シアトル行き、9時間の飛行時間では狭い空間での不便さを極めた。しかし人と親密な関係の時間であった。隣の席にすわった女性とはかなりプライバシーな話ができたのは良い時間であった。彼女は韓国系の60代の女性、シアトルに住んで20数年、シアトルの冬は雨が多いが、それほど寒くない、夏は暑くないところ。最初の対話は互いに相手に関心が高まり、情報探索の一般の話のアメリカに住み何年とか、相手の情報を探す話が始まって数分内に電話番号も交換し、彼女がわが夫婦へ観光情報などを提供してくれた。韓国語の『雀様の学問と人生』にサインして差し上げた。
私は長時間、座って仕事をするのは慣れているはずなのにそのまま座って眠るのは不便、脚を伸ばすことができないような時間、長く座っていることがいかに難しいか、実感できた。坐葬より伸葬が一般的であることが納得できる時間でもあった。
大韓航空の機内食は牛肉とキノコビビンパの定食、お粥などすべてが美味しい。ご飯だけは日本米に劣っている。このようなサービスで日本航空が負けるのは決まっているように感じた。以前は日本のサービスが良く親切だという高い評判を得たが今は経営不良で悪くなったという。これは経営方式が改善されないまま国際的な競争時代を迎えていることを意味する。乗務員は親切、税関申告書を確認して書き込んでくれる。
韓国人が10万人も住んでいるシアトル、民族的に内向的に生活し、アメリカ社会へ溶け込んでいない。彼女はクリスチャン、信徒数1、000人くらいの監理教会へ出席している。海外生活には教会はネットワークの柱、韓国人はどこへ行っても教会を通して人間関係を広げる。夫が10年間大学で猛勉強の後ろ押し、そして資格を得たご主人は現在盛業しているという。しかし年を取りながら故国、親族などへの絆を求めるようになりつつあるという。
アメリカへ歓迎Welcome to America、長く時間を掛けて出たときは30年ぶりの再会の喜びと歓迎を受けて高速道路を走る。狭い空間から解放されて広く広い大地の一角の自然の中の家庭に温かく迎えられた。窓からウサギ、リスが森の主人公のように現れた。主人は韓国忠清北道の陰城で1930年生まれ、聖公会の聖職者の父に続いて神学を専攻し、アメリカのセイント・ルイス大学と日本の立教大学に留学し、釜山教区の司教・主教を歴任して定年引退後アメリカへ移住した韓国系アメリカ人、奥さんは元薬剤師日本人女性の加賀美さんである。崔主教はわれらが日本から韓国へ帰国したころの相談役の方でもあって、信仰的に導いてくださった。彼は神学を広く研究し、シャーマニズムと合わせて研究しており、特に最近膨大な原稿を書いた。その出版に関する話で初夜を過した。
秋とは言われても日本の真冬、厚い下着、チョッキ、ジャンバーまで来ても寒い。重ねた布団の中にはアンかを入れて、早く布団に入っても時差のせいかなかなか眠れない。家は森の中にあってまだ他の人とは一人とも会っていない。外国では言葉とか心配はいらない。言語もない自然の世界、無我の自然へ放り出されたようである。「帰りたい、故郷へ」と広い自然から狭い所へ帰りたい。狭いところで不和とか反目をぶっつけあうのも人間への愛情からのものであろう。