崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

youtubeテレビでの録画

2014年08月31日 05時13分20秒 | 旅行
 昨日は東京から二人の方が来られ、youtubeテレビで流すためにインタビュー録画をした。長澤史朗氏はインタビュー取材のためにあちこち走るように回るが、下関ははじめてだという。彼は事前に私への情報や文章などを読んで知っている。私は以前メールでは承諾の返事をし、約束したがいろいろな仕事に追われ、直前まで忘れていた。録画は質問に応じるインタビュー式であった。インタビュー録画を終えた二人からは分かり易い講義を聞いた感じだと言われ、一人語りが多かったのではないかと反省した。同行してきた柳田実佳氏は大学卒ばかりの新社員の美女であり、質問を担当した。向かい合って対談のようにしたが真正面であり、つい視線を外してしまい、時々撮影中彼女に向かって話すように注意された。
 最初の質問は「日本の植民地をどう評価するか」であった。あまりにも大きい問題であって一瞬戸惑った。韓国では植民地は「絶対悪」「暗黒期」「反日感情」などの強いタブーがあることを前提にして、私の植民地論の講義になってしまった。私は「主張をしない」「良し悪しを排除し、事実を事実に、世界的に広く、歴史的に遡る」という視野から見ているということを前置きにした。質問は続いた。慰安所帳場人の日記を読んでからの意見が求められた。長澤氏は韓国側が軍との関係は日本とは見方が違うところに私の意見を求めた。苦しくても私の意見を述べた。つまり軍との直接関係ではなく、軍政下の関係であると述べた。彼は「最後に一つだけ」と言いながら別の項目を繰り返しながら長く続いた。冷房を切って、ライトの照明熱、上着を着たままのインタビューであったので暑かった。長い録画は15分に編集されて公開されるという。編集が期待される。
 
 

韓国での古い反日が日本で新しく「嫌韓」

2014年08月30日 04時47分10秒 | エッセイ
昨日ソウルから下関へ帰宅した。アジアの大都会から閑散な田舎に戻った感がある。日韓関係が最悪といわれている時に帝国云々という研究課題を持っての訪問であった。その板挟みで活躍する朴裕河氏、日本近代史専門の金弼東氏と会って長く議論したのが特に有意義なことであった。韓国では一般的には進歩(左派)、保守(右派)と分けて話をすることが多い。日本に関しては右翼と左翼と言うが、安倍総理の名前が直接挙げられることが多い。そして一般的には吉田清治氏の嘘や朝日新聞の誤報も知られていない。日本人はすべての韓国人が日本に対して「反日虚像」を持っていると思っているようである。金氏は韓国の反日は日本人が考えているようなものではないという。日韓関係が悪くても80年代のような反日デモは一件も起きていない。彼は日本人がオバーに感じ取り、それが右翼化、右傾化して、嫌韓を増幅していると言う。韓国での古い反日が日本で新しく「嫌韓」になっていると指摘した。その根底には日本が韓国に追い越されるかも知れないという不安が内在しているからではないかという。鋭い。彼の本がすぐ出版されるというので注目してほしい。
 写真は呉埰鉉館長所蔵「愛国班」新聞)

音信のない弟子

2014年08月28日 20時52分55秒 | 旅行
今日は元同僚、知人、弟子に朝、昼、夕の時間帯に会って世相を語った。先日日本である女性から韓国の女性の露出度が東アジアでは一番激しいといわれたこと、女性大統領の政治力はどうであろうか、韓国より日本が遅れるのではないかと不安があるのではないか、朴大統領の唯一の政治的カードは女性人権問題、慰安婦問題であるという人もいたこと、それを政治戦略的なカードとして使っている等々。慰安所問題については朝日新聞が取り消した吉田清治の嘘自体は韓国に知られていない。朝日新聞の致命的な傷だけではなく、国各が問われる問題でもある。
 話は我々の問題になり、子弟関係に及ぶ。元同僚は卒業、就職まで特に力を注いだある卒業生は音信なく、10年も過ぎてしまって残念だと言われた。しかしその関係を考えてみた。われわれ自身は先生に対してどのレベルなのかを問う。私は彼らが静かに思い出してくれるだけでも感謝であると言った。彼は納得したように笑顔を見せた。

