのトークショーも素晴らしかった。私は審査委員長という大役をおおせつかり、おかげさまで、ゲスト審査委員としてお迎えした女優の黒田さんと直接お話ができた。彼女は目下韓国の山と山岳信仰に関心を持っていらっしゃるということで、シャーマニズムの本を送ってあげることを約束した。
 

朝鮮学校の校長先生の話

2005年11月16日 22時38分58秒 | エッセイ
 私が担当する講義に下関の朝鮮学校の金鐘九先生をゲストスピーカーとして招いて話を聞いた。東亜大学2学年の学生20人ほどが熱心に聴いた。まず先生の話は日本のアジア植民地への思想的な基礎を作った吉田松陰、福沢諭吉の話から植民地時代の強制連行、そして自分の父が筑豊の労働者であり、自分はそこで生まれて朝鮮大学へ行き、現在に至るまでの話であった。
 日本人の差別は酷いものであり、朝鮮人は本名を名乗ることが出来ず通名の日本式の名前で生活しなければならなかった。ある人は本名を明かして、職を失った人もいる。つまり本名を知らせたくない人が多いのは、日本人の差別にある。現在在日朝鮮人たちはほぼ日本式の通名で生活するのが普通である。ある有名人も実は朝鮮人、本名は○○だとか次々に有名人の本名を挙げるたびに学生たちは驚く表情をしていた。現在もまだ日本人の差別はなくなっていない。学生たちは日常的に「在日」を意識して付き合ったことはないので、直接在日の方の話を聞けてよかったと感想を述べた。
 差別を知らなかった学生に差別を教えることになるかもしれないが、差別は知見や意識から始まらなければならないと考えて、このような機会に意識することは悪くないと思いお話を聞かせていただいた。私は差別を強く訴える人も差別する環境になると、やはり差別するかもしれないという思いがあるので、根本的なその心を基礎から見直すべきということを述べて、この時間を終えた。

金剛山歌劇団の公演

2005年11月12日 14時21分43秒 | エッセイ
 宝塚歌劇団が韓国で公演したという。それは戦前、植民地政策とも関係があったので韓国の人々にとってはあまり気分のいいものではないと思われるのに、時代の劇的変化には感慨無量である。昨夜、下関市民会館で行われた金剛山歌劇団の公演を見た。伝統楽器のセナップを改良して朝鮮民謡を演奏したのは実に壮観であった。また、伽耶琴の音色は会場を魅了した。それに加えて宮中衣装の美しさは最高であった。ただラストを飾るころで花束をあげる場面は興ざめするものであった。また民団の協力が見えないのも残念であった。南北の統一、そしてせっかくの韓流ブームを流さずに、より良き日韓関係そして日朝関係に結び付けていくことを考えるよい機会であった。

東京中心主義

2005年11月09日 06時35分27秒 | エッセイ
 下関に住んでから東京出張で新幹線を利用する機会が多くなった。早くても5時間以上かかる。東京での研究会ではアメリカの学者が日本人の研究をあまり引用しないことに不満をもっている内容の発表があったが、東京中心に考えている学者たちは地方の人の意見は受け入れようとしないような感じがした。しかし考えてみると李朝時代に島流しされた茶山という学者が近代学につながる代表的な学者になったではないか。メンデルは世間を相手にせず、寺の中で遺伝の法則を研究し、それが100年後に全世界で評価されるようになった。つまり、大勢を相手に一人で引っ張る綱引きもある。そして神様が認めてくれるという信仰は強いと思う。
列車内でコンピューターを前にしていろいろと考えた。

韓国人牧師の説教

2005年11月03日 06時12分43秒 | エッセイ
 最近韓国のキリスト教会が日本人を改宗伝道しようとする。韓国人の牧師の説教
を聴くことによって日本の教会は活気づくことが多いが、日本人の感情の持ち方を知らずに無理な説教も多い。つまり日本文化を知らず伝道しようとする牧師が多いということである。これは西洋の宣教師たちがその風土、風習を研究しながら伝導するのとは対照的であり、彼らに学ぶべきであろう。
 先週と先々週、韓国人牧師の説教を聴いた。ある牧師は「すべてのことに感謝しなさい」(エベソ5:18;デサロニケ前書5:18)という聖句をもって孤独になり、病気なったことにも感謝しなさいと解釈して説教をした。感動した信者が多かった。私は20才ごろ結核末期に聖書に勇気付けられたことがあった。当時、私は何故自分が病気になったのか運命を恨んだりし、感謝することはできなかった。説教を聴きながら、今考えると病気は私をずいぶん変えたことを深く考えた。
 またある牧師は大声で信者たちに「ハレルヤ、アーメン」を繰り返し強要して「犬の訓練」のように説教していた。ある人は「牧師は神聖霊に便乗して、さほど研究することもなく、準備した資料などを配布することもなく、ある意味で楽な職業だ」と言っていた。信者に従うことばかり要求できる仕事ではないかと思ったらしい。この言葉を聞いて韓国人の牧師がより誠意ある伝道活動をして欲しいと思った。