恥ずかしい歴史を共有し、理解し合う

2014年08月28日 04時53分41秒 | 旅行
 ホテルへ迎えに来てくれた車で出版社へ、『朝鮮の巫覡』訳書の校正作業を行った。担当の編集者と共訳者の朴氏、社長らと議論した。日本式の外来語の表記の基準、たとえば現地音表記主義の問題点、韓国語の綴りと日本人の名前の発音表記の不一致など、「日帝植民地」を「強制占領」という韓国の反日思想の排除などが話題になった。退院したばかりの会長洪起元氏らとの昼食は伝統的な牛内蔵湯であった。もちろん美味しくいただいた。
 ソウルの北方のヘイリのキャプセルミュウジアムに二度目の訪問、運転はもちろん洪鐘和社長。呉埰鉉館長が迎えてくれた。館長は用意した資料の他に日本植民地時代の資料を見せてくれた。啓明大学の教え子の朴さんが経営している羅麺屋を訪れ、彼女が作ってくれた揚げ物とお茶を飲みながら一行が楽しく歓談した。私が憶えていないことや思い出すなど古い話をしてくれた。私の髪の毛が白くなったのが異様に感ずるようであった。懐かしい話を切り、急いでソウルのホテルへ向かった。
 景福高校の同窓生たちと夕食会があるからであった。10年~20年ぶりにあう友人を含めて5人がプレジデントホテルのルームに集まった。私を太ったという。近いところに予約した伝統的な食堂の「湧金堂」で今まで話すことのない高校時代の私への追憶談、私が記憶していない話が多かった。彼らは私の留学生時代の苦労話を聞きたいと言う。例のようにアルバイトの話、彼らが順に語った近況報告の話は経歴豊富、歯科医、病院長、臨床心理教授、有名言論人であり、まだ現職にいる人が3人である。そして後半は性に関する冗談であり、私は抵抗感を感じた。日本で30年住んで一度も聞いたことのない濃い話で戸惑った。70年代半ばの後期高齢者たちの女性への関心は私にとっては別世界であった。
 過去の話の中には恥ずかしいと思う部分も多くあり、それを共有して理解し、友人として懐かしく思うのはなぜであろうか。過去を知っている人は避ける場合もあるが、それを他人のものと思わず共有することで理解し合うのが本当の友人、愛情と言える。夫婦も短所を共有することが本当の「結び婚」の「結婚生活」であろう。大げさに言うと国家も恥ずかしい歴史を共有し、理解し合うことが必要であろう。

「チョンククジャン」

2014年08月27日 05時01分44秒 | 旅行
朝早く吾柳洞駅で上水流氏と会い、おでんで簡単に朝食、聖公会大学へ向かった。昔この大学の非常勤をして、神学生たちに民間信仰について講義したことがあり、また私の高校の同期生の成氏が総長をした大学であり親しみをもっている。しかし今回の訪問はその縁とは関係はない。1か月前訪問を約束したが無駄な訪問であった。朴正煕大統領のセマウル運動の研究プロジェクトに関する情報を得るためであったのに。やっと辿りついた民主主義研究所はしまっていてた。それでも急きょ探して現れた人から若干の資料をいただくことができた。
 またセマウル中央会にも1か月前電話して探して行ったが無駄であった。朴正煕大統領親筆などのユネスコ登録遺産を見ることはもちろんできず、どこに行けば見れるかも分からなくなった。歩く途中で目に入った食堂の看板「チョンククジャン」、日本の納豆に当たる伝統料理に似ているものである。上水流氏に紹介するためにも良いと思い、そこで昼食をとった。「大韓民国歴史博物館」へ、館内ガイドがマイクで説明するのを聞き、観覧した。 *<読者へ>以下の部分を削除しました。申し訳ありません。 

ソウル大学社会学部で研究会

2014年08月26日 04時26分33秒 | 旅行
ソウル市内の中心部を歩いて清渓川の流れを橋の上から見て、昔を懐かしく思った。汚染されて悪臭があったが、今は臭いもなくきれいになった。ちょっと迷いながら歩いて、銀行の窓口で秀村研二氏に偶然会った。彼を誘ってソウル大学へ行くことにし、ホテルで堀まどか氏と合流して出版社洪社長の運転で走り、辿りついた時にはソウル大学社会学部、3階の研究室ではすでに研究会が始まっていた。ソウル大学人類学科出身の陳泌秀氏により沖縄での移民について発表があった。韓国での研究方法を以て日本で現地調査を行った、日本民俗学の匂いがしない韓国自生の研究成果と評したい。続いて韓国総理府所属の鄭恵瓊氏が日本軍動員や慰安婦調査について発表があった。挺身隊と慰安婦とは別であるという認識はしている。「従軍」とは何かについて主に私と議論し、中村八重氏が通訳した。結局韓国政府は慰安婦たちの証言に基づいて受けた申請者は300人だったが、政府が認定したのは22人だけであり、被害を中心にインタビューをしているという。主に軍との関係を調べている。日本の右翼でも納得するような調査を行っているという。日本人や台湾人の女性被害者が多くても問題にしていないことに意見を求めたがノーコメントであった。研究会でこのくらい議論できるのは韓国が民主主義国家であるからと思った。
 

京城府庁の庁舎

2014年08月25日 04時06分21秒 | 旅行
昨朝下関では雨の中朝鮮通信使行列や馬関祭りの賑わいの大行列の通りを通ってきた。日韓関係が最悪と言われる中の飛行機は満席、ほぼ日本人である。一安心であった。ここはソウル市庁が見下ろせるホテルである。京城府庁の庁舎を残して後ろに新庁舎を立てた。95年金エイサン大統領が旧朝鮮総督府庁舎を完全に壊したことを後悔するかのような対策のような建物が見下ろせる。その前の広場が行事の仮施設やデモ隊に占領されている。
 出迎えに来てくれた出版社洪社長に下関からローカル線の電車の車両で本を読む人は一人もいなかった。出版も最悪の時代になっていると運転する彼に話をした。韓国も同じだという。一般的に紙媒体ではない、テレビとスマートフォンによって情報を得る時代の出版業の難しさが話題になった。早速オジャンドン冷麺をご馳走してくれた。そんな中、私の訳書『朝鮮の巫覡』がすぐ発行できるという。この度その最終チェックもする。
 30代で慶南大学校の同僚であって当時読書会と共同研究をしたことのある文基相氏と夕食をした。彼は大学を定年してから社会奉仕などもしたが今は健康管理と日本語の勉強など趣味生活をしている。彼は西洋史学者であるが、今は研究は続けていない。ただ識見はある。彼曰く、韓国には民主主義の枠は作ったがまだ成熟していないと。自由があっても制約されるものが多く、日本に対しては知識人でも右翼であり普遍性が弱いと指摘した。私は知識人の役割を果たせるよう彼に期待したが、それには積極的ではなかった。今日のソウル大学校での研究会では植民地研究を論じる。はたして正しい議論になるか、それは明日の報告になる。

朝日新聞の慰安婦の件

2014年08月24日 06時19分30秒 | 旅行
次の文は韓国の朝鮮日報の月刊朝鮮の元編集長の趙甲済氏のコラムに載ったフォンドビルダー펀드빌더氏の文を縮訳したものである。これはSejin Pak氏のFBの紹介で知った。
 
 朝日新聞の慰安婦の件は韓国のために出てきた。具体的には、美國などに建てられた慰安婦像や碑が決定的な要因であった。朝日は日本政府を批判し、人権を追求するために、慰安婦問題を大きく扱ってきた。当初朝日は慰安婦問題は日韓両国間に限られた範囲で想定したが、最近の韓国がこの慰安婦問題を持って美國など世界へ広く宣伝し、日本のイメージを悪化させた、その副作用を日本の立場で憂いたはずである。
 朝日が意図した面をはるかに超えて、韓国が慰安婦像で日本の不名誉をを増強させたようである。そして過去30年以上をよく耐えてきたが「自爆」することになった。最近韓日関係の悪化にともない、韓國側がこの問題を美國など世界にまで持っていき、過熱させたことが朝日にとって決断せざるを得なかったように思われる。当初「猫」程度に考えた慰安婦問題が1〜2年の間に「虎」を凌駕するほど大きくなった状況を朝日としては我慢する余裕がなかった。
 韓國の過度の反日が根本的に変化する可能性もある。日本国內の有力な親韓メディアの一つが消える。朝日の自爆で最も困難な立場に陥ったのは、実質的には韓國である。日本政府は、今後国連など国際舞台で積極的に活動することになる可能性が高い。比して韓國の立地は狭くなる。韓國はただ、「慰安婦証言」によらざるを得ないだろう。
 反日も適当にしたら完勝状態を永遠に享受することができたであろうが、逆転されるかもしれない。相手に向かって過剰な憎悪と執着は最終的に自分自身に戻ってくる。

第3回「楽しい韓国文化論」

2014年08月23日 04時27分10秒 | 旅行
 昨日下関広域日韓親善協会の二人の役員が来られて今年第3回の「楽しい韓国文化論」を企画した。日韓関係が悪い時こそ成し遂げるべきと合意してから、韓流ブームの原点である。韓国のドラマ・映画から見る韓国文化と決めた。東亜大学東アジア文化研究所が共催し、10月11日から毎週土曜日2-4時で全7回の講座を行う。講師は崔吉城他である。内容は次のようである。

 「ドラマ・映画から見る韓国文化」
主催:下関広域日韓親善協会
共催: 東亜大学東アジア文化研究所
場所:東亜大学13号館の7階
趣旨:映画とドラマを見ながら楽しい点、学ぶべき点を語る。そして「人とのつながりを広げる」。この講座を通して、新しいネットワーク作り、友達作りの場にしてほしい。この「つながり」を是非、持続させていきたい。

「朝鮮通信使:李芸」「冬のソナタ」「ジャングム」「映画と観光」「安重根」「七夕の夏」韓国旅行をし、「安東・河回の両班村」現地での講義も行う。
 

慰安所帳場人の日記を読んで

2014年08月22日 05時26分42秒 | 旅行
 大学は夏休み最中であるが、まとまった時間を持って研究に没頭すべきであるとは思っても、新しい問題より以前に書いた戦争と性に関する問題について読者への反応に対応するのためにひき戻される感がある。今読んで解釈をしている「慰安所帳場人の日記」は長い間、日記を書いている者として、関心のものでもあり、読み始めたものである。その率直な感想を断片的に書いたのが「新潮45」である。また近刊のSAPIOでインタビューが出る予定である。より詳しくは東京大学大学院「2014年度 東京大学コリア・コロキュアム」で話をしたい。それは最近の研究報告である。すでに広報されている。以下のようである。

第2回 2014年10月2日(木)18時30分~20時
講師: 崔 吉城氏(広島大学名誉教授)
題目: 慰安所帳場人の日記を読んで
会場: 東京大学本郷キャンパス法文2号館「2大」教室

 政治的な話ではない。日記をどう読むべきが関心の的である。

「民間朝鮮人が書き残した慰安所の真実」『新潮45』

2014年08月21日 05時41分48秒 | 旅行
 昨日は朝早くから12時間を大学の研究室で読書会などで過ごした。同僚が前日発売された月刊『新潮45』を一足早く持ってきた。鳩が孵化した子を抱いている様子を見てから帰宅して、その雑誌に寄稿した「民間朝鮮人が書き残した慰安所の真実」を読んだ。ビルマとシンガポールで2年間慰安所帳場をした人の日記を読んで慰安所と軍の関係に絞って書いた文である。植民地ではなかった占領地や戦地における慰安所と慰安婦がどのように管理運営されたかに注目した。私の主張や意見は控えて原文をそのまま引用しながら客観的に考察しようとした。読者に一読を願う。
 日韓交流の日本側の代表的学者である市立広島大学の名誉教授の原田環先生から高評の電話をいただいた。客観的な真実の発言であるとのお言葉をいただいた。またブログやフェースブックなどで多くの読者からコメントをいただいている。今までも論著などで主張してきたことが特に今回は一般市民に広く読んでいただく機会となって嬉しい。このような意見は専門外のものではない。私が経験したもの、研究をしてきた者としての所見でもある。客観的に書いたものでも読む人によっては異なるのが常であるとも思う。多様な意見を聞き、読み、次の著に反映したい。

週刊誌とは

2014年08月20日 04時50分13秒 | 旅行
 「週刊誌」といえば過激な写真とイッシュ話題を扱うイメージがある。今度私のインタビュー記事を読んでそのネガティブなイメージをプラスに更新した。記事は私が広島大学の院生たちと作った研究誌に2001年に載せた研究論文がメインの内容であった。そのインタビューのために東京から二人が来られた。家内も同席して数時間インタビュー、そして記事を私が確認し、電話で確認も行った。タイトルと写真は編集者に任せた。18日発売の週刊ポストが届いた。表紙のタイトルと朴大統領と同じページに写真が載ったことを除いて校正した文であった。週刊誌といっても慎重に作る過程を知ることができた。「朝鮮戦争における性暴行と売春」つまり性暴行を防ぐために売春婦が村で歓迎された体験を書いたものであり、読者の感想や批判を願う。
 数年前から執筆した「映像からみる帝国日本」の草稿を脱稿し、昨日関係者に送った。お盆休みには家内と相談しながら校正をしたものである。古い映像を見ながら停止画面にして戦前の生活ぶりを読み取った作業であった。特に映画で見る戦前のソウル(京城)での生活、生け花などを飾ったコーヒーショップ、食堂でビールを飲む風景などは現在とほぼかわらず、驚いた。戦後間もない頃のソウル見物の印象も我が村とは天と地の差があった。貧富の差、文化の差が大きいと感じた。長い間私の作業は動画を停止画面にして考えることであった。しかし重要な内容は「動き」自体への関心であった。日本から朝鮮半島へ、そして満州へという帝国の領土拡張主義のキャッチであった。今の中国を見て戦前の帝国主義を見ているような錯覚に落ちそうである。
 

孵化

2014年08月19日 05時06分59秒 | 旅行
 連休中,大学は閉鎖されて気になるのが二つ。一つは研究室のパキラの木に水をあげること、もう一つは研究所のベランダの鳩のことである。昨日さっそく鳩の巣を静かに覗いてみた。2個の卵の殻が割れていた。親はなかなか見せてくれない。やっと見ることができた。無事二羽が誕生(孵化)した。どうして命が生まれるのか。卵が先か、親が先か、のような幼稚な思考をはるかに超える神秘性に追われる。卵を産んで命が誕生するのは誰でも知っている自然な現象である。科学からはそこで止まるのが普通である。その現象の原点は何だろう。そこは非自然現象であろう。つまり自然と非自然は共存することである。我々の日常にも常に俗と聖、自然と非自然が混在している。
 昨日発売の「週刊ポスト」にインタビュー記事が出て、読者から反応があった。2001年広島大学大学院生たちに勧めて作った研究誌に掲載した1「朝鮮戦争における性暴行と売春」を読んだ記者が来られた。子供時の悲惨な戦争体験を書いたものである。しかし米軍や国連軍を、韓国を非難するために書いたものではない。人間の性欲、それが暴力になるかの人間性を問っている。性暴力を防ぐ措置として売春が生じた現実を体験的に描いたものである。今までその論文が引用されたことはなかった。しかしそれが注目された背景は日韓関係の悪さからである。それを読む人は日韓において相反するだろう。性(慰安婦)の問題を考えてほしい。性愛、結婚、出産(孵化)、家族の社会現象でありながら人間の基本的な問題であることを考えてほしい。、
 

馬倩茹「植民地文化論」

2014年08月18日 05時22分51秒 | 旅行
馬倩茹「植民地文化論」(広島大学大学院国際協力研究科講義感想文) 2014年8月12日
                                 
 講義の最初先生が見せてくれた「ペーパーチェース」を深く考えてみた。あの映画はハーバード大学の講義の様子を撮ったもの、中国でもオンライン公開講義を通じて、世界の一流大学の雰囲気と理念は知っていた。大学の役割、大学の先生の本業は一体何だろう。この映画では、知識を身につけるのはほとんど自力で完成し、講義時間ではその知識を基礎にして自らの思考を先生や学生の間で議論することである。頭を動かす、思考と質疑の能力を培う、独自の価値観と世界観を完成させる過程が見られる。今度の講義でも、さまざまな日中韓三国の複雑な問題をめぐって考えて発表し、思考力を上昇させ、視野を広げ転換させることが出来た。非常に有意義な講義であった。
 「慰安所管理人日記」について、歴史資料か、生き証人の証言か、両方どちらのほうを信じるべきか?どちらがもっと真実に近いだろうか、議論した。日記は生存者の証言と比べて、当時のままを記し、時間が経っても変わることがない。一方、生き証人は、何度も何度も繰り返し証言をする間に、無意識のうちに加工する可能性がある、当時まだ子どもなのに、なぜそこまで詳しく覚えているのかと疑問が生じたこともある。両方とも主観が含まれるのでこれらを以て真実を知ることは非常に困難である。また読む人によっても全然違う場合もありうる。
 戦争など主題とする博物館の役目は、当時の実物、歴史資料を集め、説明をつけて展示し、出来るだけ当時を忠実に反映し、見学に来る人が共感を生み出す、この後に考えさせ、いまの生活あるいは未来に繋がっていこうとしている。私は呉にある大和ミュージアムに見学に行ったことがある。館長さんの説明によると呉は日本海軍の造船基地として、戦時中たくさんの戦艦を製作し提供したという。当時呉は前線ではなく、戦争の炎に呑み込まれたことがなかったが、終戦直前の空襲で被害を受け、町も全滅状態になったとのこと。大和戦艦は日本海で撃沈された。これは被害者としての語り方であろう。つまり戦艦を作るだけ、直接に戦場で人を殺すことはなかったと言ったのである。歴史を見る時、自らの判断は必要であろう。私には、それは理解不能の解釈、言い訳であった。戦争の正体は何か、正義は何だろうか、戦争の恐ろしさ、戦争が平和を守ることだろう。殺人兵器を製造したことの責任も取るべきだ。歴史を語る権利は誰が握っているのか、加害者、被害者から歴史をどう解釈するのかなどたくさんの問題について、深く考えることが出来た。
 個人の歴史を知ることはただ同情、怒り、戦争の残酷さなどを感ずるしかない。しかし国家レベルになると非常に勝手なことで、国と国との歴史的問題、共同認識は難しく、国益に利用し、民衆の関係を傷つけ、最悪の場面に導くのも過言ではない。歴史問題の解決のためには加害者はまず心からのお詫びをすることである。しかし加害者はほとんど亡くなっており、この責任は誰が背負うのか、いまの世代だろうか?金銭的援助では、どの位の賠償が合理的であるのか。この講義ではよく考え、意見を述べて、議論し、さらに考えることは非常に面白かった、そして、思考力などの能力も十分に鍛えられた。(写真の真ん中が馬さん)

「反日放棄宣言」

2014年08月17日 05時21分43秒 | 旅行
 今世界ではイスラム、日本ではキリスト教にアレルギーを持っている人が多い。時々本欄でもキリスト教に触れると読者の中には拒否反応をする人もいた。しかし無神論無宗教の人と言っても実際世界的に広く宗教信者が多いことには知識や関心を持つべきだろう。長い歴史の中、仏教や儒教などが伝統的には概ね東アジア文化圏の価値観や思想を基礎にしている。日韓にしても仏教と儒教などを共有して儒教文化圏と、より広くは仏教文化圏ともいえる。キリスト教の受容においても早かれ遅かれ似てる殉教史を持っている。儒教が国教であった18世紀李王朝の時尹持忠などは伝統的な祖先崇拝から脱脚してクリスチャンになって殉教した歴史がある。日本でも隠れキリシタンの殉教史がある。しかしキリスト教の伝播と定着において劇差を出しており、日韓両国において異様なほど差をつけている。私は以前宗教学者の山折哲雄氏と議論し、共著のものもある。
 フランシスコ法王が韓国を訪ね、昨日光化門大通りで施福ミサを執典し、100万人が殺到したという。世界的には世俗化現象、信者が減り続ける中、新しい伝道集会のようにも感ずる。日本の脱亜は西洋技術を主に受け入れ近代帝国、そして植民地と戦争の道に傾くが、キリスト教が広がることはなかった。クリスマスケーキなどの文化は受け入れても信仰は受け入れなかった。日韓文化の差はキリスト教によって大きく、その関係に左右される。日本人もキリスト教には関心を向けるべきである。それは世界的な文化であり、思想であるからである。その愛と平和の本当の意味を知るべきである。韓国は法王を迎え良い行事をするだけではなく日本を憎まず愛すること「反日放棄宣言」をするのもよいことであろう。